三太郎の戻り旅、木曽路は冬支度をしていた。 ちょっと一休みと、木の根っこに腰を下ろし、ぼんやり景色を眺めていた三太郎が、「どれ、行くか」と腰を上げ「三太、行くぞ」と声を掛けた。 木の陰からひょっこり姿を現すのを待って、「はっ」と気が付いた。 三太は居ないのだ。
「あの、裏切り者め」
三太郎は呟いたが、三太は三太郎に代わって父慶次郎に親孝行をしてくれるのだ。 しかも父を継いで、佐貫の家をまもってくれるかも知れぬ。
三太に感謝こそすれ、裏切り者とはなにごとかと、三太郎は自分を戒めた。
三太郎は天を仰ぎ、能見数馬に手を合わせた。
「数馬さんのお蔭で、俺は何事にも自信をもってあたれます」
三太に会ったのも偶然などではなく、数馬さんが会わせてくれたのだろうと思った。
しかも、その子の名が「三太」とは、偶然にしては出来過ぎている。
「数馬さん、ありがとう」と、手を合わせて呟き、「しまった、誰かに見られたかな」と、辺りを見渡すと、二・三人の旅人が「何 この変態」みたいな顔をして三太郎を見つめていた。
暫くぶりで伊東松庵診療所に戻ってきた。
「ただいま、三太郎戻りました」
門を潜り、声をかけると、お樹が出て来て「お帰り」と言うやいなや、キョロキョロと辺りを見渡した。
「三太はどこなの」
「私の心配より、三太の心配ですか」
「あなた、疲れて道に座り込んだ三太を、放っといて帰ってきたのではないでしょうね」
「しませんよ、そんな可哀そうなこと、三太は父に預けてきました」
「泣いている子を、無理矢理に置いてきたのですか」
「三太が、自分で選んだのです」
「嘘でしょ、そんな筈はありません」
三太郎にしかなつかなかった三太が、自分から信濃の国に残るというだろうかとお樹は思ったのだ。
「訳があるのですよ」
「訳?」
「三太におっ母さんが出来たのです、つまり父が妻を娶り、三太を養子にしたのです」
三太は母の愛に飢えていたのだろう。 母と聞いて三太の甘え心に火が付いたのだ。
「そう、寂しいわね」
お樹はがっかりしたようだった。 だが直ぐに気を取り戻して、
「三太郎さんの帰りを、みんな待っていたのよ」
お樹と中岡慎衛門の祝言が、三太郎が戻るのを待って執り行われる予定だったのだ。
「あなた、三太郎さんが帰ってきたわよ」
なんだ、もう既に女房気取りじゃないかと、呆れる三太郎であった。
「三太郎、お帰り」 中岡慎衛門が顔を見せた。
「おじさんには、伝えなければならないことがあるのだ」
「悪いことかい」
「多分、良いことばかりだと思うよ」
まず、嫁ぎ先から戻されていた中岡慎衛門の妹小夜さんと父の慶次郎が夫婦になり、三太を二人の養子にしたことを話した。
「そうか、小夜は戻されていたのか、済まないことをした」
「おじさんの所為じゃないよ、全ては家老の矢倉宗右衛門が元凶で、謀反を企み、殿に知れて切腹させられたのです」
まだ膿は出切っていないが、慶次郎が必ず綺麗に片を付けると頑張っていること、ここに中岡慎衛門が戻ってきてくれたら、どんなに心強いか知れぬと、悔やんでいたこと、殿は中岡慎衛門の濡れ衣を信じたので、「きっと戻ってきてくれ」と、懇願していたことなどを話した。
「おじさん、お樹さんと一緒に、いつの日かきっと信州の上田藩に戻ってくださいね」
三太郎は、最後に自分の希望を入れるのを忘れなかった。
「おや、三太郎さん、戻っていたのかい、一休みしたら裏庭を見ておくれ」 松庵先生の妻結衣だった。
「三太、三太はどこ お前の喜ぶ顔が見たいので、毎日お萩を作って待っていたのよ、お蔭で、こんなに太っちゃった」
結衣もまた、三太待ちであった。 三太が信州に残ったことを話すと、結衣もがっかりした。
裏庭には、棟上げが終わった柱ばかりの建物が建っていた。 薬草畑はなるべく壊さないと言っていた割には、随分荒らされていた。
「中岡慎衛門さんとお樹さんの新居が完成したら、今ある倉庫を潰して薬草畑にするからね」
結衣は慰めにもならない言い訳をした。
翌夕、中岡慎衛門とお樹の祝言がとりおこなわれた。 と、言っても、中岡慎衛門の親族もお樹の親族もいない上に、亮啓と悠寛を招待したが、祝言に坊主は縁起が悪かろうと辞退された。 ただ、伊東良庵診療所で病気を治して貰ったもと患者がたくさん来てくれた。
