夏木広介の日本語ワールド

駄目な日本語を斬る。いい加減な発言も斬る。文化、科学、芸能、政治、暮しと、目にした物は何でも。文句は過激なくらいがいい。

ブログのコメントで更に考えが深まる

2009年11月21日 | 文化
 ブログにコメントを頂くのはとても嬉しい。否定にしても肯定にしても、そこから更に考えが深まる。
 先日、大工仕事のかんなの刃の角度についての疑問に答えてくれた人が居る。私のそのブログはタイトルは全く別の事だった。その最後にこの問題を挙げた。それに対して返事を下さったのだから、とても注意深く読んでくれている訳だ。
 私の疑問は、テレビの番組で、確か37・5度が刃の角度としては最良なのだ、との事をその削りかすと削った板の表面の拡大写真で見せていた。しかし、その前後の角度については無言のままだった。だから、私は最良の角度にはある幅があるのでは、と疑った。そしてそれを見せない番組に不信感を持った。
 思った通りの答がもらえた。ハンドルネーム「大工」さんが、御自身の経験で最良の角度は削り方と板材の質とで違う、と教えてくれた。
 私がこうした事に重きを置くのは、「…は○○ですよ」と言われて、そのまま鵜呑みにしてはいけない、と常日頃から考えているからだ。そう言われたなら、では「…は××ではない」との証明をする必要がある。だが、世間は往々にしてそれをしない。「…は○○です」なんて事、あったり前じゃないか、と高飛車に出る。
 もう本当に一方的な事しか言わない。様々な本もそうした物が多い。

 先日、私は日本語の事で良い勉強をした。ある人が日本語は発音に無理をしないので、自然な考え方が出来る最高の言語である、と言った。他の言語では複雑に口の形を変えたり、舌を巻いたりして多くの発音を生み出しているが、その複雑さが自然な考え方を損なっていると言うような発言をしていた。日本語の単純な発音を補うのが「てにをは」で、それでほかの、語順によるしか意味が表現出来ない諸言語よりも情緒豊かな表現が出来る、と言う。言い方は違うが、趣旨は間違っていないはずだ。
 それには確かに一理ある。しかし日本語が最良の言語だとどうして断定出来るのか。他の言語では情緒豊かで合理的な表現が出来ないのだ、との証明をしなければ、それは成り立たない。分かり易い例として韓国語がある。言語の系統としては日本語とそっくりである。だが、韓国語は日本語よりもずっと発音が複雑である。だが「てにをは」もある。そうなると、韓国語も日本語ほどではないにしろ、世界で最良の言語になるはずだ。そうした証明をする必要がある。

 その日本語と韓国語の違いだが、大きな違いの一つに漢字の訓読みの有る無しがある。韓国語では漢字の訓読みはして来なかった。取り入れたすべては字音語である。だから、我々は漢字無くしては字音語の意味が分かりにくいと思っている。だが、韓国は漢字を捨てた。ハングルだけで、と言う事は日本語なら仮名だけで、になるが、それで良しとした。
 ハングルだけで用が足りているように思えるのは、ハングルは仮名とは本質的に違うからである。仮名は音節文字だが、ハングルは完璧な表音文字なのである。しかもハングルでは例えば「大学生」のような字音語を、日本語なら「だいがくせい」としか出来ないのに、「テー・ハク・セン」と三つの部分に分けて表示する事が出来る。漢字の意味は分からないにせよ、これが字音語であり、元は漢語なのだ、と分かる。それだけで、日本語の「だいがくせい」よりはずっと分かり易くなる。「だいがくせい」を文章中に取り込んでみれば、すぐに分かる。
 そうした、日本語とほぼ同じと見える韓国語では、発音の自然さはどうなのか、についてきちんと説明が出来なければいけない。

