雑文の旅

猫爺の長編小説、短編小説、掌編小説、随筆、日記の投稿用ブログ

鞍替え

2012-01-12 | 日記
 インスタント・ラーメンは、どれも同じようなものだと思うのだが、やはり好きなメーカーの味がある。 
元祖である有名メーカーのものは、どうも私の好みではない。 購入するとき、カップであれ、袋であれ、私の場合はまずメーカーを確かめる。 うどん、和そばを含めて、一番好みなのは、〇ちゃん。 突飛なアイディア主体の有名メーカーのものと比べて、ここはどうしてこんなに美味いものを作れるのだろうと思ってしまう。 最近、初めて食べた即席ラーメンは、「〇ちゃん正麺・醤油味」。 これにもやしと煮豚をトッピングしたら、屋台ラーメンの上を行くのじゃないだろうか。 我が家の買い置きに、〇いキツネと〇のたぬきは、欠かすことはない。 その上に袋の「正麺・醤油味」が加わった。 

 特にラーメン好きという訳ではない。 面倒くさくて、なにも作る気がしないとき重宝するからだ。 最近は、冷凍グラタンに凝っていたが、ちょっとばかり飽きてきた。 そのうえ、値段が高い。 暫くは、〇ちゃん「正麺」に鞍替えしようと思う。 

プレミアム

2012-01-12 | 日記
 昭和20年代に、男性の精力増強に効くと持て囃された「赤まむし」や「スッポン」が、最近またも頭を持ち上げてきた。 私から見れば、性力の衰えを感じてきた中年男の弱みに付け込んだ商業ベースに、まんまと乗せられとしか映らない。 要は、「赤まむし」や「スッポン」の生命力の強さや、夜行性といったイメージが、そのまま「性力アップ」に結びついているのだ。

 昔むかし、街の漢方薬局を覗くと、ホルマリンに付けられた赤まむしが棚に置いてあったものだ。 山で蝮を捕まえて漢方薬局へ持っていくと、高く買ってくれると噂も流れた。 やがて、「赤まむしドリンク」が発売されると、1本飲むとその夜は性力がアップするとか、効きすぎて鼻血がでるとか、根拠のない噂が蔓延した。 もし、蝮のエキスが精力絶倫になるほどドリンクに入っていたら、生臭くて飲めないだろうと思う。 飲んでも何の効果も無いと知れると、ドリンクの人気も下火になって、ディスカウント・ショップなどで格安で売られるようになった。 

 「時代は廻ると」言うが、その「赤まむし」や「スッポン」が、サプリとして生まれ変わって世に出てきた。 突き詰めてみると、いずれも只の蛋白質だ。 それにイメージというプレミアムが付いて…。 
 
 

歯科クリニック

2012-01-11 | 日記
 南天の 実にひとひらの ぼたん雪  (猫助)

季語が二つも入った贅沢な俳句。 別に贅沢ではないか…。 娘が送ってくれたCGで一句。

山茶花の 花にふわりと 綿帽子  (猫助)

 午前中、歯科クリニックへ行って来た。 三カ月に一回の保全診療だ。 出かける前にクリニックのデータをネットで見たら「医院・病院の患者アンケート」を見つけたので、「私の通院している○○歯科クリニックは、診療前も、診療後も、患者を待たせないと」書いて送信した。 何時ものように、予約時間の10分前に着いたが、50分待たされた。 こんな筈ではなかったが、まっいいか、正月明けだし、50分を焦る忙しい人生を送っている訳でもないし…。 

 

座右の銘

2012-01-10 | 日記
 今日は朝からカラッと晴れていて、喜んで布団を干すと黒い雲がするするっとしゃしゃり出てきて太陽を遮っり氷雨でも降るのじゃないかと思わせたり、そうかと思えばまた晴れたり、なんだか天候におちょくられているようだ。

 今日1月10日は本えびす。 西宮は「西宮えびす」、大阪は「今宮えびす」、福を求める善男善女の波また波。甲子園球場試合終了後の、阪神電車甲子園駅へ向かう人並みさながらだろう。 神戸には「柳原えびす」があるが、人並みもちょっと小規模。 それでも賽銭樽の前は、やはり人人人、あの大樽の中を覗き込むのも楽しみのひとつだ。 

