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新撰組のふるさとから長州路へ

2009-05-11 00:48:04 | 旅行記

単なるテロ集団と言われていたのに
 我が故郷であり、今も住んでいる日野は「新撰組のふるさと」が唯一の売りである。
Photo_3  私が子供の頃、新撰組は「勤王の志士を弾圧した憎むべき敵だ」と思っていた。鞍馬天狗の敵であり、怪傑黒頭巾(その前には紫頭巾というのもあった)や月形半平太の敵だった。これらは架空の人物だが、桂小五郎を追い続け、坂本龍馬を殺した(事実は違うが)、と思っていた。
 最近は、土方、沖田の人気で、日野以外でも新撰組のファンが多い。
 武闘テロ集団として扱われていたのに、えらい変わり様だ。作家・子母澤寛氏の功績が大きい。
 私は、新撰組も興味があるが、幕末期で、もっとも魅力を感じる人物は「高杉晋作」である。昔は「桂小五郎」だったが、その魅力は、高杉晋作の比ではない。
 早死にしたことと、晋作よりずっと劣っていた二流人物が出世して脚光Photo_2を浴びたこともあり、評価が今ひとつ不足しているように思える。田中義一が爵位を貰い、栄達を欲しいままにしたことを考えると、多少無能でも、危険を避けて長生きする奴にはかなわない。

東行 高杉晋作
 吉田松陰の松下村塾で久坂玄瑞と共に、英才ともてはやされたとあるが、佐久間象山に相手にされなかったことから、天下にとどろくような秀才タイプではないのだろう。
 ただ、破天荒な行動と実行力。女をはべらせ、粋な都々逸をうなる遊び人。自ら、西行の向こうを張って「東行」と名乗った自信と皮肉、あるいはユーモアの精神。幕府軍と戦った小倉城攻防戦で見る指揮・指導力。そして、当時の教養上は常識だったのだろうが、清国人と筆談ができる漢詩・漢文の力量は並の清国人よりずっと上だった。
 英仏などとの四国戦争で負けた長州藩の降伏交渉の責任者として、領土の租借には頑として応じなかった。清国の現状を見ていたから、租借を許すことだけは絶対に出来ないと決心していた。後の日本の外交への影響は、計り知れないほど大きかったといわれている。
 吉田松陰の遺骸を、幕府の目をも恐れず堂々と運び移した事件。将軍の行列に「いよーっ、征夷大将軍」とかけ声をかけ、同行の伊藤らを慌てさせ、幕府の要人を悔しがらせた事件。
 数えればキリがない痛快な行動力がうらやましい限りだ。

新撰組のふるさとから来た
 ゴールデンウPhoto_4ィークに長州へ出かけた。
 史跡めぐりと温泉。刺身とお酒。
 行く先々で、
 「どこから(来た)」と聞かれたから
 「新撰組のふるさと。日野から来たんだよ」と応えた。
 木戸孝允(桂小五郎)の生家では、受付の女性から
 「あらー、うちは多勢やられたんだよね。でもね。今はもう水に流してるのよ。この前も、会津の人が来てねー」と、なつかし人にでも会ったように話してくれた。
 かと思うと、高杉晋作が決起した功山寺(こうざんじ)では
 「ここで高杉が伊藤博文たちと決起したんだぞ」と妻に説明していたら、居合わせたお年寄りがPhoto_5
 「ここに伊藤たちを残して、高杉はあそこから一人で寺内に入っていった」
 「高杉は、この場所に立って、檄をとばしたんだ」
 など、教えてくれた。
 「高杉の作った奇兵隊は、当時、山縣有朋が実権を握っていたから、ここにはいなかったでしょう」と応えると、老人は
 「よく知っているね。どこから来たの?」と訪ねてきた。そこで例の
 「新撰組のふるさと、東京の日野市から来た」と言ったとたん、鼻白らんだように
 「あっ、そう」と、どこかへ行ってしまった。

明治維新さえなければ
 
私が、勤王の志士びいきだった小学生の頃、父親がよく言っていた。
 「世が世であれば、うちは‥」
 「旗本300石だったんだ‥」
 すなわち、高杉が功山寺決起さえしなければ、すなわち、吉田松陰が松下村塾さえ開かなければ、すなわち、明治維新さえなければ、働かなくても食える時代が続いたということらしい。
 長州の高杉家は200石取りだった。現存している生家は、あまりにも小Photo_6さい。伊藤博文宅と比べても小さい。石高は高杉の方がずっと多い。200~300石クラスの屋敷図面を数枚持っているから、想像が付く。多分、ほんの一部。しかも裏口側ぐらいしか残っていないのではないかと思う。武家が資産を切り売りする時代を経てこうなったのだろう。
 「世が世なら」
 それより、私が言いたいのは
 「井伊直弼が開国さえしなければ、外国語の勉強なんかしなくて済んだのに」
 「攘夷を叫んだ尊皇攘夷の志士たちの豹変ぶりは、なんだったんだ。鎖国さえ続けていれば、英語以外は点数が良かった俺だ。なんとかなったはずだ」
 リタイヤした今でも言い続けている。
 
 そうだったら、むろん、西洋音楽とは出会えなかっただろう。


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