三太郎は、中岡慎衛門の幸せそうな顔を見ていると、たとえ藩士の身分が復活しようとも、禄を戻されようとも、「この人は信州へ戻る気はないな」と思う三太郎であった。
お小夜と父が祝言を挙げたことを中岡慎衛門が喜んでいたこと、慎衛門とお樹の祝言の様子、慎衛門の信州へ戻る意志の無いことなどを書簡にしたためて、父のがっかりした顔を瞼の裏に浮かばせながら、三太郎は父の元へ送った。 もちろん、三太に送る診療所のみんなの言葉を添えて。
今夜から、慎衛門はお樹の部屋で眠るので、倉庫の二階に寝るのは三太郎だけだった。 真夜中に、三太の足が腹の上に「どん」と乗って来ないのが寂しかった。 最近は夢を見て泣きじゃくることはなくなっていたが、何かに怯えて、抱きついてくることはあった。 今頃、小夜さんに抱きついているのかなと、少しばかり妬ましく思う三太郎ではあった。
良庵先生の助手は、慎衛門が立派に果たしていた。 三太郎は、もとの賄い役にもどされて、献立から食材の買い出し、板前の役まで任された。 三太郎は、「これで良いのだ」と満足していた。 年が明けると、長崎へ旅立つ自分である。
武蔵の国関本藩主の関本義範に、長崎奉行への紹介状の依頼を書簡にしたためて送った。 たった数日後、義範からの返信が届き、奉行には既に言ってあるから、安心して長崎へ発ちなさいと書いてあった。 思えば、関本義範は確か能見数馬と同い年といっていたから、もう二十九歳である。 大名に対して畏れ多いことかも知れないが、三太郎にとって義範もまた父のような存在である。 これもまた、能見数馬の引き合わせであったことを思うと、己の幸運はすべて数馬が来たらしたものであると認識しない訳にはいられなかった。
大金を持ち歩いては危険なので、月ごとに必要な金子を為替にしてお樹が送ってくれることになった。 お樹は、「おやすいご用よ」と、快く引き受けてくれた。
「おや 早くも初雪よ」
お樹が庭で叫んでいた。
年が明けて、三太郎は十五歳になった。 これで世間も認める大人である。 雪がちらつく早朝、三太郎は皆に送られて長崎に向かってって旅立った。 三太が一緒だったら、金もあることだし船を乗り継いで門司まで行くつもりでいたが、歩いて一人旅を決め込んだ。 物見遊山の旅であれば、方々に寄ってみたかったが、それは戻りの楽しみにとって置いて、今はただ西へ西へと歩いて行った。
東海道を歩ききり、西国街道に入った頃、「お兄さん、一人旅ですか」と、声を掛けてきた女が居た。 すごい美人で、貧乏くさい少年に声をかけるような女ではない。 三太郎は、昔叔母からおそわったことがある、これが「美人局」だなと、直ぐにピンときた。
「へえ、そうですねん、そやけど郡山で人と待ち合わせをしていますねん」
スリの仲間に上方からきた男が居て、面白いのでよく浪花言葉の真似をしていたのを思い出して、精一杯浪花言葉を使ってみた。 女は、大声で笑った。
「あんさん、江戸のお方でおますのやろ、あかん、あかん、そんなのじゃ」
「あきまへんか」
「山崎のあたりは、すごく恐い兄ちゃんがたくさん居ますよって、どうぞお気を付けやす」
女は、こいつはカモにはならないと睨んだらしい。 あっさり手を引いてくれた。 別れて直ぐに振り返ってみると、女はまだ笑っていた。
「佐貫三太郎」 第十四回 三太郎西へ(終) -続く- (原稿用紙11枚)
「佐貫三太郎シリーズ」リンク
「第一回 能見数馬の生まれ変わり?」へ
「第二回 亮啓和尚との初対面」へ
「第三回 三太郎、長坂に試される」へ
「第四回 未来が見える病気」へ
「第五回 父の面影」へ
「第六回 水戸へ」へ
「第七回 筆おろし」へ
「第八回 亡き数馬との出会い」へ
「第九回 三太と三太郎」へ
「第十回 ご赦免船」へ
「第十一回 佐貫三人旅」へ
「第十二回 陰謀」へ
「第十三回 慶次郎の告白」へ
「第十四回 三太郎西へ」へ
「第十五回 三太の間引き菜」へ
「第十六回 雨の長崎」へ
「第十七回 三太の家来」へ