 今宮えびすは、「商売繁盛で笹もって来い」の勇壮な掛け声が飛ぶが、西宮えびすでは、静かに福娘が福を授けてくれる。 同じえびすでもちょっと雰囲気が違うのは、やはり商都大阪商人の心意気だろうか。

 昨日、石油ファンヒーターが壊れて点火しなくなった。 早速、近所の電化製品量販店で買ってきたが、アマゾンの値段と比較すると、なんとなんと6千円も量販店の方が高かった。 届くまで4-5日我慢ををすれば、6千円の節約だったのだ。 「我慢は金なり」を今後の座右の銘にするか。 

  

一酸化炭素中毒

2012-01-10 | 日記
 冬は一酸化炭素中毒が増える。 私の年齢では、子供の頃から木炭、練炭、豆炭、たどんなどを使っていたため、一酸化炭素中毒に関しては重々に注意されていた。 締め切った部屋で半熾りの練炭や炭火は絶対に持ち込むことはない。 練炭火鉢の場合は、練炭の上まで真っ赤になってから部屋に入れる。 てっぺんがまだ黒くて、青い炎が出ている段階では、一酸化炭素が盛んにでている。 炭やたどんの場合は、全体が真っ赤になった状態で部屋にいれる。 それまでは屋外に置いて、部屋に入れてからも換気は忘れない。 

 練炭や豆炭は、石炭粉が練り込まれているので木炭やたどんよりも危険である。 昔の都市ガスは、石炭を蒸し焼きにすることで得ていた。 このガスは一酸化炭素を多量に含み、ガス漏れによる「中毒死」が頻発したものだ。 このガスを抜き取った残留物はコークスと言い、炭素純度の高い良質の燃料となる。 

 最近、量販店で練炭を見た。 使われる方は、ちゃんと知識をもった方だろうと思う。 豆炭、たどんはもう販売されていないだろうが、木炭は焼き肉などで盛んに利用されているようだ。 取り扱いは、少し神経質くらいの方が良いかも知れない。

超常現象

2012-01-07 | 日記
 超常現象のテレビ番組をちょこっと見た。 明らかに動画サイトへの投稿を目的に作られたと思われる作品を見て、スタジオの若いオーディエンスたちは「ギャー!」 スタッフたちは、さぞカメラの陰でニンマリした事だろう。 

 車で道を迷ってしまった若い男たちは、寂しい林道の脇にうなじを垂れて佇んでいる女を発見。 道を尋ねようと車を止めて車外に出る若い男。 女に道を尋ねるが、女は沈黙したまま身動きもしない。 声をかけた若い男が不審に思いながら諦めようとした時、女が顔を上げていきなり襲いかかろうとする。 男は車内に逃げ込み、車を出そうとすると、後ろの窓に人の手が幾つも…。 これって、ゾンビ映画によくあるシーンだ。 しかも、女のメーキャップは、映画さながら。 カメラワークもホラー映画なみ。 ただ道を尋ねるだけのシーンを、普通超高感度カメラで撮影する必要があるだろうか。 これを超常現象だと視聴者に押し付ける局のスタンスに疑問を覚えた、ちょっと白けた一瞬であった。

 番組を全部見た訳ではないが、風呂場に立てかけたモップと思われるものを「女の頭」だとか、光源の横移動で、スリガラスの向こうのものが動いたように見えるものとか、その都度スタジオで「ギャー!」と悲鳴があがる度に白けていた私ではある。

100円ショップ8・不良品

2012-01-06 | 日記
 洗濯していた娘が、突然悲鳴を上げたそうだ。 何事かと旦那が駆けつけてみたら、「洗濯機の中に変な虫がわいた!」と、大騒ぎ。 よく見てみたら、100円ショップで買ったすべり止めのつぶつぶが付いた手袋の、その「つぶつぶ」が全部剥がれて水に浮かんでいたそうである。 

