昨年亡くなった友人。その奥さんに、私がギターで弾く「千の風になって」のCDを送って欲しいと言われている。まだ、録音していない。楽譜の手配をしたばかりだ。
友人の墓参りに行きたいが、小田原へは1日がかりとなる。妻も連れて行きたいが、母親の介護もあり調整中だ。墓の前では、最後まで弾いたり歌ったり出来ないだろう。それだけ、心に訴える詩だ。
昨年の紅白歌合戦で聴いたとき、脳裏に「靖国神社」が浮かんだ。
戦争で犠牲になった人々。特に、徴兵で兵隊に取られ、妻や子、年老いた親を想い、死んでいった人たち。このような人は「俺は靖国なんかにはいない」と訴えているのではないだろうか。
戦争末期には、働き盛りの中年域の人も徴兵された。そして過酷な戦場で、戦死、戦病死、餓死、処刑など、無惨な最後を迎えた。覚悟の職業軍人ならいざ知らず、「戦死したら靖国に帰るぞ」と本気で思った人が、どの位いるだろう。
悪名高いインパール作戦に代表される、無謀・無策な作戦を立案した参謀(旧陸軍史上、醜悪・最悪・極悪司令官の牟田口廉也は、私が知る限り、人物として、最も軽蔑に値する)などが生き残り、多くの兵が無念きわまりない死を強要された。
「捕虜になるな。死ね」という、戦場で生き残ることを拒否した「戦陣訓」。この戦陣訓の実行責任者である当時の東条(本来は東條)陸軍大臣(開戦時の首相)。自分は自決に失敗。死に損なった挙げ句、処刑され「靖国」に祀られている。
拳銃自殺を計りながら、生き残る軍人など聞いたことがない。頭を撃ち抜くことなく、胸を撃って、しかも心臓を外れる自決方法など、死をためらったとしか思えない。後の、「天皇を守るため最後を捧げた」など、とってつけた言い訳も見苦しい限り。
東京裁判の欺瞞を暴くために、見事に孤高の戦いを続けた偉大なる人物、などと書いてあるのを最近見かけるが、その理論こそ、欺瞞と誤解と独りよがりだ。生き残ってしまったことへの東条の「カッコつけた」カッコ悪さでしかない。
戦陣訓がなければ生き延びた人が、もっといただろう。民間人も捕虜として保護される確率も高かっただろう。強制自決も少なくなっていただろう。
「生きて虜囚の辱め」を受けた東条英機。
かろうじて戦場から帰った父は、こんな奴と一緒にいられないだろうと、亡くなった戦友のことを言っていた。
心残りと無念の思いで亡くなった多くの徴兵された戦死者。
千の風になって、故郷の家族、山河を見守っているだろうか。少なくとも「靖国」には、いないと思う。
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