夏木広介の日本語ワールド

駄目な日本語を斬る。いい加減な発言も斬る。文化、科学、芸能、政治、暮しと、目にした物は何でも。文句は過激なくらいがいい。

役人の考え方とは

2010年12月29日 | 政治問題
 24日の朝日新聞がイラク戦争で日本の取った行動は正しかったかを検証している。大きな見出しは二つ。
 一つは 「小泉氏、閣内議論せず支持」。
 一つは 「外交分析ない政治風土」。
 これだけで何が言いたいのかはよく分かる。そして 「外交分析ない…」 の横には 「英は元首相ら140人超喚問」 とある。アメリカと最も親しいと思われているイギリスでさえ140人以上の意見を聴いている。
 同紙は開戦時に内閣官房副長官補として 「小泉政権がどう戦争に対処したか」 を知る立場にあった谷内(やち)正太郎元外務事務次官に話を聞いている。彼がどう考えていたかよりも私には興味深かったのが、締めくくりの次の言葉である。

 小泉元首相はリーダーシップがあった。だから広く閣僚らの意見を募って議論する、という発想はなかった。

 つまり、それで良いと考えている訳だ。しかしながら、リーダーシップと閣僚達の意見とは全く関係が無いと私は思う。 「リーダーシップ」 とは次のような事だ。
・指導権。指導的地位。指導力。統率力。
・指導者の地位・任務。指導者としての素養・力量・統率力。
・指導力。統率力。指導者の地位・任務。
・指導者としての地位・任務。指導者としての統率力。指導力。

 いつも引く小型の四冊の国語辞典の説明である。 「指導」 とは言うまでもなく、 「ある目的に向かって教え導くこと」 である。別の辞書はより具体的に 「官庁・会社・学校などで、望ましい方向に進むように、適切な指示を与えること」 と説明している。
 つまり、リーダーシップとは 「ある方向に向かって適切な指示を与える能力」 である。一つの辞書は単に 「ある目的に向かって」 としか言わないが、一つの辞書は 「望ましい方向に」 と言っている。別の二冊は 「直接指示を下したり、説明を加えたり、質問に答えたりして、教えること」 「知識・技術などを習得できるように教え導くこと」 と素っ気ない。
 だから、教える事の内容についてはありとあらゆる事があり得る。そしてたとえ 「望ましい方向」 だとしても、誰にとって、何が望ましいのかは様々に異なる。その様々に異なる内容が、一番重要なのである。それをほったらかしにして置いて、指導力も何もあったもんじゃない。この元外務事務次官の言っている 「リーダーシップ」 とは単にワンマンであっても良い訳だ。
 様々に議論を重ねて 「望ましい方向」 を見付け出す。しかしだからと言って、全員が言う事を聞く訳ではない。そこで発揮されるのが 「指導力」 のはずである。あるいは、 「望ましい方向」 を見付け出すために指導力が発揮される必要がある。誤解されては困るが、自分の思い通りに動かすのだ、と言っているのではない。日本の政治家は本当に何も考えていない人が多いから、指導力が必要になるのだ。

 最も重要な事がすっぽりと抜け落ちている。ただ、先の 「小泉元首相はリーダーシップ云々」 の考え方が、 「彼はワンマンだったから、閣僚の意見は聞くつもりは無かった」 と批判しているのなら分かるが、そうではない。彼は 「ベストな選択とはいえず、苦し紛れということはあったが、『×』 がつく解釈だったとは思っていない」 「米国がやるから嫌々従うのではなく、日本はもっと積極的にかかわるべきだと考えていた」 と言っているのである。見出しだって 「積極関与すべきだと思った」 なのである。
 彼がそう思っているのは別に構わない。しかし、だからと言って、広く閣僚達の意見を聴かなくても良い、と言う事にはならない。リーダーシップだけで物事がすべて出来るのなら、様々な大臣など要らなくなる。

 新聞などで聞き書きでまとめる場合には、本人の本当の気持とはずれてしまう事が多々ある。ただ、読者はそうした記事を丹念に読むしか方法が無い。そうすると、この場合はやはりこの 「リーダーシップがあったから…」 の考え方が重要になる。行政に携わる人々はこうした単純な考え方で何事も決めているのかと思わざるを得ない所に私は大きな危惧を持っている。