なぞの旅人スーのブログ

鉄道、旅行、花祭り、その他日記にしたい事を書いていきます。実際の面識が無い方からのコメント、歓迎。荒らしや誹謗中傷は×。

諏訪之瀬島到着

2011-04-30 23:38:03 | 旅行

 午前4時頃、船の揺れで目が覚めた。天気予報から、あまり揺れないだろうと見込んだのだが、アテが外れた。すぐに酔い止めを飲んだが、効くまで気分の悪い状態が続いた。
 午前6時頃、一番北の口之島に到着した。朝日が見える時間である。以南の島も紹介していくが、トカラの場所を知らない人もいると思うので、船舶位置表示盤の画像も載せる。




 中之島は新しい岸壁になっていた。待合所をしっかりした建物にすれば良かったのに。




 平島。


 午前10時頃、最初の訪問地である諏訪之瀬島に到着した。宿は違うが、熊本の母子もここで降りた。港では子ども達が島オリジナルのTシャツの売り子をしていて、購入した。島のTシャツがまた1着増えてしまった(苦笑) 車で今回お世話になる民宿「御岳」に送ってもらった。女将さんが外で待っていた。早いところ釣り餌を冷凍庫に預けようとしたのだが、臭いが食品に付くからと、基本的にお断りだそう。開封前だし、刺し餌のオキアミだから、臭いは強くないんだけど。ご主人に預かってもらう事になったが、ご主人はあまり宿にいないし、女将さん経由だと意思伝達もうまくいかない。他の生き物の釣り餌では分からないけど、オキアミを使った釣りをやろうという人には不向きな宿である。
 また、宿には清潔を保つためのルールがあり、注意書きがある。扉はすぐ閉める、男性は小用を座って(洋式トイレ)しなければならない等。注意書きに無い事もあるが、清潔を意識した行動をとれば問題無い。問題ある行動をとれば、女将さんからはっきり物言われる。だが、そのルールのおかげで、綺麗で清潔な環境で宿泊できる。座りションは辛かったが・・・。私は大きい方も洋式でするのは苦手で、今ではほとんど洋式だから困る。
 早速尋ねてみたい事があった。諏訪之瀬島には、道路で繋がってなく、船でしか行けない「作地温泉」という温泉がある。しかも、凪いでいて、潮のタイミングが合ってる時にしか渡れない。宿は船を所有している。1人だと船代が高く付くので、他に希望者がいないか尋ねたところ、同じ宿のグループが希望しているそう。しかし、今日は波が高くて船を出せないと言われた。
 お昼ご飯までの間、少し散策をしようと外に出た。1人の若い男性が声を掛けてきた。昨年移住してきたそうである。移住者が最近多く、現在60人程が島で暮らしているそう。一緒に道を歩いて案内してくれた。諏訪之瀬島はトカラの中では面積が広いが、歩ける範囲は狭い。 学校からは楽器の音が聞こえてきた。部活動は音楽をやっているそうである。運動部に力を入れている学校が多く、小規模校だと運動部だけというところもあるが、珍しい。
 宿に戻ってお昼ご飯を食べた後、女将さんが「午後からは島内観光で良いか?」と訊いてきた。今日は温泉に行けないし、釣りは後の日にして散策しようと思っていたので、「はい」と返事した。そしたら、電話で何か申し込んでいるではないか。ツアーに申し込まれてしまった様である。内容、料金も分からない。断るのは気まずいし、観光客としてできるだけお金をその地に落としていきたいと思うので、そのまま迎えに来るのを待った。
 矢澤さんという男性が迎えに来た。参加者は私1人で、贅沢である。メインはトレッキングであった。山桜の南限である「ナベダオの桜」から山に入った。ただ、私はTシャツに膝位までの丈のズボン姿で、「ヒルがいるかもしれないが良いか?」と訊かれた。行かないのはもったいないし、単に血が出るだけだろうと安易に考え、希望した。


 道が全然分からないコースであった。これはガイドが付いていないと無理である。


 植物の説明もしてくれた。幹が横になった木。


 尾根からの見晴らしは最高。


 溶岩の台地に出て、車に戻った。諏訪之瀬島の御岳(おたけ)は今でも火山活動をしている。火口周辺は立入禁止となっている。結局、ヒルにやられる事は無かった。
 他、各見どころを周ってくれた。諏訪之瀬島には飛行場がある。旅客機が離発着する訳ではなく、個人の飛行機が降りる事があるらしい。元々は、リゾート開発で造られたもの。空港として使用してくれれば、観光に、島、村の人の生活に便利なのに。無断で入れない所なので、ツアーに参加したおかげで入れた。


