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死刑廃止に逆効果で、死刑を選択か?

2007-06-28 19:11:40 | 日記・エッセイ・コラム

  山口の母子殺人事件の高裁差し戻し審が始まった。
  被告の非人間性はあらためて述べる必要もない。記事やブログでも、こんなに関心があるのかと思うほど、記事があふれている。
  私は、うがった見方をしているで、結末にはそれを書いた。

  妻が、被告の論旨を聞いて、怒り心頭。
  「裁判所は、こんな勝手なことを言わせて、よいのか」と怒っていた。
  「裁判では、自分の言いたいことを言う権利があるから、当然話させるだろうし、それを聞いて裁判所が判断するんだ」と答えた。それにしても、前言を翻し、「そこに母親を見た」「母親に甘えたい衝動に駆られた」などは、「よくもぬけぬけと」と、誰もが思う感想だ。
  妻がさらに「弁護士がこんな知恵をつけたのか」とも言う。
  もともと弁護側は、死刑廃止推進の立場から弁護をしているようだが、この裁判では死刑制度の是非からの観点でなく、死刑制度が存続し、被告もそれを十分知っている状況での犯罪に対し、死刑に値するか、被告が更生できるか、で争うべきだと思う。再犯防止・抑止効果(抑止効果はほとんどないように思う。裁判になり死刑を意識する犯罪者が多いのではないか)、そして被害者・遺族の感情なども、国民の関心事だ。
 死刑廃止は、別なところで訴えるべきだ。終身刑もなく、最高有期刑が15年の日本で、「死刑は野蛮だから避けろ」と論じるから、「どうせ7年で戻ってくる」など言う殺人犯が出るのだ。
 最高裁が、自ら判断しないで高裁に差し戻したことが、国際的な死刑廃止への流れに逆らう形で「最高裁判例」を出したくないから、下級審に戻したのだ、と論じる人もいる。また、弁護側の対応は、被害者の感情や、我々多くの国民の気持ちを逆なでしていると論じる人もいる。裁判を欠席したことなどは、どのような理由があれ、被害者への冒涜だ。
 過去、「こんな被告には、一片の同情すら感じるものはありません。どうぞ極刑にしてください」と、弁護士が法廷で述べた裁判があった。その弁護士は、相当な批判を浴びた。「どんな極悪人でも、どこか弁護する部分を見つけるのが弁護士の仕事だ」と、非難された。
 刑事事件の裁判で、極悪人の弁護は避けたいのが本音だろう。
 死刑廃止を訴える目的で、弁護をすすんで受ける弁護士もいるだろう。

 死刑を避けたいなら、殺意はなっかたと、今回、翻した内容で最初から争うか、反省の態度で、更生の可能性を見せることだが、被告は、前言を翻した最悪の印象で争う。これでは更生の可能性も感じさせない。元々、反省が感じられない被告に、弁護団が選んだ戦法が、荒唐無稽な「母親を感じた」作戦ではないだろうか。成長期に与えた心因を論じる、犯罪者への弁護の常套手段を取り、弁護の仕事はちゃんとやる。
 しかし、この戦法で、体よく弁護を放棄したのではないかと思っている。死刑廃止。その目的に、逆効果になると判断して、今回の差し戻し審で、弁護側は方向転換をしたのではないかと、私は、思っている。この事件から死刑廃止論を訴えるのは無理と判断し、最悪の「前言訂正と陳腐な言い訳」で、理論と事件を切り離そうとしているのではないか。
 成長過程での性格のゆがみや心理を論じる弁護方法で、あえて、死刑になる可能性を高めながらも、逃げる道を選んだように思えてならない。


「その筆跡は!」 慣れ親しんだサイン

2007-06-26 21:21:20 | 日記・エッセイ・コラム

3b_1 このところ、私のブログやホームページに、よく名を出す「スー」の家を、「ナカ」と訪ねていった。私たち三人は中学の同級生で、秋にクラス会をやる目的で、相談のために集まった。
 中学のクラス会は、ほぼ40年ぶりになる。思い出話に花咲いたが、私が持参したクラスの卒業アルバムを見ても、「これ誰だっけ?」と全員の名前が分からない。三人で、それぞれ思い出しながら、名簿と照らし合わせ、なんとか特定できたが、「今どこにいるか」となると心許ない。
 スーが、卒業時に「寄せ書き」を交わしたサイン帳を持ってきた。私のは、どこにあるか分からなくなってしまっている。なつかしい文字、筆跡が並んでいた。むろん、私の寄せ書きもあった。以前、よく書いていた漫画も書いてある。
 よく残っていると思った。もっとも、スーも卒業アルバムは失ってしまったそうだ。
 3年A組の仲間の他に、隣のB組からも、三人だけ書いて貰ったそうだ。なぜPhoto_106隣のクラスのサインがあるのか、わからないと言う。特に親しい人でもないと言う。
 同じクラスで、故人になった人が分かる人だけで二人いる。一人は高校時代。もう一人は3年ほど前に亡くなった。
 私は、高校時代の友人と大学時代の友人を昨年相次いで失った(当ブログの「アルルの女はミルクの香り」を参照してください)。その二人がB組にいたという話をした。
 「この6月25日がSの一周忌で、9月25日がNの一周忌なんだよ。二人のこと知っている?」と聞いたが、スー、ナカ共に、よく覚えていない。
 スーが「あれ、この二人かな?」と言って、サイン帳の後ろの方のページをめくった。
 B組の三人の寄せ書きのうち、二人は、そのSとNであった。どちらも、ずっと馴染んできた文字だ。
 「なんで彼らにサイン貰ったのか分からない」
 「Sは小柄だったよなあ。Nは分からないなあ」と言う。