「第十八回 三四郎の里帰り」へ
「第十九回 三太の家出」へ
「第二十回 文助の嫁」へ
「第二十一回 二人の使用人」へ
「第二十二回 佐貫屋敷炎上」へ
「第二十三回 古屋敷の怪」へ
「第二十四回 哀愁の江戸」へ
「第二十五回 江戸、水戸、長崎」へ
「第二十六回 偽元禄小判」へ
「第二十七回 慶次郎危うし」へ
「第二十八回 三太改名か?」へ
「第二十九回 佐貫洪庵先生」へ
「第三十回 中秋の名月」へ
「第三十一回 三太、親殺し」へ
「第三十二回 三太郎、時既に遅し(終)」へ
「次シリーズ 池田の亥之吉 第一回 あらすじ」へ
「あの、裏切り者め」
三太郎は呟いたが、三太は三太郎に代わって父慶次郎に親孝行をしてくれるのだ。 しかも父を継いで、佐貫の家をまもってくれるかも知れぬ。
三太に感謝こそすれ、裏切り者とはなにごとかと、三太郎は自分を戒めた。
三太郎は天を仰ぎ、能見数馬に手を合わせた。
「数馬さんのお蔭で、俺は何事にも自信をもってあたれます」
三太に会ったのも偶然などではなく、数馬さんが会わせてくれたのだろうと思った。
しかも、その子の名が「三太」とは、偶然にしては出来過ぎている。
「数馬さん、ありがとう」と、手を合わせて呟き、「しまった、誰かに見られたかな」と、辺りを見渡すと、二・三人の旅人が「何 この変態」みたいな顔をして三太郎を見つめていた。
暫くぶりで伊東松庵診療所に戻ってきた。
「ただいま、三太郎戻りました」
門を潜り、声をかけると、お樹が出て来て「お帰り」と言うやいなや、キョロキョロと辺りを見渡した。
「三太はどこなの」
「私の心配より、三太の心配ですか」
「あなた、疲れて道に座り込んだ三太を、放っといて帰ってきたのではないでしょうね」
「しませんよ、そんな可哀そうなこと、三太は父に預けてきました」
「泣いている子を、無理矢理に置いてきたのですか」
「三太が、自分で選んだのです」
「嘘でしょ、そんな筈はありません」
三太郎にしかなつかなかった三太が、自分から信濃の国に残るというだろうかとお樹は思ったのだ。
「訳があるのですよ」
「訳?」
「三太におっ母さんが出来たのです、つまり父が妻を娶り、三太を養子にしたのです」
三太は母の愛に飢えていたのだろう。 母と聞いて三太の甘え心に火が付いたのだ。
「そう、寂しいわね」
お樹はがっかりしたようだった。 だが直ぐに気を取り戻して、
「三太郎さんの帰りを、みんな待っていたのよ」
お樹と中岡慎衛門の祝言が、三太郎が戻るのを待って執り行われる予定だったのだ。
「あなた、三太郎さんが帰ってきたわよ」
なんだ、もう既に女房気取りじゃないかと、呆れる三太郎であった。
「三太郎、お帰り」 中岡慎衛門が顔を見せた。
「おじさんには、伝えなければならないことがあるのだ」
「悪いことかい」
「多分、良いことばかりだと思うよ」
まず、嫁ぎ先から戻されていた中岡慎衛門の妹小夜さんと父の慶次郎が夫婦になり、三太を二人の養子にしたことを話した。
「そうか、小夜は戻されていたのか、済まないことをした」
「おじさんの所為じゃないよ、全ては家老の矢倉宗右衛門が元凶で、謀反を企み、殿に知れて切腹させられたのです」
まだ膿は出切っていないが、慶次郎が必ず綺麗に片を付けると頑張っていること、ここに中岡慎衛門が戻ってきてくれたら、どんなに心強いか知れぬと、悔やんでいたこと、殿は中岡慎衛門の濡れ衣を信じたので、「きっと戻ってきてくれ」と、懇願していたことなどを話した。
「おじさん、お樹さんと一緒に、いつの日かきっと信州の上田藩に戻ってくださいね」
三太郎は、最後に自分の希望を入れるのを忘れなかった。
「おや、三太郎さん、戻っていたのかい、一休みしたら裏庭を見ておくれ」 松庵先生の妻結衣だった。
「三太、三太はどこ お前の喜ぶ顔が見たいので、毎日お萩を作って待っていたのよ、お蔭で、こんなに太っちゃった」
結衣もまた、三太待ちであった。 三太が信州に残ったことを話すと、結衣もがっかりした。
裏庭には、棟上げが終わった柱ばかりの建物が建っていた。 薬草畑はなるべく壊さないと言っていた割には、随分荒らされていた。
