なぞの旅人スーのブログ

鉄道、旅行、花祭り、その他日記にしたい事を書いていきます。実際の面識が無い方からのコメント、歓迎。荒らしや誹謗中傷は×。

「やくも」撮影 リベンジ

2015-01-31 23:59:46 | 日記

 昨年9月に大雨のせいで撮り損ねた「やくも」のリベンジ撮影に行った。経費節約のために新幹線を使わず、下道で行った。「青春18きっぷ」のシーズンではないので、ずっと座っていけた。関ヶ原以西でところどころ雪が舞っていた。伯備線に乗り換え、撮影地最寄り駅の備中川面駅へ向かった。今回の撮影地は備中川面駅から新見方面に向かってすぐの橋梁である。カーブがいい感じなので。北上していくと雪が舞っていた。撮影地も雪が降っているのか心配だった。車窓から見る雪は湿った大粒の雪だったので、服やカメラに着いたらすぐに融けそう。以前、あおなみ線で走ったSL甲種を撮影した時の悪夢を思い出した・・・。
 備中川面駅から撮影地までは10分位かかった。三脚を置きたいところのすぐ先に車が停まっていて、時々人の姿が見えた。「この人も列車撮影に来たのかな?」と思ったけど、三脚が置かれていなかったので希望のところに置いた。雪が降ってきたり、太陽の光が雲の間から射したりで、「やくも」通過時にはどの様な天気になるのか気になった。ただ、雪は長い時間降り続かなかったので、服などがビタビタになることはなかった。結局、「やくも」通過時は結構な降り方となった。冬の伯備線らしい写真が撮れた。後ろはパノラマグリーンだった。

http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3f/51/d5099a31cbf10dc3b43c23f00464f753.jpg

 前回、撮影地を去った後に貨物が走っていくのを見たので、次は貨物を待った。車の人は去っていった。貨物は撮らないのか、別のところで撮るのか?貨物通過時は日が差した。

http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2a/75/fb0549ed82f81303d9fcff4e796692cb.jpg

 もう1本「やくも」が撮れるが、もう午後4時なので雪だったら暗くなるだろうなあと思った。結局、雪はパラパラしただけで、なんとか暗過ぎる写真にはならなかった。先の「やくも」と前面が違い、扉の跡?があった。

http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/10/d6/35f22d220289ac766fecbf92741d646f.jpg

 この後新倉敷駅近くのスーパー銭湯で疲れを癒し、岡山駅近くのホテルに泊まった。チェックイン後に某グルメマップを持って飲みに出た。安いというお店に入ったのだが、土曜日の夜なのにお客さんが少ない・・・。嫌な予感がした。カキフライの卵とじのカキがスーパーで売っているカキの様な味の薄さだった。後の方で岡山グルメだという鰆の味噌山椒焼きを頼んだのだが、なかなか出てこなかった。店主が「待たせてすいません」といい日本酒をちょっとサービスしてくれ、一旦イライラは収まったのだが、その後も全然来なかったのでしびれを切らし、「まだ?」って声を掛けた。ようやく出た鰆を食べ、店を出ることにした。ただ、鰆は美味しかったし、結構飲み食いしたのに3千円を若干切ったので、店を出てちょっとしたら怒りは収まった。今回は夜飲むところをしっかり探していかなかったのが失敗だったかな?

 

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東栄町下粟代地区 花祭り

2015-01-10 23:59:59 | 日記

 偶然にも、午前中に花祭りに関するテレビ番組があった。東栄町中在家地区の花祭りについての番組である。榊鬼の役を務めた人に密着するという形だった。布川地区で顔を見る人だった。映像としては正味10分程だったが、上手くまとめられていたと思う。準備の時からの心持ち、舞終えた後の表情が見れて、興味深く観た。1ヶ月前から鶏肉以外の肉は食べないそうで、なんで鶏肉はOKなんだろうね?下粟代他どの地区でもそういうしきたりなのだろうか?伴鬼の声が掛かると思うんだけど、他の肉食べているのだが・・・。
 今年は花宿近くで道路工事をしていて、状況変化にちょっと戸惑った。到着したらまず奉納し、地区の皆さんに挨拶した。じきに湯立て神事が始まった。当地区はこれを念入りに行なっている。花太夫の職がIさんからKさんに最終的に引き継がれる年である。映像を観ながら練習する時間をできるだけ作ったそうである。今では映像記録があるから助かるという。今年はシャッター速度を遅くして手などの動きなどを表してみたりして撮影した。




