雑文の旅

猫爺の長編小説、短編小説、掌編小説、随筆、日記の投稿用ブログ

他人ごとではない孤独死

2012-03-12 | 日記
 東北地方太平洋沖地震から、1年が過ぎた。 肉親を亡くした方々、家屋を、故郷を無くした方々の悲しみがまた大きく胸の奥で涙したことだろう。 悲しみは、時が過ぎれば忘れ去るものではない。 悲しみは悲しみとして、心に重く大きく圧し掛かったままで、その横に希望や様々な喜びが芽生えるだけだ。 

 また、お年寄りの孤独死の噂を耳にした。 他人事ではない。 しかし、私は孤独死も受け入れようと思う。 どんな最期であろうと、死は総ての生命に対し平等な「永遠の無」である。 そこには、神も仏も霊も魂も無い。 喜びも無ければ、苦痛も後悔の念も思い出も無い。 生命を受けて死ぬまでを「点」とすると、その前である過去に向かって永遠に「無」であったように、その「点」の後もまた未来に向かって永遠の「無」である。 

 やれ、「ぽっくり死」だの、「尊厳死」だのと、何を甘えているのだ。 大勢の家族に看取られて「おりがとう」と言ってドラマみたいな死を迎えたところで、死は死ではないか。 そんな風に考えながらも、家族の心の負担を考えると、一概に「どんな死に方でもいいじゃないか」とは言えないものだ。