霧島家日誌

もう何が何だかわからないよろず日誌だ。

マムルークとイェニチェリ 前編

2011年01月20日 18時56分42秒 | 社会、歴史
ごきげんよう諸君。いかがお過ごしかな。私は最近忙しかったり体調悪かったりフリーズしたPCが再起動中windowsを起動しています画面で再度フリーズしたりと大変困った毎日を送っておる。本当に寿命だな。そんな訳で、新発売となったsandy bridgeのCPUとマザーを注文した。他の部品が原因じゃないかと思うかもしれんが、USBポートがマイクロソフトのマウスしか受け付けないからまぁ原因はマザーだろう。

しかし何でここまで外れ引くんだ私は。

又、ノートPCもいい加減死に掛かってたんで買い換えた。新型のCF-F9も持っていたのだが個人的にvista以上の糞OSと認定したwindows7搭載であり、AOCができない。いや、できるんだが色バグを起こして16色になるのだ。

ゲーム自体はまぁ普通に動くんだが、いかんせん私がやるのは4vs4である。青色の味方が来た!と思ったら紫色の敵だったとかザラである為、大変問題である。解決法としてはexplorerを落とすしかない(つまりAOCが終わったら再起動必須)。ぶぶりじゃなければバッチファイルで事足りるんだが…

又、ROが動かない。windows7でROは動く筈なんだが、あのPCだと動かない。よって、私が京都を留守にしてデスクトップPCが使えなくなると露店が開けなくなる。そんな訳で、新しいXP搭載のノート購入を決意したのである。CF-N9JCCP。さっきのサイトにも多分載っておる筈だ。マイクロソフトと契約の関係上XP搭載PC出荷は去年で終わりらしいので、あわてて買ったという側面もある。

あと、マウスも新調した。こっちは別に壊れた訳じゃなかったんだが、AOCをやってるとボタンがいっぱい欲しくなってな。ゲーム中左手を全然使わない私としては、色んな操作を右手でやりたいのである。そこで、某インゼルって人にお勧めされた何を考えて作ったんだかわからないマウスを買った。

MMORPG向けを謳った17ボタンマウスであり、サイドボタンとして電卓状に12個ボタンがついてる大変お馬鹿なマウスである。どうでもいいが、これの宣伝ページの開発経緯に「彼らは一日中MMORPGで遊んでいるのにMMORPGにはどんなマウスがいいのか考えてこなかったのです」とか書いてあるんだが遊んでないで仕事しろよ。


さて、本来は前回に続いてようやくドイツ三十年戦争後のマスケット戦術について述べたいのだがいい加減このシリーズ飽きてきた人もいるだろうと思うので小休止といこう。先日、mixiで2の18乗氏の日記にコメントをしておったら、「AOCに出てくるユニットで世界史に出てくるユニットってあるんですか?」とか言われたんで、又元ネタでも探っていこうと思う。

ま た A O C かとか言われそうだが、今回はゲームに関係なく、単純に歴史の話であるから勘弁してくれ。

さて、AOCのユニークにはそれぞれちゃんと歴史がある。ロングボウについてはクレーシーの戦いで記事にしたし、三国志好きならば連弩についてある程度知っているであろう。しかしながら、これが世界史に出てくるかと言われると出てこない。何故なら、ロングボウとか連弩が世界史に大きな影響を与えたかと言えば…結構重要なんだけどなぁ。

いや、連弩は正直どうでもいいが、ロングボウはイングランド軍の主力であり、その編成は自由農民である。これは百年戦争とかで中小貴族層が没落して、貴族(騎士)から農民へと軍隊の主力が移った非常に象徴的な出来事なのだ。それに向こうの貴族ってのは日本の貴族と違って戦う人だからな。西欧の貴族身分は日本史でいうと武士身分に近いのである。

戦う人だからこそ、連中の城ってのはどんなに壮麗でも大変住みにくい環境にある(ベッドだってただの巨大なソファで、背もたれに寄りかかって寝るのだ。襲われた時戦える様に)し、王だろうが何だろうが戦場へ出かけていく。イングランド王リチャード一世獅子心王は中世騎士道の体現者であり十字軍の英雄として有名だが、十字軍とかにかまけてイギリスには一年も滞在しなかった王様である。アーサー王伝説だって、アーサー王は自ら軍を率いてローマ帝国を滅ぼしておる。