 「ばちの舞」。


 「市の舞」。体をひねりながら厳かに舞う。今年は新成人の舞手が1人いるのだが、都合つかなかった様で残念。会えなかったけど、I君新成人おめでとう。


 「地固め」。当地区はシャープな舞である。


 合間をみてせんじを受けてきた。人手不足でせんじを行なっていない地区がほとんどだと思う。Kさんの娘さんが結婚されたそうで、旦那さんも来ていた。旦那さんに「伴鬼をやってもらえないか」と声掛けたが、奥さんから「またの機会に」と言われた。花祭りの地との縁で、来年にでも舞ってもらいたいなあ。


 段々と人も増えてきた。顔を知っている人、声を掛けてくれる人が来たら挨拶し、みかんを渡した。名前を知らない人がほとんどであるが、毎年互いに元気で顔を合わせられる喜びがある。
 子ども達の「花の舞」。1人ずつ神座の前で跳ぶ所作があるところで、番を終えて廻ってきた舞手の口にみかんを入れ、励ました。


 合間には下粟代名物である消防の「湯ばやし」が入る。今年も大盛り上がりだった。終わって引き上げた後、2人の舞手が再登場し、自らアンコールで舞ってくれた。


 なぜか私が伴鬼のスカウト役を最近やっている(苦笑) まあ、でもそれで自分が2舞、3舞やることを避けることになるし。3舞全部やったことあるしなあ。装束着けてずっと神部屋にいたよ(苦笑) 神部屋で支度担当の人に声を掛け、どの様に手配するかを訊いてきた。衣装の着け外しで忙しそうだった。普段着とは異なり複雑なものなので、支度に時間かかるからなあ。「山割鬼」では1人既にいるので、あと1人見つけてくればよいとのこと。豊川のSさんが他地区での経験があるので頼みやすいかなと思い、熱心に口説いて落としました(笑) Sさん、ありがとうございました!同じく豊川から来ている花キチ少年H君は自ら神部屋に伴鬼を申し出たそうで、彼には榊鬼の方にまわってもらうことにした。
 「山割鬼」。当地区の面は大きく、迫力がある。蛍光灯が消され、かといって暗くもなく、いい雰囲気となる。「て~ほとへ とほへ」とせいと衆が声を出し、舞庭にエネルギーが充満する。


 「山割鬼」が終わると、舞庭はしばし落ち着いた雰囲気となり、「三ツ舞」が始まる。「歌ぐら」がこの雰囲気に合う。「歌ぐら」を唱えながらこの情緒を味わった。神座に上がり、笛を吹いたりもした。


 自分は榊鬼で伴鬼を務めるつもりだったが、H君といつも買って出てくれているKさん、そのお連れさんがいるので、辞退した。自分は長年?やっているし、皆希望で舞ってくれるのだから譲った。すると、気が緩んで眠気が来て、車の中で眠ることにした。
 起きて舞庭に戻ると「四ツ舞」だった。笛の音が前の素面の舞から変わり、朝にふさわしい爽やかな音である。


 「翁」ではいつもねんや(屋号)Kさんが問答役をやっている。「年金」とかお年寄りに関するワードを用いながら問答していた。


 「湯ばやし」。去年は竈に水を入れる際の蛇口の開け閉め役をやったのだが、水が止まらないというアクシデントがあり、それがトラウマになっている・・・。今年はこの後の「茂吉鬼」で伴鬼をやるので、その役をやらなかった。この舞が始まった直後に神部屋に入った。


