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俺たちゃ「新宿北斗会」

2006-11-27 18:45:28 | 日記・エッセイ・コラム

Photo_37   高校の吹奏楽部同期で、卒業まで一緒に活動したのは7人。途中でやめた人は、その2倍いる。上達の見込みがない、進学ゼミに行く、先輩への反感、理由は様々だ。同じ学年の同じ楽器で、片方がうまくならない場合は、必ず脱落する。練習がきついというのは全くなかったと思う。少なくとも我々同期の間では、楽なクラブで、自由気ままだった。
   後輩となると違ってくる。我々が3年生の時は、かなり本気でコンクール1位を目指したから、下級生を厳しく指導した。夏の合宿まで1年生はピリピリ・オドオドしていたが、夏の合宿で生活を共にして「先輩は優しい」「先輩はおもしろい」と評価は一変した。
   私とSの漫才コンビ、そこにチューバーで強面のHを加えた「コントトリオ」(私とSで、Hをコケにするトリオだったが)などが貢献している。それまで、とにかく先輩は怖いと思われていただけに、その反動で、1年生が必要以上に寄ってくるようになった。私とSの会話がまじめなものだと、がっかりするが「いや、オチがある」と、いつまでも付いてくる。仲良くしていても、練習を休むことだけは許さPhoto_38なかった。この点は厳しいままだった。
  同期の7人は、卒業にあたって同期会を作った。会の名前は、当時、テレビの青春もので流行った「夕日に向かって叫ぼう」とか「あの星に誓おう」なんていう訳の分からない、くさい台詞を揶揄して「俺たちは7人だから、7つの星、北斗七星だ。北斗会にしよう」となった。当時は学校が新宿にあったので、最終的に「新宿北斗会」と決まった。
   卒業後、同期会をやるときは「新宿北斗会」で予約する。ところが、予約した店から翌日、丁重なるお断りの電話が入った。
  「その日は、改装の日でした」
  「じゃあ、○日は」
  「その日は、点検の日でして」
  年中、チェックの入る店らしい。完全に、やくざの団体と間違えられている。
  「本日のご予約席」と書いてある表示版に「新宿北斗会様」と書いてあることもあった。その日、この店は、なぜか閑古鳥が鳴く。チューバ吹きのHが、店に遅れてやってきて「北斗会の席はどこ?」と、愛想のないドスのきいた声で聞いた。恰幅のいい黒いダブルのスー ツで来店した姿・形を見たとき、ようやく店が気づいた。
  「今日、他の席が埋まらないのは、北斗会だ。あいつらのせいだ。北斗会って、やっぱりやくざだったんだ」

   泊まりで旅行するときは「北斗会」が使えない。
   勤務先の保養施設を借りて、泊まり宴会をするには「北斗会」ではまずい。
   度々、Sに、当時の○○公社(今、N×T)の施設を借りて貰ったのだが、さらに社員の名前まで拝借した。全員が社員なら、安いし、優先して借りられる。但し、制約がある。「新宿北斗会」を名乗れないのと、休日に限ることだ。平日では、休暇届けを出していない社員が利用することになる。
  Photo_39 酒がすすむと、ついつい舌がなめらかになり、自分の仕事の話になる。
  「うちの会社は‥‥だ」「我が社の製品は‥‥」「おれんところは商社だから‥‥」
なんて、始まる。すると、○○公社のSは「やめろ。みんな公社の社員なんだから、やめろ、やめろ」と慌てる。
   また、おきまりの、上司の悪口になれば「やめろ。みんな同じ部長なんだから、やめろ」とSの制止が入る。
   保養所の従業員や周りの人は、同じ○○公社で、「あの連中は××支店△△部」の集団と思っているから、上司の話は当然タブーだ。
  聞いている人がいたら、その部長は、短気みたいだが穏和とも聞こえる。神経質なのに、のんびり屋。やせているのか太っているのか、あるいは両方なのか、わけが分からない。ある男は「優秀だ」と言っているが、別な男は「あんなバカ、見たことない」と言う。そして「どんなバカか?」と聞く奴もいる。一人の部長のはずなのに、その部長の人格はかなり破滅的になってくる。
   そこで、「そう、俺は公社に勤務しているんだった」「俺はなんて名前だっけ」とか「お前は誰だ?」と言って、わざと混乱させて喜ぶ。Sも負けていない。「お前は誰々だ。勤務態度が最悪なんだ」「お前は何々で、俺に金を借りている。今返せ」と返してくる。

