おっさん先生と愉快な仲間のぶろぐ

先生って楽しい仕事だと思い続けることができたしあわせな爺っさまのつぶやきです。

今と昔と比べて違ってきたことですか。

2013-09-01 18:56:42 | Weblog
夏休みに
各地に散らばった若い先生たちと話す機会があったよ。

そこでの話題で気づいたことが一つ、
今、教育現場は大きく変化をしているということに
あなたたち若い先生がやっと気づき始めたと言うこと。

 実感として、四十歳代のモデルとなる先輩が
見つけられなくて悩んでいる
あなたたちのような若い先生たちが多くいるんじゃないか
って思ってしまった。

 そろそろ終わりに近づいた団塊の世代の大量離職は
その時代を引っ張っていた集団が消え
今の五十歳代は「四十歳すぎまで若手だと思いこんでいた」集団が
中心となるはずなのだが、彼らの多くは
教育実習生を指導した経験がなかったり、保護者対応に疲れていたり
新しい指導技術(英語特別支援ICTなど)が身についていず
通常の学級担任として、いっぱいいっぱいで
若い先生たちから見れば、
人のいいおじさん、おばさんとしか写っていないらしいんだね。

「人はいいんだけど・・」に続く言葉を濁すのは
あなたたちの優しさなんだろうけど、それって上から目線なんだよね(笑)。

 採用氷河期にぽつぽつと採用された
難関突破組が四十歳代となり
三十歳前半や二十歳代といった大量採用のおなたたち若い先生たちの
モデルとして「ミドルリーダ」となるはずだったんだけど、
絶対数が少ないしね・・。
 また、いくら難関教採を受かったとはいえ、
教諭としての担任歴が数年で、
小学校では教務主任を担っていくため
(もうすぐ中学や高校でも同じになるよね)
結構プレッシャーもあるらしいし、
さっきの
「人のいいだけのおじさん、おばさん」の扱いに苦慮しているらしい(笑)。

 管理職の先生たちにはOJT(On the job training) が、
つい数年前まで、教育現場でのひとつキーワードだったけど、
近い将来のキーワードは「促成栽培」になるのかもしれないね。

 歳のせいか記憶が曖昧になってきていますが、
昔の職員室には自然に議論の輪ができていたように思います。
「職員会議は・・。」とか、「あなたの教育観は・・。」とか、
僕は、先輩たちの論議の中で、「自分」を見つけることができたように思います。

 沸騰する論議の最後は、
いつも正義と正義のぶつかり合いで
暑苦しく感じたこともあったけど、

結局、僕は、その先輩が
現実の教室という空間の中で
自分の意見を実証できるか否かで
判断してきました。

今のどこそこに行けば
いい授業法をカリスマ先生が教えてくれますよ的
なスタンスではなく、

また、かつてこうしたんだという
うさんくさい武勇伝誇示でもない、

目の前で、
自分の信念を貫き困難にぶつかって
変えていった先輩が見てきました。

 今は、議論も少なくなり、
淡々と時間の流れる確認のための会議・・、

「豚はおだてりゃきにのぼる」と公言する
愛すべき先輩もその姿を消し、
「艱難、汝を玉にする」と
じっと眼を見つめて諭してくれた先輩も、
いつしかいなくなったようですね。

 時計の音は今も昔も同じで、
職員室の灯火が消える時間も変わらないけど
何かが確実に変化しているんですよね。時代なんだろうな。

 今も昔も、先生が忙しいのは当たり前、
親が子どものことしか見ないのも当たり前
子どもが勉強したくないのは当たり前、

 そこからどうするのかが、先生の腕なんだろうけど・・。
自分のクラスを自分の受けもった子どもたちを
よくしたいと思うのは今も昔も同じだと思うんだけど・・。

 たしかに、
路地裏でつるんで遊んだ経験がなく、
野山を仲間と日が暮れるまで駆け回った経験のない子どもたちが、

 一人でいることが好きで、
同じ空間に誰かがいてくれるだけで
安心する子どもたちに変わったとしても、
それは扱うものが変わっただけのことで、
教師という立ち位置は今も昔も同じままだと思う。

 あなたのいうように
子どもたちの根っこの部分が変わっていることに
気づけていないベテランの先生たちもいるよね。
僕もその一人かもしれないよ。

 ただ、先生という「仕事」は
変わっていないように思うんだけどな。

 あなたたちが
「学生であり生徒」であったときの感覚のまま
「先生」という仕事をとらえると
見えにくい部分があるのかもしれないね。

 学生の時、
友達や先輩後輩は
あなたの「ミス」を優しく許してくれていたんだろうね。

 「先生」という「仕事」は
「ミスをしたとき、許されないこともある」ということを
知っておいてほしいな。

 「子どもの命に関わるミスはゆるされない」という一点は、
今も昔も変わらないよ。

 それからあなたがメールに書いていた「いい先生」のことだけど
同僚や保護者が考える「いい先生」という定義も
今も昔もそれほど変わっていないように思うよ。

一言で言えば、聞き上手であることだと思うよ。
ゆっくり話し、話し手の感情を読み取り代弁できたり、
大きく頷いて同意する、
目を見るなどの当たり前の所作ができ、
復唱しながら話をすれば、
それだけでいい先生のイメージになると思うよ(笑)。

 ある意味、
先生になったら「いい先生役」を
演じることが大切になってくるんだろうな。

 明るくて、何事にも積極的に取り組んで、
面倒見がよくてっていうパターンの
イケイケ先生を演じるか
(誰かさんのように
それが天然素材の場合は天職なんだろうね)

 リーダシップや先見の明があり、
自分にも人に厳しくて間違いをしない、
子どものためにという一点で
どんな汚れ役もできるというパターンの
どちらかを、まず演じていくことだと思うよ。

 職場や教室の雰囲気に合わせてあなたの
やりやすい方をチョイスしてはどうですか(笑)。
もし演じられないと感じたら、
まだ若いのだから、舞台から降りるのも一つの選択です・・。
違う場所にあなたの光り輝くステージが待っているかもしれませんよ。

 演じるって書くとテレビや小説なんかの影響で
行動様式だけを模倣する傾向があるけど、少し違うんだよね。

 もひとつは 言わなければならないことをいえるってことかな。
先生という仕事は
ある意味結果がすべての部分があるので、
はっきりと言葉に出して伝えることができることが
必要になってくるってことぐらいかな。

少し長くなったけど
ま、軽く聞き流しておいてください、
年寄りの戯れごとですから。
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