 「茂吉鬼」の伴鬼は自分の他に神座で笛を吹いていた人が務めた。僕は定番の緑鬼。荒縄を巻いてもらっている時に「亀○縛りにしようか?」なんて話が出て、ヒヤヒヤしたよ・・・。自分が縛られたわけじゃないけど、本当に昔あったから。「結び方知らないから実地研修に行かないとな」なんて話も(苦笑) 下粟代の人ってホント茶目っ気あるなあ。
 先にもう1人が舞庭に出た。僕に出る合図があるまで長い時間あり、その人がずっと舞い続けていたから、「長えよ、長え」って思った(苦笑) 体力温存で気張らずに舞った。「茂吉鬼」がやっと登場し、所作を真似ながらお伴した。「茂吉鬼」では天井の「湯蓋」の中にある「蜂の巣」が鬼様によって槌で落とされる。「蜂の巣」の中には小銭が入っていて、観客が拾いに群がる。今年は僕が花宿の入口にいる時に身体に小銭が当たったから、そっちに飛んだ様である。
 鬼様が舞い終わり、伴鬼の再度の舞。先にもう1人が舞った。泣いても笑っても最後の鬼の舞である。先にもう1人が舞を終え、トリは僕。最後の力を振り絞って大きく舞った。
 「茂吉鬼」の伴鬼は引き続いて「獅子」の身体役を務める。かがんだ状態を続けるのがエライ・・・。神座、舞庭を清めるために足で強くふみしめながら進んだ。この舞でも湯が「湯たぶさ」で撒かれ、僕も「湯たぶさ」で撒いた。神部屋に下がる際に「あれっ湯たぶさは?」という声が上がった。そういえば撒いた後に地面に1つ「湯たぶさ」があったなあ。置いていくものだろうか?もう1人も持ったままだったので、互いに「どうだろう?」と言っていた。
 舞が終わると3つの事が同時進行で行なわれる。1つは神返しの神事である。


 また1つは外にある祭壇をお送りする式次第。


 残り1つは片付けである。楽しい時を過ごさせてもらったお礼に毎年手伝っている。皆の協力で花祭りが成り立っていることを実感する場である。


 片付けもそろそろ終わりそうなので、地区の人達に挨拶して帰ろうと思った。まずKさんに挨拶をした。すると「この後(慰労会)もいればいいじゃない」とお誘いいただけた。自分が楽しんでいるだけで全然役に立ってないのに(汗) 明日も休みだし、ありがたく参加させてもらうことにした。
 「今年も無事花が咲きました」という始めの挨拶から始まり、これまで花太夫を務めてこられたIさん、花太夫を引き継ぐKさんからのお話があった。Iさんは昭和36年から花太夫を務めているそうで、50年以上務めてきたことになる。Iさんの厳粛な神事には、見ていて深く魅了された。長い間お疲れ様でした。また、Kさんにおいてはまだまだ覚えきれていないところもあると思うが、新しい花太夫のもとでこれからも無事盛大に下粟代の花祭りが続いていくことを願っている。花太夫は大役である。花太夫の後継者がいないということは花祭りの廃絶に繋がるはずである。花祭りの存続危機要因は人手不足だけではないということを、この節目の場に居合わせたことで再認識した。
 そして会食が始まった。両隣には僕と同じく下粟代ファンである東京のだんきち(HN)さん、当地区出身の人が奥さんで、せんじで務められているAさんが座った。だんきちさんは笛の役をずっと務めていた。2人と色々話しながら飲食した。


 余興である奉納物の競売が始まった。まずは僕が納めたみかんから。しかし、声がかからない・・・。すると、「いくらからにする?」と訊かれた。「300円位からかな?」と思ったけど次に「4」という数字が来るので、「500円」と言ってみた。しばらく間を置いた後に声が上がり始め、+αで落札された。声を上げてくれた人には残念賞のワンカップが配られた。落札された方、声を上げてくれた方、ありがとうございます。落札された方はどうぞおいしくお召し上がりください。


