霧島家日誌

もう何が何だかわからないよろず日誌だ。

前々回の記事(西欧における射撃兵器の歴史)の補足(マスケット運用の歴史シリーズ2)

2011年01月12日 00時03分38秒 | 社会、歴史
最近歴史群像の欧州戦史シリーズを読み返しておる。このシリーズは後半に入るとマニアックな本が増えるが、1~10巻は第一次世界大戦終結後のヴェルサイユ体制から開戦までの流れ、ポーランド戦、フランス戦、バトル・オブ・ブリテン、バルバロッサ作戦…といった感じで第二次世界大戦の欧州戦線を判りやすく解説しておる。

それで、独軍ソ連侵攻という本を読みたくなった。従来、独ソ戦でドイツが負けたのはヒトラーのせいだというのが主流だったが、最近の研究ではドイツ軍そのものにも限界とか問題があり、理由はもっと総合的だと考えられている。そういうのを研究した本なんだが、いかんせん売れそうにない本なので絶版になっており、アマゾンにもない。しょうがないからぐぐる先生で探したら、アマゾンで引っかかった。

どういう事かと思ってクリックしたら、同じ作者の「ドイツ参謀本部」という本である。で、中古本一覧の内一番下の方にある奴の注釈にご注意:同じ作者の「独軍ソ連侵攻」ですとか書いてあった。

…いいのか?


さて、いい加減火縄銃シリーズの続きを書かんとなので書くが、その前にいい加減銃ってものそのものについて書いておかないとマズい気がするのでそっちを先にする。以前も銃についての記事は書いたが、間違ってる内容も散見されるのでな。尚、本日誌においては昔記事にした話を再度書く場合があるが内容に相違がある場合新しく書かれた方が正しい。

まず、最初に発明されたのがいわゆる火縄銃、アルクビューズである。前装式(銃口から火薬と弾を込める)であり、発火方式はその名の通り火縄式(マッチロック)だ。又、瞬発式と緩発式の二つがあり、前者は引き金を引いた瞬間に発射し、後者は引き金を引いてからしばらくして発射される。

アルクビューズの欠点は、取り扱いが難しいという点にある。銃は現在に至るも湿気が大敵(現代銃の弾でも保管方法が悪いと火薬が湿気って撃てなくなる)だが、アルクビューズの場合、銃口に入れる火薬だけでなく発火に使う火縄も濡らしてはいけない。この火縄の生産、管理が面倒(何せ火薬を練りこんだ縄)なのもあって、とにかく扱い難い兵器であった。

そこで、次に開発されるのが歯輪発火銃(ホイールロック)である(本当はこの前にもう二種類あるがマイナーすぎるので割愛)。これは発火に火打石を使う銃で、引き金を引くと現在のライターと同じ感じで歯輪が回って火打石に擦り付けられ、火花が散って発火する。これによって火縄がいらなくなり、ただ火薬と弾を入れて引き金を引けばいいだけになった。

ただ、百回に一回確実に不発になる感じだったので、大量運用しないと信頼性が低く、その上高価だった為あまり広まらなかった。が、スウェーデン王グスタフ二世アドルフの軍隊の様に大量配備し成果を挙げた例もある。

そして、ついに開発されたのが火打石式(フリントロック)である。これはその名前のまんま、火打石を打ち合わせて火花を発生させ発火するもので構造も簡単なら取り扱いも簡単という夢のアイテムであった。日本じゃまるで広まらなかったがな。

と言うのも、火打石式は命中率が低いのである。前回のコメントに書いたが、諸君がライターを発火させる時、ライターの歯車を回すとどうしたってライターが跳ねるな? 完全に同じ理屈なのは歯輪発火銃なのだが、火打石式も引き金を引くとどうしたって銃が跳ねるのである。これでは当たるものも当たらん。しかも日本の火打石は質が悪いから日本産火打石式は不発も多かったのだ。しかも高温多湿で雨が多い関係上、日本産でなくてもアルクビューズのが確実に撃てる始末。広まる要素がないな。

