小学生の頃、クラスの友達や近所の子供たちが集まると、よく相撲を取ったものだ。クラスでは、男の子は、それぞれしこ名を持っていた。仲の良い友達とは同門、すなわち同じ部屋の力士として、成績を競ったものだ。私のしこ名は「ちんから峠」だった。「ちんからほい、ちんからほい、ちんから峠のお馬で、ほい」という歌から取って自分で名付けた。私たちの相撲は、まじめな取り組み。すなわち「がちんこ相撲」という本気相撲だ。八百長なんて考えられない。
大相撲の八百長問題。
「ついに証拠が挙がったか!」という印象だ。
これまで、週刊誌などに取り上げられるたびに、 相撲協会は
「事実無根」と答えてきた。
裁判でも相撲協会側が勝ってきた。
「野球賭博でダメージを受けた時期に、また不祥事を起こした」
などのの意見を聞くが、それは全く違う。
昔からやっていた八百長が、野球賭博の捜査の中から証拠として出てきたのであって、「再び、不祥事を起こした」のではない。
相撲協会は相変わらず「無気力相撲」などと言っているが、問題のすり替え意図がミエミエだ。千秋楽では、7勝7敗の力士が圧倒的な確率で勝つ。無論、相手にも勝たなければならない事情があれば別だが、千秋楽で勝ち越す力士が多いのは事実だ。最近は、その確率がいくらか落ちる。八百長がやりづらくなっているのだろうか。
千秋楽では、お互いが勝ち越しをかける相撲が少ないような気がするが、取り組み編成会議で調整していないだろうねえ。そこまでは考えすぎだろうか。
八百長ではない。無気力相撲に分類されるのだろうか?もう45年も前の相撲を思い出した。
横綱、栃ノ海と大鵬の千秋楽での取り組み。なんと、横綱でありながら栃ノ海は7勝7敗で勝ち越しを賭けた取り組みである。小兵でありながら横綱にまでなった栃ノ海。その頃は故障が多く、懸命な土俵を努めていた。小さい体で故障をかかえていて は厳しい。しかし、休場もせず、必死に戦う姿は悲壮感さえ漂っていた。横綱になってからは、二桁の勝ち星さえ難しい状態だったが、相撲のうまさは際立ていた。技能派だったし頭脳も明晰なのだろう。引退後の解説者としての評価・実績は群を抜いていた。
さて、問題の取り組み。大鵬ファンの私でさえ、栃ノ海が心配だった。
「もし、負け越したら引退しかないよな」
「もうドキドキしたくないから引退しちゃえばいいのに」
心配、期待、応援の気持ちが入り混じり、18歳の私の心を大いに悩ませたものだ。
勝敗の結果は、栃ノ海の勝ち。
大鵬は、明らかに戸惑いの相撲としか思えなかった。がむしゃらに飛び込んでいった栃ノ海。館内の声援・応援は明らかに「栃ノ海」だ。格下相手でも7勝しかできない体調で、昭和の大横綱・大鵬に通用するわけがないと誰もが思っている。案の定、勢いあまって体制が崩れるのではないかと思った瞬間、大鵬はいかにも「相手の闘志に気圧された」という感じで土俵を割ってしまった。
テレビを見ていた家族、友人、誰もが
「大鵬が負けてあげた」と言っていた。
それでも、非難めいた言葉は聞かなかった。
無気力相撲? 同情相撲? どれでもないだろう。無論、話し合いの末の八百長ではない。
あの状況では、大鵬に、気力みなぎる闘争心を求めるのは無理だろう。ファイトが湧かない心理状態での相撲は、あのような結果になるかもしれない。
「大鵬って、優しいな」とも思ったものだ。
相撲を格闘技のショーとして見れば、演出もあったって良いだろう。
「国技に八百長は許せない」と騒ぐまでも無い。幕内上位を外国人が占有するようになってきたのだから、sumou格闘技として割り切って運営していけばよいのではないだろうか。無論、財団法人は返上しなければならないだろう(公益法人なんてとんでもない)。しかし、天皇賜杯がなくなれば優勝の価値が激減する。
相撲を見るのが好きで、子供の頃は遊びで相撲を取っていた世代としては、早く何とかして欲しいと思うのは当然だ。