ないない島通信

「ポケットに愛と映画を!」改め。

こんまりメソッドでお片付け。(4)

2020-11-01 10:08:00 | 片付け

こんまりメソッドの最大の利点は「気づき」をもたらしてくれることではないでしょうか。

もちろん他のメソッド、「断捨離」や「ミニマリスト」にも気づきはありますが、こんまりメソッドは優しい。

やっぱり優しさって大事よね。

家の中はまだ片付いたとは言えない状態ですが、徐々にモノのない空間が増えてきて日々気持ちよさを実感しています。お気に入りのものだけに囲まれた空間(まだ少しだけど)は大変心地よい。

今回は少し戻って、本を売ったことについて書きたいと思います。(こんまりメソッドでお片付け2 参照)

(この先は私自身の過去の話になるので、苦労話が好きでない人は飛ばしてください。)

そもそも、3・11の直後に大量の本を売ったのは、海外に行きたかったからでした。

子どもの頃から海外にあこがれていて、でも海外に行くお金も時間もチャンスもなかった。

20代の頃、海外に行くつもりで必死でためた100万円は夫の借金返済で消え、

30代で離婚した直後、両親からは500万円(家を買ったときの頭金を父に借りていた)の返済を迫られ、家を売って返済したのですが、

両親はその500万円で海外旅行に行きまくっていた、という事実を彼らが死んでから知り、私は髪の毛が逆立つほど逆上した(マンガで髪が逆立つシーンがあるでしょ、あれみたいに)。

それまでも、幼い子どもを二人抱えてシングルマザーとして再出発した私に、母は何度もひどい仕打ちをしてきたのですが(わざわざ100円の値札のついた古着を子どもたちに送りつけてくるとか、落ちぶれた者らしく質素に生きよと説教するとか。どうやら母は、私の離婚によって彼女の体面がひどく傷つけられたと思い込んでいたようです)。

その上、私が家を売って返済した500万円で二人は海外旅行に行きまくり、しかも父は死ぬまでそれを私に隠していた!

マンガのように髪の毛を逆立てつつ(考えてみればマンガみたいな話ですが)、私はようやく彼らの正体に気づいたわけですが、それでも、親は親。どれほど酷い仕打ちを受けようと、子どもというのは基本的に親が好きだし、親はいいものだ、と思いたいのですね。

だから、親のことは考えないよう封印したのでした。

私の努力を悉く踏みにじってきた家族への激しい怒りを封印し、これからは自分らしく自由に生きていくのだと決意したのですが・・

これほどの怒りはそう簡単に封印できるものではない。

本を手放すという衝動的な行為は(すべての衝動的な行為はといってもいい)、いってみれば、この激しい怒りのはけ口であり、一種の自傷行為でもあったのだと今回気づいたのです。

手放すべきは本ではなく、私の潜在意識の中にあった家族への怒り、恨みつらみだったのだと。

私が執着していたのは、私自身の怒りだったのだと。

こんまりメソッドでは、執着を手放せ、とはいいません。ときめくものを身近に置こう、といいます。

「ときめき」というのは、バシャールの「ワクワク」と同じですね。

ネガティブなものを排除するのではなく、ポジティブなものを選択する。その結果、自然とネガティブなものは去っていく。

北風と太陽の寓話のように。

「手放せ」といわれると執着はひどくなる。「ときめき」を大事にしようといわれると、そうか好きなものを選択すればいいんだ、好きじゃないものは手放していいんだ、と思えます。

私の親の世代は戦争を経験しているので「我慢」を子どもに強いる傾向がありました。母はよくこう言っていました。

「好きなことばかりしてちゃダメなのよ。嫌いなこともしないと」

それは結局のところ「好きなこと禁止令」に近いものでした。好きなことばかりしていると人間ダメになる、と母は本気で信じていたようです。

忍耐や我慢が尊いと思われていた時代。もったいない精神が旺盛だった世代。

その世代が急に豊かになると、飢餓感をモノで埋めようとし始めます。

父の死後、父の家の片づけがどれだけ大変だったことか。どれだけ夥しい不要なモノに囲まれて父は暮らしていたことか。

それなのに、雨が降ると、父は数十本ある傘の中から一番古くて重たくて使い勝手の悪い傘を私にくれるのでした。

それはある種の戦争後遺症だったのかもしれない、と今では思っています。私の両親は戦争により価値観も人生観も歪められていたのですが、死ぬまでそのことに気づくことはありませんでした。

すでにこの世を去った両親ですが、今も日々気づきを私にもたらしてくれます。若干の遺産も残してくれました。なので両親には感謝しています。

あの苦しい時代がなかったら、私は何も気づかずにこの人生を終えていただろうと思うからです。

人生の終わりも見えてきた今、人生全体を俯瞰して見られるようになってきている気がします。

何事も無駄ではなかった、ネガティブなこともポジティブなことも、プラマイゼロで収支が合うようになっているようです。

こういうこと全部、面白いね、と思えるようになってきた今日この頃。やっぱり生きてみるもんですね。

まだまだ新しい発見がありそうでワクワクしています。

 

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