雑文の旅

猫爺の長編小説、短編小説、掌編小説、随筆、日記の投稿用ブログ

蕨(わらび)と薇(ぜんまい)

2012-03-22 | 日記
 万葉集から、私の好きな一首

   石ばしる垂水の上のさ蕨の、萌え出づる春になりにけるかも  (志貴皇子)

 この歌は、有識者の言葉の裏の解説はさておき、素直に情景の美しさだけを鑑賞したいものだ。 ざわざわと音を立てて岩の上を滑り落ちる澄んだ水と白い水しぶきが見える。 そのすぐ上の水しぶきがかかる斜面に早蕨がニョキニョキと握り拳のような頭を出している。 ああ、春が来たのだなあ。 

 この時代の「蕨(わらび)」とは、現代の「薇(ぜんまい)」のことだそうである。 もっとも、山を遊び場所にして育った私にはよく判る。 現代「わらび」と言っているのは、陽のよく当たる山の斜面に群生しているもので、笹の切り株で足に傷をつくりながら、親に褒められたくて山ほど摘んだものだ。 一方ゼンマイは、水辺の苔が生えているような場所に生えていた。 食べられるゼンマイだと思って摘んでかえったら、「これは鬼ゼンマイだ」と捨てられたりしたものだ。 それ以後、薇は見分けがつかないので摘まないことにしたのだった。
   
 志貴皇子は、前回に書いた大津皇子の従弟にあたる皇子だろうか。 何しろこの時代の親族関係は、素人にはややこしすぎて判らない。 

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