なぞの旅人スーのブログ

鉄道、旅行、花祭り、その他日記にしたい事を書いていきます。実際の面識が無い方からのコメント、歓迎。荒らしや誹謗中傷は×。

ネタ2つ不発(泣)

2017-01-28 23:54:15 | 日記

 午後に「天理臨」の583系が上りで来るという情報があり、矢作川で撮ろうと思っていた。しかし、昨深夜にこちらの方を通過したそうで、撮れなかった。利用者にとって余分な宿泊は不要だし、JR東海は自分ところのエリアを日中通したくないだろうしね。「天理臨」は今回で最後という噂があり、583系はいつ引退してもおかしくないから、撮りたかったなあ。
 でも、今日は東武500系甲種輸送というもう1つのネタがある。僕の中では「深夜甲種」と呼んでいる9866レなので、いつもの様に蒲郡駅へ。中に入ると、上りが踏切の安全確認のために遅れていた。蒲郡で運転打ち切りの列車もあった。後で来た撮影者からの情報では、まだ穂積だという。とりあえず、来る列車を撮影。311系の快速系運用も結構あるね。

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飯田線送り込みの313系3000番台

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 貨物が来たら、「甲種か?」と期待してしまう(汗)

http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/19/01/69d78616c5144568d55217b54a7463c5.jpg

 他の撮影者は先の1人だけだったが、諦めて帰っていった。僕は入場券の有効時間ギリギリまで粘ってみたが、やって来なかった。
 翌日、甲種は午前1時過ぎに通過したことが分かった。ホント、がっくりな日だった。






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東栄町下粟代地区 花祭り

2017-01-08 23:55:32 | 日記

 長年お世話になっている下粟代の花祭りの日が来た。午後7時に到着すると、ちょうど食事を終えた地区の方々が出てきたので、挨拶した。最近、伴鬼のスカウト役をやっているので、打ち合わせのため挨拶を兼ねて神部屋へ。歳の近い人が部屋番なので、しばし談笑した。


 当地区は神事を念入りに行なう。


 宮人による「御神楽」。


 舞庭上方に貼られている歌ぐらの紙は劣化するので、数年に一度貼り替えられる。一部歌詞が差し替えられたりする。「本来党」という言葉が入ったものに目がいった。「産土」が「うぶすな」と平仮名表記になっていた。確かに読み仮名が分かり辛いけど、漢字には意味があるので、僕は漢字のままの方が良かった。歌ぐらは聞いて唄って覚えるものだし。「産土」は「その人が生まれた土地」であり、生まれた人に「産土神」という守護神がいるという。それと、パソコンで作成した関係上文字が前より小さくなり、神座付近からだと見にくかった。


 「市の舞」。近年、当地区は他の地区より若い人が舞っている。今年は高校生から20歳辺りが舞子で、若々しさがあった。明日成人式の舞子もいた。


 「地固め(扇)」。詰所から消防もやってきて、賑やかになり始めた。若い舞子が続いた。


 舞庭にできるだけいたいけど、接待もありがたいし、いつも煮物が美味しいので、せんじを少し受けた。


 囲炉裏の通称「裏せんじ」でも、花の酒付き合いがある。


 「同舞(剣)」の時には舞庭に戻った。「花の舞(花笠、扇)」。花笠の舞では、宮人が太鼓の近くに座り、祭文を唱える。


 粟代名物、消防の「湯ばやし」。今年はちょっと短かった様な。


 「花の舞」再開。当地区は各舞で舞子が大人に担がれて舞庭に登場する。


 「山割鬼」が始まる前に、ひょっとこ鬼が登場(笑)