   伊豆に行った時のこと。といっても、もう25年も前のことだ。電車で高校生の吹奏楽の集団に出会った。吹奏楽コンクPhoto_40ールの県大会があるとのことで、次の駅でも団体が乗り込んできた。
   女子高生に「おじさん達も、吹奏楽の仲間なんだよ」と話しかけた。持っている楽器がすごい。キングやコーンの金管楽器。クランポン、セルマーの木管楽器。銀製の村松フルート。これを当たり前に持っている。昔の日管は、知らない。そうだ、メーカー自体ないのだ。国産は、ヤマハの高級品を使っている。
   我々はしみじみと感慨にふけった。
   「こんな楽器でやりたかった」
   そして、我々の使っていた楽器の評価になる。
   「Sが吹くのはフレンチホルンじゃなかった。ハレンチホルンだった」
   「トミが持つと、アルトサックスがヤルゾセックスだ」
   「Iは、ノラリクラリネットだった」
   「Kは吹いているより、舐めているようで、トランペッティングだった」
   「おまえこそ、トタンペットの音だった」
  「オーボエは、遠吠えだ」「トロンボーンは、トロイボーンだ」

    静岡県大会へ向かう高校生達。コンクールが最大の目標だった我々には、15年前の自分たちと重ねて、懐かしくも羨ましい光景だった。
   「君たちも、15年も立つとこうなるんだよ」
    おじさん達の言葉が、理解できたかどうか分からない。
   「がんばってね」
   「は~い。がんばります。おじさんたちも」
   とエールを交換して別れた。


「東風ふかば」天神様もびっくり

2006-11-23 12:36:06 | 日記・エッセイ・コラム

Photo_34  有名な菅原道真の和歌である。藤原氏の陰謀で太宰府に左遷される道真が、都を離れるにあたって庭の梅に言い聞かせるように詠んだ。「こち」とは春先に東から吹いてくる風だと教わった。
 「春なわすれそ」のところは「春をわするな」とか「春をわすれそ」など、いくつかのパターンで書いてある場合があるが、ここに書いたものが正しいはずだ。それだけ難しい言葉だ。「春を忘れるな」という意味(だそうだ)。
 「こち」、これは死語ではなく、今でも使われている言葉なのだ。
 会社の同僚でテニス仲間でもある女性が「こちが吹く季節だから……」と話し始めたので驚いた。釣り船経営者の娘で、仕事を手伝う関係から関心のある季語のひとつで、当たり前に使っていた。
 「こち」が吹くと、釣りに良いのか、悪いのかは忘れたが、今でも使われているのを、そ の時まで知らなかった。
  道真は、その死後、天神様と祀られ「学問の神様」となっているのは広く知られている。道真公が今の境遇を嘆いて歌ったのと同じように、道徳様も嘆いている。Photo_18

 最近の電車の中で感じるマナーの悪さは目に余る。足を広げて座る。満員でも荷を下に置き、揺れるたびに足をとられる人がいても気にしない。足を組んで寝ている。空き缶・ゴミを置いていく。二人分の席の真ん中に座り譲ろうともしない。混雑の中でも大きなリュックを背負ったまま。少し減ったとはいえ、大声の携帯電話。
 若い人だけでなく、おじさん、おばさんもひどい。大声で見積書の明細説明を始めた中年セールスマン。仲間がいるのかと思ったら携帯電話だった。買ってきたワンピースの試着を始めたおばさんたち。 前に座っている女性(前の席全部女性だった)の品定めをして「俺は右から2番が好み」「抱くなら左から3番目」と、勝手な会話を始めた酔っぱらい父ちゃんたち。
 若い人では、上司の悪口を携帯で実名混じりでしゃべり出したOL。お湯の入ったカップ麺を食べだした学生(どうやって持ち込んだ?)がいた。
 注意する人は少ない。私は必ず「やめろ」と言う。本人だけでなく、周りからも「変わり者」という目で見られることが多いが、同調者もいる。「気持ちがすっとしました」と声をかけられるが、お年寄りでなければ「自分でも注意しろ!」と言いたくなる。

 そんな中で、注意しづらいのが化粧する女性だ。新聞の投稿などでも見るが「迷惑をかけてる訳じゃない」と言い張る女が多いそうだ。女性じゃなくて女と書きたいほど、異性ではなく違性(格)者と言える。
 鏡をのぞいて、マスカラやビューラーを夢中で操作している姿は滑稽である。アイシャドー、口紅、何でもあり。あきれて見とれてしまう。もちろん「みっともないぞ」の意思表示なのだが、彼女たちは「見ないのがマナー」とでも言うのだろうか?ほとんどはへっちゃら。
 極めつけは、ヘアスプレーを使ったOL。隣に座ったおねえさまが、化粧を始めた。うんざりして「迷惑ですよ」と注意するまもなく、突然、ヘアスプレーを「シュー」と吹きかけ、髪を整えた。さすがに「なにをする」と怒りの声を上げた。前に立つ人も「ばか女めー!」と怒鳴っていた。

