なぞの旅人スーのブログ

鉄道、旅行、花祭り、その他日記にしたい事を書いていきます。実際の面識が無い方からのコメント、歓迎。荒らしや誹謗中傷は×。

養老鉄道運転・車掌体験

2014-03-23 18:43:19 | 日記

 今冬季、岐阜県内の4つのローカル鉄道で様々な体験プログラムがある「岐阜ローカル鉄博」が開催された。知るきっかけとなったのはテレビ番組で、養老鉄道に運転・車掌体験プログラムがあった。気動車の運転体験を実施しているところはいくつかあるが、電車は少ない。まあ、路面電車で実施しているところもあるけど。「鉄博」のHPを放送翌日に見たら、なんとか今日1人空きがあったので、予約した。しかし、なかなか案内が届かなかった。HPではさらに申込者の中から抽選する様な説明があり、落選したのかと思った。10日過ぎに案内が届いたけど、参加料振込期限まで短く、色々やきもきした。
 大垣以西はこの時期まで雪がある山を見れて面白い。


 養老鉄道ホームへ。僕は桑名行に乗るが、揖斐行が長く停まっていた。ローカル線ながらも4ドア。


 車庫がある西大垣駅へ。古めかしい駅舎であった。


 受付で名簿に僕の名前がトップにあった。もしかして体験も先頭バッター・・・?会社のプレハブに案内され、まずは机上講習を受けた。物理、機会は苦手で、あまり理解できなかった(汗) そして、いよいよ体験。半分ずつ分かれ、一方は先に運転体験を、もう一方は車掌体験をした。僕は先に運転体験だった。運転体験の前に各々の体験証明書に使う写真撮影があった。制服姿で運転席の窓から顔を出しパチリ。そして、楽しみだった運転体験。「センロク塗装」という注目車両を運転させてもらえるのが嬉しかった。「センロク塗装」は昔近鉄名古屋線を走っていた1600系の塗装を復活させたもので、塗装デビュー間もない。ちなみに、養老鉄道は昔近鉄の路線で、現在は運営が近鉄子会社の養老鉄道で、線路、車両等施設は近鉄保有らしい。


 名簿通り、トップバッターだった。まず、指導運転士の手が添えられての2回15mずつ停車体験。ブレーキが効き始めるのが遅く、急ブレーキとなってしまった・・・。「チンチン」というベルの仮車掌との確認やり取り、「ビーッ」という近鉄車両独特の電笛を鳴らせるのが面白かった。そして、最高速度10キロまで出し、最終停車ポイントへ。1回目のラスト停車は介添もあってかまあまあうまく停めれたと思う。
 2回目までは他参加者の運転を体感。リピーターもいるし、みんな上手いなあ。そして、2回目。今度は指導運転士の手が基本的に添えられない。3回の停車いずれも急ブレーキとなってしまった(汗)
 続いて車掌体験。こちらも注目車両の「ラビットカー」を使用していた。


 体験手順と車内放送例の文章が書かれた紙を渡された。実は事前に車内放送は自由な内容のものでいいという情報をネットで聞いていたが、まず1回目は紙通りに放送した。車掌行為はドアを閉める時にボタン操作に気を取られて外を確認していなかったり、ダメダメだった(汗) 発車後の車内放送を体験し忘れた。2回目は自分が用意してきていた車内放送をした。貴重な車内放送をと、富山駅北陸新幹線建設工事に伴う運転時刻変更があった上り「きたぐに」号乗車時に撮った動画から、大阪駅到着時のものをメモし、それをマイクで言った。しかし、これは終点のものだから、発車の時に何言おうか迷った。すると、指導員が機転を利かせてくれて「回送発車の放送をしたら?と」勧めてくれたので、そうした。発車後は新大阪駅発車後のものとした。他の参加者で印象に残ったのが、本物の車掌の様な喋り方の人(もしかして同業者?)や、カップルで参加していた男性の未来に目を向けたリニアの車内放送で、「この電車は非常に高速で走りますから窓を開けないで下さい」というユーモアある車内放送である。
 運転体験の方が終わるまでまだ車掌体験ができるみたいだったが、希望者が現れなかったし、外に出て幕回しをリクエストしての撮影会が始まったから、もう1回体験したいと言い出せなかった。
 プレハブに戻って額縁入り体験証明書を貰って帰った。1回限りならいい記念品となるけど、また参加したいし、2回目以降はこんな大層なものでなくてもいいなあ。その分安くして欲しいや。
 次は夏季に開催を予定しているらしい。また参加し、今度は無難な結果を残したい。