 この発言者は日本語は漢字を取り入れて、飛躍的に表現が豊かになった、と言う。それはそうだ。しかし、その陰で本来の日本語を磨く事を怠った事を何とも思っていない。上に挙げた韓国語の例はその良い例である。そしてそれで漢字を捨てている。
 それに対して、日本語は造語力が無いから字音語しか無いのだ、と言うのだろう。「造語力」を「言葉作りちから」とは出来ないと言うのだろう。だが、それは単なる思慮不足に過ぎない。ドイツ語ではこの「言葉作りちから」のような造語法を採っている。それで少しも違和感は無いし、意味がとても良く分かる。英語ではそれが出来ないようなので、やたらと難しいラテン語などを取り入れるのだ。日本語が漢語を取り入れたのと同じように。
 日本語がドイツ語のような方向をたどらなかったのは、ひとえに漢語を流用した事に原因がある。先進文化だったのだから、当然ではある。そしてそれを恰好良いと思ったのだ。それがなければ、「言葉作りちから」のような言い方がごく自然だと思われていたに違いない。疑うなら、現在、カタカナ語を安易に使いたがる事を考えれば簡単に納得が行くはずである。
 この発言者は言葉でしか考えていない。言葉が体感とか経験に裏付けされていない。それに比較して、「大工」さんは、自分の経験から物を言っている。だからこそ、その発言には貴重な重みがある。
 誤解されたくないが、私の発言が経験による重みがある、などと言うのではない。だが、きちんと様々な事をああでもない、こうでもない、と長い物では2年も3年も考えた末の結果を書いている。決していい加減な思いつきではない。

 もう一つの嬉しいコメントは、4月のブログで私がパソコンではほとんど希少とも言える親指シフトキーボードを使って、快適な作業が出来ている、と書いた事に対してである。そのキーボードが冷遇されている事を嘆いた。その事について、遅ればせながら、とコメントをくれたのだ。御自分のシステムを説明してくれて、私の励みにもなるし、参考になるホームページの紹介もしてくれている。そのホームページは知っていたが、それにしても厚意が有り難い。
 否定のコメントでは、割り箸事故で、私が事実の確認を怠っていた事を指摘された。それはすぐに訂正した。その後、事実確認は慎重にするようになった。発言は自由だ。だが、その発言には責任が伴う。

6 コメント

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Unknown (発言者)
2009-11-28 21:01:49
 ここで話題にして頂いた発言者です。初めてコメントさせて頂きます。

 ブログ主さんは、韓国語を日本語と違って韓国語を磨いたので漢字を捨てることができたかのように仰り、また別のところで、漢字を流用したために日本語の発展が阻害されたかのように仰っていますが、本当にそうでしょうか?

 韓国語が漢字を捨ててしまったのは、民族的な感情のしからしむるところでしょうが、文化的にも言語的にも中国語が簡体字にした以上の言語的な後退だと思います。漢字は表象的な文字としてその形自体から意味をくみ取ることのできる文字ですので、それを使うことによって認識も豊かにはぐくまれていくものです。折角それを使っているのに音だけ貰って記号的なハングルにしてしまうのは、明らかに文化的な後退です。また、それを簡単に捨てられるというのも借り物レベルでしか漢字を使っていなかったことを示していると思います。

 これに対して日本語は「明日」「明後日」という漢字を漢字固有の音読みだけでなく、「あす・あした」「あさって」というように日本古来の読み方をするというように日本語体系の中にしっかりと血肉と化していて、最早中国からの借り物ではなく日本語そのものになっているので、捨てようにも捨てられない存在になっていると言えます。

 ブログ主さんは、漢字を日本語でないように捉えているので漢字に頼って日本語を磨くのを怠ったとなるのでしょうが、日本人は漢字を日本的に取り込んで日本語を磨いてきたのだと思います。ですから、。「言葉作りちから」よりは「造語力」の方が言語的にはより見事と選択したのだと思います。そして、その造語力を用いて、舶来の概念の翻訳語として「自由」「原則」「概念」「社会」「革命」等々かなりの数の新たな漢字を創って、中国に逆輸入しています。

