ないない島通信

「ポケットに愛と映画を!」改め。

台風19号 続き

2019-10-15 13:11:33 | 自然

台風19号の被害はさらに広がって、現在死者66人、47河川66か所で決壊、という大災害になっているようです。

先日は台風に呼びかけよう、なんて軽く言ってしまい、被災された方々には申し訳ありませんでした。

それにしても、日本は本当に災害の多い国だなあと改めて思いました。
かくいう私も、子どもの頃、伊勢湾台風に遭遇し、近所を流れていた川が氾濫して、自宅が床上浸水しました。

家族は山の中腹にあるお寺に避難して無事でしたが、自宅に戻ってみると、家の前に広がっていた田んぼが、石と岩だらけの広い川原に変貌していてびっくりしました。後片付けに追われていた大人たちの様子も記憶しています。
登校する道すがら、川の土手が大きくえぐれて、そこにあったはずの家々が跡形もなく消えているのも見ました。つくづく自然というのは恐ろしいものだと子どもながらに思ったものです。

数十年に一度、という災害が最近は毎年起きるようになっていますね。

「稀に見る」「数十年(又は数百年)に一度の」「想像を絶する」というような修飾語は、もはや自然災害には適用できないのではないかと思います。なぜなら、災害というのは、被災者にとっては常に「稀にみる」もので「想像を絶する」ものだからです。

逆にいえば、これまでの平穏無事な日常こそが「稀に見る」ものだったのかもしれません。

だとしたら、少なくともその恩恵を受けてきた私たちは、ものすごく幸運だったと感謝しなくちゃいけないのではないか、そんな風にも思えてきます。

大病をして初めて命の尊さを知った、あるいは大きな事故に巻き込まれて初めて、ありふれた日常の大切さを知った、などとよく言われますが、災害というのも同じく、巻き込まれて初めて平穏無事な日常がいかに大切なものだったかに気付くのかもしれません。

もちろん、そうなる前にハザードマップを見たり準備をしたりして、災害に備える、あるいは災害に遭わないようにする、ということも大事ですが、同時に、なぜ今なのか、なぜここなのか、なぜ私なのか・・というようなことも少し考えてみるといいかもしれませんね。

もちろん、答えなんてないけど、人それぞれに思うところがあるかもしれない、何かに気付けるかもしれません。

私は子どもの頃、伊勢湾台風に遭遇して、自然というのは本当に大きくてパワーがあり、時に凶暴にもなるけれど、普段はとても静かで美しいものだ、ということを肌で実感しました。

翌年の春、家の前に出現した広い石ころだらけの川原は、見渡す限りのチューリップ畑に変貌したのでした。

川を氾濫させ、多くの人の命を奪い、景観を一夜で変貌させる一方で、春にはまた木々が芽吹き、花が咲き、美しい自然が甦るのですから、それは本当に驚異に値するものです。

それを、時に激烈な方法で私たちに見せてくれるのも、また自然なのかもしれません。

そして、私たち人間がその自然の一部である、というのは、けっこうすごいことなのではないか、と思います。あるいは、私たちの内部にも、もしかするとまだ知られていない未知の驚くべき自然が宿っているのかもしれない・・というようなことも考えます。

被災された方々、亡くなられた方々には心よりお見舞い申し上げます。
迅速な生活再建がなされますようお祈りいたします。

(追記)そういえば、TVで氾濫した多摩川の映像を見ながら、河川敷に住んでいたホームレスの人達は一体どこに避難したのだろうと我家では話題になっていました。皆さんご無事だといいのですが…

 

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