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豊川いなり寿司フェスタ

2014-03-22 23:55:42 | 日記

 今日明日と開かれ、今日だけ食べた人の箸による投票で「食べ比べ選手権」が開かれる。今年は9店参加で、ちょっと寂しかった。


まずは行列が出来ているところから。「いなりでいなりあーん」(まつや)に並んだ。イタリアンだそうだからピザ風味か?マスタードとケチャップをかける作業があるから、回転が悪かった。


 お隣「いなりピザ」(千石寿し)。


 次々と買っていく。「大黒稲荷」(膳丸)。


 「とり天いなり」(なかよし)。


 「豊川いなりまん」(サンショク)。


 投票のために実食。「いなりピザ」はトマトとか載ってうまくピザ風味になっていて、具材もまとまっており、美味しかった。で、「いなりでいなりあーん」をご飯が入ってないものと思い込んでしまい、投票対象外としたため、その場では食べなかった。家で食べたらちゃんとご飯が入っていた。でも、「いなりピザ」と比べるとまとまりがなく、チーズもとろけるチーズが挟んであるだけだった。「大黒稲荷」は黒米が入っていて、穀物感があった。また、爽やかさがあった。「
とり天いなり」はまあ普通かな。「豊川いなりまん」はデカさがいいね。ご飯は細かくなっていて餡となっていた。いなり寿司感は無かった。
 投票は「いなりピザ」と「大黒稲荷」に1本ずつ投票してきた。ゆるキャラのイベントとかあったけど、いなり寿司買って実食したら即帰宅した。
 豊川高校が甲子園サヨナラ勝ちしたそう。豊川稲荷に集まったパワーが伝わったか? 

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由利高原鉄道 YR3003 甲種 撮影

2014-03-07 11:54:07 | 日記

 久し振りの鉄。昨年乗車した由利高原鉄道の新車が甲種輸送された。幸い夜勤明けで撮れるのだが、以前と出勤時間が1時間早くなったので、睡眠時間の余裕が無い。以前は10時50分頃に出てきたと思うのだが、11時10分頃出てきて、もしこの時間が定時だったら以降撮影は止めるかもしれない。10時50分過ぎに来た人もいるし。
 今回は青か。カラフルだね。昨年の甲種の時も症状出たけど、上部の影が今年はキツい・・・。

http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/24/4f/ace28bc781b8202ec575fc88d5f53fac.jpg

 可愛い「おばこ」マーク。

http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0e/3a/c0fb4d81eec9bcfa0cb35ae849d96a70.jpg

 後追い。

http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/35/43/ef23f67bae0f291cf2921e7c40103d6e.jpg

 秋田への長い旅路へと就きました。日車では遠い先だよね。調べてみたら、甲種輸送かどうか分からないけどJR北海道のキハ281系がある。西だとJR九州のキハ220形がある。これは甲種輸送を偶然目にしたことがある。
 今年も「鉄道フェスティバル」に由利高原鉄道来るかなあ?そして、まつ子さんも。


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東栄町布川地区 花祭り

2014-03-01 23:59:59 | 日記

 会場に向かう途中、いまにも雨が降ってきそうだった。季節の変わり目の時期に開催日があたるからか、よく花祭りの日には雨が降っているような気がする。ところどころ残雪があって驚いた。既に駐車場は満杯で、路肩の安全なところに車を停めた。シーズン最後の地区だし、暖かい方の時期の開催なので、よそからの見物客が多く感じられる。当地区と長年親しくさせていただいているのでマ半被を着て、会場へと降りていった。
 花太夫さんによる「撥の舞」。


