雑文の旅

猫爺の長編小説、短編小説、掌編小説、随筆、日記の投稿用ブログ

猫爺のエッセイ「動物の恩返し」

2015-09-23 | エッセイ
 今の子供たちには、ゲーム機や携帯など、楽しいものがいっぱいあるが、猫爺の子供の頃は、そんなものは手塚治虫氏のSFの世界に出てくる夢のグッズであった。
 遊びと言えば、テニスボールを掌で打つ三角野球、ドッジボール、家の屋根に登る大掛かりなかくれんぼ、鬼ごっこ、夏は虫捕り、今は禁止されている野鳥捕り、玩具と言えば今は禁止されている石ヤリ(パチンコ)、紙鉄砲、杉鉄砲等々、手作りの者が多かった。
 杉鉄砲は、今では杉花粉が問題になるが、当時は普通に生垣として植えられており、その雄花を玉にして遊んでいたのだ。当時の子供は、杉鉄砲で遊んでいても、くしゃみをしている子は居なかったが、今では大人に叱られる以前に、杉の雄株自体がそこいらには無い。
 ゴム鉄砲は、8mm角程度の木ヒゴで作ったものだ。遊ぶときは、メンコなどを的にして打ち合った。「汚い」と、大人たちに不評だったのは、生きたハエを的にすること。普通は、蠅はそのままひっくり返るのだが、当たり処が悪いと潰れるかからだ。

 野鳥捕りは、もっぱらメジロ。捕る方法は、小鳥屋で雌を買ってきて竹籠に入れ、山へ持っていく。木の枝に駕籠を下げて、籠の付近にトリモチを仕掛けた枝を置く。そのまま離れたところで待機していると、籠の雌が鳴きはじめる。遠くで雄がそれに応えて鳴き、飛んできてトリモチが付いた枝にとまるのだ。問題は、捕らえた雄の足や羽に付いたトリモチが、なかなか取れないことと餌付けだ。すり餌といって蛹粉を水で練って口に入れてやらないと自分では食べ始めない。
 この野鳥のために、保存食のミノムシ取りもやった。木に登って集めたミノムシの蓑を剥ぎ、餌として与えるのだ。

 このミノムシの蓑剥がしは、猫爺のブログでは、童話パロディーで使ったことがある。子供に蓑を剥がされたミノムシを太郎が買ってやり、蓑に戻して枝に吊るしてやると、ミノムシが恩返しにやってくもという馬鹿げた話。

 動物の恩返しは、夢が有って楽しい。猫爺も、巣から落ちた雀やツバメの雛、怪我をして飛べなくなった鳩や、ヒヨドリなどを飛べるようになるまで世話をしてやったが、恩返しは一度もなかった。

 《猫爺の連続小説「チビ三太、ふざけ旅」 第十九回 神と仏とスケベ三太》の中で、仔狸の恩返しというのを書いた。チビ三太が「狸塚」を見付けて、その謂れを土地の男に尋ねる。
 餌を求めて里へ出て来た母狸を、捕らえて食ってしまった男がいた。五匹の仔狸が母親を探して里へ出てきて「クウーン」と泣きながら親を探しているのを、ある村人が飼っていた雌の柴犬が見付けて、連れて帰って育て上げる。
 柴犬は、大きくなった仔狸を連れて山へ入り、子供たちに餌の採り方を教えて帰ってきたと言うのだ。
   「ふーん」と、退屈そうに聞いていた三太は、それだけでは面白くないと、逸話の続きを土地の人に提案する。
 五匹の仔狸たちは柴犬のところへやって来て、山で集めた木の実や虫を柴犬の前に置いて山へ帰って行く。柴犬はそんなものに興味がないので無視をしていると、ある日、小判を一枚ずつ銜えてやって来た。次に来た時も、また次も、小判を銜えてくる。それを知った村人たちは、この山のどこかに、埋蔵金があるに違いないと大騒ぎになる。
 この話には「落ち」があるのだが、もし興味があるなら、上記の小説名をクリックしてみて欲しい。《PR》

 



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