なぞの旅人スーのブログ

鉄道、旅行、花祭り、その他日記にしたい事を書いていきます。実際の面識が無い方からのコメント、歓迎。荒らしや誹謗中傷は×。

189系 特急「木曽あずさ号」 撮影

2018-08-25 18:04:42 | 日記

 先月にも走ったけど、台風接近により撮影地は雨だろうし、運転見合わせが予想されたので、撮影に行かなかった。
 今回も特急「しなの1号」を使って先行してた普通列車に追いついた。愛知県内は晴れ間が覗き始めていたけど、北上につれ次第に空がどんよりしてきて、そして窓の外は雨になった。撮影地である 宮ノ越~藪原 の最寄駅藪原駅を降りると、弱い雨が降っていた。撮影地まで歩いている途中、現地で撮影を待っている間、弱い雨が降ったりやんだりした。現地には誰もいなかった。まずは「しなの号」撮影。

https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/77/26/d00b8b103513d985f274758a328a2b3c.jpg

 しばらくして2人撮影に来たけど、貨物列車を撮影したら去っていった。中央西線で貨物列車を撮影したのは初めてじゃないかな?

https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/02/5f/37468a81bc9aabeb217286176cbf8626.jpg

 結局、「木曽あずさ号」を撮影しにきたのは1人だけだった。雨もやみ、通過時には晴れ間が見えた。草の茂みがもう少し後ろだといいのに。

https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3f/6d/ed200be634953766ae45df23fb0459b2.jpg

 これにて帰路に就いた。撮影していた人が車で宮ノ越駅まで送ってくれ、ありがたかった。須原駅より先は撮影者が何人も乗ってきた。南木曽駅からは「木曽あずさ号」に乗っていた人が乗ってきて混雑した。
 岡崎駅で普通列車に乗り換えるところを、来週名古屋に出張なので領収書を発行してもらいつつ乗車券を買おうと蒲郡駅で降りた。でも、窓口に2人並んでたので諦めた。有人改札で駅員に自動券売機で領収書を発行できるか尋ねたら「できる」とのことなので、自動券売機で乗車券を買い、領収書を発行してもらうことにする。


※撮影地までの行き方
 藪原駅下車。右手の下る道へ。国道19号線に合流するので、国道を中津川方面に歩く。「吉田」交差点を右折。橋を渡ってすぐ左の道へ。撮影地に至る。徒歩40分弱。




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夏の「青春18きっぷ」の旅 京都 Part2

2018-08-17 23:59:24 | 日記

 昨日から勤務日であるが、有給を取って10連休にした。昨晩に三重県七里御浜で釣りをする予定だったが、連日雨で、昨晩は雨が残る可能性があったし、台風のうねりの影響を考え、延期することにした。京都に行った話を職場の友人に話したら、縁結びも縁切りもお願いできる安井金毘羅宮のことを教えてくれた。こういう願いをすることは気長に機会を待てないので、前回取りこぼしたところを含めて京都をまた観光してきた。
 まずは東寺に。京都駅から歩いていく人の大抵は東門(慶賀門)から入ると思うけど、門が立派な南大門から入った。


 ここも境内の中に神社が。空海が東時建立の無事を祈願したそう。


 本坊。立派な庭園が。中には入れない。


 隅々を廻って、いよいよメイン処を拝観。大きな枝垂桜。


 庭園の背後に東寺シンボルの五重塔。美し過ぎるし、素晴らしい配置である。木陰に入ると涼しかった。


 ついこの前、久し振りに「ぶっちゃけ寺」が放送され、番組テーマが先日僕が旅したものと同じだった。西郷隆盛が鳥羽・伏見の戦いの戦況を確認するために昇ったとされる五重塔の下へ。同番組で爆笑問題・太田とかも昇ったけど。


 金堂。薬師如来像、日光菩薩像、月光菩薩像が安置されている。薬師如来像の台座には十二神将像が配してある。月光菩薩像の目が流し目に見えた。日光菩薩像、月光菩薩像の姿は魅惑的で、好きな仏像名に入る。去年、京都鉄道博物館の屋上から東寺の五重塔をからめて鉄道撮影をしたけど、時々SLの汽笛が聞こえた。


