ないない島通信

「ポケットに愛と映画を!」改め。

こんまりメソッドでお片付け。(7)そもそもなぜ片付けようと思ったかといえば・・

2020-11-11 11:13:18 | 片付け

今回は、そもそもなぜ私が片づけをしようと思ったのか、もう一度振り返ってみたいと思います。

なぜかというと、「人生がときめく片づけの魔法」でこんまりさんが言っている一番最初にすべきこと、

「理想の暮らし」

をまだきちんと思い描いていなかったような気がするからです。

私はやはり「人生がときめく片づけの魔法」を一種のお片づけハウツー本としてしか捉えていなかったのですね。

そのせいか、けっこう片づけたつもりでも、見まわしてみれば、以前と大して変わらない風景が広がっています。
(大きな家具を捨てていないからともいえますが)

もちろん、モノの数は減ったし、押し入れの中はかなりガラガラになってきました。

それでも、パッと見あまり変化がないのは「理想の暮らし」がきちんとイメージできていないからでしょう。

ならば、私の「理想の暮らし」とは何なのか、そもそもなぜ片づけようと思ったのか、もう一度考え直してみたいと思います。

まずは、なぜ片づけようと思ったのか・・

① 歳も歳だし(71歳です)持病もあるし、コロナも再流行の兆しがあるしで、いつ何が起きるかわからない。なので、私がいなくなったとき、子どもたちが迷わずにすむように準備をしておく。これが最大の理由かな。

② 我家は昔から散らかっていた。たまに掃除すると、訪ねてきた友人が「あれ、今日は何かあった?」と聞いてくるほど。掃除が苦手なのは天性のもので(DNAなので)仕方ないと思っていた。でも、それって本当なのか試してみたい、というのもあった。

(ちなみに、こんまりさんは「散らかすという行為は、問題の本質から目をそらすための人間の防衛本能です」といっています。「人生がときめく片づけの魔法」P35)

③ こんまりメソッドは前から知っていたけど、Netflixの動画などを見てすごく面白かったので、よっしゃやってみようと一念発起した。

④ こんまりさんに限らず、断捨離、ミニマリストたちが皆異口同音に、片づけるといいことがたくさんあると言っている。お金がたまるとか、気づきを得られるとか。もしかするとお金たまるかも、何かに気づくかも・・と思って。

でも、一体何に気づくんだろ? と最初は思っていたのですが、片づけが進行するにつれて、本当にいろいろ気づいてきたから、これは驚きでした。

では、私の「理想の暮らし」とは何なのか?

① 少なくとも両親のようにはなりたくない(また出た)。あの二人は私の理想から一番遠い(消去法ね)。

② モノを探しまわらなくてもいい生活。モノが常に所定の位置にある生活。

③ 日々ストレスのない暮らしができること。

④ お気に入りのモノだけに囲まれた生活・・

ああ、想像力が決定的に足りない気がする。

理想の生活を思い描くためには、やはり今の暮らしを総ざらいしてみる必要があるようです。

クローゼットの中身を総ざらいするように、私自身の現在および将来の可能性をすべて洗い出し目の前に広げて、一つひとつ検討する。

私にあとどれだけ残り時間があるのか、その中で何をしたいのか、何を優先すべきなのか、その結果として何が得られるのか・・

それらを検討した上で、そのためには、どういう暮らし方をすればいいのかを考える。それがたぶん、私の理想の暮らしかな。

それは、賞味期限切れの食品をどうやって捨てるか、これは燃えるゴミか燃えないゴミか、ということよりたぶんずっと大事なことです。

忙しいのでなかなか時間がとれず中断することが多いのですが、モノを捨てる決断が前より早くなったのは確かです。

まだまだ、気づくことがたくさんあるだろうという予感もあります。

片づけは加速しています。

何とか年内には終わらせたい、と思ってはいますが、
でっきるかな、でっきるかな、はてはてフフーム・・

(トゥ・ビー・コンティニャー)

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こんまりメソッドでお片付け。(6)賞味期限切れの食品を捨てる