 朝は始発電車で座って通勤するのだが、発車時間でも立っている人は少ない。安心しきって、化粧をする女性がいる。一通り済むと、次は朝食。「なんとかメイト」だか「カロリーなんとか」を食べ出す。お茶も飲む。そのうち歯でも磨き出すんじゃないかと思う。朝、少しでも寝ている時間を増やすため、化粧・朝食は電車で済ませるってことなのだろう。
 当たり前のように、人前で化粧できる強さと道徳心の欠如。羞恥心なんてかけらもない。寝坊ができるなら、マナーなんて、それ以下の価値なんだろう。
 私は今、大胆に予測する。
 帰宅したら直ぐ寝たい、という理由で、帰りの電車で夕食を済ませ、化粧を落とす輩が出てくることを…。
 「電車にシャワーを付けろ」なんて要求する者が出てくるのではないかとも予想している。 


アルルの女はミルクの香り

2006-11-17 20:00:00 | 日記・エッセイ・コラム

Photo_52   学生時代、友人Nとコンサートを聴く機会があった。その中の1曲の演奏中、Nが、つばを飲み込む仕草を盛んに見せるのである。
 私には心当たりがあった。その曲は聴く機会の多い有名な曲で、レコードなどで聴いている時は起きたことはなかったが、その数年前のある日、自分でそれを演奏して、その現象が突如起き、驚いたことがあった。口いっぱいに唾液が出てきて困ったのだ。
 コンサート終了後、友人に「どうしたんだ」と聞いたところ、「曲が流れたとたん、ミルクの香りがしたんだ。口中にミルクの味がしたんだ」と言う。
 「お前も、そうか!」思わず感動の叫びをあげた。

 その曲は、ビゼー作曲「アルルの女」組曲の中でも、特に有名な「メヌエット」。正確には第二組曲のメヌエットとして知られている。本来は別な作品だったのを、第二組曲を組むときに挿入したことも知られているが、組曲の中で一番有名になってしまった。フルートの名曲としても親しまれている。
 高校時代、フルート吹きだった私が、楽譜を手に入れて吹き始めたとたん、口中に唾液、ミルクの香り、味の記憶が次々浮かび、はっきり思い出した。ミルクといっても脱脂粉乳の香りに行き着いたのだ
 友人Nは、小・中学校が私と同じで、たまたま大学も同じ(高校は別々)になった。入学式で、顔を合わせびっくりしたのだ。同じ小・中学からは私たち二人だけ。しかも学部学科が同じ。名前が「な」で始まるから、「と」の私より3つ後ろの学生番号。だから班分けしても、いつも同じグループに入ることになる。元々同じ町に住んでいるのだから通学も一緒だし、共通の幼なじ みも多い。グリークラブで活躍するくらいだから音楽も好きだ。
 
 その友人Nに同じ経験、つまり、フルートの歌口を唾液まみれにした話をした。脱脂粉乳の香りなら、思い当たるのは一つしかない。小学校の給食以外あり得ない。

 Photo_49 私の小学校時代。給食は5年生の時始まった。弁当を持ってこられない欠食児童こそいなかったと思うが、おかず一品の弁当、コッペパンだけの子はざらにいた。昭和20年代から30年初頭は、まだ貧しい食事が当たり前の時代。それに比べ、給食は豪華に思えた。ミルクは甘く、とてもおいしくて、給食の時間は皆の顔が輝いた。
 12時なると給食当番が、おかずの入った大鍋、そして甘い香りいっぱいのミルクを運んでくる。教室中にミルクの香りが広がる。そうすると教室のスピーカーからNHK教育放送(だったと思う)が聞こえてくる。番組の初めに流れるテーマ曲が、当時は曲名など知るよしもなかった「アルルの女のメヌエット」なのである。
 その後、小学校の同級生たちに曲を聴かせて尋ねたところ、よみがえるのはミルクが圧倒的に多く、次がカレーシチューの記憶だった。ほとんどが条件反射を起こしていたのだ。
 10年以上も前の無意識の記憶である。
 この時の友人Nが今年9月25日に死んだ。