 滑走路の下にはトンネルがある。


 飛行場に続く道に書かれていた謎の「行」の文字。飛行場から出る向きであった。矢澤さんは今まで存在に気付かなかったそうである。


 この島のガジュマルは物凄く大きかった。腰掛もあった。


 「根神・湯治場牧区」。草を生やすために最近野焼きしたそうである。「湯治場」という文字がある。諏訪之瀬島には活火山があるのに、何故か集落付近に温泉が無い。ここを掘れば温泉が出るかもしれない。


 火山活動監視の施設。


 「藤井富傳翁の墓」。諏訪之瀬島は火山の噴火でいったん無人島となったが、この人の尽力で奄美からの入植があった。また、土砂崩れで埋もれてしまった、人が住んでいたエリアもある。自然災害に遭いながら、この島は生き続けている。「ヒッピー」と俗称される、宗教、自給自足生活の集団も過去にあった。今でも島に残っている人がいて、矢澤さんもその1人だという。それと、島に入って最初に話した男性の様に、Iターンの人もいる。諏訪之瀬島は全国各地から人が来て成り立っている島である。


 神社にも入った。


 切石港の先にある「乙姫の洞窟」。中に大きな石があった。




 崖に生えるマルバサツキ。こんな栄養分無さそうな場所に生えるのは何故だろう?


 学校に入ってみたくて、矢澤さんにリクエストして入らせてもらった。このご時世、勝手に入る訳にはいかないし。平島の分校となっている。


 中にある郷土資料室を見学した。矢澤さんが作成した、作地温泉についての資料もあった。


 体育館は平成20年にでき、十島村の学校では一番最後にできたそうである。学校と道路を挟んだ向かいにあった。島唯一の横断歩道があった。


 トレッキング、飛行場入場はツアーに参加しないと無理だし、説明を聞きながら、話をしながらの島巡りは楽しかったので、ツアーに参加して良かった。料金は5千円であった。
 まだ夕ご飯まで時間があり、通り過ぎてしまったところもあるので、今度は徒歩で散策した。村役場出張所。乗船券はここで買う。


 公民館には素朴な感じの土俵があった。昔は大人が相撲を取ったが、今では子どもが祭りの行事の1つとして相撲を取るそうである。




 診療所。
 

 村の島々では島内に発電所を持っている。


 各島では肉牛を飼育しているが、種牛は初めて見た。貫禄ある体付きであった。


 元浦港まで降りる道からは綺麗な海岸線が見えた。


 元浦港は切石港が状況により使えない時にフェリーが着く事があるそうである。


 海は荒れてきていた。荒れた海は黒いイメージがあるが、トカラの海は荒れると波打ち際が碧くなる。


 崖には美しい鳥がとまっていた。山も多いトカラは、野鳥の楽園でもある。


 曇っていたが、雨はたまにポツリと降る程度で、何とか天気が持って良かった。宿に戻ってシャワーを浴び、夕食をいただいた。島で食べる刺身は美味しく、こちらでは刺身をあまり食べたくなくなってしまう。テレビで、沖縄、奄美が梅雨入りした事を知った。宿泊客は私の他にグループだけで、中に入り辛かったので、食事後は部屋に戻り、早く就寝した。




 





 

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フェリーとしま 乗船

2011-04-29 23:59:40 | 旅行

 今年のGWもトカラ(鹿児島県鹿児島郡十島村)を旅する事にした。昼前に家を出て、夕方鹿児島市内に入った。まずは「トカラ結プラザ」で土産を買った。帰りだと店が開いている時に行けない。品数の少なさは相変わらず。お菓子が土産に都合いいんだけど、塩飴しか置いてない。もっとお菓子を作って欲しいな。島バナナアイスクリームを自宅に宅配してもらう形で購入した。手際の悪さも相変わらず。お客さん来ないの・・・?ネット販売が主なのかもしれない。


 道路を挟んで隣には、十島村役場がある。村役場が鹿児島市内にあるのである。その方が都合いいからである。なお、三島村も同じく鹿児島市内に村役場を置いている。


 私の離島の旅には、悪運がついてまわるものである(汗) 次に、釣りで使うオキアミを買いに「トカラ結プラザ」からちょっと歩いたところにある釣具屋に行ったのだが、閉まっていた。廃業したのだろうか?もしやっていなかった時のために、さらに先にある釣具屋を見つけておいて良かった。重たい荷物を背負い、かなり歩いたけど・・・。