それ故に日本ではアルクビューズが後々まで残ったのである。まぁ、言っても火打石式発明は1610年なので残すところ大坂の陣しかないんだが。まぁともあれ、アルクビューズが当時の銃としては狙撃向きの日本人好みな武器だった事は確かだ。日本のは瞬発式だし余計だ。しかし、朝鮮水軍の記録に狙撃されたってのが出てくるんだが水上戦で狙撃ってどういう腕してるんだろうな、ほんとに。船って意外と揺れるんだぜ…


この時代になるとマスケットという単語が前装式銃の一般名詞となる。今まで敢えてマスケットという単語を一般名詞として使わなかったのは、本来マスケットというのは大型で威力の高いアルクビューズのことだったのだ。実際、テルシオの前面銃兵はマスケット、他は通常のアルクビューズ兵である。それが、時代が下って一般名詞となったのだ。ここからは、前装銃の一般名詞を火縄銃からマスケットに切り替える事にしよう。

マスケットの、次に重要な発明は銃剣である。これについては前の前の記事で詳述したが、とにかく重要な発明であった。ちなみに発明した逸話そのものは間抜けで、フランスの田舎町バヨネ(これがバヨネットの語源)で農民同士の喧嘩の時若者がマスケットを持ち出し、その火薬が尽きた為ナイフを銃口に差し込んで振り回した。

そう、この頭がいいんだか悪いんだかよくわからん若者の思いつきで槍が戦場から消えたのである。

ちなみに、さっき「銃口に差し込んだ」と言ったとおり、初期の銃剣というのは装備した状態で撃てなかった。一応、差込式は刺した後抜ける事が多いので改良されたのだが差込式→ソケット式というアレな進化だった為、結局銃剣装備では撃てなかった。銃剣装備状態で撃てる様になるのは、大体ナポレオン戦争からである。尚、マスケットは大体2メートルあり銃剣も40cmぐらいはあるので、装着すれば結構な長さの槍になる。


さて、ここまでは前々回の記事で書いた範囲内だな。んで次に行きたいのだが、その前にちょっと砲兵の話を。砲兵というか、統合作戦の話と言うべきか。統合作戦というのは、例えば歩兵と騎兵と砲兵がいたとしてそれぞれの兵科がバラバラに好き勝手に戦うんじゃ効率悪いから、それぞれが協力して機能的に戦い戦果をあげよう、という概念である。

さて、当たり前の話すぎて説明が逆に難しいが、A軍という軍隊があるとしてだな。そのA軍が実際に戦闘をはじめる時、A軍の司令官は普通一人である。A軍には歩兵、騎兵、砲兵がいるだろうが、その全兵科が司令官の命令に従う。これはどんな軍隊でも基本的に変わらない。

だが、司令官が砲兵に支援攻撃を命令した時、即これに応じる場合と部内で前向きに検討しますと言われてしばらくしてから攻撃が始まるのでは話が全然違う。この差がどうして出てくるのかという点については二つ考えられ、一つは組織の編成の問題、一つは技術的な問題が指摘できる。

特に古代はそうだが、騎兵などは傭兵が多かった。前々回の記事でも書いたが、ローマのレギオン(ローマ式密集槍方陣)の両翼には騎兵が展開している場合が多い。しかしその騎兵というのは大体雇った外人部隊だ。前回の記事で書いたクレシーの戦いにおけるフランスのクロスボウ隊も、ジェノヴァ人傭兵部隊だ。

傭兵というのはその時代によってあり方が変わるが、中世からこっち、傭兵隊長の下に集う戦争請負会社という面があった。私がある程度詳しく知ってるのはランツクネヒト(ドイツ人傭兵)ぐらいだが、隊長が戦争を請け負うとまずリクルートが始まる。

来たれ若人みたいな広告を打ち、大体3グルデン(ドイツ金貨)で一人雇う。雇い主から貰った金を使って槍とかの装備を買って彼らに与え、軽く訓練を施して編成し、後は戦場に出るのだ。

こういう部隊が戦場で自軍に加わっていると、機敏に軍隊を動かすのは難しい。傭兵隊長は司令官と契約してるから、司令官の指揮下にはある。だから一応命令も聞く。しかしこの傭兵部隊は傭兵隊長の部下であって司令官の部下ではないので色々と不安なのは避けられない。練度も違えば指揮系統も違うからな、同じ命令を発しても他の部隊と同じように反応するとは限らないという致命的な問題がある。

