雑文の旅

猫爺の長編小説、短編小説、掌編小説、随筆、日記の投稿用ブログ

月夜に釜を抜く

2013-07-23 | 日記

 ・・・・・・・・・犬も歩けば棒に当たる・・・・・・・・・

 最近は「江戸いろはかるた」は見かけなくなった。 とは、私の感想であって、案外100円ショップなどで売られているかも知れない。 「い ・ 犬も歩けば棒に当たる」 絵を見ると犬が棒に当たっている。 どういうシチュエーションなのか理解に苦しむのだが、最近では「犬も歩けば棒が当たる」ところを目撃したことがある。 悪ガキが犬に棒を投げつけているのだ。 どうやら犬に吠えられたか噛まれたかして、恨みを持っているらしい。

 ・・・・・・・・・月夜に釜を抜く・・・・・・・・・

 いくら江戸時代だからと言っても、屋外に釜戸がある訳ではないし、仮に屋外に釜戸があろうとも、夜は大切な釜は屋内に仕舞っておくはずだ。 月夜の明るい夜に、油断して釜を盗まれたとするシチュエーションは怪しい。 絵を見ると、月が出ていて釜戸があってお釜が抜かれている。 品のない私の解釈はこうである。

 月が煌々とてる真夜中、その月明かりを当てにして夜遊びが過ぎ、独り夜道を帰る商家の若旦那風の男に屈強な体つきの男が近寄る。
   「兄ちゃん、こんな遅くに独りで歩いていると襲われるぜ」
   「大丈夫です、銭は使い果たして、すっからかんですから」
   「盗まれるのは、銭だけとは限らない」
   「命ですか?」
   「いいや、違う」
   「身包みですか?」
   「いいや、違う」
   「もう、何も有りませんが」
   「これだよ」
 屈強な男はいきなり若旦那を押し倒し、釜を抜いた(掘ったともいう)。

 ・・・・・・・・・破(わ)れ鍋に、綴じ蓋・・・・・・・・・

 破れた鍋と、修理をした蓋が、似たものということで、似たものどうしが夫婦になるとうまく行く例え。 考えてみれば、割れた鍋にどんな蓋を合わせようとも、使い物にはならない。 品のない私の解釈はこうである。

 破れ鍋とは、恋に破れたお鍋さん、心は男なのに体は女、性同一性障害者である。 言い換えれば、性と心が一致しない障害だ。 このお鍋さん、思い悩んだ末、世間体を考えて女性姿に戻り、男性と夫婦になる。 不愉快な夜の作業は、天井の節目を数えて終わるのを待つ。 そのうち子供が出来たら、子育てに専念しようと思ったのだ。

 綴じ蓋とは、少なくとも見かけだけは破れ鍋の蓋になってくれる男のこと。 この夫もまた恋に破れて、時が心を修復したばかりであった。 

 違うかな?


最新の画像もっと見る