 最後に、私の発言の趣旨についてまとめていただきましたが、私としてはかなりニュアンスが違うように思います。
 
 私の発言の趣旨は、日本語の五十音の発音は人間として自然な基本的な発声だということ。それは自然と一体化せんとする日本人の心情が創り出したものであること。その基本的な発声だけで充分に言語としての役割を全うできるように側面から支えているのが、表意文字の漢字と一音で意味を表素ことのできる大和言葉を駆使した“てにをは”によって伝えたい認識の中身をより詳しく正確に伝えることができるという優れた日本語の構造があるということです。
 そして、この日本語の自然な発声に慣れた日本人は虫の音を異質と捉えることなく聞けるが、自然音と区別するために複雑な発声法を創った外国語に慣れた外国人は虫の音を騒音としてしか聞けないと言うことを言っただけで、「その複雑さが自然な考え方を損なっている」とは言っておりませんので念のため・・・・。
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誤解なさってはいませんか (夏木広介)
2009-11-29 17:25:14
 「韓国語を日本語と違って韓国語を磨いたので漢字を捨てることができたかのように仰り、また別のところで、漢字を流用したために日本語の発展が阻害されたかのように仰っていますが、」
 そのように思える表現を私はしたのか、とても不審ですが、私の真意は次のような事です。
 朝鮮語は日本語と違って漢字の訓読みをする事が根付かなかったので、中国語の字音語を取り入れて朝鮮語を磨いた。けれども誇り高い彼等は漢字ではなく朝鮮語を表記したいと考え、ハングルを創成した。ハングルは仮名とは違うから、漢字の固まりと同じような表記が出来る。それで字音語だとの事が分かる。それで漢字を廃止した。別に朝鮮語を磨いたなどと全く思っていないので、そのような事を書いた覚えはありません。漢字の訓読みが出来ないのだから仕方が無いが、つまらない事をしていると思っています。
 漢字を流用したために日本語の発展が阻害された、とは思っています。考えて下さい。字音語は正真正銘の中国語です。単にそれを日本語風に発音しているに過ぎません。だから、韓国人の話をテレビで聞けば、字幕が出るので、ははあ、日本語と同じ字音語を朝鮮語読みにしているんだな、と分かります。中国語の自国語での発音なのだから、日本でも朝鮮でも同じ字音語が通用しているのです。
 確かに字音語は便利です。それは言うまでも無い事。日本人が作り出した字音語が中国で逆輸入している事もしっています。私はそんな事を言っているのではありません。現在の日本語から字音語を無くしたら、言葉は成り立ちません。でもそれは結果論であって、もしも和語を磨く事をしていたら、全く別の情況になっているに違いありません。和語の同音異義語だってもっとずっと少なくなっていたでしょう。だから、安易な中国語の取り入れは、純粋な日本語、つまりは和語の発展を阻害していると言う事になります。
 以上の事は私の最も基本とする所なので、どのような文章を書こうが、おかしな解釈を生むとは思いません。
 現在の日本語で考えるから、「漢字の取り入れが日本語の発展を阻害している」と私が言っていると思うのでしょうが、私はあくまでも原初の日本語が自らを磨く事を怠った、としか言っていません。
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どうも仰ることが矛盾しているような・・・・ (発言者)
2009-11-30 13:19:29
>そのように思える表現を私はしたのか、とても不審ですが

 これは「しかし、その陰で本来の日本語を磨く事を怠った事を何とも思っていない。上に挙げた韓国語の例はその良い例である。そしてそれで漢字を捨てている。」これを裏返せば韓国語を磨いたから漢字を捨てられたとなりませんか?実際、その真意の説明の部分でも「中国語の字音語を取り入れて朝鮮語を磨いた」と仰っているではありませんか。
 しかし、不思議なことにその三行下で「別に朝鮮語を磨いたなどと全く思っていないので、そのような事を書いた覚えはありません。」としています。これでは読んでいる方が混乱してしまいます。

 もう一つ気になるのは
>朝鮮語は日本語と違って漢字の訓読みをする事が根付かなかったので、中国語の字音語を取り入れて朝鮮語を磨いた。けれども誇り高い彼等は漢字ではなく朝鮮語を表記したいと考え、ハングルを創成した。ハングルは仮名とは違うから、漢字の固まりと同じような表記が出来る。それで字音語だとの事が分かる。それで漢字を廃止した。

 これは彼等を実情より美化しすぎていませんか?これでは日本人が誇りが低く彼等の方が誇りが高いと言っているようなものです。しかし、遣隋使が隋の皇帝に持っていった書に「日出ずる国の天子が日没する国の天子に書を送る」と認められていたように日本人の方がはるかに誇り高かったはずです。何故なら昔の朝鮮は支那に頭を押さえられ属国意識が強く、独自の言葉を創ってそれを磨こうなどという気概はなかったようです。ハングルも彼等の誇りが創ったものではなく時の王が一般庶民には漢字が難しすぎるので簡単な文字を作って流布させようとしましたが、地方地方でバラバラのママで結局廃れてしまってあまり活用されなかったようです。現在のように一般に広く活用されるようになったのは日本がそのハングルを発掘し教育によって統一的に広めたためであるそうです。漢字を捨てたのは中国に対する民族意識からではなく敗戦国の日本と縁を切りたくて捨てたようです。だから、言語的な必然性ではなく、現在では漢字の分からない若者が増えたために元に戻そうという動きもあるようです。

