おっさん先生と愉快な仲間のぶろぐ

先生って楽しい仕事だと思い続けることができたしあわせな爺っさまのつぶやきです。

ワクチンが光ですね。

2021-01-08 22:32:53 | Weblog
ワクチンが「100%安全」であるかどうかという論議に少し違和感があります。

ワイドショーで連日流される画面を変えれば、いつか戻ってくるであろう日常への期待、天変地異は時の為政者や年号の変更で乗り切れると信じる古代から続くシャーマニズムの幻影などなど、この国の平和さが何か悲しくなることがあります。

日本でよく使われる「分断」という言葉は欧米人の「違う生き方の方向」や「自分の生き方」としての「あたりまえにある階層(階級)」という「違い」のように思います。日本ではこの違いが見えにくかったのかもしれませんね。

自分が中産階級だと思い込んでいる人の比率は高いというデータを前に見たことがあります。「中の上」「中の中」「中の下」という感覚です、総じて「中」というのは珍しいのだそうです。

単一民族というたてまえのなかでは、大多数の方についていることが安全であり、「自分」を表現することより、大多数が目指す方向に「100%安全であること」への保証書があることを求めているのだろうね。

突然の未曾有の出来事がおきているのに直ぐに100%安全なワクチンなんかできないのが当然って考えることはおかしいことなのだろうか。

未曾有だから、自分はどうしたいのかを主張できることができる社会が大事なじゃないのかな。

100%の完璧な安全でなくても「今ほしい」人はいるだろうし、99%安全でも「いらない」と思う人もいるはずだよね。

こんなとき自分の子どもにワクチンをうけさせるかどうか、保護者が判断できないなら、国がどうするかの方向を決めるのは仕方のないことかもしれないけど、「大人」が、「みんなが言っているから」、「テレビや新聞で言ってたから」100%安全なワクチンでなければ安心できないという「多数派」意識になることが、なんか納得できないんだよね。

こんなとき、欧米の人たちはどんな判断をしているのだろう、アジアの人はどんな判断をするのだろな。

国民性の違いなのか、政治の違いなのか、自立した個人の判断の違いなのか見極める方法がほしい。

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