2020-11-08 19:55:29 | 片付け

書類の片づけが遅々として進まないので、とりあえず簡単な小物類に移ることにしました。

こんまりメソッドの順番(服→本→書類→小物類→思い出品)通りではないのですが、やりやすいところから手をつけたっていいんじゃない、と思ってね。

というのも、我家には食品のストックがけっこうある、ということに気づいてしまったからです。これは早く何とかせにゃ。

押し入れのプラスティックの引き出し式衣装ケース(長いケース)に食品をストックしているので、いくらでも収納できちゃうのです。

ここに入っている食品ストックを全部出してみました。インスタント食品やカレールウ、レトルトカレー、インスタントラーメン、缶詰類、調味料など。
何と賞味期限2015年のレトルトカレーなんてのもあって、さすがにこれはまずい。それほど古くなくても、2019年のものがけっこう多い。
結局半分以上が賞味期限切れ、という衝撃の事実が判明した。

オーマイゴッド!

もちろん捨てることにしたのですが、食品は捨てるのが大変なのですよ。

レトルトカレーなどは全部中身を出してから外箱は紙類、中袋はプラ類に分別するとか、缶詰などは全部開けて中身を捨ててからビン缶の収集日に捨てるとかね。

捨てるのが大変なのは父の家を片付けたとき、嫌というほど経験したのに、あれから10年あまりが経過して、私自身が父の年齢に近づき、すっかり物忘れがひどくなったようです。

つくづくモノはためないほうがいい。

父の家の片づけといったらもう、思い出したくもないのですが・・

食器棚や流しの下などにあった大量の缶詰類を捨てたときの徒労感といったら・・

シジフォスの神話のように、毎日毎日缶切りを手に缶詰を開けては中身を捨て開けては捨て、という果てしない作業を繰り返していたのですが、いっこうに缶詰は減らない。あとからあとから出てくる出てくる。何日かが過ぎたとき、もうやってらんない!と思って業者に頼みました。

すると、業者は一切合切段ボール箱に詰めこんでトラックに乗せ、あっという間に走り去っていったのでした。あれらの夥しい数の賞味期限切れの缶詰及び食品群、洗面所にあった大量のシャンプーや化粧品類を業者は一体どこに捨てたのだろうかと気にはなったけど、怖くて聞けなかった。

父はとにかく物を捨てない人でした。

ある時、我家に父から段ボール箱が3箱送られてきたことがありました。

中身は全部食品。レトルト食品やインスタント食品、缶詰類。夥しい量の食品です。しかも、そのうち賞味期限内のものは三分の一もなく、大半は捨てるしかないモノばかりでした。

捨てるのがどんだけ大変だったことか!

「お母さん、ゴミをうちに送ってくるのはやめてほしいって、おじいちゃんに言ったほうがいいよ」と娘にいわれました。

けれども父曰く「賞味期限なんてものは食品会社の売らんがための陰謀だ」
と反省の色は全くない。それなら自分で喰え、と思ったけどね。

両親にまつわるエピソードは山ほどあるのですが、思い出すとしんどいのでこの辺でやめようと思います(また出てきたらごめんね)。

両親ばかりでなく、親戚からも古着を山ほど送られたことがあります。

我家が貧乏だから施してやろうと思ったようですが、大半は着られない古いTシャツとかで非常に迷惑しました。

賞味期限切れ食品に限らず、自分が使わないものを人にあげるのはやめましょう。
自分の罪悪感を人に押し付けるのはやめましょう。
相手は必ず迷惑します。

でも、いいモノはありがたくいただくことにしていました。

時々友人から送られてくる古着を我家では楽しみにしていたものです。その友人はけっこうリッチなので上等の服をたくさんくれたからです。

人にあげるときは、いいモノをあげるようにしましょう。さもないと自分の価値を貶めることになります。

食べきれない食品、着ない服、読まない本などは、相手のことをよく考えて寄付するようにしましょう。

当たり前のことですが、この当たり前が通じない人が世の中にはけっこういる、ということも覚えておいたほうがいいかもしれません。

両親がいなくなって初めて、自分を大切にするとはどういうことかを学び始めた気がします。自分を大切にしていなかったことに長い間(ほぼ60年間)気づかずに暮らしてきたのです。

団塊の世代にはこういう人けっこう多いんじゃないかと思います(そうじゃないあなたはとても幸運です)。

死ぬ前に気づいてよかった。

片づけは確かにいろんな気づきをもたらしますね。

明日は何に気づくだろうか。楽しみです。

あ、その前に食品ストックを終わらせなくちゃ。
一週間ほどストックだけで暮らしてみようかしら。

また報告しますね。

 