 私は、サイン帳を借りて、スキャナーで取り込んだ。S独特の「さんずい」で書く「潔」の字。私は、よく「ケツ、ケツ」と呼んだ(読んだ)。吹奏楽部の活動日記を交代で書いていたが、「今日Photo_107はケツの番だ」、「いやトミの番だ」と譲り合った。「潔」の、十代当時のサインが、目の前にある。偶然、スーが持っていた。いつでも見られるパソコンの画像として保存した。
 Nは筆跡が私に似ているので、試験の答案を取り替えて、お互いの得意な問題を書きあった。ついには、試験の範囲を半分ずつ勉強して、試験中に取り替えることまでした。Nの文字は、いくぶん幼いが、大学時代でも、私同然下手だった。

 思い出すたびに、くやしくて、スーやナカとも、「健康に気を付けような」と言い合った。スーは3月に大手術をしたばかりだ。ナカも同じ病気の疑いで、定期的に検査をしている。

 友達とは、会えるときに会っておかないと、一生、後悔する。 


柿本人麻呂も嘆く、「合い挽きの…」

2007-06-25 12:47:17 | 日記・エッセイ・コラム

 よくも、まあ、企業の不正が続くものだ。
 牛肉に、豚や鳥、しかも内臓まで混ぜて出荷していたミートホープ社。そして、言い訳がすごい。
 最初は、「ラインが同じだから、混ざってしまいPhoto_105、それを容認してしまった」程度だったのが、「工場長から、牛肉が足りないから、混ぜてもよいかと相談があり、承認してしまった」となった。その程度の関与ではないことは誰だって分かっている。社長が主導しているのは、ごく当然だ。
 いずれ分かってくることなのに(混ぜる方が味がよくなる。俺の発想力はすごい、と言っていたそうだ)、記者会見の席上で「誰が、言い出したのか」の質問に対して、「工場長から相談があり、了承したこともある」と、まだ部下に責任を転嫁していた。工場長からは「指示は、社長からだと思う」と、精一杯の反抗を受けてしまう。役員の長男から「正直に」と促されて、「指示したこともある」と変わっていったが、それでもまだ「‥‥こともある」と、全面的に命令してきたわけではないよう、言い張る姿勢は、愚かでしかない。
 ここまで来たら、部下に責任を転嫁するのは、みっともないだけだ。工場長の困惑しきった顔。これだけでも十分、ワンマン社長の全面的な主導が伝わってくる。
Photo_104 
 今回の騒動で、不可思議でしょうがないのが、農政事務所の対応の不自然さだ。現物を持参して内部告発をした者に対し、「証拠がないと‥‥」と応えたそうだ。証拠を持参しているのにも関わらず。
 本当に証拠が必要なら、自分たちで証拠を集めようとするのが本来の姿ではないか。「証拠がないと、難しい」と言う言葉には、「やりたくない」という姿勢が見られる。役人によく見られる姿勢だ。自分の任期中は何事もないことを理想として、面倒なことはやりたくない。万一、失敗したら大変だ。だから、いろいろ言い訳をする。後で問題になったときは、告発者の言い分と違うニュアンスの解釈をしたと、言い訳するだけで済む。ミート社から、なにか便宜を図られてるのではないかと、疑われても仕方ない対応ぶりだ。
 そして、ミート社役員構成。専務が三男坊で、長男の方が格下だ。三男の方が有能なのか?これまでの貢献度合いが違うのか?
 その格下の長男が、父親の社長に忠告した。その家族関係もよく分からないが、あの会見を見た限りでは、社員の人望は、長男氏にあるだろうと思う。

 私が若い頃、このような人間関係の商社と取引をしていたことがある。弟が専務で、長兄が閑職にあり、修理工場の工場長で、ヒラの役員だった。
 社長の後妻さんの息子が専務。亡くなった先妻の息子が工場に追いやられていた。当時は社長も亡くなり、後妻さんが経営を牛耳っていた。専務は接待ゴルフに忙しく、社員の人望は圧倒的に長男氏にあった。社員の賞与の件で、長男氏と弟専務が、専務室で激しく言い合っているのが、事務所にも聞こえた。同族への配当を減らし、ボーナスに上積みしろと言う長男氏に対し、「いいかっこするな。兄貴は経営が分かっていない」が、専務の応えだった。
 それを思い出した。その会社は、もうない。長男氏が独立し、社員は、ほぼ全員ついて行ったと、後に聞いた。


