なぞの旅人スーのブログ

鉄道、旅行、花祭り、その他日記にしたい事を書いていきます。実際の面識が無い方からのコメント、歓迎。荒らしや誹謗中傷は×。

鹿児島へ

2010-04-30 23:59:24 | 日記
 11時に家を出た。中部国際空港までは鉄道利用。6000系が三河線にまわったからか、本線で1800系の普通列車運用があった。


 鹿児島空港には16時頃到着し、バスで鹿児島市内へ。桜島が雄大である。

まずは「トカラ結プラザ」にて、島バナナアイスクリーム、塩飴などのお土産を買った。次に釣り餌のエビを買う為、釣具店に行った。19時から再開された乗船手続きを済ませ、続いて釣り餌を冷凍扱にて預けた。口蹄疫への警戒体制についての案内が掲げられたが、その紙をボードに貼る前には、異動となる教員を見送る内容であろうメッセージの紙が貼ってあった。鹿児島の港においてだから、鹿児島本土から各島へ転勤となる教員を見送るためのものだったろう。フェリーといえば、カラフルなテープ投げの光景(実際には見た事ないけど)を思い浮かべる。フェリーは出会いと別れを感じさせる乗り物である。



 荷物をコインロッカーに預け、市内の銭湯へ。今回の旅で唯一の乗り鉄である、市電で向かった。

 
鹿児島市内の銭湯の多くはお湯が温泉らしい。今回利用した銭湯「中村温泉」も温泉である。低料金で温泉が楽しめた。広々としていて、岩風呂、電気風呂など、浴槽も種類があった。


 銭湯でさっぱりした後、近くで見つけたスーパーがまだ開いていたので、お酒と今晩のおつまみを買った。まず訪ねる小宝島には、お店が無いそうである。その後、市電で港方面へ向かった。
 出航は23:50だが、22時から乗船できる。港に到着してすぐ、22時となった。飲食は上のレストランでする事になっている。荷物を自分の席に置いた後、レストランに向かった。レストランに入ってすぐに、昨年悪石島でお会いした東京のHさんと再会した。また、昨年名瀬までの船内及び奄美空港までのバスで一緒になった方もいた。Hさんは私と同じ鉄道ファンで、後者の方も鉄道ファンらしく、鉄道の話を中心に、レストランが一旦閉まる0:30まで、お酒を飲みながら語り合った。フェリーは定刻に出航した。席に戻ると、周りの席は埋まっていた。満席の様である。




コメント (7)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

今日から休み

2010-04-29 09:36:56 | 日記

 

 


 GWは毎年めいっぱい国内旅行をしている。明日から9日まで、鹿児島県十島村(トカラ列島)の悪石島、小宝島に行ってくる。「えっ鉄道関係ないじゃん」って思われるかもしれないが、乗り鉄と親戚である旅鉄でもあり、そこから旅好きとなった。数年前から沖縄の離島の魅力に惹かれた。去年のGWは沖縄でなく同県村の悪石島、中之島を訪ね、のんびりした世界に身を置き、その地の人の温かさに触れた。悪石島は去年に続いてであるが、その島の名前がインパクトあり、ボゼという神様が出るお祭りが有名で、神の島と呼べる厳かな雰囲気があり、港での魚釣りが楽しかったので、再訪する事とした。私は小さな島が好きなので、人口数十人の小宝島をもう1つ行く島とした。本当はもう1島くらい行きたいんだけれど、フェリーが週2便しかない。高速船も無く、飛行機も無い。まさに孤島である。昨年は悪天候により乗る予定であった鹿児島発便が欠航となって、次の出航日まで3日待たされる羽目となり、初にして来訪の厳しさを思い知らされた。今回は乗る予定全ての便が運航してくれればいいんだけど(汗)
 日記は旅行から帰ってきたら掲載する事にしますが、文章だけの簡単なものは携帯から書こうとは思います。その日にあった事を全部記憶できる訳ではないので。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

東武50000系甲種

2010-04-25 12:22:32 | 日記
 間にGWが入り、撮影機会が少なそうだから、今月発売の「鉄道ダイヤ情報」は買わなかった。東武甲種があるという情報で、以前撮影した事がある三河大塚~愛知御津で撮影した。
 撮影場所の近くではお祭りがあり、笛の音や爆竹の音が聴こえてきた。遅れているという情報が入ったが、定時に回復していた。架線柱が入ってしまったけど、写真に現像すると、写らなかった。

http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6e/9c/65990897e8861b1c191b3239b33c8be9.jpg

後ろ


http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4d/81/0a232e2c5f64196c7f36119360bff551.jpg

 この時間は117系や211系もやってくるからいい。211系は撃沈だったので、披露できません。

http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7d/94/a15debfdf9268341a85e010ab47830ca.jpg