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こんまりメソッドでお片付け。(5)

2020-11-06 11:09:39 | 片付け

本屋で片付け本を見ていたら、こんな一行が目に留まりました。

「過去にこだわる人は片付けができない」

ドキッとして、たしかになあ・・と思いました。

こんまりさんも「片づけ」とは過去に片をつけることだ、と言っています。

「(片づけをして過去に片をつけた結果)人生で何が必要で何がいらないか、何をやるべきで何をやめるべきかがはっきりとわかるようになるのです」
(「人生がときめく片づけの魔法」)

そして、
「片づけをすることによって、過去の傷を癒すことができたり、これからの自分の人生、未来について前向きに考えるようになります」
(Netflix「KonMari~人生がときめく片づけの魔法(1-4)」)

過去の傷を癒し、未来について前向きに考えるためには、やはり一度過去を見つめ直す必要があるようです。

そのためにも、こんまり流の「一気に、短期に、完璧に」片づけるメソッドはたしかに有効だと思います。

一度どっぷりと過去に浸り、短期にそこから抜け出し、二度とそこへ戻らない。

ただ、残念ながら、これを実践するには、ある程度まとまった時間とスペースが必要です。

我家の場合、洋服ではそれができたのでクローゼットや箪笥はかなりガラガラになりました。

でも、本は大量にあり重たいので一か所に集められず、本棚ごとの整理しかできていません。いずれまた徹底的にやるつもりでいますが。

あと、今は書類の整理に難航しています。

何しろ紙類がやたら多い。

家電の取説書に保証書、確定申告の書類、医療系の書類、日本語のプリント類、それに、過去の作品原稿やらボツ原稿、エッセイの会の原稿(メンバー全員分)、「天気輪」の頃の原稿、「ないない島」に載せきれなかった詩の原稿やら草稿、子どもたちの絵やノート類、私自身の昔のノート類・・

それらが大量に残っています。

過去に片をつけるためには、どうしたってこれらに片をつける必要がありそうです。

今年の初めに電子書籍としてアマゾンからキンドル本を数冊出しましたが(2020年5月16日、22日 、26日の記事参照)、電子書籍化したい原稿はまだたくさんあります(手間がかかるので中断してそれきりになっている)。

でも、考えてみれば、これらはやっぱり過去の遺物。後世に残せるほど価値があるかといえば、残念ながら答えはNO。売れない、というのはそういうことなのでしょう。

ならばいっそのこと、過去に片をつけて、一気に短期に完璧に終わらせるべきなのではないでしょうか。

それができないというのは、やはり自分への執着があるから。

過去の原稿は前に進むための布石にはならないとわかっているのに、捨てられない。認められなかったボツ原稿にこだわっている。

よく頑張ったね、と自分をねぎらい、過去に片をつける必要があるのに、まだ逡巡している自分がいて厄介です。

というのも、この先まだ作品が書けるだろうかと、心もとない、おぼつかない、不確かな気分でいるからです。

結局のところ、この歳になってもまだ、自分とは何者なのか、わからないでいる。

だから、過去の遺物を引っ張り出しては、ああでもない、こうでもないとためつすがめつ眺めているのです。

なんか、みっともないよね。

自分で作ったものは大なり小なり「ときめく」ものなので容易には捨てられない。でも、それを後生大事に取っておいてどうする、大量の紙屑を残された家族の身にもなってみい、とも思う。

自分を知る、というのはヨガの教えでもあります。

この夏以来、毎朝瞑想を続けていて、徐々に瞑想の心地よさを感じ始めています。10分くらいかなと思うと30分が経過していたりする。瞑想は楽しい日課です。

でも、もしかすると、片づけにしろ、瞑想にしろ、自分流でやっているのがいけないのかもしれない。これまでもずっと何でも一人でやってきたので、それが習慣になっていますが、それではいけないのかもしれない。

こんまりさんのような、ヨガのグルのような人が必要なのかもしれない・・

でも、どうやって見つければいいのか全然わからないでいます。

一度評判のいいヨガ教室を当たってみましたが、残念なことにコロナで休室中でした。

必要な時に必要なことが起きる、というのがシンクロニシティの基本で、それが起き始めたらしめたもの。

もうちょっと待ってみようかしら、でも、待っているだけではダメかも・・

逡巡している日々です。

 