 私を吹奏楽部に引き入れ、唾液まみれのフルート奏者に導いてくれた名ホルン奏者の友人Sは、その三ヶ月前の6月25日に死んだ。
 Sは、Photo_50 同じ中学からただ一人、私と同じ高校に入った友人で、クラブが同じだから、通学の行きも帰りも一緒。小さいSはひたすらしゃべりまくるやつで、二人の会話は誰が聞いてもうるさい、しかし、それ以上におもしろい。漫才のオール阪神巨人を見ると、誰もが私とSを思い浮かべると言う。私も同じだが、Sも家族に「俺たちをみているようだ」と言っていたそうだ。そして二人は必ず言う「でも、俺たちのほうがもっとおもしろい」
 ただ、小学校が別だから、「アルルの女はミルクの香り」の共通性がSにはない。

 小・中学と大学が同じNとクラスが同じになったのは大学だけだった。中学・高校が一緒のSは、同級になったことはないが、同じ吹奏楽部で夢中になって活動した。
 そして、NとS、偶然というのか、この二人は中学で同級だった。お互い、よく知った仲だから、社会人になってから三人で飲んだこともあり、Nと二人で、小田原に転居したSの家に泊まったこともあった。
 私にとって、親友中の親友と言うべき二人が、今年、相次いで逝ってしまった。
 ミルクの香りがよみがえった「アルルの女」のメヌエットも、今では、NとSの、においとぬくもりを思い出させる曲となったのである。


瀧廉太郎が泣いている

2006-11-17 19:50:00 | 日記・エッセイ・コラム

Photo_14 間違えたままの『荒城の月』

 日本人なら、このメロディーを聴けば「知ってる」「聴いたことがある」と答えるであろう瀧廉太郎の名曲。詩は土井晩翠。詩は問題ない。
 問題は、瀧の作ったメロディーのほうだ。作曲されたとおりのメロディーで演奏されることはきわめて少ない。作曲者の意図とは違うメロディーで演奏しているという意識がない場合がほとんどだ。瀧が推敲を重ね、その効果を考え抜いて作った部分が変えられて演奏され、歌われているのだ。
 テレビでも、CDでもしかり。本屋で隔週発売されている「日本の歌心の歌」シリーズでも同様だったのでがっかりしている。
 正しく歌われたのを聴いたのは、何年か前のNHK「紅白歌合戦」で、オペラ歌手の錦織健さんが歌った時。これが最後である。このとき、再確認したのは、「荒城の月」の雰囲気、詩の持つイメージは、瀧廉太郎の原曲が最大の効果をもたらしているということである。
 たった一カ所、心ない、不見識な人間により手を加えられ、不朽の名曲が普通の名曲にされてしまった。それが瀧の曲として知られるようになった。山田耕筰が編曲をしたことでさらに有名曲になったそうだがメロディは変えていない。

 「はーるー、こうろうのー、はーなーのえーん」
 問題の部分は「えーん」の「えー」の部分である。
 瀧は「の」の次に、あえて半音だけ下げ「えー」を歌わせ、次の「ん」に絶妙につなげた。この音だけが短調の音階から外れたのである。現状は、それをさらに半音、つまり一音下げて歌っているのが多い。

 なぜ変更がなされたのかはよく知らない。瀧の通っていた「東京音楽学校」の教授が変えたという説を聞いたことがある。理由は「この音がおかしい」だったのか「この音は難しい」だったのか、一説には「瀧は間違えた。音楽理論から外れている」というのもあるそうだ。手を加えたのが瀧が教えを受けているときだったのか、死後だったのかも知らない。西洋音楽が取り入れられて間もない頃だったので、確かに歌いづらいことはあったかもしれない。今は、カラオケなどで、国民総歌手時代、耳が肥えている人たちには難しくないし、シックス、ナインスの展開に慣れている人には、明治の時代に、こんなメロディーラインをとれる先駆者がいても異端には感じない。
 ぜひ、これから出版する楽譜・CDは原曲に忠実なメロディーに直してほしい。

 私が楽器で演奏するときは、当然、原曲メロディーを採用する。事前に解説ができれば「これが『瀧廉太郎の荒城の月』です。違うところはすぐ分かります」と言ってから演奏する。その場合は、いつもより緊張する。間違えて音をはずすと「原曲は変わってますね。あれが瀧廉太郎さんの意図するところですか?」と言われてしまうから。 

※これを書き終えてから「荒城の月オフィシャルサイト」を見つけました。「荒城の月」が聴けるサイトはありますが、2、3聴いたら「にせもの荒城の月」でした。下記アドレスのオフィシャルサイトでは、原曲通りのメロディーが聴けます。その楽譜も掲載されています。
ここでも変更が加えられた経緯は正確には分からないと書いてあります。

http://www.ko-jo.com/cd_download/index.html


べーフラとはなんだ?