コメント (5)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

すごいショック~

2010-04-22 18:50:22 | 日記
 仕事の小休憩中に、携帯で某鉄道関係掲示板の駅弁スレッドを見て、驚いた。大阪、新大阪駅で駅弁を売っていた水了軒が、20日に営業停止し、破産手続きに入ったとの事。小休憩なので仕事の空間にいて、「嘘だろ~っ!」って他の従業員の前で叫んでしまいそうだった・・・。だって、その前の19日に「きたぐに」下車してから、新大阪で「大阪かつ弁当」買ったもん。今思い返してみれば、こころなしかおばちゃんが元気無かった気がする。駅弁サイト「駅弁図鑑 西日本編」からも、既に水了軒の駅弁が消えていた。
 水了軒は明治21年創業という老舗駅弁屋であった。僕も食べた事がある「八角弁当」が人気だったなあ。僕も複数回駅弁を購入した事がある。美味しい駅弁屋さんであった。まさか、これだけ大きな駅の駅弁屋が倒産してしまうとは信じられないし、先日下関、徳山から駅弁が消えた(新山口と合併でも、駅弁は消えたらしい)事といい、駅弁の衰退が止まらず、駅弁ファンとして悲しみに堪え難い。
 今回の旅は、季節外れの雪景色、「ばんえつ物語」のピンバッジゲットという「巡り合い」を感じるものであったが、最後に1つ悲しい思い出が付いてしまった。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「きたぐに」乗車

2010-04-19 19:17:28 | 日記

 今回の旅のきっかけとなったのは、「きたぐに」に乗ってみたいと思ったからである。1ヶ月前の日記の通り、今回乗車した「きたぐに」は、北陸新幹線建設に伴う富山駅線路切換工事で、いつもより3時間余分に乗れた。乗るなら今だと思った。
 「鉄道ジャーナル 5月号」のレポでは、入線が22:21となっていたが、22:30頃入線した。自分と同じく、変則運行を狙って乗車する鉄道ファンが何人かいて、撮影をしていた。方向幕がずれていたので調整があり、面白い幕が見れた。他にどんなのが入ってるんだろう?




 外での撮影後、車内へ。やはり、B寝台3段式は空間狭くてキツそうだなあ。でも、パンタ下は2段になっていて、そこを狙うファンもいるそうである。それにして、このカーテンの色は艶めかしくて、好きじゃないなあ(苦笑)


 419系のボックスと同じで、普通車自由席は広々としてるなあ。グリーン車は長距離乗るんだったらB寝台の方がいいと思うが、中にはグリーン車を好む人もいるであろう。そして、自分のA寝台下段。奮発して、初めてA寝台を予約した。ゆったりした幅で、線路沿いの寝台配置なのがいい。スリッパは持ち帰り自由で、もちろん貰ってきた。再び外に出て、発車時刻まで撮影したり、各車両を眺めた。


 列車は定刻通りに発車。電車なので、車内チャイムは「鉄道唱歌」である。今回の時刻変更が案内されたが、「ご迷惑をお掛けしますが、ご協力をお願いします」という内容が変だった。深夜の帰宅客を運ぶ役目で、疾走した。やはり電車だから発停車時の揺れは少ない。会津若松で買った駅弁をつまみに、お酒を飲んだ。そして、すぐに眠りについた。
 金沢前で目が覚め、金沢では少し停車時間があるので、降りて撮影する事にした。金沢手前の車両基地には、489系が2本いた。「しらさぎ」が10分遅れ、それを待ってから発車した。ホームで見た、車内検札を受けた人とは別の車掌さんって、「鉄道ジャーナル」のグリーン車担当の人ではなかろうか。名札見れば分かったんだけど。

http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/74/8c/dc01991b6e49f83a5ad8e77f94b85fda.jpg

 席は山側だった。日本海が窓から見れる訳ではないので、それで良かった。白い山々、水の張られた田んぼそして桜と、北陸の車窓を楽しんだ。頭を当てる部分の下に枕を入れ、そこに背中を当て、脚を投げると、ものすごくつろげたんだよねえ♪
 ちらほらと撮り鉄の姿が見えた。九頭竜川の橋には、大勢のカメラマンがいた。出勤、通学前の撮影であろうか。新疋田も多かったなあ。撮り鉄の今回の変則運行への関心の高さがうかがえた。
 金沢を10分遅れで発車したが、予定通りの運転時刻に戻り、列車はゆっくりと東海道本線に入るために米原へと入った。東海道本線に入ったら、全然速度を出さなかった。複々線に入っても。京都からはある程度出したけど。ホームで待っている乗客の中には、普段見る事の無い列車を珍しがる人がいただろうなあ。
 「きたぐに」の旅も間もなく終わり。定番の淀川にも、撮り鉄がたくさんいた。席をポンと叩き、心の中で「楽しかったよ~」って言ってから、下車した。回送をビデオ撮影した。 「鉄道ジャーナル」には、塚本方面に行き、北方貨物線を通って向日町の車両基地へ向かうとあった。夜仕事なんで無理だったけど、京都方面へ回送を撮りに向かう人もいただろうね。
 次に来た「雷鳥」を撮ってから、新幹線で帰路に就いた。その後の「日本海」が見たかったけどね。それにしても、大阪から2時間で帰宅でき、のんびり旅したこれまでとは対照的であった。
 「きたぐに」もじきに廃止となるであろう。乗客の中にはお年寄りもいた。お年寄りにとっては、夜行バスの利用は辛いものとなろう。是非、老朽化で使えなくなるのなら、新車で存続させて欲しい。

コメント (5)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする