俺にも一言、言わせろ

世の中、腹の立つことばかり。真面目に生きてる一人として、一言述べさせていただきます。連帯を求めて、孤立を恐れず。

姑息な政治家と国民の研究

2004-10-03 22:41:47 | 社会に一言
最近つくづく思うんですよ。
姑息だなあって。
いつから日本人はそうなったんだろうかって?
江戸時代?武士の世界だし、責任を切腹で取っていたから、姑息ではなかった?
それでは、明治時代?
近代日本の原型を作る過程で、現れた政治はみな立派。
すると、昭和?
戦争を始めた軍部が姑息だったか?
どうもこれも違いそう。
それでは、戦後?
どうも、このあたりくさいような気がする。
戦後、アメリカからチョコレートやチュウインガムをもらって、喜んでいた連中。
また、英語を外人から教えてもらって、いい気になっていた連中。
どこかの省に入り、留学させてもらい、アメリカかぶれになっていった連中こそ、元凶のような気がする。
アメリカに恐れ、追随し、おべっかを使う。
自分にはアメリカのお友達がいると言って、自慢しているおじさん達。
この連中から、姑息な発想が生まれ、何とか権力にしがみつこうとしてきた奴ら。
結局、首相から、権力大好き人間になり始めている。
歴史上、自分の名前を残すために、国連で演説してみたり、北朝鮮国交回復に奔走してみたり。
国民が苦しんでいても、知らぬ存ぜぬ。
中小企業の経営者あるいは大企業の中間管理職の自殺が多いといったところで、そんなものは自分の点数にはならん。
挙句の果てには、あと2年、首相の椅子は、人には絶対に渡すまい。そのためには、文句を言いそうな奴らは、自分から遠ざける。
姑息だね。
そんな人を首相においている国民は悲しいね。
でも、考えてみようよ。
国民一人一人にはそんな話をしたところで、何も動かない。
しかし、他の政治家は今、何をしているのだろうかね。
せめて、今のこの時期、何とかいえよ。
バライティ番組で、国民と一緒にへらへら言っておらずに。
姑息な国民だから、姑息な政治家が生まれのであろうか?
あるいは、国民が黙っているから、そんな政治家が生まれてくるのであろうか?