 伴鬼が2匹登場した。豊川の花キチ少年と月地区の少年が担った。


 照明が落とされ、「山割鬼」の本鬼様が現れた。大きな面で迫力がある。


 「山割鬼」が終了し、「三ツ舞(扇)」。熱気も落ち着き、静粛な空間になる。


 僕は「榊鬼」で伴鬼をやるつもりで、「そろそろ行こうか」と神部屋に入った。「山割鬼」で伴鬼をやってもらうことになっていた人は結局舞わず、その人が目を閉じて休んでいた。やってもらえるのか分からなかったので、神部屋を出て伴鬼役を探したが、結局見つからなかった。でも、その人が復活してくれたので、一緒に舞った。もう長い時間起きて囃し続けているし、まだ風邪で落ちた体調も上がりきってないし、あまり大きく舞えなくて申し訳なかった。お伴しながらも鬼様の威厳を感じ続けた。
 そんな状態なので、装束を取ったらすぐに車に行き、仮眠した。それでも、明るくなるまで寝なかった。よその花祭りとは気の入れようが違う。「四ツ舞」で舞庭に復帰した。会場の皆さんに食べてもらう様に外に置いたみかんが空になっていたので、追加分を置いた。


 「翁」。先導役が昨年までやっていた人の息子さんに替わっていた。先導役でなく、太夫さんが出てきて、問答が行なわれた。楽や観客にお礼を申す様に諭す、通常の問答だった。「翁」役の人にお孫さんができたそうで、懐からでんでこ太鼓?を取り出し、皆に祝わられていた。


 「湯ばやし」。この舞での歌ぐらである「小木ひろい」の歌詞が太夫さんから配られたので、それを見ながら唄った。祭具の由来を説いている。翁の問答が通常のものだったり、太夫さんは伝統を意識している感じがする。


 竃の湯温調整の手伝いをしながら、舞子を「てほへ」と囃した。


 湯の調整時以外閉じられた蓋が外された瞬間、舞子が湯たぶさを湯に浸し、湯を撒き始めた。何回も撒いたので、舞庭はビッショビショ(笑)


 道に出てまで湯を撒いたけど、それでもやけに道が濡れていた。傘をさしている人がいて、雨が降り始めたと分かった。雨粒が大きく見えるので手の平をかざしてみたら、氷が混じっていた。豊根だと雪だったかも。
 「茂吉鬼」では、「蜂の巣」という祓い銭が入った紙袋が鬼様の槌によって落とされる。「いつもここに落ちているだろう」というところに照準を合わせてスタンバイ。その通りで、3つ拾えた。全部子どもさんにあげたけど。
 「獅子」が終わると、神返しと同進行で片付けが行なわれる。今年から神棚が据え置きのものになり、解体する必要がほとんどなくなった。地区の人が製作したらしいけど、うまく作ってあった。それでも、少しは作業があり、初めてなので製作者以外は構造が分からなくて、すぐには作業が終わらなかった。他にも、物を燃やしに行く際に雨(みぞれ)に当たったので、体が冷えた。
 「鎮め」。カメラマンが一生懸命撮影していた。囃子は豊根村上黒川地区のものと酷似していて、大入系(豊根村系)と振草系(東栄町系)は囃子が異なるので、不思議である。面がしまわれるまで、神聖な雰囲気が漂った。


 近頃は御苦労会にも誘っていただいており、感謝である。会計報告、太夫さんへのお礼が行なわれた後、皆で無事今年の花が終了したことを祝い、互いの労をねぎらった。雨天でシートとか一部の片付けができなかったので、来週末に行なう話がされた。


 御苦労会が終了し、太夫さんなどに挨拶し、仮眠のために車へと向かった。太夫さんが「もしかしたら『蒲郡農林水産まつり』に行くかもしれない」と言った。「農林水産まつり」は豊根、東栄の人達と地元で出会え、特産品が購入できるので、楽しみなイベントである。去年は「とよね鍋」が来てくれた。しっかり仮眠して、普段の下粟代の夜の静けさをあとにした。
 今年の印象は、高校卒業時辺りから舞わない期間のあった若者が再び舞いに来てくれたことが嬉しかった。来年以降も舞を務めたり花祭りに関わってくれることを願う。




 

