なぞの旅人スーのブログ

鉄道、旅行、花祭り、その他日記にしたい事を書いていきます。実際の面識が無い方からのコメント、歓迎。荒らしや誹謗中傷は×。

友人と飲みに

2014-01-31 22:20:32 | グルメ

 職場の友人と豊橋で飲んできた。仕事が終わってから一旦帰宅し、電車で豊橋駅に向かった。駅で合流し、まずは前から気になっていた餃子専門店「赤のれん」へ。


 ここでは軽く一杯とすることに。皮がカリッとしていて食感が良かった。あっさりしていたので、たくさんでも食べられそうだ。


 「赤のれん」のことをネットで調べていたら、「メキシポン」というメキシコ料理の店が近くにあることを知った。合流した時にそこにも行こうと誘ったら、「以前、職場の別の人と一緒にそこで開かれたライブに行った」という。「赤のれん」を出て「メキシポン」に行ったら、予約客で一杯と断られた。席数が少ないらしい。次に近くの洋風居酒屋に行ったが、ここも予約客でいっぱいとのことだった。
 そして、目にとまった「百万石」という店に入ることにした。食べなかったけど、どじょう料理が食べられるそう。焼き鳥を中心に食べた。仕事の話や旅行の話などをしながら、楽しいひと時を過ごした。


 帰りにまた「赤のれん」に寄って持ち帰りの餃子を買い、駅で友人と別れた。話題の豊橋銘菓「ブラックサンダー」を買ってたよ。「メキシポン」、今度はそこで飲んでみたいなあ。


 

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東栄町下粟代地区 花祭り

2014-01-11 23:59:59 | 日記

 十数年通っていて、一番親しくさせていただいている地区の花祭りの日がとうとうやってきた。会場に到着した時に地区の皆さんは食事をとっていたので、その場にちょっと顔を出し、挨拶をした。豊川の花キチ少年がいた。電車、バスで来て、帰りはおじいさんに迎えに来てもらうそうである。
 今年は花祭保存会長のKさんが湯立て神事等を行っていた。副太夫らしいが、花太夫の職を継ぐことになろう。当地区は神事をしっかり執り行っており、厳粛な雰囲気が長く続く。


 当地区会場の建物には囲炉裏のある部屋があり、そこで古戸出身のIさん、豊川からみえた女性と一緒にお酒を飲んだ。地元の人達は一般のせんじではなくここでよくお酒を飲んでいる。けんちんが美味しい。Iさんも豊川に住んでおられるそうで、2人共私が行っている銭湯によく行くそうである。Iさんは私を見掛けることがあるとおっしゃっていた。声も掛けられなかったし、気付かなかったなあ(汗)


 今年は売店があった。月地区の花キチ少年達が私が持っていったみかんを焼いていた。当地区にはこれまで外の火が無かったので、子ども達が焼きみかんを作る光景がみられなかった。豊根村坂宇場地区なんかは子ども達が焼きみかんを作っている。なお、今年は外に火があった。前の日にFACEBOOKにて地区の方に「談笑の場になるよう様、外に火があるといいなあって思う」と提案したので、早速設けてもらったのかもしれない。ありがとうございます。まあ、先の囲炉裏がその様な場であるけど。


 舞庭に戻った。「市の舞」が始まった。体をくならせながら優雅に舞う。


 「地固め」。扇の手の2人は新成人である。新成人を祝福するメッセージをボードにし、東京在住の私と同じく下粟代ファンであるだんきちさん(HN)と共に前の「市の舞」から(2人はこの舞も担っていた)掲げ、2人を祝った。花祭りの舞は地域共同体の一員として認められるための通過儀礼の意味があり、成長と共に担う舞が替わっていき、よりハードであったり、重要な舞を担う様になる。よそ者にとっては、その地の人に会うのは一年に一度であり、若者の一年での成長を見ることができる。働き口が少なく、高校、大学に通学するには困難な花祭りの地。成人しないうちに花祭りで舞う姿を見られなくなる人もいて、同地区では応援での地区外の舞手も多いので、それは当然のことである。ただただ花祭りが好きで存続を望む私は、そんな状況である当地区の花祭りで、成人を迎え今年も舞ってくれる2人を含めた若手が頼もしく思えるのである。