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クイーンズ・ギャンビット

2020-11-04 10:30:55 | 映画

お片付けの途中ではありますが、めっちゃ面白いドラマを見つけたので紹介します。

Netflixで配信中の「クイーンズ・ギャンビット」(Netflixオリジナル)

これ、チェスの話です。しかも女性のチェスプレイヤーの話。

ウォルター・テヴィスの小説を基にしたドラマ。ウォルター・テヴィスは映画「ハスラー」や「地球に落ちてきた男」の原作者でもあります。

舞台は1950年代から60年代にかけて。主人公のベスは日本の団塊の世代とほぼ同世代かと思います。まだ米ソ冷戦の時代。

ベス・ハーモンは8歳で孤児になり、孤児院に引き取られます。そこで用務員のシャイベルさんからチェスを教えてもらい、天才的な才能を発揮して、世界的チェスプレイヤーになっていくというお話。

全7話のミニシリーズですが、途中でダレることなく最後まで突っ走ります。

もうね、のっけからズズズンと引き込まれて目が離せなくなります。映像も音楽も素晴らしい。何より、主人公のベスを演じるアニャ・テイラー=ジョイが素晴らしい。

彼女はほとんど笑わない。端正な顔立ちで、無口で無表情なチェスプレイヤーを好演しています。

60年代といえば、アメリカでもまだ女性の社会進出は少なく、女性のチェスプレイヤーは珍獣のように扱われていた時代です。

男性ばかりのチェスの世界でぐんぐんのし上がっていく彼女の姿は、女性にとっては痛快そのものですが、同時にそれは彼女が失ったものの大きさを反映してもいます。

彼女の生い立ちは悲惨で養子として引き取られた先でも不運は続きます。

でも、どんな境遇にあっても、ベスはチェスのことしか考えない。よくある天才肌です。

「64のマス目が世界のすべて。その中にいれば安全なの。自分の手で制御できる。先も読める。傷ついても自分の責任」とベスは新聞記者に言いますが、記者は「創造と心の闇は表裏一体、天才と狂気は紙一重」と、彼女を厳しく批評します。

ベスにチェスを教えた用務員のシャイベルさんは言います。
「才能の裏には代償がある。支払うものは何か、いい時がいつまで続くか?
 胸に抱える怒りにも・・気をつけろ」

ベスには女性チェスプレイヤーであることの孤独と重圧がのしかかり、次第にアルコールに溺れ、自堕落な生活に陥りますが、再起を果たしてグランドマスターを目指します。

最終決戦の相手はロシアのボルコフ。最後の決戦シーンは鳥肌ものです。

彼女がぐんぐんのし上がっていくにつれて、彼女が打ち負かした男性たちも次第に彼女を応援し始めます。

力を尽くして挑戦すれば、運命はかならず開けてくる、というストーリーでもあり、特に今の世の中で存分に力を発揮できないでいる女性にこそ見てほしいドラマです。

チェスをテーマとした映画は他にも「ボビー・フィッシャーを探して」などいくつかありますが、これは出色の出来で後世に残るドラマになること間違いない。

私にとっても、今年のベスト1になりそうです。

小川洋子の小説「猫を抱いて象と泳ぐ」も私の大好きな作品で、チェスの棋譜の描写が実に細かく美しく描かれています。

興味のある人はこちらもぜひ。

チェスってどうやってプレイするのかも知らない私ですが、これを見て、チェスやってみたい、と思い始めています。

 

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こんまりメソッドでお片付け。(4)

2020-11-01 10:08:00 | 片付け

こんまりメソッドの最大の利点は「気づき」をもたらしてくれることではないでしょうか。

もちろん他のメソッド、「断捨離」や「ミニマリスト」にも気づきはありますが、こんまりメソッドは優しい。

やっぱり優しさって大事よね。

家の中はまだ片付いたとは言えない状態ですが、徐々にモノのない空間が増えてきて日々気持ちよさを実感しています。お気に入りのものだけに囲まれた空間(まだ少しだけど)は大変心地よい。

今回は少し戻って、本を売ったことについて書きたいと思います。(こんまりメソッドでお片付け2 参照)

(この先は私自身の過去の話になるので、苦労話が好きでない人は飛ばしてください。)