 これに対して、誇り高く和語の体系に文化レベルの高い漢字を組み込んで、漢字の文化の高さを吸収しつつそれを血肉と化し、漢字を本に和語を表記するひらがなとカナを創り出しそれを漢字と見事に融合させました。だから、漢字とそれを下に創られたひらがなカナとは違和感なく一体的に融合しているのです。ハングルは漢字とは関係なく創られているので漢字と一緒に文章化すると異質の文字であるので、違和感があります。

 したがって、日本語の使用する漢字は本は支那かも知れませんが完全に日本語なのです。ここがブログ主さんと私の見解の違いですね。これは謂わば日本の漢方が、元は支那ですが日本人に合わせて完全に日本人が創り上げた日本の漢方と同じことです。ですから、日本の漢方と中国の漢方とでは薬の使用量の単位が10倍も違うのです。勿論日本の方が少ないのです。特に江戸時代の日本の漢方は完全に本家を凌駕するほどレベルの高いものでした。これと同様のことが日本語にも言えると思います。

>和語の発展を阻害していると言う事になります。

 ブログ主さんの真意は分かりました。たしかにこういう面があったとは思いますが、漢字を取り入れた日本語の発展の方が、言語としてはより見事に発展したと私自身は思っております。
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よく分かったつもりです (夏木広介)
2009-12-01 18:24:32
 確かに「朝鮮語を磨いた」は不用意な言い方でした。反省しています。ハングルの創成や朝鮮語の歴史は実はあまり詳しくは知りません。ただ結果として、日本への反感にせよ、何にせよ、現在ハングルを使って漢字を廃止しようとして来た事は事実です。朝鮮語の字音語はすべて中国語なので、その点は日本語と同じですが、日本語は漢字の訓読みが出来るので、その点で朝鮮語より多分ずっと磨きがかかっていると思います。漢字を捨てた朝鮮が誇り高いと言ったから、漢字を使っている日本は誇り高くない、と言っているつもりは毛頭ありません。誇り高いと言うのは自らがそう思っているだけだ、と言うように使いませんか?
 漢字が日本語の文字になっている事は私も前からそう思っています。訓読みをした事でそうなっています。訓読みの漢字は日本語以外の何者でもありません。漢字を使う事で日本語は、メリハリのある表記が出来ています。それは日本語を磨いた事になるとは思いますが、それでも多くの人々がその訓読みの漢字を使わないようにしている傾向があります。例えば、「事」などがその代表です。和語は仮名書きにすべきだ、と彼等は考えています。極端になると「おもう」「かんじる」などと書いています。
 と言う事は、彼等は漢字が日本語を磨いたとは思っていない事になりそうです。私は和語は仮名書き、には絶対に反対です。それでは漢字を訓読みにした意味が半減してしまいます。ここで誤解されると困るのですが、漢字の訓読みと音読みの漢語の利用は原初の日本語を大いに発展させましたが、その反面、和語その物を磨く事を怠った事は事実です。
 先に私が「朝鮮語を磨いた」と書いたのは、実は漢字の採用で朝鮮語は発展したが、原初の朝鮮語を磨く事はしなかった、と言う事なのです。そうした点では日本語と朝鮮語は同じ道を歩みましたが、日本語は訓読みをした事と、今もなお字音語を漢字で表記している点で、朝鮮語より遥かに進歩していると思っています。

 お互いにそんなに大きく違う事を言っているのではないと思います。ただ、ハングルと漢字が調和しないと言う事は無いと思います。平仮名は漢字の草書体から、片仮名は漢字の一部を取った、と言う点では、仮名文字は漢字の子供みたいな存在ですが、調和との点では、平仮名はどうでしょうか。我々は見慣れているからそう思いませんが、かっちりと直線で固まった漢字と柔らかな曲線を主体とした平仮名とは外国人が見たら、あまり調和しているとは思えないのではないでしょうか。
 今回のコメントで発言者さんの意図は分かったつもりです。私の意図も分かって頂けたと思います。この件はこれで終わりにしたいと思いますが。変にこだわるとおかしくなりますので。
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最後に (発言者)
2009-12-02 08:17:24
 諒解しました。もう終わりにしましょう。ただ、最後に一言だけ言わせて下さい。