 「花の舞」。舞っている子ども達の口にみかんを入れてあげた。当地区のこの舞の装束は和というより東洋チックな感がする。


 合間には消防団の「湯ばやし」が入り、盛り上がる。舞が終わっても舞庭の興奮は冷めやらない。


 今年は「一力花」で「四ツ舞(やち)」があった。だんきちさんの奥さんがご懐妊されたとのことで、安産祈願の舞である。当然だんきちさんも舞手の1人で、少し練習しただけらしいのに上手に舞っていた。


 囲炉裏に行くと、「山割鬼(山見鬼)」のたいまつ持ちで控えている「三ツ舞(扇)」の舞手が焼きみかんをしていた。子ども達は結構みかんを焼こうとするものだなあ(笑)
 「山割鬼」の伴鬼は月地区、豊川の花キチ少年2人と私がスカウトした男性であった。なぜか近年私が伴鬼のスカウト役をしている(苦笑) 今年は少年2人が立候補してくれたおかげで1人だけスカウトすればよかったので楽だった。今年もスカウトアンテナ感度良好で、一発で決まったよ(笑) 富山からみえたそうで、何地区か訪問しているとのことだった。引き受けて下さったのがありがたいし、「貴重な体験ができた」と喜んでもらえたのが何よりである。月地区の少年はMy面を持参してきていた。熱心で感心する。


 照明が落とされ、親様登場。大きな面で貫禄がある。


 雰囲気が落ち着いて「三ツ舞」。


 やちの手のところで「榊鬼」の伴鬼としてよばれた。同手を終えた女の子が僕が神部屋で鬼の装束でいるのを知らずに「みかんおじさんがいなくて寂しかった」とこぼした。昔からどこの地区でも子ども達から「みかんおじさん」と呼ばれている。こうやって気にかけてくれる子どもがいるのは、応援していて嬉しい。伴鬼仲間は月の花キチ少年と去年も一緒に舞ったMさんである。今年も私が緑鬼で、一番手で登場した。もう歳なので、すぐに息がハアハアしたよ(汗) 時間が押しているので遅れを取り戻すためか、親鬼様がすぐ登場してくれて助かった。問答をやっている時や自分も釜割りの所作を行っている時は、ここで伴鬼をやれるのが光栄に感じる。最後に私が舞って終了。「上手くなった」と言っていただけて嬉しかった。また、「上手くなっちゃってつまらん」という声も(苦笑) まだまだなんだけどねえ。伴鬼は道化役でもある。終わったのが朝8時前で、早いところでは舞が終了する様な時間であった。
 「おつるひゃら」。地元の女性と話していたらしゃもじで顔にご飯粒を塗られて冷た~。


 少し車の中で寝て法被を「下粟代が好き」のものに替え、舞庭に戻った。


 当地区では朝に「一力花」にて「花の舞」があり、今年はちっちゃい子が舞っていた。


 「翁」。5回目の成人式という設定で問答があった。腰をかがめて舞うので大変そう。なんかこの舞の囃子が豊根のに似ている。




 今年は私が住む蒲郡出身の当地区ファンの方が仲間を連れて伴鬼をやってくれたおかげで、久し振りに「湯ばやし」の場にいられた。かまどに水を入れる手伝いをした。「ストップ」の声で蛇口を閉めたのに、「ストップだって!」とホースの口を持っている人が言う。当然「方向逆か?」と反対にひねったので、なおさら止まらない。再度正方向にきつく閉めても駄目で、他の人が閉めても止まらなかった。仕方なくぱっとホースを舞庭から出した。ホースを持っていた人が水道の仕事をしているそうで、後で水は止まった。パッキンが悪いそうである。私のせいではなかったけど、後味悪かった(泣) 水が多いせいか温まらないままお湯が撒かれた。


 「茂吉鬼」。なんとかお祓い銭を1枚拾えた。今年は2回「蜂の巣」が落とされた。


 「獅子」があって舞は終了。神返しの神事と並行して片付けが行われ、手伝った。片付けが早く終了したので、神事の終了を見届けることができた。なんだかんだで、いつもの時間ぐらいの終了であった。