そんな、戦う人である貴族・王から耕す人である農民に軍隊の主力が移ったというのは、大変象徴的な出来事なのだ。そういう意味で、ドイツ人傭兵ランツクネヒトやスイス人傭兵ももっと世界史で取り上げられるべきものなのだがいい加減話がそれまくりなのでやめておく。

さて、世界史に単語として出てくるユニークといえば、まず何よりもイェニチェリ、そしてマムルークコンキスタドールであろう。あと、名前は出てこないがそれらしきものを学ぶ機会がある、という意味ではマングダイがある。尚、チュートンナイトはチュートン騎士団所属騎士って事で、ユニークと言えるユニークが思いつけないこの文明で色々無茶した結果だが、こいつのドット絵は十字軍時代の典型的な騎士の格好である。なので、絵でこういうのを見る機会はあるだろうな。今回は、マムルークとイェニチェリを扱う。



さて、まずはマムルークである。

マムルークは「所有されるもの」という意味であり、要するに「奴隷」という意味の単語である。しかしながら、実際にはイスラム世界の白人の奴隷軍人という意味で使われる場合の方が多い。ちなみに白人というのは黄色人種を含む。と言うのも、一般的にイスラム世界では黒人以外は全員白人と考えられているからだ。現代とかはともかくな。

奴隷と言うと、普通はアメリカ南部の黒人奴隷とかそういう悲惨なものを思い浮かべる。勿論一般的には悲惨である。しかしながら、イスラム世界における奴隷制というのは非常に独特だ。例えば、イスラム世界の奴隷は信仰の自由が認められている。(゜Д゜)ハァ?となるかもしれんが、認められておった。

ユダヤ教、キリスト教、イスラム教は旧約聖書を聖典とする一神教の三兄弟な訳だが、イスラム教はその中でも独特な部分が多い。例えば、キリスト教はカトリックとプロテスタントの言葉では言い表せないぐらい残念な争いを見ての通り、他宗教に対する態度が非常に排他的だ。と言うか、カトリックとプロテスタントにいたっては同じ宗教だからな。同じ宗教なのに解釈が違うだけで殺し合いまくっておる訳である。まぁ同じ宗教だからこそ、自らの信じる神を歪める異端を許せないというのも判らんではないが…

キリスト教的世界観においては人間と認められるのはキリスト教徒のみである。平氏にあらねば人にあらず、なんてのは割と比喩的表現の気が強いがこっちはマジだ。例えば、ちょっと前の記事で「ボウガンは非人道的兵器であるとしてローマ教皇により使用が禁止された」と書いたが十字軍なんかでは普通に使っている。

非人道的兵器であろうとも異教徒相手ならOKなのである。ヘルシング外伝(?)のクロスファイアで、キリスト教徒にはヴァチカンの人道主義を適用するけど異教徒はサタンの手先だから人間じゃないし皆殺しだよみたいな事を旧式の課長が言っておったが、リアルにそんな感じである。

だからこそ、教会が非常な権力を有する事が出来たのだ。何せ、教会には破門という伝家の宝刀がある。破門すれば、そいつはもうキリスト教徒ではない。キリスト教徒でなくなった瞬間そいつは人間ではなくなり盗賊に襲われようが殺されようが誰も助けてくれない。だってサタン様の手先だもん。むしろ死んでくれた方が世の為人の為だ。欧州ではどんな小さい村にも教会はあったが、教会がまるで領主であるかの様に振舞えた理由の一端はここにある。

話が逸れ気味だが、キリスト教徒はこれぐらい排他的な訳である。イスラム教徒など、キリスト教の支配する欧州世界では生存するのも難しい。しかしながら、イスラム世界にはキリスト教徒もユダヤ教徒も普通にいた。基本的に二等国民扱いではあったが、一般的に信仰の自由も認められていた。

つうのも、キリスト教にしろユダヤ教にしろ、彼らにとって他の宗教は悪魔の手先。異端扱いである。しかしながら、イスラム教はイスラム教誕生以前の両宗教の功績を高く評価しておる。イエス・キリストはイスラム教でも聖人なのだ。しかしながら、ユダヤ教にもキリスト教にも欠点や矛盾はある。

そういった問題をすべて解決した、最高にして最後の宗教こそイスラム教であると、彼らはそう考えているのだな。

故に、他教徒の扱いにも余裕がある。彼らはまだ古い考えに縛られているが、やがては真実の教えであり最高の宗教であるイスラム教に帰結するだろう、そう考えているのだ。逆に言えば白人見ただけで殺しにかかってくる現代アフガンの方が異常なのである。この間も白人医者が10人ほど殺されたな。

