ディズニー+で配信中の「オビ=ワン・ケノービ」がついに最終話を迎えました。
同時並行で「ボバ・フェット」も見ていて、こっちの方が圧倒的に面白いし、
後半には「マンダロリアン」も登場して目が離せなかったのですが、
「オビ=ワン・ケノービ」の方はイマイチという感じでした。
何しろ、タトゥイーンの砂漠でルークを見守るためフォースを封印している間に、
オビ=ワンの力はすっかり衰え、
オビ=ワンどうしちゃったの?と思っていたのですが、
最終話になって、ようやく、ああ、そうだったのね、
と納得でき、感動も出来たのでした。
「スター・ウォーズ」を全編見ていないとわからないかもしれませんが、
「スター・ウォーズ」というのは、そもそもスカイウォーカー一家の物語で、
ルークを中心とするEP4,5,6と、その前日譚EP1,2,3(なぜアナキンはダースベイダーになったのか)
の二部構成になっているのですが、
今回の「オビ=ワン・ケノービ」はEP3とEP4の間の約20年の間に何が起きていたか、
を伝えるストーリーです。
そして、これはもう一つの家族の物語、
オビ=ワンとアナキン、この二人の子弟関係、いえ、それ以上の家族としての愛憎劇の物語なのだ、
ということが今回よくわかりました。
EP1で、まだ若かったオビ=ワンは師匠クワイガンの突然の死に直面して、
クワイガンからアナキンの指導を託されます。
タトゥイーンで奴隷として働かされていた9歳の少年アナキンを、ジェダイとして育ててほしいと託されるわけです。
まだ若いオビ=ワンは、こんな小さな少年を僕に託されても、と思ったことでしょう。
それでも、師匠クワイガンの頼みなので、彼は必死にアナキンを守り育てるのですね。
この辺りのことが分かっていないと、
オビ=ワンがダークサイドに堕ちたアナキンを抹殺する機会が二度もあったのに、
なぜみすみす逃したのか、ということがわからないと思います。
彼にとってアナキンは、かわいい弟であり、同時にやんちゃな息子のような、かけがえのない存在だったのですね。
自分はジェダイとして(孤児として)育てられたので、親の愛情や家族の温かみを知りません。
一方のアナキンは9歳で母親から引き離され、厳しいジェダイの修行に耐えねばならず、
常に母親の愛情を求め、母のいない寂しさに苛まれていたことでしょう。
こんな少年を、若いオビ=ワンは悩みつつも必至に守り、ジェダイとして育てあげました。
そのアナキンを、ダークサイドに堕ちたからといって、むざむざと殺すことができるでしょうか。
アナキンがダークサイドに堕ちたのは、自分に非があったせいだとオビ=ワンは考えます。
アナキンからもお前のせいでこうなったと非難されます。
ジェダイというのは、魔法使いでもなければ仙人でもない、ただ一人の人間である、
というのが今回のシリーズの一番のキモなのだと思います。
ヨーダでさえ間違えるのですから、
まして若いオビ=ワンが小さな少年を託された責任は非常に重く、
間違いがあったとしても責められるものではありません。
他のジェダイたちは助けてくれなかったのか、
マスター・ヨーダは何をしていたのか、
アナキンのようなダークサイドに堕ちるジェダイを輩出してしまうジェダイとは一体何なのか・・
それを深く問いかけるストーリーになっています。
ジェダイといえども、普通の人間なのです。
この辺りのことが、今回実によく描かれています。
そして、この後の約10年、オビ=ワンは再びタトゥイーンの砂漠で人知れずルークを見守りながら、孤独な人生を送ることになるのです。
そして、EP4でオビ=ワンはアナキンと三度目の対決をするのですが、
ここで彼は、アナキンに負けることで、身を挺してルークとレイアを守ります。
あのシーンは、オビ=ワンの決意のほどをよく表しています。
自分の人生は、アナキンとアナキンの子どもたちを守るために捧げられたのだと自覚していたからです。
それに対して、アナキンが彼の愛情を悟ったのは、EP6の最終話でした。
「スター・ウォーズ」には様々な人間ドラマがあって、
「マンダロリアン」や「ボバ・フェット」のような人たち、荒くれ者たちがいる一方で、
ジェダイもまた一人の人間として、苦悩に満ちた人生を歩んできたのだ、
ということが、今回のストーリーを見るとよくわかります。
このシリーズを見て、ますますオビ=ワンのファンになりました。
(Meow The Force be with you!)