去年、「ミニマリストをめざそう!」
というシリーズで家の片付けについて書いてきましたが、
(おかげでかなり片付いたのですが)
ここにきて、入院だの何だのいろいろあって、
元のカオスに戻ってきました。
私はミニマリストには向かないのだなあ、とつくづく思います(気づくの遅すぎ)。
というのも、知人たちの中に数人のミニマリストがいて(自らそう宣言しているわけではないが)、
皆さん、家の中が実にすっきり片付いている。
余計なものが何もなくて、趣味はお掃除だとおっしゃる。暇さえあればお掃除をしている。
キッチンも風呂場も洗面所もどこもかしこもピッカピカ。
玄関前には小ぶりの鉢植えがあり、いつも瑞々しい緑の葉を宿し、家の中に一歩入ればかぐわしいアロマの香り漂う、そんな素敵な家々にお住まいです。
でね、その人たちと私の何が違うかといえば、
やっぱり性格なのよねー。
それと、完璧主義、かな。
もちろん、家の中がすっきり片付いているからといって、誰もが完璧主義だというわけではありません。
普通に綺麗好きなだけかもしれないし、暇を持て余しているのかもしれない。
でも、一度モノを捨て始めると、捨てる行為自体に中毒性が発生し、どんどん捨てずにはいられなくなる、とミニマリズムにハマった人たちも言っています。
少しでも余計なモノがあると、捨てずにはいられない。
ゆるりまい著「わたしのウチには、なんにもない」にも、
「物を捨てたい病になった」「捨て魔」になったとあります。
一方、私には少々ADHDの傾向があり、娘にも同じような傾向があるので(遺伝的なものと思われる)、典型的な片付け苦手のタイプです。
でも、こういう傾向のある人が一端片付けにハマると、むしろ「捨て魔」になるのかもしれない。
ダメな自分を律しようと完璧主義に陥り、中毒になる危険性があるのかもしれない。
なので、言わずもがなのことですが、
ほどほどが大事。
それに、家を片づけて幸運が舞い込んできたとか、お金持ちになったとかいう話は、私の周囲では一向に聞きません。
「一汁一菜でよいという提案」にもあったように、毎日おいしいご飯を作らなくてはいけない、と思い込むことで大きなストレスをためこむように、片付けにも同じことが言えるのではないでしょうか。
大きなストレスは積もり積もってその人の運をよくするどころか悪くするのではないか、とすら思えてきます。
終活で家の中の片付けを始めた人は、どうか極端に走らないように。
ほどほどでいいのです。
家の中の散らかりよう、というのはその人の個性であり魅力でもあるので。
残された家族に迷惑がかからないようにと、片付けを始める人も多いかと思いますが、
家族って、お互いに迷惑をかけたりかけられたりするもの。
最後の迷惑はかけてもよいのではないか、と思います。
そんなことより、残りの人生をいかに楽しく有意義に過ごすかを考えた方が絶対にいいです。
それでも、あまりにとっちらかった家の中はやっぱり迷惑かしら?
やっぱり、片付け再開しようかなあ・・
(片付けって、始めるとけっこう楽しいのですよ。これこそが中毒性なのかも)