 講堂。立体曼荼羅が圧巻だった。空海の発想が凄い。曼荼羅だから、一体一体見るだけでなく全体を見る様に努めた。真ん中の如来部と右の菩薩部は穏やかな感じであるが、左の明王部は怒りの様相で、対照的であった。阿修羅像みたいに複数の面がある像がいくつかあった。確認し損ねたけど、3羽の鳥の上に座っている梵天像は4面あるそう。像の下に何があるかを見るのも面白かった。餓鬼の上の像もあれば、牛、象の動物に乗った像もあれば、降三世明王像は2体の寝ている状態の仏様?の上にあった。「ぶっちゃけ寺」で「イケメン」と言われた帝釈天は象に乗っている。さらに、境内の配置も曼荼羅だというのだ。まだ行ったことないけど、高野山並に空海の世界を感じられる場所だろう。
 もう1周しちゃったよ(笑) その後、御朱印をいただきに。前の御朱印帳が片面埋まった。反対側に写る可能性があるので、新しいものを買った。東寺の名前の入ったものは全て既に書いてあるもので残念だった。日付を加えてもらった。
 大師堂(御影堂)。現在修復中で、そのせいか見に来る人が少なかった。秘仏・不動明王が安置されているそう。


 弘法大師像は大日堂に移られているそうで、早朝の法要と毎月21日に公開しているそうである。仮の像を拝んだ。


 人が少なくてのんびりできた。2時間以上滞在し、安井金毘羅宮他のエリアに向かった。道路からして東寺から清水寺方面にバスがあるだろうと予想したけど、その通りだった。途中東福寺前を通ったけど、またの機会に。六道珍皇寺。あの世とこの世の境の場だといい、野辺の送りがされたという。昼になるとさすがに暑くなってきた。


 ついこの前「六道まいり」があり、そこで受け付けられた法要が行なわれていたそう。本堂に上がることはできなかった。また、別の人が寺の関係者らしき人に御朱印のことを尋ねていて、「法要が終わったばかりなので午後からなら」と言われていた。御朱印は諦めた。
 小野篁という朝廷の役人が夜は冥土へこの井戸から行き、閻魔大王に仕えたとされる。


 安井金毘羅宮。印刷してきた観光マップを見るとバスが通る道路から奥かと思ったが、その道路沿いに鳥居があった。散々場所に迷ったよ・・・。安井金毘羅宮との縁が薄かったのかなあ?


 本殿等を参拝し、奉納してから形代に願い事を書いた。


 形代を持って、縁切り縁結び碑をくぐるのを待っている列に並んだ。番が来るまで30分弱かかったかな?ホント狭い穴を表から裏へ悪縁切りを願いながらくぐり、逆に裏から表へ良縁を願いながらくぐった。後ろの人に申し訳ないので、パッパと済ませた。置いてあるのりを使って碑に貼った。他人の願い、特に縁切りの願いが書かれている形代が貼られている碑を撮影するのは控えた。
 八坂神社。参拝客が多かった。


 厳格な本殿。
 

 歩いてこの前取りこぼした幕末に関係する地へ。途中で以前「秘密のケンミンSHOW」で取りあげられた木の葉丼を食べた。でも、にしんそばがうりの店だった。おおまかに関東はそば、関西はうどんというけど、京都はそば屋が多いなあ。
 近江屋跡。回転寿司店の脇に案内板があった。坂本竜馬、中岡慎太郎、そして竜馬の用心棒の元力士・山田藤吉が斬られた場所である。暗殺者は「十津川郷士」と偽って近付いたそうで、まさか奈良県の十津川(村)の名が出てくるとは思わなかった。どの様な関係の者が暗殺者だったかという説は複数あるそうで、そのひとつに京都見廻組説があるという。新撰組とは別にそういう組織があったんだね。それにしても、なぜ坂本竜馬は藤吉を用心棒にしたのだろう?竜馬は銃を持っているし、武士だけど、藤吉は武士みたいな敵に対する勘を持っていないのに。


