おっさん先生と愉快な仲間のぶろぐ

先生って楽しい仕事だと思い続けることができたしあわせな爺っさまのつぶやきです。

新規に採用されて教員になるための心構えですか。

2016-01-25 15:06:56 | Weblog
新規に採用されて教員になるための心構えですか。

採用試験に受かったことも
忘れているのではと思っていましたが(笑)

最後の試験も卒論も終わり
ようやく教員になるための助走を始めているわけですね。

すごいですね。
まっ、四月からの一年はとにかく遊べないから、
今遊んでおくほうがいいと思う人も多いのに、
感心します。

もうそんな気持ちになれる人だから
採用試験に受かったんだと思いますよ。

いい加減な僕が思うことですから、
あまり深く考えないでください。

教員として採用されると言うことは、
中学校においては、
それぞれの教科についての専門的知識が
先生(あなたです)に身についているという前提で、
また、小学校においては、
人格形成を伸ばすために必要な基礎知識を
先生(あなたもです)が身につけていると言う前提で、
4月以降の職務を遂行してもらえるだろうという思いを、
ほかの先生たちや管理職が最初から持っているのだろうと
思い込む必要はありません。

むしろ、何もできないだろうな、
という感覚で見られることが最近の傾向かもしれません。

初任者研修で、座学が多く
大学時代や大学院に学んだことと
同様なことをさせられてうんざりすることもあるかもしれませんが、
一年もすれば、夏休みにどこに旅行に行こうかと考えられるようになるものです。

やれ教職はブラックだ、
大変だということばを最近よく聞くようになりましたが、
一般の企業がどのようなものかを知らない人の傍観者的対比や
教職の仕事を知らない人の感情的なバッシング、
教職しか知らない先生たちの変なコンプレックスに
惑わされる必要はないと思います。

むしろ僕の知っている若い先生たち
(年齢ではなく、単に経験年数の少ないと言う意味で)は、
休日に本を読む、旅に出る、人と会う、研究会に参加するなど、
能動的に教師であろうとする先生たちが増えています。

狭い教員の世界を乗り越えて
シンパシーを自然に作る力を持っている
魅力ある先生が増えてきているように思います。

まだ「カリスマ」にあこがれている人たちもいると言うことは知っていますが
多くの先生たちが
ハウツーだけではやっていけないということには気づいていると思います。

ただ、こうした先生たちが
「学校」という「職場」で見せる姿は、
私たちが生きた昭和という時代とは少し違うように
感じていました。

平成になって「学校」という空間事態に
大きな変化があったのなら、
それはその空間に存在する「先生たち」の変化なのかもしれませんね。

楽しみたいけど、趣味で仕事はしてはいけないとか、
権限を得ることは、責任が増えることとか、
教条的な自説を述べる先輩が数多くいて、

でも選択するのはあなただよっていう感じの
ゆるーい時間が昭和には流れていたのですが、

今、平成の時代になって、
何かが変わってきたように思います。

教師として、
とにかく長くやっていくために必要な秘訣なんて
ないと思いますが、
どんなことを大切にしてきたかは、伝えておこうと思います。

長い年月、教師をやっていると、
エネルギーがある先生とそうでない先生に出会います。

特に小学校ではその傾向が顕著にわかります。

ただ、そのエネルギーを長い間
持ち続けることのできる先生は、
平成になってからは
あまりいないようです。

一時熱に浮かされるって感じですよね。

でも、持ち続けた「ほんもの」の先生たちも
昭和の時代には多くいました。

持ち続けている先生にはひとつの共通点がありました。
「自分の好きな教科(領域)を持っている」んですよね。

あなたたちが思っている以上に
ただ、「おもしろい」や「たのしい」授業を作ることは
簡単なのです。

授業参観日を意識した
「特別の授業」「見せるための授業」ですね(笑)

難しいのは
「普段の授業」で
「おもしろいだけ」「たのしいだけ」の授業ではなく
「子どもたちの知的好奇心」を生み出しているような授業を
どのようにして作るかという点なのです。

教師とこどもと教材で作る「授業」という空間には、
いつも「知的好奇心」をくすぐる「しかけ」が必要です。

この「しかけ」をとのように作るかが、
僕の教師としての楽しみの一つでした。

最新の情報や最新の環境を作ったとしても、
僕の求めた「人としての豊かさ」が見出せなければ、
何か物足りなさを感じてきました。

どんなに考え方や教育観が違っても
「子供がすき、人間がすき」という一点で、
人は分かり合えるんだと思っています。

子どもを育てることのできる先生には、
言い方はあまりよくないですが
「人を育てたいという欲望」とか
「どこか教育へのこだわり」があったように思います。

「今の自分でいい」「もう、教師としての仕事はわかった」という先生は
いつのまにか
「なぜ、教師になったのか」という問いに答えられない
ついこの間まで必死になって覚えた「教員採用試験」の「面接」での「模範解答」しか知らない
「熱の冷めた先生」になって、しまうかもしれませんね。
 
長い前置きでしたが
教員になるための心構えは

「ありのままで、本音で生きてみれば、何とかなる」
と思うことですね。
コメント
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