 締めの挨拶があり、皿などを片付けを終えると、皆疲れているのかいつの間にかほとんど人がいなくなっていた。車の中で撮影した写真を整理していたら、「干物があるで貰っていきん」と声を掛けられた。中に戻ると、ある人がかばんに干物をしまっていた。奪う形になってしまうので断ったが、「いいいい」と譲ってもらえた。申し訳なかった。この後車で休み、普段の夜の下粟代の風景を名残惜しみつつ、帰路に就いた。
 外から花祭りを見るのではなく、中に入るという、普通ではなかなか体験できないことを当地区で体験させてもらっていて、温かく受け入れて下さる当地区の皆さんに、感謝の気持ちでいっぱいである。ありがとうございました。また来年もよろしくお願いします。11月の小林地区、御園地区から始まった花祭りシーズンも足早に進み、残すは布川地区のみとなった。布川の花祭りを楽しみに、これから頑張っていこう。



 

 


 


 

 

 

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豊根村上黒川地区 花祭り

2015-01-03 23:59:59 | 日記

 無事峠を越え、携帯の電波が入らない様な場所で仮眠した。しかし、意外に通る車が多く、落ち着ける雰囲気ではなかった。また、車の中で寝るのは窮屈だった。その疲れを癒してくれたのが、花宿前の温泉♪ 露天風呂にはたくさんのアヒルがプカプカしていた。これ、湯船の中の段に腰掛けていると【放送禁止】の上を漂うんだよねえ(H) 上がったら土産物を買った。阿南町とか近隣の町の土産物がほとんどで、豊根村のものはほとんどないんだよなあ。生産者、製造者がいないんだろう。豊根村の名前でくるみを売っていたので買ったけど、ラベルをよく見てみたらくるみはアメリカ産だったし・・・。豊根村の土産物がもっと増えて欲しいね。
 温泉の駐車場から一旦車を出し、花宿への階段にできるだけ近いところにみかんの箱を置いた。そして、車を再び温泉に停め、みかんの箱を持って花宿へ。奉納するとお神酒がいただけた。
 会場には早く入ったが、なんだかんだで「しずめ」から見始めることになった。今年も三陸産ホタテを外で焼いていて、それを早く食べたくてねえ(笑) 子ども達にも大人気だった。上黒川の「しずめ」は始めの方でやるから不思議である。





 新城から来て舞ってくれていた少年も、現在は豊根中学生。学友と息を合わせ、去年の「地固め(やち)」からひとつ進んで「同(剣)」を見事に務めた。ここもしっとりとした舞である。太鼓の音が重く、体の中まで響いてきた。


 「花の舞」。どこの地区もそうだが、この地区は特に舞っている子どもを大人が温かく見守り、よく声を掛けていた。地区内の幅広い年代が一同に集まって花祭りを執り行なっている、これが最も素晴らしいところであり、存続に繋がっていると思う。



 一番好きな所作である、各舞手が順番に神座の前で飛び出るところ。


 あるちびっこの3年目の舞。かなり上達していて感心した。そばで見守っていたお父さんも嬉しそう。


 最初の盛り上がりどころの「一の舞」。積極的に叩かれにいき、釜の近くへ。あっ「叩く」でなくて「祓う」というそう。ご利益を授けることからして、その通りだね。バシバシやってもらったよ(V) ご利益いっぱい授かっただろうなあ(笑) 舞手の顔から「この人は優しそうだけど、『祓う』時はどうだろうか?」と予想し、優しそうな人が「祓い」で強く叩いてきた時には、「裏だったかあ」なんて思ってみたりして楽しんだ(笑)×2 これは想像だけど、元々は叩くことをせず、本当の祓う意味で今でのちびっこ、女性を榊でさするようものだったのが、近年になって場の盛り上げを求めるために叩く様になったと思う。


 「山見鬼」は人いっぱいで近付きにくいし、一旦休憩。面にいく筋も走る黒い線が恐ろしい形相である。ここの鬼の舞はテンポが勢いある。



 「三ツ舞(やち)」。先の「地固め(剣)」の2人にもう1人少年が加わり、バイタリティーある男子中学生らしい勇壮な舞を務めてくれた。今年の同舞は特に見応えあった。舞庭の角に立って気を抜くと、やちが飛び出てきてびっくりするよ(笑)




 この後堀ごたつで寝てしまい、村の少年に起こしてもらって「味噌塗り」に参加した。たっぷり味噌を塗られた(笑) 自分同様味噌塗られる気満々の人も毎年何人かいるので、お互いの顔を見て笑ったり♪


