おっさん先生と愉快な仲間のぶろぐ

先生って楽しい仕事だと思い続けることができたしあわせな爺っさまのつぶやきです。

時間はいつでもオーケーですよ。

2013-06-03 20:10:11 | Weblog
時間はいつでもオーケーですよ。

なんだかしんどそうだね。

まず、あなたにひとこと。。
めげるなよ、みんなそんな時期を経験してきたんだよ。。かな。

もう先生になって五年かな?六年かな?
いよいよ本物になる。。
そんなときを迎えているのかも、しれないよ。

どんなにあなたに授業力があったって、
子どもが零点を取ることもあると思うし、
大事なことは、
その後、あなたが、その子にどんなことばをかけ、
何をしたかじゃないかな。

私は授業力のない未熟な教師ですと
いくら嘆いても仕方がないよね。

振り返るなら、
テストのための授業を組み立てていなかったか
という点じゃないかな。

もう先生として何年か経験しているのだから、
テストのために単元の授業を組み立てたほうが
効率がいいし、
たくさんの子どもたちの成績(テストの点数)が
あがるっていうことはわかってきているんだろうね。

本当の意味での授業力って、
子どもたちが楽しみながら
自分で学ぶ授業を作るっていうことだと
頭ではわかっているけど、
具体にできないもどかしさを
感じることができてきたんじゃないかな。

今の授業の組み立て方を
もう一度見直す必要があるかもしれないよ。

教え込んでも受け入れる気がないなら、
まず受け入れたい、学びたいという気持ちにするにはどうしたらいいのか
このあたりを、見直してごらん。

いい点を取らせるための
よい授業をめざすあまり、
子どもたちが楽しめないでいるのかもしれないよ。

応用や活用という部分は
教え込みだけだと
なかなか身につかない場合が多いからね。

かといってあなたが子どものころ
活用やリテラシーという言葉さえ
教育現場にはなかったから
あなたたちは経験していないものだよね
だから悩むのが当たり前、その悩んで考えていることが
とても大事だと思うよ。

したり顔で話す僕らの世代だって
リテラシーって言う概念すら
ほんの数年前に知ったっていう先生が大多数なんじゃないかな。
だからどうしたらいいかをあなたたちに教えられないのかも。。

もうひとつの問題は
担任としての力量というより、
特別支援教育というものへの
認識の甘さかもしれませんよ。

意地の悪い言い方に受け止められると
困るんだけど、
今までそんな子どもとは
出会ったことがなかったから、
これからも出会うことはないだろう、

出会ってもそのときに何とかなるって
思っていたんじゃないかな?

支援の体制も、先生たちの認識や力量も、
実は毎年毎年
学校によって変化しているものなんだよ。
今は急激に人が入れ替わっている時期だし
経験のある先生もだんだんいなくなってきている。。
だから「前の学校では」という感覚は成り立たないと思うよ。

大事なのは今、目の前で起こっていることだよね。

授業中に、大声で叫んだり、
人にかかわりをもとうとする、
教室からでていく、
かっとなってしまう、
暴言を吐く…。

そうしたことがなぜ起こり、
どんな解決方法があるのか、
そのために僕もずーと勉強してきたよ。

だから、特別支援教育のサイトを作ったんだけど(笑)
あなたは僕よりずーと若いのだから
特別支援のスキルは勉強すれば身につくよ。

ただ、その子たちを見る視点は
頭ではわかっているんだけどなかなか難しいと思うよ。

本気でその子たちを好きだと
思えるかどうかの一点だけなんだけど、
不思議とその一点が本物かどうかは
その子たちにわかるんだよね。

あなたが本気でその子たちのことを思っているかどうかを
あなたではなくて、そのこたちが感じるかどうか。。かな

とりあえず めげるな がんばれ、けど、がんばりすぎるな

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