ないない島通信

「ポケットに愛と映画を!」改め。

オンラインレッスン

2016-02-19 19:53:52 | 日本語
 昨日は、初めてオンラインで日本語レッスンをしました。
 生徒の一人Aさんが里帰りしていて、その間、オンラインレッスンをやってみようということになったのです。
 以前、英語のオンラインレッスンを受けていたことがあるので、オンラインは初めてではないのですが、教えるのは初めてです。
 
 パソコン画面の向こうにAさんが現れました。
  「ハーイ、Aさん。お元気ですか?」
 Aさんは今ドイツにいるのですが、非常にクリアに見えます。
  「はい、げんきです」
 声も明瞭です。
 いつものようにホワイトボードに字を書きます。
 ちゃんと読み取れるようです。
 互いの意思疎通は問題ありません。

 でもね、何かが違うのですよ。
 
 英語のオンラインレッスンのときも思いました。
 何が違うんだろう?
 間にPC画面があるだけで、互いの顔も見られるし声も聞こえます。
 テキストブックも見られるし、ホワイトボードの字も明瞭に読めます。
 でも、違う。

 それは、例えていえば、 
 レストランで他人(友人でもいいけど)が注文した料理を目の前にするのと、
 パソコンの動画で見るのとの違い。
 (ま、当然といえば当然だけど)
 他人が注文した料理は食べることはできない。でも、
 たちのぼる湯気だとか匂いだとか、料理が目の前にあるリアリティは感じられる。
 それを動画で再現しても、やはりちょっと違う。

 同じように、顔も声も全く同じ人なのに、
 そこに流れる空気だとか、匂いだとか、気配だとか、
 そういうものがないオンラインは、何かが足りない。
 そして、人間のコミュニケーションには、そうした気配だとか空気だとか何だとか、
 ビミョーなものが、とても重要なのだと思うに至りました。
 
 もちろん、レッスンなので気配も空気も関係ないといえば確かにそうかもしれない。
 でもね、何かが違う。
 そして、その何かは、とても大事な何かなのではないかとも思うのです。

 たとえば、
 学校のない過疎地や遠隔地で、オンライン授業を受けられるのは便利です。
 もちろん、学ぶ内容に変わりはありません。
 私自身、日本語教師の資格を通信教育でとったので、それが有効であることは確かです。
 DVDで勉強したし、CDもたくさん聞きました。

 けれども、実際に学校に行き、友だちと接し、先生の気配を感じ、教室の空気を感じながら受ける授業とは、何か違うものがあるような気もします。
 だからどう、という話ではないのだけど、
 オンラインはよくないとかそういう話では全然ないのだけど。
 
 人間のコミュニケーションとは何なのだろう・・
 大事なのは何だろうか・・
 などということを、ちょっと考えました。
 
 Aさんが帰ってきたら、ゆっくり聞いてみようと思います。
 「オンラインはどうでしたか?」
 「よかったです。でも、直接会うほうがいいです」
 なんて言うかもしれません。

 また日本で会うのが楽しみです。

 

 
  今日も、通常のゴミ捨てのみ、でした。
  ああ、捨てられない私・・
コメント
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