 「フェリーとしま」の待合所に行って乗船券を購入し、買った釣り餌を冷凍扱いで預けた。大きな荷物をロッカーに入れ、市電に乗って温泉の銭湯に向かった。鹿児島市内の銭湯の多くは温泉だそう。今回は「錦湯」(「荒田八幡」下車)というところを選んだ。外観は近代的だが、中は古い感じだった。美味しいものではないが、飲泉もした。


 飲食物を購入して、「フェリーとしま」の待合所に戻った。ところが、またアクシデントが。コインロッカーが開かないのである(焦) 乗船券販売所の人を呼び、開けてもらったが、時間が掛かった。
 トカラは私の様にリピーターが多い。そういう人と再会するのも楽しみである。2年連続会っている熊本の母子を見つけ、声を掛けた。
 出航時刻は23:50なのだが、乗船は10時からできる。船に乗り込み、上にあるレストランで熊本の母子と乾杯した。


 船内には名文が掲げられている。


「トカラには刻をこえて生きつづけるものがある(太字)  そこにはなにもない、 という人がいた。いや、そこにはすべてがある、 という人もいた。透きとおった目と曇りのないこころで、トカラの島々に立てば、いったいそこに何が見えるのだろう。それはだれに聞いてもわからない。人は自分でも気づかずに旅に何かを求める。求めるものがちがえば、見えるものもちがう。トカラの旅は、流れることを忘れた刻(とき)への旅、そしてそれは自分を見つめる旅でもある。海と空と人々は、旅人を優しく迎えいれ、やすらぎと平穏を教え、いのちの不思議をあますことなく見せてくれる。さあ、トカラへ、自分を探しに。」

(ボード変わって)「それは神々の刻印なのかもしれない。(太字)  そこにはただ島があり、ただ人々の暮らしがある。ほかには青い海と、澄んだ空と、透明な時間があるだけだ。原始、人の暮らしとはこのように美しいものだったのにちがいない。訪れるすべての人の心に深く刻まれる、神々がつくり、神々が守り、魂のおもむくままに、生を舞う島々、トカラ。」

 

 まさに、この文章の通りである。観光でまわるところは大きく分けて2つ。1つは海、山の自然である。もう1つは島人の生活圏である。歩けば島人に出会い、出会えば挨拶し、会話することも多い。信仰の場も特徴ある。私の場合、人との出会いを求め、人の良さを再認識する旅だと思う。島人と、旅人との出会い(再会)を求めて、さあトカラへ。客室に戻り、眠りについた。

 

 
 

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リニア・鉄道館

2011-04-22 23:29:56 | 日記

 平日に行ける機会なので、空いていることを期待し、今日行ってきた。あおなみ線初乗車。

(謹)画像が多いので、小さい画像のみにします

 午前9時に敷地の門が開いた。一番乗りだった。まあ、別にシミュレーターは抽選なので、早いメリットは無いけど。


 午前10時の開館時間少し前に、中に入れてくれた。佐久間レールパークに通って得た招待券を受付で入館券に引き換えた。そして、ゲートで10時を待った。館長さんが「どこから来ましたか?」と声を掛けてくれた。館長さんはかつて車両の整備をしていた人の様である。
 いよいよ入館。N700系、在来線運転シミュレーターコーナーに応募した。車掌体験は第2部で応募した。シンボル展示コーナーには、リニア、300X、C62があった。


 車両展示コーナーの並びは圧巻。


 展示車両を全部紹介するのは大変なので、以前あった場所で撮影したものは割愛します。まずは前ドクターイエローを。でもさあ、通っていた小中学校は新幹線の線路のすぐ際にあるんだけど、見た覚え無いんだよなあ・・・。中には座席があった。この座席には座れたんだけど、他の車両は椅子の部分が立ち入り禁止だったり、着席不可の札があった。佐久間レールパークの車内公開では座らせてもらえたんだけどなあ。

 100系二階建食堂車。1回だけ食べた事あるなあ。




 0系の食堂車は利用した事が無い。昔は豊橋に朝の上り1本、夜の下り1本しか「ひかり」が停車せず、後に紹介するビュッフェの方が思い出ある。水飲み機が懐かしいなあ。






 381系には会いたかった。窓のブラインドが特徴だね。「ベネシャンブラインド」と言うそう。




 クハ111には横サボが付いていた。東海で部品販売があったなら、横サボが欲しいなあ。昔は静岡どころか浜松までグリーン車付で東京から来てたんだよなあ。

 クモハ12。おまけ画像で、飯田線を臨時列車で走った時のものを。





 モハ1。


 
 一番印象に残った車両、ホジ6005。蒸気機関車と客車が合体した蒸気動車なんてあったんだ。この車両、言い方はおかしいけど、博物館明治村から奪ったもの。明治村は借りた形だったそう。明治村は泣く泣く返還したんだろうなあ。でも、所有権は国鉄から継いだJR東海だし、貴重な文化財だからここでの展示はふさわしいし、何とも複雑な思いである。