それこそまさに、命令によっては追加料金を頂きますという世界だ。ちなみに、こういうタイプの傭兵部隊を率いた最大最後の傭兵隊長こそヴァレンシュタイン(アルブレヒト・ヴェンツェル・オイゼービウス・フォン・ヴァレンシュタイン)である。

このタイプの傭兵部隊には大きなメリットがある。戦争する時だけこういう傭兵を雇い、戦争が終わったらクビにする。そして普段(戦争してない平和な時)は軍隊を持たない。こうしておけば金がかからないのである。いや、無論金がかからないだけじゃないが。そもそもランツクネヒトの起源はスイス人傭兵の模倣にある訳だし、中世世界の特性によってランツクネヒトが要求された訳だし。まぁ細かくなるので割愛する。

しかしまぁ、当たり前だがこんな傭兵部隊、強い訳がない。基本的に戦争を請け負ってから兵隊を集めるし、訓練期間も三ヶ月がいいとこ。しかも金目当てのごろつきばっかりである。又、このタイプの傭兵は使いにくい。傭兵隊長の扱いを間違えると隊長が増長し雇い主に刃を向ける可能性すらある訳だからな。

そこで、テルシオ登場以降は傭兵をこういった形で雇わなくなっていく。テルシオでは、傭兵を雇うにしても常備軍として、普段からずっと雇い続けた。又、兵士三百人につき四人から六人の士官をつけた。つまり50~75人に1人隊長がつくという状態にし、この士官は貴族が任命された。つまり傭兵を雇っていてもそれを率いるのはスペイン正規軍なのだ。これなら、傭兵もちゃんという事を聞く。スペイン軍では以前から士官を配属していたらしいが600人に一人だったのであまり効果がなかった様だ。

全軍がいう事を聞かなければ、各兵科各部隊を機能的に運用する事はできない。砲が耕し騎兵が蹂躙し歩兵が制圧するといっても傭兵の騎兵部隊が命を惜しんで真面目に突撃しなかったらそこで躓くからな。

実際、カラコール戦術なんか酷かった。カラコールというのは、歩兵のどいつもこいつもが密集槍方陣を組むもんだから騎兵が突撃を諦めた時代に流行った戦術である。大体テルシオ登場前から三十年戦争までぐらいか。拳銃を持った騎兵が敵歩兵の陣列に近付き、至近距離で発砲して反転逃走、敵マスケットの射程外で再装填しもう一回近付いて撃って又逃げる、というAOCというゲームでよく見る光景である。

ただこれ、意図してやった場合も勿論多いのだが司令官が意図せずに発生した場合も多いのである。どういう事かって、死ぬの嫌な傭兵の騎兵が敵前で一回だけ撃ってほら、給料分働いたよ、撃ったもんって言ってさっさと逃げた結果カラコールになったのである。

使えないことこの上ないな。


第二の技術的問題だが、これは特に砲兵特有の話である。

大砲は誕生以来、重いものだった。まぁ今でも重いが、とにかく重いものだった。なので半固定で使うものであり、機動させるのは難しくてかなわない。よって、攻城戦なら相手が動かないからいいが、野戦だと運用が難しい。

決戦場まで持っていくので一苦労だし、いざ戦闘が始まっても敵が射程外に行ったが最後追いつけないからな。しかも射程だってそんなに長い訳じゃない。七年戦争の野戦砲で300mぐらいだ。マスケットの有効射程が100mなのを考えても、敵が襲ってきたら大砲を放り出さない限り兵隊全員即死である。又、自軍が敵とある程度近付いてしまうと味方を撃ちかねないので撃てなくなってしまう。

それでも、大砲は使用実績を確実に重ねていった。やはり強力な兵器だったのである。特にこの時期は密集槍方陣が主力だ。「砲が耕し」の言葉どおり、密集している槍兵に大砲を撃ちこめばヒャッホーイと言わざるを得ない状態になる。又、その密集槍方陣を強化したテルシオとの相性は意外にも抜群だった。何せ、テルシオは馬鹿デカくて動くのが難しく、攻撃よりも迎撃向きだ。なら、大砲を置いて敵を砲撃しほらほら攻撃してこないなら狙い撃ちだぜwwwwwwwとしてしまうのである。