 100円ショップのレジで、おばあちゃんが文句を言っていた。 耳を傾けて(盗み聞きかも知れないが)みたら、昨日買ったサインペンが全然書けなかったと言っている。 レジ係の人は丁重に誤って、良品を取りに行き交換していたが、その間私は待ちぼうけを食ってしまった。 例え105円と言えども、全く使えないものを買わされたら、誰だって文句の一つも言いたくなるものだ。 「たかが105円、まっいいか」なんて諦めて仕舞わないで、ちゃんと返しに来たおばあちゃんに拍手。 

 不良品ではないが、100円ショップで2缶105円の国産トマト・ジュースを「安いなァ」と思っていたら、業務スーパーで同じものが1缶35円だった。 ハウスの「カリー屋なんとか」と言うレトルトカレーが105円でこれまた「安いなァ」と思っていたら、79円の店もあった。 電池の類は、100円ショップよりジョーシンの方が安かったり。 何でも100円ショップの方が安いと思うのは間違いだと学習したりして…。

 ライターや、チャッカマンもどきは、中のガスが良く見えるものを買った方が賢明。 ガスが半分以上も減ったものもあるから。

 と、みみっちいことをかいたが、「エーッ、これが105円」と、びっくりするものもある。 結局楽しんで買い物をしているのだから、ハズレを買わされて「まっ、いいか」も、楽しみのうちかな? 

 

カミソリ

2012-01-06 | 日記
 神戸高速鉄道(設立1958年)の高速神戸駅のすぐ近くに、料金の安い散髪店がある。 開店当時は確か500円だったと思う。 それが値上げして、850円になったが、それでも他の散髪店とは比較にならないほど安い。 一昨年、久しぶりに行ってみたが、昔とちっとも変った様子はなかった。 表の自動販売機でチケットを買って入り、チケットは散髪を担当した理容師さんに渡すようになっている。 どうやら歩合制のようで、理容師さんは5~6人居たように思う。 一人でカットから洗髪、整髪まで通しでやってくれる。 所要時間はなんと15分足らず。 年中サラリーピンチだった私にとって、贅沢を言わなければ有難い存在であった。 

 そうだ、変わっていたことが一つあった。 カミソリがバイブレーター付きの安全カミソリになっていた。 皮のベルトでシュッシュッと砥いで使うあの業務用カミソリではなかったのだ。 

 私もバイブレーター付きのカミソリを使っているが、昔の物に比べて良くなったものだ。 私の場合、昔の安全カミソリで髭を剃った後タオルを顔に当てると、タオルに血が点々と付いていたものだ。 これが、最近のカミソリでは、全く血が出ない。 こんなのが現役のサラリーマン時代にあったら、「随分助かったのになァ」と、ティッシュで顎の下を抑えながら会社に出かけた思い出が蘇る。

センサー

2012-01-05 | 日記
 人感センサー付きLED電球(2400円也)と言うのを量販店で見つけた。 買ってきてクローゼット代わりに使っている部屋に付けてみた。 なるほど便利なものである。 感度が良くて、部屋の戸を開けている時点で点灯する。 箱には「人感センサー」と有るが、人だけでなく動くものに反応しているようだ。 人が出て行こうが、まだ残っていようが、約5分後に消灯する。 人がまだ残っている場合は、動くと再度点灯する。 また、昼間など部屋が明るい時は点灯しない。 消費電力5.2W、485ルーメン、白熱球40W相当とある。 

 センサーと言えば、昔昔のその昔、少年科学館などで、様々のセンサーを使った見世物があった。 例えば「光を食べるロボット」なんて言うのがあって、別の発光装置からロボットの口に向かって光を当てている。 見物客が手のひらで光を遮ると、ロボットが泣いて「どいて下さい」と言うもの。 今の小中学生なら馬鹿馬鹿しいと思うだろうが、当時中学生だった私が興味津々で、長時間その場で泣かずに遊んでいたことを思い出した。 これは、「光電管」と言う真空管をセンサーに使ったもので、今ではCDSまたは、フォト・トランジスターに代わっている。