朝鮮の歴史について大雑把なものしか知りませんでしたので、少し調べてみましたが、台湾の黄文雄という人の「韓国は日本人がつくった」という本の中で詳しく書かれていました。興味がありましたら読んでみて下さい。

 少し紹介しましょう。それによりますと、もともと朝鮮には感じとは系統の違う言葉を持っておりましたが、新羅の時代に漢字の音読みと訓読みができたのだそうです。名前も漢字表記で残っておりそうです。ところが、どういう訳かその後名前も支那風になってしまい訓読みもすたれてしまって、漢字一辺倒になってしまったそうです。
 これは、大国に認めて貰い大国に守って貰う属国意識のはじまりを示すもので、人族の自律的な誇りを失い、自ら主体的に属国なろうとしたためでした。
 李朝の時代になると両班階級が専ら漢文を利用して大国人のふりをしていたため、言語の世界でも両班と常民との間に隔たりができ、常民は両班の支配下で韓語よりも漢語に学び、急速に韓語が漢語化されて70%もしめるようになったそうです。世宗が独自のハングル文字を作らせた時にも両班階級は「日本やモンゴル、チベットなどには独自の文字があるが、それは野蛮な地域だからだ。我々が独自の文字を持ったら、彼らと同様に野蛮人になってしまう。そのうえ、我々は中国を宗主国として仰いでいるのだから、新しい文字をつくることは中国からしてみれば謀反であり、怒りを買う恐れがある」と反対して排斥してしまったのだそうです。

 そのハングルを体系化し字典を最初に創ったのは日本人で、それを教育し、公文書での漢文使用を止め、漢字・ハングル混じりの新訂国文を公布し、その使用を奨励したのは日本だそうです。しかも、日本のかなの方が覚えやすいのでハングルの教育を止めるように要求していたのは朝鮮人の方だったそうです。

 問題は、現在の日本がその当時の朝鮮の状況に似てきていることです。日本の伝統的な文化を軽視し、日本人の魂・誇りが消え失せつつあります。それが日本語の崩れにも反映しているのだと思います。長々と書き連ねてきましたのは、これを言いたかったのです。

どうもお騒がせしました!
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私も諒解しました (夏木広介)
2009-12-02 10:56:43
 昔、朝鮮にも訓読みが行われた事は私も知っています。新羅の民族的な歌には漢字の訓読みを使った郷歌(ヒャンガ)と言う歌があり、それは訓読みと音読みの両方の漢字で書かれています。それがいわゆる吏読です。
 また、高句麗には地名を訓読みを使って表記している例があります。
 そうした習慣が消えてしまったのはおっしゃる通りです。朝鮮は中国べったりで生きて行こうと考えたのですね。その方がずっと楽だから。そして日本は独立国家を目指して中国べったりでは駄目だと、中国語の漢字を使いながらもそれを日本語にする努力を重ねた訳ですね。それが訓読みであり、仮名文字の発明になります。
 貴兄の最後の言葉「問題は、現在の日本がその当時の朝鮮の状況に似てきていることです。日本の伝統的な文化を軽視し、日本人の魂・誇りが消え失せつつあります。それが日本語の崩れにも反映しているのだと思います。長々と書き連ねてきましたのは、これを言いたかったのです。」は本当に心から私もそう思います。それで、私は「日本語の表記が日本語を駄目にしている」と言う原稿を書きました。300ページ近くにもなる私としては大著です。でもそれは日の目を見ません。また、混乱している表記、それも一方的にこうだと決めつけている現行の表記に対して、誰もが納得出来る表記辞典も作っていますが、これもまた日の目を見ません。ある一流の出版社の編集者はどちらにも賛意を述べてくれましたが、よく売れる物しか出せない出版社の苦しさを話してくれました。

 頂いたコメントで私もとてもすっきりしました。そしてこうしたやりとりをして良かったと思っています。有り難うございました。また何か機会がありましたら、御意見を賜りたいと思っています。
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