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豊根村上黒川地区 花祭り

2017-01-04 23:54:47 | 日記

 前夜開催の設楽町津具地区の花祭りとハシゴするつもりだったけど、先日釣りに行ったら風邪をひいてしまい、体調が完全復調しなかったので、無理をする事はやめた。
 今年も暖かい日が続いて開催日を迎えたので、タイヤ装備の必要は無かった。まずは会場近くの「湯~らんどパルとよね」に入浴した。午後4時半前に到着したが、もう神社から重低音の太鼓の音が聞こえていた。神事関係の舞を行なっていたのだろう。JAFの会員なので、会員証を提示して100円割で入れる。ぬるっとした泉質が肌を潤してくれる。
 一旦車を神社の下に持っていき、みかんの箱を出した。ちょうど面識ある花祭りファンの人と会い、2箱のうち1箱運んでもらえた。再度車を温泉の駐車場に停め、残り1箱を持って神社へと上がった。外に焼きホタテとかを売る店が3年続いて出たけど、今年は無くて残念だった。みかん1箱を含めて奉納をし、もう1箱を掘りごたつがある部屋の隅に置いた。会場の皆さんに自由に食べてもらうためである。ほどなくして「地固め(扇)」が始まった。花祭りの舞は幾何学的な動きをする。舞庭の四辺に沿って、舞子の2人が寄ったり離れたり、対照の動きをしたりしながら、舞い移動するところが面白い。去年、東栄町の「花祭会館」で津具の「榊鬼」の映像を観た時、2匹の鬼の幾何学的な位置どりに興味を持ち、それで津具に行ってみたいなあと思った。またの機会としよう。


  本来は神返しの舞であり、最後の方で行なわれる「鎮め」を、当地区はこの舞の後に行なうのが大きな特徴である。その後、残りの「地固め(やち、剣)」が行なわれる。エネルギーセーブで、しばらくこたつの部屋にいた。「花の舞」が始まったら舞庭へ。花祭りには「ぶく」という、身内に不幸があったらその後に行なわれる花祭りに関われないというしきたりがある。今年は「ぶく」で舞えない子どもが多かったそうで、小さな子どもも2舞担っていた。最近でも「ぶく」にあたる人が多い年があった。この舞で幾何学的に面白い所作は、神座の前で2人と残り1人が180度向きを変え、腰を落として採り物を振るところである。


 現在、豊根村では坂宇場地区と当地区に毎年行っている。坂宇場の「花の舞(舞上げ)」は、「花の舞」卒業みたいな感じで小学生高学年あたりが舞うけど、当地区のそれは花祭りデビュー及び初期のちびっこが舞う。なぜ両地区において、「舞上げ」の位置付けが対照的なのだろうか?舞のラストに唱えられる「歌ぐら」の「舞上げるには千早振」通り、「花の舞」各舞のラスト及び舞子の「花の舞」最終段階の意味が坂宇場で、当地区では「花の舞」各舞のラスト及び「舞庭に上がる」の意味があるのではなかろうか?「舞上げ」を各地区どう位置付けしているかを比較するのも面白かろう。


「一の舞」。もちろん、強く叩かれようと釜の近くに位置取りした。


 榊で観客を叩いて廻る前段階の所作で、せいと衆は「と~ひゃ~ひゃ とひゃひゃ」と声を出す。


 舞子が観客を叩いて廻り始めた。釜のすぐ際に入り込み、強く叩いてきたので、びっくりした。


 次は「山見鬼」である。なんか最近、豊根の鬼の舞ではよく休憩している。体力温存と観客が多いためである。当地区の鬼の舞の囃子はテンポが速い。
 「三ツ舞(やち)」。今年は「歌ぐら」に挑戦してみることにした。坂宇場や当地区はせいと衆が「歌ぐら」を唱える事がなく、いつしか資料化してしまわないか心配である。知っている人が「歌ぐら」を唱えながら太鼓を叩いていたのでそばに寄り、歌詞集を見ながら一緒に唱えた。いつか、歌詞集を見ないでもある程度は上の句を聴いて下の句を唄える様になりたい。舞庭の角にいると、やちが飛び出してきて、初めて訪問した時はびっくりした。


 やちの後はほぼ仮眠し、「杓子・すりこぎ」で舞庭に復帰した。


 補充用の味噌が入った鍋もあり、観客の顔にたっぷりと味噌が付けられた。僕もたっぷり塗られ、顔が大変なことに。そんな顔をカメラに近付けて撮影したから、カメラに味噌が付いてしまった・・・。こんな顔になっても、皆大きな笑顔になる。


 やがて「巫女、婆」も加わり、先の2匹は巫女にちょっかいをかけようとし、婆はそれを阻止する。その合間にも観客の顔に味噌が塗り続けられるので、2匹は大忙しだった。


 再び仮眠した後に朝食を頂き、最後の盛り上がりどころである「湯ばやし」。


 坂宇場同様、お湯が撒かれ始めたら上半身裸になった。屋内だし、全然寒くなかった。裸になることを想定して、ちゃんとムダ毛処理してきましたから(笑) でも、釜に追加投入されるのは水だから、途中から冷たかったけど(苦笑) 舞っては撒かれの連続で、舞子も観客も地面もビッショビショになった。当地区の舞は粛々とした感じがあるが、弾ける要素は大きく弾けるのが好きなところである。


 「朝鬼」。面が複数お披露目されてたけど、いつもやってたかなあ?




 「獅子」。ゆわぎを咥えるところが独特である。このゆわぎというものは羽織ったり採り物になったりするので、特別な物だと思う。


 「釜ばらい」では、御幣をちぎり、放ることが行なわれた。撮りたかったけど、神事関係はカメラマンが寄るので、撮れなかった。最後に締めの挨拶が行なわれ、解散の形となった。
 もう温泉もオープンしているので入浴し、食事をしてから帰路に就いた。地区の人、観客も大勢入浴していた。「ありがとうございました」と挨拶してくれる地区の人がいたが、こちらこそお世話になり、恐縮である。花祭りは組織単位とかではなく人との繋がりの大切さ、ありがたさを感じさせてくれる。お互い、元気に来年の花祭りの場で顔を合わせるため、一年頑張れる。
 今年はすぐに東栄町下粟代地区の日がくるんだよなあ。





 
 

 


 

 

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蒲郡三谷 八剱神社 新年福引会

2017-01-01 23:21:12 | 日記

 新年あけましておめでとうございます。あまり投稿しませんが、今年も拙ブログをよろしくお願いします。
 以前、某掲示板の蒲郡スレで、三谷の神社において元旦初詣にておせちが貰えるという話があり、今年は貰いに行こうと思った。でも、調べたら福引だった。それでも、空くじ無しで、振舞いもあるというから、行くことにした。前日に他の用足しがてら会場を偵察した。福引会のポスターで景品を確認した。ネットでのポスターの画像は拡大できなかったので。バリ島とかレジャーの景品は要らないので、苺でも当たるといいなあ。


 本殿が新しかった。


 もう準備をしていた。準備をしている人に何時位に来れば整理券が間に合いそうか尋ねたら、「8時前位じゃないか」と言われた。でも、僕は並ぶことは早くないと気が済まないので、大晦日はとっとと寝た。
 午前6時半頃に家を出た。車を三河三谷駅の公共駐車場に停め、会場の八剱神社まで歩いた。既に大勢並んでいた。午前8時半から整理券配布となっていたけど、それより前に配布が始まった。福引に並ばず、振舞いの方に並ぶ人も多くいた。


 9時から福引が始まった。4つの列に分かれ、箱の中の三角くじを引いた。中は白紙で、ティッシュ5箱を貰った。朝早くから並んでティッシュ5箱だけど、ささやかな楽しみがあった。食べ物はうどん、フランクフルトがあったけど、長い列に並ぶのが面倒だったので、すぐ貰えるジュースだけ貰って帰ることにした。ところが、後で合流したおふくろから「お参りしたら小松菜が貰える」とメールが来た。でも、もう着いたら先にお参りしたので二度お参りする気も無く、そのまま車に戻った。

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