おっさん先生と愉快な仲間のぶろぐ

先生って楽しい仕事だと思い続けることができたしあわせな爺っさまのつぶやきです。

自分を認めてくれる人って、うれしいよね。

2012-09-12 21:13:13 | Weblog
昨日、ある電話がかかってきました。
K先生と一緒に作った本の温かい感想でした。
僕が尊敬する先輩なので贈呈したのですが
本当に忙しい仕事の中読んでいただき
すぐに激励の電話をいただきました。
ほめてほしい人にほめてもらえるって
うれしいことですよね。

さて、いじめ調査のことですね。

全国的に「いじめ」が注目されるようになってきましたね。す

僕がネットワーク活用に関心を持ったとき
一番気になって取り組んだのが情報モラルでした。

ネットを使った「いじめ」があるのでは、
いやすでに起こっているのではという危機感がありました。
ちょうど10年前のことですね。

それからずっと考えてきましたが
「いじめ」は人間の本質に関わる難しい問題だと思っています。

この問題を考えるとき、あなたたちと議論した「恋愛の物差し」を思い出します。

「あなたたちがつきあっていると思うのは、
二人がどのような状況になった時を言うのか」という、
単純な僕の疑問に、答えは十人十色。

いつのまにか激論になっていましたね。

たわいのない論議でしたが、
「あなたは恋愛をしていますか」という問いをされたとき
「自分が考える恋愛」があって、
それはみんな違うものだということに気づきましたよね。

「いじめの調査」はいじめを考える入り口になるといいのですが、
数値分析や調査の適正さのみが論議されたとき、
それが不毛な論議とならないことを願っています。

大きく網を打つことは必要なことだと思います。
紛れもなくその網の中に「解決すべき課題」はあるはずですから。

大切なことは「目の前にいる子どもたちに」、「だから何ができるのか」を、
一人一人の教師が真剣に考えることだと思います。

ただ、一人だけで考えるだけでは、
問題を抱え込むだけで、解決の糸口さえ見えない場合があります。

担任でがんばっていることを理解してくれる「仲間」がいることを思い出してください。

あなたが倒れれば「悲しんでいる子ども」を救うことはできないのです。

難しく考えることはないのです。
「みんな」と一緒に「それぞれが何ができるのか」を
考えることが大切なのではないでしょうか?

「自分以外の誰かが何をしてくれるか」ということを考えるだけでは、
解決の道筋すら見えないように思うのですが・・。

真剣に向き合い、なのに解決の糸口すら見えなかったら、
そのときに感じる、あなたたちのストレスや無力感が心配です。

特に「いじめられたり」「いじめたり」したことのないと
自慢げに話していた「新米センセ」
一人にならないで、仲間と一緒に立ち向かってほしいな・・。

僕は、
教師は「悲しむ子どもがいるのなら、
なくす努力はしなければならない」ものだと単純に思ってきました。

同じように「親は」とか、「社会は」とかいった文脈もありますが、
黙ってきました。

やっぱ 古いタイプの教師なんだろうね。

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