無期懲役が最高刑で、早ければ十数年で出てこられる現状では、死刑制度はやむを得ないと思っている。死刑廃止論の骨子は分かるが、終身の懲役が無い限り、賛成はしかねる。
江東区の女性殺害事件。トイレに流した。ゴミで捨てた。猟奇的で残酷きわまりない事件で、判決も注目を集めた。
無期懲役だった!?
判例では、被害者が一人だと死刑になることはほとんどない。それでも、被害者、そして遺族の心情を考えると、死刑を望んだ人が多かったと思う。
私は、ここで被告を死刑にすべきだ、いや無期だ、という論陣を張るつもりはない。
死刑を避けるべき事由として、裁判官が挙げた点で、強い疑問があるのだ。
計画的な殺人ではない?
確かに、事前に凶器を用意したりはしていない。しかし、行方不明の捜査で、警察が動き出してから犯行に及んでいる。自分の身に危機が生じ、発覚を避けるために殺して、その後、身の毛もよだつ行為に及んでいる。警察が動き出した時点で、自首することだって選択できたはずだ。誘拐、傷害、暴行だけの罪で済んだところを、「殺人」という手段を選んだ。考える時間があって、結局、犯行に及んだのに、なぜ、「計画的でない」となるのか。
被告が反省している?
被告は、逮捕、拘留、起訴されに反省している。捕まるようなことをした反省ではないか?すなわち、捕まらなければ、反省していただろうか、という疑問がある。
最後まで悪態をついて、反省を示さない奴よりマシということなのだろうか。
暴行は未遂だった?
本当にそうだったか?いや、そんなこと関係あるだろうか?連れ去られたときに被害者は怪我をしている。恐怖心は相当なものだったはずだし、気が失われるまで、それは続いていたはずだ。「未遂だった」で減刑を考えるのは、誘拐、暴行の罪状をいうときだけだと思うが、どうだろうか。
バラバラ殺人のなかでも特異な犯罪。
裁判官は、「遺族が、ご遺体に会えない残虐な状況ばかりを考慮してはならない。冷静に判例とも照らし合わせて、他の判決との公平性を考える」職業裁判官だ。
「被害者が一人で、逮捕後、真摯に反省しているから」
だけが判決理由なら
「そんなもんなのかな。あんなひどい犯行でも日本の刑は軽いんだね。犯罪が減らないね」とだけ思ったかも知れない。
「計画的でない」
「反省している」
「暴行は未遂だった」
これが死刑を避けるべき事案かどうか?
特に、計画的でない、というのには納得できない。
とっさに犯行に及ぶような奴のほうが怖い場合もある。しかも、この事件は殺人に及ぶまで考える時間があったのだ。
裁判員制度で選ばれた一般市民裁判員は、このようなところを、どんどん突いていってほしい。