そもそも、3・11の直後に大量の本を売ったのは、海外に行きたかったからでした。

子どもの頃から海外にあこがれていて、でも海外に行くお金も時間もチャンスもなかった。

20代の頃、海外に行くつもりで必死でためた100万円は夫の借金返済で消え、

30代で離婚した直後、両親からは500万円(家を買ったときの頭金を父に借りていた)の返済を迫られ、家を売って返済したのですが、

両親はその500万円で海外旅行に行きまくっていた、という事実を彼らが死んでから知り、私は髪の毛が逆立つほど逆上した(マンガで髪が逆立つシーンがあるでしょ、あれみたいに)。

それまでも、幼い子どもを二人抱えてシングルマザーとして再出発した私に、母は何度もひどい仕打ちをしてきたのですが(わざわざ100円の値札のついた古着を子どもたちに送りつけてくるとか、落ちぶれた者らしく質素に生きよと説教するとか。どうやら母は、私の離婚によって彼女の体面がひどく傷つけられたと思い込んでいたようです)。

その上、私が家を売って返済した500万円で二人は海外旅行に行きまくり、しかも父は死ぬまでそれを私に隠していた!

マンガのように髪の毛を逆立てつつ(考えてみればマンガみたいな話ですが)、私はようやく彼らの正体に気づいたわけですが、それでも、親は親。どれほど酷い仕打ちを受けようと、子どもというのは基本的に親が好きだし、親はいいものだ、と思いたいのですね。

だから、親のことは考えないよう封印したのでした。

私の努力を悉く踏みにじってきた家族への激しい怒りを封印し、これからは自分らしく自由に生きていくのだと決意したのですが・・

これほどの怒りはそう簡単に封印できるものではない。

本を手放すという衝動的な行為は(すべての衝動的な行為はといってもいい)、いってみれば、この激しい怒りのはけ口であり、一種の自傷行為でもあったのだと今回気づいたのです。

手放すべきは本ではなく、私の潜在意識の中にあった家族への怒り、恨みつらみだったのだと。

私が執着していたのは、私自身の怒りだったのだと。

こんまりメソッドでは、執着を手放せ、とはいいません。ときめくものを身近に置こう、といいます。

「ときめき」というのは、バシャールの「ワクワク」と同じですね。

ネガティブなものを排除するのではなく、ポジティブなものを選択する。その結果、自然とネガティブなものは去っていく。

北風と太陽の寓話のように。

「手放せ」といわれると執着はひどくなる。「ときめき」を大事にしようといわれると、そうか好きなものを選択すればいいんだ、好きじゃないものは手放していいんだ、と思えます。

私の親の世代は戦争を経験しているので「我慢」を子どもに強いる傾向がありました。母はよくこう言っていました。

「好きなことばかりしてちゃダメなのよ。嫌いなこともしないと」

それは結局のところ「好きなこと禁止令」に近いものでした。好きなことばかりしていると人間ダメになる、と母は本気で信じていたようです。

忍耐や我慢が尊いと思われていた時代。もったいない精神が旺盛だった世代。

その世代が急に豊かになると、飢餓感をモノで埋めようとし始めます。

父の死後、父の家の片づけがどれだけ大変だったことか。どれだけ夥しい不要なモノに囲まれて父は暮らしていたことか。

それなのに、雨が降ると、父は数十本ある傘の中から一番古くて重たくて使い勝手の悪い傘を私にくれるのでした。

それはある種の戦争後遺症だったのかもしれない、と今では思っています。私の両親は戦争により価値観も人生観も歪められていたのですが、死ぬまでそのことに気づくことはありませんでした。

すでにこの世を去った両親ですが、今も日々気づきを私にもたらしてくれます。若干の遺産も残してくれました。なので両親には感謝しています。

あの苦しい時代がなかったら、私は何も気づかずにこの人生を終えていただろうと思うからです。

人生の終わりも見えてきた今、人生全体を俯瞰して見られるようになってきている気がします。

何事も無駄ではなかった、ネガティブなこともポジティブなことも、プラマイゼロで収支が合うようになっているようです。

こういうこと全部、面白いね、と思えるようになってきた今日この頃。やっぱり生きてみるもんですね。

まだまだ新しい発見がありそうでワクワクしています。

 

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