雑文の旅

猫爺の長編小説、短編小説、掌編小説、随筆、日記の投稿用ブログ

猫爺のエッセイ「神社参拝」

2015-09-25 | エッセイ
 神社にお参りをするには、いろいろと「しきたり」や「作法」がある。最近、テレビでタレントが作法通りに出来るかを試す番組を見て自分(猫爺)は疑問を持った。
 鳥居を潜って参道に入るが、参道の真ん中は神様がお通りになるところなので、参拝者は端を通って手水舎(ちょうずや)まで行き、ここでお清めをするのだそうである。
 自分の疑問であるが、神社の祭りのときや、初詣ではどうすればよいのだろうかということである。
 参道の端どころか、境内じゅう人が溢れて思うようには歩けないではないか。参道にロープでも張って、ここは神様がお通りになるところと表示したところで、人に押されてロープに引っかかって倒れ、大惨事にもなりかねない。このあたり、宮司さん他神職の方々はどうお考えだろうか。

 こうお答えになるかも知れない。(猫爺の想像)
  「お作法は、神社が閑散としたときにお守りください」
  「参拝者でごったがえしている時に手水舎(ちょうずしゃ)でのお清めは?」
  「省略しても構いません」
  「神様に対して、ご無礼ではありませんか?」
  「お祭りや、初詣の時は、神様も忙しくてそこまで目が行き届きません」
  「わかりました」

  「二礼二拝一礼も、参拝者のお尻に向かってすることになりますが、それでも良いのでしょうか?」
  「それも、祭りの時や、初詣の時は、神様も忙しくてご覧になっていません」
  「えーっ、では、日頃の平穏に暮らせたことに対して感謝の言葉を捧げても、また祈願をしても、神様は聞かれてはいないのですか?」
  「神様に聞いていただきたいのなら、普段の空いている時にいらっしゃいな」
  「納得しました」