 C57。


 ED18。側面がワニの背中みたい。


 「おいおい、運転シミュレーター、車掌体験の抽選結果はどうだったんだよ?」って?あー、見事に全滅しましたよ(泣) 抽選結果はモニター画面に控えの紙にある番号で出るんだけど、何か受験の合格発表みたい。
 でも、色々な体験コーナーがあって面白かった。その中の一部を紹介。地震の緊急停止システムを「テラス」って言うんだ。


 面白い体験方法だったのが、パンタの上げ下げ。普通はボタンでやるんだけど、綱を引く形。綱を引く力がパンタが架線に与えている力に相当するんだって。


 マルスは体験できなかったけど、笹島であった鉄道イベントで体験した思い出がある。残念ながら紙は残ってないけど。


 これは完全にPRだよな(笑) 一時期加入した事がある。列車や行き先が選べて、広島までにした。発券された切符は自動改札機に通すんだけど、穴が開かないぞ~(苦笑)


 さて、車両展示に話を戻します。収蔵コーナーは前面しか見れなかった。0系ビュッフェ車。


 クロ381。


 モハ63。


 展示車両の紹介のラストは、食事ができる117系。今ではこっちを走ってなくて寂しい。名古屋駅で買った駅弁を食べた。


 目玉のひとつであるジオラマコーナー。すぐに入れた。広くて、大阪、京都などの街並みが再現されていた。しかし、いきなり始まって、BGM、ナレーションは無いし、東海の車両ばかりで、特に313系、N700系が延々と走っていて、盛り上がりに欠けた。285系が走ったのは救いだった。保守車両まで走らせるのには笑えた。でも、この頃には見学者はまばら・・・。





 画像は無いけど、リニアの疑似乗車体験もした。これは1回待った。自分が生きている間に、乗れるかなあ?
 運転シミュレーターコーナーは、ハズれて腹が立ったので寄らないつもりであったが、やっぱり気になってしまった(苦笑) しかし、空きの時間も多々見られた。余裕持った定員にしているだろうし、当選してもやらない人もいるのであろう。これはもったいない。また館長さんを見掛けたので、改善を求めておいた。




 2階は資料コーナー、体験コーナーなどであった。硬券が懐かしい。それにしても、早い時代での新幹線開業は凄いなあ。


 最後にショップで買い物し、午後3時半頃に退館した。読むガイドブックと「新幹線うまい棒」を買った。「新幹線うまい棒」にはスタンプが入っていたんだけど、ドクターイエローだった。これって当たりかねえ?
 お気に入りの車両にまた会いたいし、今度こそシミュレーターやりたいんで、近いうちに再訪したい。とりあえず来月半ばまでは平日に休みがあるんで、GW明けにまた行っちゃおうかなあ。


 

 




 

 




 



 

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コキ107形甲種

2011-04-20 21:50:59 | 日記

 良通踏切で撮影したが、下がごちゃごちゃしている環境で無積載の貨車を撮るのは、やっぱり駄目だわ(汗) ちっちゃな車掌車は愛嬌があるね。

http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/42/71/9eb7f61db240879a2c74e8df291a1a52.jpg


http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/77/aa/21bfc62ee0a2dac04fa76349c94cc4ae.jpg

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小田急30000形「EXE」甲種

2011-04-19 15:08:56 | 日記

 さらに仕事がヒマになり、むこう1ヶ月は月、木のみ出勤(GWを挟む)の予定となった。金をかけずにヒマをつぶすのも大変・・・。まあ、どうにもならないし、こんな時は鉄ネタがあれば撮りに行こうっと。
 なんだかんだで撮った事が無いポイントである、佐奈川の橋で撮影した。川にカルガモが2羽いた。散歩をする人が多く行き交った。


午後1時頃やってきた。残念ながら桜はほとんど散っており、桜吹雪も終わりだった。桜が満開なら、道路の橋から真横に撮りたかったなあ。

http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4c/ed/40ee4cced000ca6ae6857bf1f0fd6a18.jpg

 車両をお披露目するかの様に、非常にゆっくりした速度で日車へと入っていった。

http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7e/10/51c358a0637e5eb1679d1dc58c28f85f.jpg

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