 後は直会なのでここで会場を去った。それぞれの居場所等の関係で全員に帰りの挨拶ができず、申し訳ありませんでした。
 久し振りに「とうえい温泉」に寄った。今では「花まつりの湯」という副名が付いている。お湯が褐色で温泉らしい。土産コーナーを覗いたが、ほとんど他の地のものばかり。山梨のほうとうなんかも(苦笑) もっと土産品をせめて近隣地域のものに限定し、地元特産品を売るべきだと思った。ここでは買わず、近くのスーパーで買った。以前は品切れだった東栄チキンの鶏皮が買えた。これ、ドライブインで売ってないんだよなあ。


 水道の事件はあったけど、今年も楽しい時を過ごせた。時間が全然長く感じられなかった。それだけ自分にとって下粟代の花祭りが大きな存在なのである。地区の皆さんをはじめ、ご一緒した方々に感謝致します。また来年もよろしくお願いします。そして、布川でまたお会いしましょう。

 



 
 

 

 

 

 

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豊根村上黒川地区 花祭り

2014-01-03 23:59:59 | 日記

 やっぱり車の中ではしっかり睡眠を取れなかったけど、時間はたっぷりあるので体を休める様には努めた。午後4時頃に会場近くの温泉に入った。もう囃子が聞こえていた。出たら会場へ。外で南三陸産のホタテを焼いていた。村には東日本大震災で豊根村に住むことになった人がいる。「これは貴重な機会だ」と、後で食べるのを楽しみにした。
 同地区の花祭りは建物の中で行なわれるので暖かい。会所で奉納をし、お神酒を頂いた。今年は案内状が届いた。豊根村の花祭りで案内状が来たのは初めてである。もっとも住所を聞かれることもなかったし、同地区でも去年初めて聞かれたと思う。案内状のお礼を伝えた。
 「地固め(扇)」。ここは僕が一番撮るのを好む、舞手が一人ずつ神座の前で飛び出て舞う所作が撮りやすい。同地区の舞はしっとりとしていて、昨晩の下黒川とは対照的である。太鼓の叩き手で歌ぐらを聞こえる位に唱えてくれる人がいて、雰囲気に酔いしれた。やっぱり、歌ぐらもっと聞こえて欲しいなあ。


 早速ホタテを買った。めっちゃ美味しくて、計4枚食べた(笑) 多分ブランド級じゃないか?山でこんな美味しい海の幸を食べれるなんで、幸せだった。


 下黒川では「地固め」の次に「一の舞」だったが、ここは「花の舞」である。3人が神座の前で体の向きが全員一緒でなく舞う所作では、下黒川では神座に対して直角で、真ん中が他2人と向きが逆だったけど、ここは神座に対して平行で、隅1人が他2人と逆だった。


 「一の舞」。もう何年か通わせてもらっているので、釜の近くに行って囃し、強く叩いてもらった。花キチのちびっこが一緒に上手く舞っていた。まだ手が届かないから、柱にくくられている榊の枝を取って渡してあげた。


 目一杯囃したので一旦車で休憩し、「三ツ舞」の時に戻ってきた。同地区も舞手不足で血縁のある子どもが応援に来ているが、新城の少年が今年も舞に来てくれていて嬉しかった。深夜に大変な舞であるが、従兄弟から声援を受け、舞っていた。


 再び車で休憩し、「榊鬼」の時に戻った。問答があったり撮りどころが多いので、カメラマンが集まる。


 大きく鉞を釜に振り下ろす所作は圧巻。


 幻想的に火の粉が舞う「たい割り」。


 「味噌塗り」。いっぱい顔に味噌を塗られた。楽しい舞である。


 後に「巫女」と「婆」が出てきて、「巫女」に近付こうとする「味噌塗り」を「婆」が追い払う。


 「翁」。囃子方にお礼をする問答を省略しているが、軽い問答があった。問答役が決まっていなかったらしく、急遽お役目を当てられた人が即興で問答をした。


 またまた車で休憩し、最後の盛り上がりどころである「湯囃し」の前に戻ってきた。朝ご飯をいただけるのがありがたい。この舞の前に頂戴した。釜のお湯を撒き始めるタイミングが結構つかみにくく、湯が来た時にびっくりした。何回もお湯、水を注ぎ足し、最後は水!