 池田屋跡。こちらも飲食店になってしまっていて、居酒屋だった。尊皇攘夷派浪士たちが新選組に襲撃された場所である。古高俊太郎が先に捕えられ、拷問を受けてクーデター計画を白状したことが事件に繋がったが、近江屋事件といい、1人から全体に被害が広がってしまうね。


 長州藩屋敷跡。屋敷跡という感じではなく、桂小五郎(木戸孝允)の像があった。


 木戸孝允旧邸。バスが通る道から奥にあり、ここも場所に迷った。ここを訪ねる人は通常ほとんどいないだろうなあ。「職員会館」という敷地内なので、敷地外から建物を見た。


 これにて観光は終了。また京都伊勢丹で京野菜と京惣菜を買い、この前丹波口駅から壬生寺に向かう途中にあった銭湯で汗を流し、帰路に就いた。京都に次行くのは来年の「青春18きっぷ」の旅のつもりだが、七里御浜釣行ができないとまた京都に行くことになるだろう。





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中華パーティー

2018-08-10 23:35:35 | 日記

 今日から有給含めて10連休である。父の誕生日が明後日なので、誕生日会として中華パーティーをした。豊川にある「駒」という店が料理持ち帰り可能とのことで、昨日予約し、今日買ってきた。




 「旬の魚の南蛮漬け」、「砂肝のゆず胡椒風味」、「焼き豚にあんかけダレをかけて」、「豚肉と卵の秘伝ダレ炒め」、「たっぷりきのこと野菜のあんかけ豆腐」、「エビマヨ」を買った。どれも美味しかったけど、「豚肉と卵の秘伝ダレ炒め」が一番美味しかった。使っているタレが旨かった。やはり、エビマヨはいいね。
 値段も良心的だし、リピートするつもりである。

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夏の「青春18きっぷ」の旅 京都 2日目②

2018-08-05 23:59:41 | 日記

 次は高台寺に。行きたい寺のエリア内にあり、「百鬼夜行展」開催期間中だったので行くことにした。寺の名前をこれまで知らなかった。豊臣秀吉の妻・北政所(ねね)が開創したそうである。


 ここにも見事な庭園があった。


 観月台。中には入れなかった。


 方丈で百鬼夜行絵巻を見た。色々な物が妖怪として描かれていた。
 開山堂。ガイドがいて、前の天井は秀吉が使った船の天井を、その奥の天井は北政所の御所車の天井を用いていると解説してくれた。


 霊屋。先程のガイドが移動していて、北政所が今でも眠っているそう。


 傘亭と時雨亭。時雨亭は階段を昇ったところに茶室があるのが特徴である。




 セット券を買ったので、圓徳院にも入った。人が少なくてのんびりできた。ここにも百鬼夜行絵巻が展示されてたし、幽霊の掛軸も展示されていた。縁側に腰掛けて庭園を眺めていると、肩の力が抜け、無風の時は気温に対する感覚が無くなり、そよ風が吹くと涼しく感じた。




 セット券でさらに掌美術館に入れる。豊臣秀吉の母の肖像画には「ごきそ村出身」と書かれていた。難読駅名の「御器所」だね。僕としてはインパクトある駅名だけど。
 しばらく歩いて建仁寺へ。栄西が開山したそう。方丈が拝観受付である。


 受付で「写真撮影は可能です」と言われ、名の通った寺としては珍しかった。入ってすぐの間の風神雷神図屏風(複製)。


受付に御朱印帳を預け、見学した。一部の襖絵は現代の芸術家作とのこと。昔の襖はどうしたのだろう?


