雑文の旅

猫爺の長編小説、短編小説、掌編小説、随筆、日記の投稿用ブログ

不倫密会

2012-03-22 | 日記
 万葉集のことを考えながら夕食を摂っていたら、唇を噛んでしまった。 血はすぐに止まったが、痛い。 このまま放置しておくと、必ずと言っていい程「口内炎」になる。 すぐに「ヨードグリセリン」で消毒をしたので、もう大丈夫だろう。

 で、好きな万葉集の和歌は、口内炎とは関係がないのだが「糠田王(ぬかだのおおきみ)」の面白くて、不思議な一首を思い浮かべていた。 動画サイトにある人気ランキングの第一位の歌

   茜指す紫野行き標野行き 野守は見ずや君が袖振る

 もともと天武天皇(大海人皇子-おおあまのみこ)の妻であった額田王は、天武天皇の実兄である天智天皇に見初められて今は天智天皇の妻になっている。 にも拘わらず、額田王と大海人皇子は逢瀬を楽しんでいるのだ。 

 茜は「あーほんま、あーまんま、茜が人生応援してる」(関西人しか判らない?)の茜は夕焼けだが、万葉の茜は朝焼けらしい。 その朝焼けに紫色に染まる「標野-しめの」(皇室などのご領地)を通って額田王の元にやってくる大海人皇子が、額田王の姿を見つけるや否や、袖を大きく振りだした。 これは、孔雀の雄が羽を広げて雌を誘うときの仕草と同じで、額田王を誘っているのだ。 そこで額田王が、「大海人皇子さま、そんなに私に対してど派手に袖を振っては、野守(領地の番人)に見られてしまいますよ」と、たしなめた歌。 この歌を、額田王は宴会の席で詠んだとか。 不倫密会なのか、「あけっぴろげ」なのか判らない状況である。 この話も、どこまで本当のことやら…。

蕨(わらび)と薇(ぜんまい)

2012-03-22 | 日記
 万葉集から、私の好きな一首

   石ばしる垂水の上のさ蕨の、萌え出づる春になりにけるかも  (志貴皇子)

 この歌は、有識者の言葉の裏の解説はさておき、素直に情景の美しさだけを鑑賞したいものだ。 ざわざわと音を立てて岩の上を滑り落ちる澄んだ水と白い水しぶきが見える。 そのすぐ上の水しぶきがかかる斜面に早蕨がニョキニョキと握り拳のような頭を出している。 ああ、春が来たのだなあ。 

 この時代の「蕨(わらび)」とは、現代の「薇(ぜんまい)」のことだそうである。 もっとも、山を遊び場所にして育った私にはよく判る。 現代「わらび」と言っているのは、陽のよく当たる山の斜面に群生しているもので、笹の切り株で足に傷をつくりながら、親に褒められたくて山ほど摘んだものだ。 一方ゼンマイは、水辺の苔が生えているような場所に生えていた。 食べられるゼンマイだと思って摘んでかえったら、「これは鬼ゼンマイだ」と捨てられたりしたものだ。 それ以後、薇は見分けがつかないので摘まないことにしたのだった。
   
 志貴皇子は、前回に書いた大津皇子の従弟にあたる皇子だろうか。 何しろこの時代の親族関係は、素人にはややこしすぎて判らない。 

万葉集に興味を持ったりして…

2012-03-22 | 日記
 万葉の時代といえば、平和でほんわかとした良き時代のイメージがあったのだが、実際はそんなことは無い。 勢力争い、陰謀、妬み、果は戦争も勃発し、戦乱の時代と言っても、決して誤りではないように思える。 万葉集に登場する二人の姉弟、父を天武天皇に、母を大田皇女に持つ長子の「大津皇子」と、二つ違いの姉、大来皇女の哀しい歌が人気の上位にある。

 父天武天皇の崩御後、母大田皇女はすでに死んでおり、もう一人の天武天皇の妻である鵜野讃良皇女の謀略で大津皇子は謀反の疑いをかけられ処刑される。 大津皇子は処刑の直前に、姉に逢うために伊勢に赴く。その弟を大和に見送った姉の歌の中から三首

  わが背子を大和に遣るとさ夜深けて 暁露にわが立ち濡れし
  二人行けど行き過ぎ難き秋山を いかにか君が独り越ゆらむ

 弟が処刑された後に詠んだ歌で、二上山は弟が埋葬された山

  うつそみ(現世)の人なる我や明日よりは 二上山を弟と我が見む

 弟のことを背子と言ったり、君と言ったり、弟(いろせ)と言ったりしている。 なぜばらばら?
 

 大津皇子の歌一首

  ももづたふ磐余の池に鳴く鴨を 今日のみ見てや雲隠りなむ

 「ももづたふ」は枕詞。 「磐余(いわれ)」は地名。 「雲隠りなむ」は「死んでいくのだ」


 多分、後世の誰かが創作したものだろうが…。