 ちょうど温泉のオープンの時間にこの舞が終わったので、坂宇場の花キチ少年と入りに行った。K君が彼を含めて後に社会人となる人に、学業を終えたら村に戻るかどうかの話をしていたので、気持ちを訊いてみた。「働き口が無いから」と、実現が難しいので気持ちは現時点では高くない様であった。K君の同級生の一人は自動車整備士の勉強をしていると温泉で会ったその同級生のおじいさんから聞いたし、上黒川の一人の若者は料理の勉強をしていると聞いた。よそ者が口を出すことではないけれど、譲渡型住宅制度もいいが、起業、経営支援があればなあって思う。ある程度の制度はもうあるだろうけど。僕はみかんをあげたり話をするだけだけど、花祭りの地の子ども達を応援し、大きくなったら故郷に戻ってきて花祭りの担い手であり続けて欲しいという願いで通い続けている。
 温泉でさっぱりしたので車の運転が可能と判断し、帰路に就いた。今年度は豊根村の花祭り全てに行ったことになる。さあ、いよいよ下粟代だ!

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豊根村下黒川地区 花祭り

2014-01-02 23:59:59 | 日記

 行ける時に行っておこうと、今年は下黒川、上黒川をハシゴすることにした。下黒川は久し振りである。昨夏に放送された同村の「納涼祭り」を取りあげた番組の立役者であるK君の地区である。着いた時に彼が神事舞をやっていた。その後「地固め」に入った。高く跳躍しながら舞庭を駆け回り、ここもなかなかハードな舞である。K君が同級生と舞っていたし、舞手の1人の父親が太鼓を叩いているというケースが続いた。親子共、熱が高まるであろう。


 すると、中京テレビのテレビカメラがやってきた。放送がどうなるのか訊いてみたところ、3月頃放送予定で、番組の形はまだはっきりしていないとのことだった。さらに、この後お笑いのスギちゃんがやってくるとの話を耳にした。先述の番組から繋がるのであろう。
 「一の舞」。叩いてもらって無病息災のご利益。叩きまくって榊の葉が全て抜け落ち、枝だけになっている舞手もいた(笑)


 暖かい方ではあろうが、山地の夜の外ということで寒い。火がくべられているところにいった。坂宇場で「どうしてみかんは丸い形をしているか?」という話をしてきたちびっこがこの地区なので、再会した。「なんで、花祭りを知ったのか?」、「花祭りのどこが面白いのか?」と訊いてきた。それら、彼のお父さんだったり大人からも尋ねられたんだけど(苦笑) 前者については、「隣の東栄町の『花祭会館』を見学して知り、本物の祭りを観に行こうと思った」と、後者については「君は夏休みとか以外は月曜日から金曜日まで毎日友達と会えるけど、お祭りは一年に一度なので、一年振りに人と会うのが楽しい」と答えた。
 「花の舞」。周りではせいと衆がアツく囃していた。幼い舞手が来訪されたの八百万の神々をもてなす。なお、同地区は舞手の女人禁制を守っている唯一の地区である。


 そして、スギちゃんがやってきた。収録を脇で見させてもらった。K君の男子の同級生のほとんどが来ており、話を振られていた。収録の話を同級生は聞いていなかった様で、収録が始まった時には近くにおらず、呼ばれていた。K君の「村に戻ってくる人がたくさんいて欲しい」という強い思いの話が再度出て、一人が「(同級生の)K君がいるから村に戻ってきたいなあと思いが強くなった」という話をしていた。それ、あるだろうなあ。そして、「山見鬼」でスギちゃんも榊を持ってせいと衆で参加し、明日も仕事ということで会場を去っていった。スギちゃんも一年に一度しかないお祭りを体験でき、貴重な機会だったと思う。放送が楽しみである。たくさんの子鬼が出ていて賑やかだったし、ちっちゃい子がやっている鬼も上手に力強く舞っていた。


 少し雰囲気が落ち着いて「三ツ舞」。


 一旦会場を離れ、戻ってきた時には「榊鬼」をやっていた。


 その後、「火の祢宜」、「巫女」といった面の舞が続く。


 省略されている地区もあるが、ここは問答が残っていた。スマホを取り出したり、昨年の流行語大賞の言葉をいくつか使ったり、「今」を表現しながら、囃子方へのお礼をしていった。


 上黒川もあるのでここで会場をあとにし、車で寝ることにした。用足しで車から出たらドアが自動でロックされてしまい、解錠するのに手こずるというアクシデントがあったよ(汗) 久し振りの訪問で溶け込めなかったけど、また訪問したい。






 

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