「素性怪師と赤面のうさぎさん」

2007-06-20 21:49:51 | 日記・エッセイ・コラム

Photo_100 新興企業の不祥事が続く。時代の寵児となった人たち。ホリエモンに始まり、村上ファンドの村上被告。最近のコムスン問題の折口会長、NOVAの猿橋社長と続く。
 折口会長の、自宅や別荘を見て、ただ驚くばかり。これが老人福祉を志す人間かと、疑問に思う。だいたいコムスンの本社が、何故「六本木ヒルズ」なのか。よい人材を採るために必要なステータスだったと言うが、コムスンのヘルパーさんが、「うちの会社は六本ヒルズです」と心のよりどころにしていたとか、ヒルズが自慢だったとは思えない。そんな金があるなら自分たちに回せというのが本音だろう。きついノルマで縛られた管理者たち。ノルマを果たすために、必然的に起きた不祥事だ。
 親会社のグッド・ウィル会長は、自信の貧しかった過去のこと、その経験から、社会に貢献したくて事業を始めたことなど、美談として話をしていたが、どこまで本当か。厚生労働大臣から表彰まで受けたが、結局、その本音、素性が怪しいと言うことだろうか?
 Photo_102
 NOVAもひどい。教室はどんどん増やしたが、教師は減っているという。予約なんか取れるわけがない。受けたい時間は集中するに決まっている。予約が取れず教習が受けられなくても、ポイントは減っていくという。
 NOVAうさぎも恥ずかしそうに赤くなっている。


ガキ大将はワルガキだったとスーが言った。

2007-06-18 17:52:33 | 日記・エッセイ・コラム

 最近、市内のあちこちで、小・中学の同級生に出会う。定年世代で、昼間も会う機会が増えた。
 近くのコンビニに行くと、「よっちゃん」がレジをやっていた。定年で、再雇用も断り「酒代だけは自分で稼がなくちゃあ」と火・木曜日の午後だけ働いているそうだ。「再雇用って言ったって、年収が半分になるのに、電車で1時間半の通勤は、もう勘弁してくれ、だよ」と言っていた。 「俺と全く同じだよ」
 スーパーで、inoueに会った。こちらは、今までの年収を保証する条件で再雇用に応じたそうだ。9月までの契約だったが、3月まで再延長するらしい。もっとも、ここ数年の年収は何割か減っていたそうだが、少し遠い勤務地でも、恵まれている方だと言える。
 八百屋をやっていた「スー」は、土地再計画利用の立ち退きと、病気もあって、商売をやめ、浪人中だという。京都へ2週間も旅行に行っていたくらいだから悠々自適で、浪人というより、ご隠居さんだ。バンド演奏の仕事で、主催者と演奏家の立場で、このところ何回か会った。私の高校合格発表を一緒に見に行ったことなど、私が忘れていたことを思い出させてくれた。彼は「再雇用」こそ関係ないが、既に奥さんを亡くしているので、「さい(妻)」が必要か。雇用というわけにはいかない。
 mamoは、市役所の幹Photo_96部だったこともあり、関連するところに行っている。いわゆる天下りというやつか。昨年、バスの中で会って、お年寄りと思って席を譲ってしまった。痩せている上に、真っ白な頭髪で、まさか同級生とは思わなかった。
 nakaは、再雇用でやはり年収が半分ちかくになったそうだが、勤務地が比較的近く、田舎の方へ通うので通勤は楽だし、やることがないから延長に応じたという。「tomiは趣味があるからいいな」と反対にうらやましがられた。
 tatsumiが、再雇用を断り、定年退職者の人材バンクを立ち上げたと、スーから聞いた。

 今後、会う機会がどんどん増えるだろう。会おうという機運がみなぎっている。会うと、小学校、中学校時代に戻ってしまう。完全に十代の若者の会話だ。私を幹事に、クラス会の計画が進む。私は、クラスの悪い方の旗頭だったことも、思い出させてくれた。
 みんな、中学の同級生だが、高校、大学はそれぞれ違う。

 私と、同じ中学から同じ高校に入った、ただ一人だけの友人shiino。同じく、中学が一緒で、一人だけ、大学も一緒だった友人y,nakajimaは、この中にはいない。
 shiinoは、この25日(6月)が命日である。nakajimaは9月25日。早くも1年経ってしまう。還暦を過ぎても、会えば、絶対に羽目を外し、大騒ぎをし、笑い転げたであろう二人が居ない。くやしいかぎりだ。