これは多分、それだけイスラム世界に余裕が無いからだろう。中世はイスラム世界が先進国、欧州が後進国という今から考えるとありえない状態で、政治はともかく、経済、軍事、学問、あらゆる面でイスラム世界が圧倒的な優位にあった。であれば後進国の宗教にそう目くじらを立てる理由もない、そう言ってしまえばまぁその通りである。

実際、資本主義国家である現代の日本に社会主義者がいても生暖かい目で見られるだけである。しかしこれが一昔前であれば、社会主義者は危険思想の持ち主として特高警察に逮捕されたり赤狩りで職場から追放されたりしたのだ。資本主義の本場アメリカでも、赤狩りでは偽証、証拠捏造、自白強要、密告強要とやりたい放題やったのだからな。それぐらい社会主義が脅威だったのだ。

それと一緒だろう。今のイスラム世界はどう見たって後進国の塊だからな。


話が盛大に逸れた気がするが、取り敢えずイスラムというのは独特である。これは奴隷制も同じだ。さっきも言ったとおり信仰の自由があったし税金も取られた。奴隷制についてはマホメットがちゃんと言及しており、彼は奴隷制を肯定している。その上で奴隷に教育を施し解放して自由市民とする事を推奨していた。解放奴隷を出した者は天国で二倍の見返りを得られるといわれておる。

一般的に、イスラム教は現実的な宗教だといわれる。一夫多妻制なのも、イスラム教創始当時のあの辺は長引いた戦争で男の数が激減しており、一夫一婦では人口が減る一方だと考えられたからだそうだ。奴隷制も、その教義からして存在が認められない筈のキリスト教圏である欧州でさえ廃止されたのは十九世紀だった。それを考えれば、無理に廃止しようとするより奴隷制そのものは肯定して、解放奴隷を増やした方が現実的だろう。

そんなイスラム奴隷制だが、イスラム法によって色々と厳格に決められている。例えば新規の奴隷は戦争捕虜からしか採ってはならない(つまり欧州みたいにアフリカとか行ってそこらの黒人をとっ捕まえて奴隷にするのは駄目)し、それ以外で増やすなら購入のみ、とかな。マムルークも基本的には購入された奴隷である。

しかしだ、いくら解放奴隷即ち自由市民になったと言ってもそのまま一人で生きていくのは難しい。なんとなればだな、諸君は就職する時履歴書に学歴を書くし、採用する側はそれを参考にする。言ってみれば、解放奴隷ってのは学歴とかそういう部分が白紙みたいなもんなのである。これでは就職するのも難しい。なので、元主人が職を世話したり金銭的な援助を行ったりと解放後も関係は続くのである。

それに、考えてもみたまえ。一歩間違えれば、アメリカ南部の黒人奴隷みたいな素敵な環境に放り込まれてたのが奴隷である。それがイスラムの理想的な主人に当たった場合、教育を受けさせて貰ってその上自由市民にまでしてもらったのだ。親子の様な関係が出来て当然である。実際、一般市民はともかく、権力者の奴隷というのは労働者と言うより子飼いの軍人もしくは商人とでも言うべき存在であった。親子の様な信頼関係を持つ部下、これほど頼もしいものは無いからな。

その子飼いの軍人が強ければ、もう何も言う事は無い。そしてその強かった奴隷軍人こそマムルークだったのである。833年にアッバース朝のカリフとなったアブ・イスラク・アッ=ムウタスィム・イブン・ハルンは、テュルク系遊牧民をマムルークとして大量に雇い入れた(?)。遊牧民の常として勇敢且つ優秀な弓騎兵だった彼らは精鋭部隊として名を馳せて各地の戦場で活躍、以後、イスラム世界の軍事力はアラブ人orペルシャ人軍人からマムルークに取って代わられるのである。

その勇猛さは、十字軍の際西欧各国にも知れ渡った。サラディン(サラーフ・アッ=ディーン)と言えば、諸君も名前ぐらい知っているであろうクルド人の英雄だが、何で有名なのかってエルサレムから十字軍を追い返したのである。当時、十字軍はエルサレムを制圧して王国を築いていたのだが、そこにサラディン率いるアイユーブ朝が攻撃を仕掛けたのだ。この時勇猛をもって鳴ったテンプル騎士団すら壊滅したが、その立役者はやはりマムルークだった。