「中岡慎衛門さんとお樹さんの新居が完成したら、今ある倉庫を潰して薬草畑にするからね」
結衣は慰めにもならない言い訳をした。
翌夕、中岡慎衛門とお樹の祝言がとりおこなわれた。 と、言っても、中岡慎衛門の親族もお樹の親族もいない上に、亮啓と悠寛を招待したが、祝言に坊主は縁起が悪かろうと辞退された。 ただ、伊東良庵診療所で病気を治して貰ったもと患者がたくさん来てくれた。
三太郎は、中岡慎衛門の幸せそうな顔を見ていると、たとえ藩士の身分が復活しようとも、禄を戻されようとも、「この人は信州へ戻る気はないな」と思う三太郎であった。
お小夜と父が祝言を挙げたことを中岡慎衛門が喜んでいたこと、慎衛門とお樹の祝言の様子、慎衛門の信州へ戻る意志の無いことなどを書簡にしたためて、父のがっかりした顔を瞼の裏に浮かばせながら、三太郎は父の元へ送った。 もちろん、三太に送る診療所のみんなの言葉を添えて。
今夜から、慎衛門はお樹の部屋で眠るので、倉庫の二階に寝るのは三太郎だけだった。 真夜中に、三太の足が腹の上に「どん」と乗って来ないのが寂しかった。 最近は夢を見て泣きじゃくることはなくなっていたが、何かに怯えて、抱きついてくることはあった。 今頃、小夜さんに抱きついているのかなと、少しばかり妬ましく思う三太郎ではあった。
良庵先生の助手は、慎衛門が立派に果たしていた。 三太郎は、もとの賄い役にもどされて、献立から食材の買い出し、板前の役まで任された。 三太郎は、「これで良いのだ」と満足していた。 年が明けると、長崎へ旅立つ自分である。
武蔵の国関本藩主の関本義範に、長崎奉行への紹介状の依頼を書簡にしたためて送った。 たった数日後、義範からの返信が届き、奉行には既に言ってあるから、安心して長崎へ発ちなさいと書いてあった。 思えば、関本義範は確か能見数馬と同い年といっていたから、もう二十九歳である。 大名に対して畏れ多いことかも知れないが、三太郎にとって義範もまた父のような存在である。 これもまた、能見数馬の引き合わせであったことを思うと、己の幸運はすべて数馬が来たらしたものであると認識しない訳にはいられなかった。
大金を持ち歩いては危険なので、月ごとに必要な金子を為替にしてお樹が送ってくれることになった。 お樹は、「おやすいご用よ」と、快く引き受けてくれた。
「おや 早くも初雪よ」
お樹が庭で叫んでいた。
年が明けて、三太郎は十五歳になった。 これで世間も認める大人である。 雪がちらつく早朝、三太郎は皆に送られて長崎に向かってって旅立った。 三太が一緒だったら、金もあることだし船を乗り継いで門司まで行くつもりでいたが、歩いて一人旅を決め込んだ。 物見遊山の旅であれば、方々に寄ってみたかったが、それは戻りの楽しみにとって置いて、今はただ西へ西へと歩いて行った。
東海道を歩ききり、西国街道に入った頃、「お兄さん、一人旅ですか」と、声を掛けてきた女が居た。 すごい美人で、貧乏くさい少年に声をかけるような女ではない。 三太郎は、昔叔母からおそわったことがある、これが「美人局」だなと、直ぐにピンときた。
「へえ、そうですねん、そやけど郡山で人と待ち合わせをしていますねん」
スリの仲間に上方からきた男が居て、面白いのでよく浪花言葉の真似をしていたのを思い出して、精一杯浪花言葉を使ってみた。 女は、大声で笑った。
「あんさん、江戸のお方でおますのやろ、あかん、あかん、そんなのじゃ」
「あきまへんか」
「山崎のあたりは、すごく恐い兄ちゃんがたくさん居ますよって、どうぞお気を付けやす」
女は、こいつはカモにはならないと睨んだらしい。 あっさり手を引いてくれた。 別れて直ぐに振り返ってみると、女はまだ笑っていた。
「佐貫三太郎」 第十四回 三太郎西へ(終) -続く- (原稿用紙11枚)
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「第二十八回 三太改名か?」へ
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