 「順の舞」。今年もまさ兄は茶目っ気たっぷり(笑) 会場の女性を引き込んだり、道化役を務めていた。突然、まさ兄から「歌ぐらやれや」と言われ、他の人から歌詞が載った紙を渡され、まだそこまでのテンション、雰囲気に行ってなかったので、戸惑いながら詠い出した。この舞が終わったらすぐ、ガソリン(お酒)補給に外の売店に向かった。今年も銭湯仲間がたこ焼き、焼き鳥等を売りに来てくれていた。


 「市の舞」。厳かに若者が舞う。


 「花の舞」。かまどの蓋の上に「英勲」の緑のパックが置かれているのも布川の花祭りらしいところ。お酒をよくいだだけてありがたかった。


 花祭りは再会も楽しみのひとつ。下粟代の若者K君も来ていた。明日仕事ということでお酒は一緒に飲めなかったが、一緒ににたこ焼きを食べた。この前の大雪の話や、勤めている消防署の勤務の話とかをした。会場にも来ていたけど、同じ下粟代の地区の人が穏やかそうな感じなのに花祭りの舞の指導が厳しかったと聞き、驚いた。古戸の人とか、色々な人の話が聞けた。雨が段々としっかりと降り始め、外に居続けることはできなくなった。
  「山見鬼」の伴鬼で呼ばれた。「榊鬼」辺りでと思っていたが。下粟代と違い、かまどを周回し続ける。目の前で先程話した古戸の人が囃しながら導いてくれたので、楽しく舞えた。ただ、前を複数の面着けた豊川の花キチ少年が舞っている時は、こっちにも面の1つが向いていて、なんか船酔いみたいになったよ(汗)
 年配の人も若者も、せいと衆がアツく囃していた。


 「三ツ舞(剣)」。まだまだせいと衆は元気に囃していた。いつも誰かが囃している状態っていいね。


 車で少し休んでから再び会場へ。「翁」。まさ兄が女性の品定めをさせていた(笑) 凄いなあ、長丁場で道化役をし続けられるって。


 そして、いよいよ「湯囃し」。目一杯湯を浴びた。


 本当は「茂吉鬼」でも伴鬼を誘われたのだが、もう歳なので二つはキツい。なんて言ったら、何舞もやって他のお役目もある地元の人に対して失礼だが。だったら他の人を自分であたることにした。この時間だともう会場に来ている色々な人と交流しているので、立てたスカウトアンテナがすっと反応し、ある若者(学生さん?)に声を掛けた。今回も一発でキマリv 神部屋に案内した。初めてなのに一番手で出てきて、当然上手く舞えるわけない。支度する人も罪よのう(笑) でも、他が出てきたらすぐに同じ様に舞っていて、感心した。終わって声掛けたら喜んでくれて何よりだった。
 「獅子」で舞は終了。神返しの神事が始まった。「ひいなおろし」?祓い銭や干し柿などを頂いた。
 花太夫さんから「本当は『ざぜち』とかの飾りは納めてから希望者は貰うものだ」と話を聞いた。ここでは「ざぜち」とかの飾りは片付けが始まるとすぐ見物客に貰われているが、確かに自分が来始めた頃は外の小屋の裏に持って行かれていた様な記憶がある。もうその様にすることはないだろうが、本来はそういうものだということは頭の隅に置きたいと思う。また、太鼓の撥をしまう箱を見せてもらった。裏に「文政六年」とあった。すぐその場で携帯で調べたら、西暦1823年辺りだそうである。


 「一本箸で粥をすするのは昔の大神楽の次第の白山浄土入りに通ずるといわれています」と、東栄町花祭りのHPより。


 雨は終了時上がっていたが、テントとか濡れているせいか今年は片付けをこの後やらず、地元の人は一旦引き上げていった。自分も会場をあとにした。
 ドライブインにより、東栄チキンとか好物の特産品を買っていった。わさびの花が売られていて、珍しいので買った。天ぷらにしたが苦いだけだった。今度は別の食べ方をしてみようと思う。
 さあ、来シーズンを楽しみに生きていきましょう!
 
 

コメント (4)
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