 ○△□乃庭。禅宗の四大思想(地水火風)を、地=□、水=○、火=△で象徴したものと言われているそう。あれっ「風」は?パンフレットに「言われる」と書いてあるからそこそこ昔に造られたのだろうけど、名前からして古くはないだろう。


落ち着ける間。
 

 十一面観音菩薩像が御本尊。


 いくつかの庭園に接する縁側各々で観光客がのんびりしていた。




 スリッパを履いて法堂へ。天井に青龍図が書かれていて、これも近代芸術家作とのこと。




 本尊釈迦如来座像、脇侍迦葉尊者、阿難尊者が祀られている。


 三門。大正12年に静岡県の安寧寺より移建したそう。法堂は1765年に上棟されたそうで、近代のお堂があり、現代芸術家の作品を用いてたり、建仁寺にはその「時」を受け入れる姿勢があるのかもしれない。
 勅使門。勅使門から法堂までは直線だが、まっすぐ通ることはできなかった。


 最後の寺は六波羅蜜寺。規模は大きくないけど、国宝十一面観音立像といくつもの重要文化財を有している。開創者の空也上人の空也上人立像が有名である。




 身体の悪いところをさすると治るという、なで牛。


 弁財天。ここでご朱印を頂いた。銭洗い弁財天でお金を洗い貯えておくと金運アップに繋がるそうだが、後で調べたらその場で御守を作ってもらうそうである。それと、5円を洗ったのだが、財布に入っていたもう1枚の5円と区別がつかなくなってしまった(汗)


 本堂に上がって宝仏殿へ。空也上人立像の必死に訴える様な眼に見入った。

 
 バスで京都駅に向かい、伊勢丹で京野菜と京惣菜を買った。




 汗を流しに、近鉄、地下鉄竹田駅近くの銭湯に行った後、帰路に就いた。清水寺で頂いた本に法話に関する話があったので読んだ。法話で話された昔話について書かれていた。ある僧が旅の途中で僧の幽霊が現れるという荒寺に泊まった。旅の僧が座ったまま眠っていると僧の幽霊が現れ、「淋しい荒寺に僧がひとりもいない」と囲炉裏の灰に書いた。旅の僧は返句で「風がほうきとなり、月がともしびとなっているではないか」と詠んだ。すると、僧の幽霊は消えたという。これで「空即是空」の方もなんとなく意味を感じれた。
 乗っていた普通列車が岡崎駅到着前に緊急停車した。理由を放送で言わないので「地震があったのか?」と携帯で調べたら、そんな情報は無かった。「じゃあ、人身事故か?」と思い調べたら、そうだった。乗っていた列車はその場所を過ぎていた様で、じきに運転を再開した。岡崎駅で特別快速に追い越されるのだが、特別快速は来ずにそのまま普通列車は岡崎駅を発車した。そのまま遅れて最寄駅に着いた。命を絶った人は「この先生きていてもしょうがない」、「自分の命なんて価値が無い」とか思ってたのだろうが、今朝の法話を聴いていれば、そんなことに至らなかったはずだと思った。

















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夏の「青春18きっぷ」の旅 京都 2日目①

2018-08-05 23:56:04 | 日記

 今年も旅行する先、日にちを決め、宿の予約をした後に、行ってみたいと思う寺の行事を知った。清水寺で毎年8月1~5日の朝6時から「盂蘭盆法話」をやっているそうである。
 タクシーで5時15分頃に仁王門前に到着した。