 人を感知するセンサーは、真空管式のキャパシティー・リレーがあった。 その名の通り、パネルと人の間の容量の変化を感知するもの。 ちょっと複雑な回路が必要だった。 

 傾きセンサーは、当時はガラス管の両端に接点があり、中に水銀が入っていた。 今の傾きセンサーは、モジュールになっていて、私のカビの生えた化石に近い脳みそでは、どんな構造なのか想像も付かない。 

100円ショップ7

2012-01-05 | 日記
 久しぶりに100円ショップに寄ってみた。 買ったのは「ホッチキスの針外し」とLEDのランプとマジックハンド。 マジックハンドは以前使っていたものが壊れてしまったので買い替え。 洗濯機の裏などに落としてしまった洗濯物を取るのに欠かせないもの。 ホッチキスの針外しは、以前使っていたものが、先っぽがひん曲がってしまったので買い替えたもの。 今日買ってきたものは、以前のものと同じ105円だが、かなり頑丈になっている。 これは簡易包装で吊り下げて売られているもののホッチキスの針外しに無くてはならない。 それと、ペットポトルのフィルム剥がしにも便利である。 LED4個付のランプは、小型デジカメの照明用に便利である。 右手にカメラ、左手にLEDランプを持って、接写する時に簡単便利である。 上の写真も、そのようにして撮った。

妻の詩6

2012-01-03 | 日記
叫び

わめきたい わめきたい
わめきたい
言葉にならない叫び
言葉にならない哀しみ
言葉にならないやるせなさ
  どこへやればいい
  どこへ捨てればいい
  泣く場所がない
  叫ぶ場所もない
  捨てる場所もない
みんな心の奥深く詰め込んで
これでもか これでもかと
ぎゅうぎゅうに詰め込んで
やがて、こころは破裂する
跡形もなく飛散する

妻の詩5

2012-01-03 | 日記

ありがとう

たくさんの微笑みと
たくさんの優しさと
たくさんの思いやりをありがとう
私の命の木綿糸を紡いでくれてありがとう
私に希望の薄明かり灯してくれてありがとう

心いっぱいの微笑みと
心いっぱいの感謝を込めて
あなたに贈るありがとう
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この詩は、妻が神戸の済生会病院に入院していた時の作品である。 担当医であった40才代のドクターが、兵庫県城崎市にある病院の院長として栄転され、ドクターを慕っていた妻が悲しい気持ちで書いたものである。

 ドクターのご家族は、神戸のお家に残られていて、ドクターは週末に帰られていたようだった。 そのドクターは、深夜に自動車道の出口近くのカーブで、老人の運転する車と正面衝突した。 老人のハンドル操作ミスで、車が反対車線に飛び出してしまったことが原因だった。 新聞によれば、ドクターは即死で、老人はかすり傷だったそうである。 

  


妻の詩4

2012-01-02 | 日記
 無理するなよ

本当はとっても辛いのに
一生懸命堪えながら
まだまだ大丈夫と笑ってみせる
本当はとっても苦しいのに
一生懸命からだを支えて
まだまだ大丈夫と笑って見せる
もう無理しなくてもいいんだよ
辛かったら 苦しかったら
思いっきり泣いてもいいんだよ
代わってあげることはできなくても
受け止めてあげることはできるからね
そうしたら
少しは楽になるかも知れないよ

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この詩は、妻が神戸大学病院に入院していた時に知り合った18才の少年に向けた詩である。 少年は利口で優しく、むしろ妻を励ましてくれていたようである。 その彼は、18才の若さで「癌」に侵されていて、余命いくばくもないことを本人も薄々感じていた。 

 彼の好物は「めざし」で、元気な時は病院の炊事場で焼いて、妻もおすそ分けを頂いていたようだった。 ところが臭いがすごくて、ナースや他の患者さんから苦情が来ないかと、妻はハラハラしていたようである。 

 彼は、やがて起き上がることも出来なくなり、見舞いに行った妻に苦しそうな息で、それでも気丈に「○○さん、頑張よ」と言ってくれたそうである。 彼は、その翌日に帰らぬ人となった。