このマムルーク、最初は戦争捕虜から補充していたのだが、イスラム世界の各王朝が採用する様になった事でそれでは足りなくなった。結果、奴隷商人から買う事になったのだが、我々にとっては驚くべき事は「マムルークになる奴隷を探してるんですがお宅の息子売りませんか?」と言われると割と躊躇なく売ってるという事実である。

マムルークは確かに奴隷だが同時にエリート軍人でもある。こんな糞田舎で燻ってるよりはと喜んで差し出したらしいな。勿論別の場所に売り飛ばされた連中も多数いるだろうが、マムルークにするから売ってくれと言われると普通に自分の子供を売っていたらしい。しかも、自分をマムルークになれるようイスラム世界に連れてきてくれた奴隷商人ありがとうという意識まであったらしい。実際、何度も言っている様にイスラム世界の奴隷というのは独特で、奴隷の聖人までいる。

ビラール・ビン=ラバーフ・アル=ハバシーという人はイスラム初期の聖人で、理想のムアッジン(て職みたいなのがあります)として今でも尊敬を受けているが、こいつはマホメットの黒人奴隷だ。しかも、その直系のハバシー家は非常に格の高い家として尊敬を集めているというから、我々の常識では測れない世界だ。さっき言ったアッバース朝のカリフ、ムウタスィムの母も女奴隷である。皇帝の母は女奴隷。14世紀に入るとテュルク系遊牧民の確保が難しくなり、マムルークの供給源はカフカス人、アルメニア人、ギリシャ人、スラブ人など多岐に渡った。


さて、その14世紀より前。第七次十字軍の時、対峙したアイユーブ朝(サラディンが開いた王朝)の君主サーリフが急死する。すると奴隷出身のサーリフ夫人シャジャル・アッ=ドゥッルはマムルークの支持を受けて政治の表舞台に登場、更にクーデターを起こした。彼女はマムルークのアイバクと結婚して君主の地位を譲る。こうして奴隷軍人が君主の国マムルーク朝が誕生する。まぁ、奴隷軍人とは言ってもある程度昇進した後は自由市民扱いにはなってるがな。

マムルーク朝は軍人の王朝だけあって強い文明で、1291年、ついに最後の十字軍領土を制圧。十字軍を完全に打ち砕いた。当初、宗教的理由で来たとはまったく気づかずなんか野蛮なフランク人が襲ってきたとか思われてた第一回が1096年。それから約二百年、ついにマムルークのマムルークによるマムルークの為の王朝によって終止符が打たれたのだ。又、この王朝は軍人らしく世襲ではなかった。スルタン(君主)が死ぬと一番有力なマムルークがスルタンとなるのである。

アレキサンドロスかお前らは。

そんなマムルーク朝だが、やがてマムルーク同士の内紛が元で弱体化していく。そして、次にのべるイェニチェリを擁するオスマン・トルコに敗れ、滅亡するのである。



4 コメント

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Unknown (ごてぃ)
2011-01-21 22:59:17
7はまだ触れたことないんでよくわからんのですけど、7ってProfessionalだとXPモードが使えるとか聞きました。
やっぱ、互換が完全じゃないとか負荷大きくなるとかそんな感じなんですか?
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Unknown (霧島)
2011-01-21 23:28:18
まぁエミュレートなんで負荷はありますね。あと互換はそんな完全じゃないです
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Unknown (2の18乗)
2011-01-22 21:08:40
>ま た A O C か

俺得だぜヒャッハー!



イスラム教に信仰の自由があったのは聞いたことがあります。やはり余裕があると寛容になれるのか。

マムルーク用に息子売ってくれとかどう考えても転売目的だろそれwww
とか思ってしまうのは現代人だからですかねぇ。
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Unknown (霧島)
2011-02-02 15:39:52
それに、下手に弾圧して少数派の態度を硬化させるよりは懐柔してしまった方が有利という判断も勿論あったでしょうね。


日本人だからというか、キリスト教圏の奴隷制度を知ってるからでしょうね。実際、マムルーク用の奴隷をカフカスあたりに買いにいってた奴隷商人はイスラム教徒ではなかった筈なのでそういう事もあった可能性があります。まぁ基本的には、エリート軍人への道をサポートする総合就職サポーターみたいな存在なんですが。

あと、ちゃんとマムルークにしようとしたら本人に何らかの問題があったりしてマムルークになれず、結果として家庭内奴隷になってしまったとかそういう可能性もありますね。
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