 今日は今年の漢字で有名な森清範貫主が話す日で、日曜日ということで大勢聴きに来ると予想していた。会場の大講堂円通殿に入ると既に30人以上いた。




 続々と人が集まってきて、最終的に300人以上いたのではないだろうか。
 5分前に何人か僧侶が来て、般若心経が唱えられた。子どもの頃は暗記してたんだけどなあ。その後法話が始まった。まずは清水寺に関する話として、現在改修中の本堂の話や随求堂の秘仏・大随求菩薩像の話があった。清水の舞台の柱は欅で、欅を調達するのに苦労しているそうである。「ご家庭に欅がありましたら是非○○~(清水寺の電話番号?)までご連絡下さい」と笑いを誘った。
 するすると話が進み、法話の題名である「空即」の話に入った。般若心経の「空即是色」についてである。まずその前に、対になっている「色即是空」の話からだった。「色」は「ある」であり、「空」は「ない」であるそう。「『ある』は『ない』」???難しい内容である。物事は変わり続けていて、無常である。人もどんどん老いてゆく。という話だった。話を聴いていて僕がイメージしたのは、「もし僕の身体を高速連写で撮影したら、どれひとつ全く同じ写真は無いだろう」ということだった。「旦那さんは奥さんを、奥さんは旦那さんをアテにしていないか?人は老いていくからアテにならない。しかし、一番アテにならないのは、自分の鼻を指で指して下さい。自分です」という話だった。「色」はサンスクリット語で「ルーパ」と言うそう。
 そして、「空即是色」の話になったけど、例えに使った昔話もあったけど分からなかった。最後は「帰ったら旦那さんは奥さんに、奥さんは旦那さんに『おおきに』と言いましょう」という、ありがちであろう締めであった。でも、悶々とした感じを抱かなかった。なんとなく心が少し進んだ気がした。
 ウチでいう「おごく」として、パンと牛乳が頂けたが、なんと貫主さんの新しい本がプレゼントされた。写真が多いために今日の日記を2つに分けるが、次のページでその本が「空即是色」が少し分かることに繋がったことを書く。
 まだ観光客が少ないうちに廻れるところを廻った。三重塔と西門。


 本堂入口。本堂は拝観料がかかるが、6時から入れる。朝に参拝するのを勧める。


 本堂をお参りしてから音羽の滝へ。3つのうちひとつの水を頂けばいいとのことなので、向かって右の水にした。柄杓を殺菌する装置に驚いた。柄杓に水を受けると、腕が下にもってかれた。

 
 印刷してきた境内図を見ながら廻ったけど、「順路」の案内通りに進むとおかしな方へ向かう気がした。音羽の滝の前を進んでいくと、右手に子安塔に繋がる道があった。途中から本堂の方を眺めた。




 坂を登って御影堂へ。手前から京都の街を眺めた。


 御影堂。


 そこから見る本堂。


 御朱印を頂ける場所は8時からで、廻ってきてちょうどの時間だったので頂いてきた。次に時間で開くところは9時からなので、一旦外に出た。馬を繋ぎ止めておく馬駐。


 月照が住職となった成就院。特別公開期間で中を見学でき、庭園が素晴らしいらしい。でも、外からでも「寂」を感じて、いい雰囲気だった。上にあるのは櫓?




 拝観券を見せて本堂に再入場した。地主神社。縁結びの神様。




 色々と参拝するところがあり、全部は参らなかった。


 最後は随求堂で胎内巡りをした。善通寺で体験した戒壇巡りと同じである。真っ暗闇の中を数珠の連なりを左手で握りながら進み、途中にある光にうっすら照らされた石を回しながら、ひとつだけ願い事をする。「これからも良い旅ができます様に」と願った。旅できるということはお金が入り、健康でいられるからだからね(笑)


 朝からだったのでゆっくりできた。次は知恩院へ。毎日午前に2回法話がある。2回目の法話が始まる10時20分に間に合う様にと向かった。三年坂、二年坂、高台寺前、円山公園内を経由し、20分位で着いた。立派な三門。「空門」、「無相門」、「無願門」の3つを表しているという。


 法話がある法然上人御堂。中に入ったら納骨かなんかの人が奥に呼ばれては「南無阿弥陀仏」とお参りを受けていた。


 今日まで新潟県の僧侶が話し手であった。なお、後日岡崎市の僧侶が話し手の予定に入っていた。時間が来て法話が始まったけど、聴く人は少なかった。20分位の話であった。テーマは2つで、「心と行が一致しなければ、物事はうまく進みませんよ」と「誰でも仏の御心の中に自分を置くことができます。『南無阿弥陀仏』と唱え続けていけば、自然と信仰が増しますよ」という話だった。
 境内を巡った。御影堂は改修中で、廻りにくかった。



 経蔵を通り、勢至堂、御廟の方へ。


 勢至堂。


 御廟。浄土宗開祖・法然上人のご遺骨が納められているそうである。前の建物から眺められる。


 再び法然上人御堂に入り、方丈庭園へ。ここと友禅苑が有料であるが、方丈庭園だけにした。知恩院の七不思議の一部が見れるというが、「大杓子」が分からなかった。


 昼前に境内を出た。



※②に続く



 

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