2006-11-15 23:08:40 | 日記・エッセイ・コラム

Cimg0061  音楽をやっているとドイツ語がひんぱんに出てくる。私はクラシック音楽から始めたのでなおさらだ。ところが軽音楽といわれる分野に参入してからは戸惑うことが多かった。
 戦後のジャズブームの頃から使われ出したのか「音楽はドイツ語」ということで始まったのだろうが、なんてことはない、ドイツ語と英語がごっちゃになっているのだ。
 Am(アーマイナー略してアーマイ)、Gm(ゲーマイナー、ゲーマイ)はまだ理解できるが、Emこれはどちらも英語で(イーマイナー)なのである。「Amはエーマイナー、Gmはジーマイナーじゃないの」と言ったら、「音楽はドイツ語なの」と言われてしまった。「それなら、なんでEmはエーマイナーじゃないの」に対しては「Amと間違えるから」なんだそうだ。
 ジャズメンたちが「ギャラはG万(ゲーマン)だ」と言えば5万円のこと。音階5番目の音だからなのだ。音階は CDEFGABC だからだ。しかし、これでは、なおのこと、おかしい。
これなら、シー・ディー・イー・エフ・ジー・エー・ビー・シー のはずだ。
 CDEFGAHC がドイツ語表記の音階のはず。読みは
 ツェー・デー・エー・エフ・ゲー・アー・ハー・ツェー となるのだ。
 こう言うと「なんでHなんだ。アルファベットの順番が分からないのか」と言われてしまった。 
 「そこはB(ベー)なんだ」と、さらに付け加えられた。

 最近、若い人たちからは「ゲーマイナー」「アーマイナー」という言葉を聞かなくなった。ジャズはアメリカが発祥地なのだから、英語で「ジーマイナー」「エーマイナー」で呼ぶのが当然だと思う。年配の人は今でも「アー」「ゲー」「アーマイナー」という人が多い。さらに「A♭アーフラット、略してアーフラ」「G♯ゲーシャープ」と言う。「違うだろー!」
 なぜ、私が、これほどこだわるかというと、「Bベー」問題があったからだ。
 
 ギターの第2弦はドレミでいうとシの音。すなわち英語表記ののB、ドイツ語表記なら先ほどのH「ハー」なのだ。コンサート直前、2弦が切れ、急いで張り替えたギタリストが、急にコンビを組んだピアニストに「ベー音をちょうだい」と頼んだ。ピアニストは「ベー」を出し続け、ギタリストは調弦を終えた。ギタリストがコード弾きを始めたとたん顔色が変わったことは言うまでもない。クラシック界で「B(ベー)」はB♭のことなのだ。本来より半音低い調弦が1本でもあればめちゃくちゃだ。
 ピアニストが、わざとやった可能性もあると考えている。勘違いしていることを知りながら、いじわるしたのではないか。「アカンベー」のべー出して、間違った使い方を知らせたのだろう。ステージの横から見ていて、ピアニストの嘲りみたいな笑みを感じた。
 今は調弦の機器があるから絶対に起きないことだが、A音の音叉やピアノで調弦していた時代には起きたのである。
 とにかく、(ベーフラット、ベーフラ)なんて音はないのである。

 「トランペットはBベー管(もしくはB♭ビーフラ管)、ホルンはEsエス管(E♭イーフラ管)」などと言うのが、本来の姿。楽器屋で「べーフラのトランペットください」なんて言ったら「ボーフラですか」なんて、バカにされるぞ。もっとも、B♭以外のトランペットは、Photo_15 あまり置いてないと思うから「べー」なんて言わなくてもいいだろうが‥‥‥。

 ドイツ語なら、♯や♭には「is」「es (母音で始まるのはsのみ)」を付けて呼ぶ。C♯はCis(チス)、C♭はCes(チェス)となる。だからツェーマイナーもゲーシャープもアーメジャーも本来使うべき読みではないはずだ。Cdur(ツェードゥアー)、Cmoll(ツェーモール)がハ長調とハ短調のドイツ語読み。

 ジャズ、カントリー、ハワイアンなどアメリカ発祥の音楽は、シーマイナー、ジーシャープ、エーメジャーでいいじゃないか。
 
 今でも、こだわり続ける素人ミュージシャンがいるのだ。