 またまた寝てしまい、今度は坂宇場の花キチ少年に起こしてもらった。あ~、「湯ばやし」寝過ごしちゃった(泣) そのまま温泉に行き、花祭りの将来の担い手である少年達とご苦労会をした。これからも舞い続けて、囃し続けてもらいたい。疲れを癒し、帰路に就いた。
 さあ、いよいよ次は下粟代だ☆ 

 

 

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東栄町古戸地区 花祭り

2015-01-02 23:59:59 | 日記

 10年以上ぶりに古戸に行った。少し前に花宿が新しくなっている。道路の積雪、凍結が心配で、もしチェーンが必要な状態なら暗くなる前にはタイヤに巻きたいので、早目に出掛けた。意外に積雪しておらず、濡れてなく、巻くことなく会場に到着できた。神事舞をやっているところだった。
 地区の人達が食事をとった後、「市の舞」が始まった。一番手の青年が晴れ晴れしく舞ったのが印象に残った。同じ種類の舞でも、地区によって舞い方が異なる。ここはかがんで身体を左右に振った後立ち上がり、扇と榊を片方ずつ上げてから顔の前に置き、重ねていた。計三折が連続で行なわれた。




 「地固め」が始まった。しっとりとした舞であった。歌ぐらも同様で、幽玄な世界に酔いしれた。


 暗くなってから雪が降りだし、段々と激しくなってきた。こりゃあ、明日はチェーン要るな。こんな天気だから、お客さんは例年に比べて少なかったと思われる。


 振草系(東栄町系)は竈の周りを舞っていくのがほとんどだが、ここは舞庭の辺に沿った所作もあって、大入系(豊根村系)っぽい面もあるなあ。


 古戸の人達とは下粟代、布川で何人か会っていて、一緒に囃している。花キチが多そう。でも、知らない人も多くいた。お役目があるから舞以外はほとんど舞庭に出てこず、なかなか知っている人に挨拶ができなかった。チャンスがあれば近寄って挨拶した。
 また、親しくさせてもらっている下粟代の人達と次週末の開催前に会えて嬉しかった。明日が最後の舞習いだそうである。僕と同じ下粟代ファンのだんきちさんが舞習いに来ていたそうである。僕はみかん切りがあるからなあ(残念)
 「花の舞」。下粟代の人が親戚のお子さんの舞を見に来ていた。その子の舞の後もせいと衆を楽しんでいた。自分の地区の花祭りではお役目があるし、布川では下粟代の人が囃しているのをあまり見ない。また、下粟代同様親しくさせてもらっている布川の太夫さんも楽しんでおられた。逆に古戸の人達がお役目を務めている姿を見れたし、違った姿を見られるのも面白い。


 しっとりとした舞ではあるが、終盤は大きく飛び出る所作があり、強弱が趣ある。


 「山見鬼」。まさかりを振る山割りの所作は「浄土を開くものとされ、生まれ清まりの重要な役割を担う」とされている。


 「三ツ舞」。ポニーテールが流行っているのかな?「花の舞」は男の子の方が多かったが、「三ツ舞」は女の子の方が多かった。古戸は最近まで女人禁制を守ってきた。


 あるおじいさんから写真を撮って送ってもらえないかと頼まれた。ふるさとの祭りを何年かぶりに訪ねたそうである。訪ねられた喜びをせいと衆としての振る舞いで表しておられた。送り先のメモをもらうと、豊田に住んでおられるそうで。写真の整理に時間がかかるので、現像でき次第送るつもりである。 ここで一句~「ふるさとを 懐かしみ来し 花祭り」


 それにしても、他地区に比べて各舞の舞手の年齢が低い。「やち」、「剣」なんか、他地区では中高生がやっているし。「やち」、「剣」をバトンの様に器用に操る後半の部分が見応えある。好きな所作のひとつである。ここまで雰囲気を味っていただけだが、一応歌ぐらをつかんだので、声に出してみた。


 明晩の豊根村上黒川地区にハシゴで行くので無理をせず、車で仮眠し、朝チェーンを巻いて豊根村に移動した。

 

 




 

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