とは言え、いくらテルシオの動きが鈍いと言っても大砲の動きはそれ以上に鈍かった。これを解決したのがグスタフ二世アドルフである。彼は連隊砲とか歩兵砲とか呼ばれる新型の軽量砲を開発、多数配備したのだ。連隊砲の配備により、大砲は歩兵の機動についていける様になった。いやまぁ完全についていける様な技術革新が達成されるのはもっと後の話なのだが、スウェーデン式大隊の密集槍方陣+マスケット隊には結構ついていけた。

というのも、テルシオほどではないにせよ当時の陣形は機動が遅いのである。横隊のまま進軍するとどうしても陣列が乱れる為、ある程度前進したら全隊止まれを命令し士官が見回って変な位置にいる兵隊を元の位置に戻すという体育教師と生徒みたいな事をしていたのだ。しかしこれをしないと陣列が乱れてしまい、密集槍方陣もマスケット隊も意味がなくなくなるのでやらない訳にはいかないというジレンマ。

まぁともかく、連隊砲の配備により砲兵は歩兵との協同作戦が可能になった。さっきも言った通り三兵戦術の基本は「砲が耕し騎兵が蹂躙し歩兵が制圧する」だが歩兵についていけなけりゃ耕そうにも耕せない。この点で、グスタフ・アドルフの軍隊は非常に画期的だったのである。これ以降、砲兵は重要な戦力として統合作戦の一角に組み入れる事が可能となったのだ。

ちなみに、彼の軍隊がもう一つ画期的だったのは騎兵改革である。この時代、騎兵は殆ど突撃せず、さっき言ったカラコールばっかりやったおった。しかし彼の軍隊の騎兵は、手にした拳銃はほぼ持ってるだけ。スウェーデン軍騎兵の仕事は抜剣しての突撃だったのである。当時、拳銃の射程は5mと言われており、カラコールでは正直歩兵を蹂躙するのは無理だった。しかし騎兵突撃が復活した事により、騎兵による蹂躙というプロセスが復活、「砲が耕し騎兵が蹂躙し」が可能になったのだ。


…ようやくここまで来たか。実は、スウェーデン式大隊以降の話は私も他人に説明できるほどには知らんので本を買って読んで調べたり、現実逃避したりしてたのである。まだ書きあがっておらんのだが、いい加減前の記事アップしてからから時間たってるしな。と言うか、今回の記事はその話の前段階なのだが、字数確認したら既に7000字以上あったのでこれで上げる。

2 コメント

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Unknown (バロスの中身)
2011-01-12 19:39:42
>水上戦で狙撃ってどういう腕してるんだろうな、ほんとに。船って意外と揺れるんだぜ…

まぁ日本人は狙撃が昔から?好きでしたから
那須与一宗高とか遠藤秀清、俊通の兄弟とか大島光義とか明智光秀とか・・・あとデューク・東郷とかw

第二次大戦時も名前は残していませんが結構凄腕な狙撃手がゴロゴロいたとか

結構日本人って戦いにおいて求道者みたいなところありますからね
剣術を極めたり、弓術を極めたり、甲冑術を極めたりw

船上で狙撃は不可能では無いと思いますね、しかし相当な腕が必要かと
それこそゴルg(ry
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Unknown (霧島)
2011-01-13 05:55:45
昔から何故か日本は弓、と言うか遠距離武器が好きなんですよね。元寇の時も元の司令官が弓で鎧貫かれてぽっくり逝っちゃったし、清正公も槍のイメージ強いけど火縄銃の名手でしたしね。

第二次大戦はやっぱりあれですかね、38式とか99式の狙撃に強い特性の表れなんでしょうか。まぁ後平原会戦みたいなのが全然ないですしね…欧州と違って



甲冑術wwwww

あるあると言わざる得ない



お、船のプロのお墨付きが出た。そう言えばごのれごって狙撃できるんだろうか…
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