gooブログはじめました!

写真付きで日記や趣味を書くならgooブログ

潜航か?密かに進む?ホワエグ

2007-01-29 19:10:47 | 日記・エッセイ・コラム

  ホワイトカラー・エグゼンプションの法案提出が見送りとなった。
 「年収が、ある基準を超えると残業代を払わなくてよい」という部分だけが強調されてしまい、国民の理解を得ていないからだという。「労働時間自由選択制度と言っておけばよかったのに」と自民党の実力者が言っていた。
  年収900万円を超えた者に適用だから、元々、そのクラスは管理Photo_46 職で、影響は少ないと思っている人たちもいる。
とんでもないことで、法案が通れば、いずれ適用年収は下げられる。制度導入時より、反対や抵抗はずっと少ないだろうと、提案側は踏んでいるに違いない。
  女性の、派遣会社社長が大賛成の立場で言っていた。
「労働時間を自由に選べる。ということは、能力のある人は、普通8時間かかるのを4時間で出来る。残りの4時間を、家族サービスやボランティアに充てられる。すばらしい法案です」
  唖然として聞いてしまった。
  日本の労働風土で、半日で仕事を終えたらどうなる?
「ノルマが足りないのではないか」「適正ノルマなのか見直せ」と言われるのが目に見えている。そして、倍のノルマで、収入が倍になるとは思えない。
  ホワ・エグ本家のアメリカでも、相対的に仕事時間が増えていると聞く。長期休暇が当たり前に取れるアメリカ。労働時間が増えても、休暇を有効に使える風土がある。
  日本では、収入増になれば、当然、当然労働時間が増え、過労死が待っている。家でも仕事で、家族サービスやボランティアなんて、とんでもない。
 
  正社員として雇用すれば首が切れない。そこが正採用に積極的になれない理由で、社員として相応しくなければ辞めて貰える制度が必要だ、とする経営者の論。雇用の拡大につながると言う。不安定な、弱い立場の労働者、ホワ・エグでノルマが増える労働者の増大にはなるかも知れない。
  昔の殿様なら、側には家老がいるだろうが、今の経営者の周りには、過労ばかりが存在するようになるのだろうか。


都大会でダウン‥‥タウン

2007-01-29 16:51:35 | 日記・エッセイ・コラム

  宇崎竜童氏と言えば、ダウン・タウン・ブギウギ・バンドでデビュー、今は作Photo_31曲家、俳優、監督として多彩な活躍をしている。
  以前、テレビのインタービュー番組で、高校時代の話をしていたが、私と同じように吹奏楽部に所属して、如何に夢中でやっていたかを話していた。全日本吹奏楽コンクールが最大の目標だったことも共通だ。先ずは東京都のコンクールで一位になるのが目標。当時は今のように、複数の「金賞」「銀賞」などがなく、一位1校、二位1校、三位1校で、それ以外無かった。
  宇崎氏は、都の大会で「今年こそは一位だ」と期していたそうだ。しかし、N大二高の自由演奏曲「フィンランディア」の最初の音を聴いだけで「負けた!と思いましたよ」と語っていた。
  と言うことは、その場に私もいた1962年のコンクールだ。課題曲は行進曲「鬨の声」だから間違いない。新宿の厚生年金会館大ホール。私は一年生で、出る機会が無かった。  宇崎竜童さんの生年月日を見ると、私より1級上で、当時はM大中野の2年生だったそうだ。結局、一位はN大二校となった。その他は記憶にない。私の高校(工学院)は、前年、先輩達が「一位より上手いと言われた三位だった」言っていたが(別な高校の関係者からも採点がおかしかったと聞いた)、コンクール前の内紛で、3年生の一部と2年生のほとんどが抜け、急遽変更した自由曲でのぞんだが、3位にも入れず惨敗だった。

  高校の吹奏楽部や吹奏楽コンクールを取り上げた番組を見ると、懐かしさとやるせなさを感じる。
  昨年、亡くなったS(shiino)が、体が不自由になってから、高校生の吹奏楽部ルポ番組を見て「泣いていたみたいだったよ」と奥さんから聞き、自由のきく私でさえ、もう一度あの時に戻りたい、なんて考えるくらいだから「さぞ、口惜しかっただろう」と思う。
  そのSは、高校卒業時には「もう1年学校に残って、なんとしてもコンクールで入賞したい」という私達多数派に対して、「もう充分やった。早く卒業したい」と言っていた少数派だったのだ。
  卒業して、だいぶたった頃、小田原の吹奏楽団に入り、トランペットを始めたが、「若い人たちには、全く追いつかない」とこぼしていた。「明らかに邪魔な音を出しているのが分かる」とも言っていた。同じように、富士市の吹奏楽団に入ったトランペット奏者のKaiも「もう通用しない。音が出ないし、異質な感じがした」と言っていた。
  吹奏楽器は、先ず、音出しで苦労する。私も3年前に、私のバンドにドラムやパーカッションで参加している、同じ会社の若い人たちと楽器博に行った時、「吹いて聴かせて」とせがまれ、簡単に出せるだろうと思って吹いたフルートが、全く音が出ず、自分でも驚いた。トランペットは少し音が出たが、音階もオクターブまで出なかった。
  「本当にやってたんですか?」とバカにされたので。
  「ドラムやコンガは、アホだって音が出せるんだ。一緒にするな」と反論した。

  7年前からハワイアンバンドを再開したが、スチールギター、ウクレレ、ベース、ギター、打楽器、ヴィブラフォン等、総て「アホでも音だけは出せる」楽器だからよかった。
  そして、スタートした時点で全員が何十年振りと同条件というのも助かった。
  SやKのように、現役プレーヤーばかりの楽団に入ったら、音は出せても、合奏に参加なんて、できなかっただろう。


ガス漏れ事故で思う

2007-01-20 23:05:34 | 日記・エッセイ・コラム

 北海道北見市のガス漏れ事故を知り、27年前の出来事を思い出した。
 当時、スエーデン製のエンジン削岩機の輸入販売に従事して私は、削岩機のドリル機構を利用した「ガス探知機(ガス探知用のセンサーを地中に入れるための機械)」の現場デモを、あるガス会社から依頼されていた。
 ところが予期せぬ大事故に遭遇して、大変な経験をした。
 テストの予定地は静岡県焼津市だった。依頼主は○○都市ガス。 
 テストの前日、藤枝市でガス漏れ事故が発生し、10人が死亡する事故が起きた。
 翌朝、事故が起きたことは知っていたが、約束通り、機械を持って、もう一人の社員と作業員を伴って出発した。朝の時点では医師の家族が全員死亡ということだけを聞いていた。他にも死者がいることや、事故の前日からガス臭がしていたことなど、車のラジオでだんだん分かってきた。
 着いた○○都市ガス本社は、騒然としていた。テレビ・新聞などマスコミ関係者や警察や県の関係者だろうか。
 我々は、会社に入った時から、マスコミの注目を浴びてしまった。
 「ガス探知機」の言葉が聞こえたのかも知れない。先に書いたように、ガス探知機ではなく、正確には、探知センサー用の穴掘り器なのだが、それが通称になっていた。
 ○○都市ガスの人と直ぐ出かけた。事故現場ではなく、市内の別な箇所だったが事故現場から遠くはなかったと記憶している。死亡者が出るような高濃度のガスが出ている現場では、エンジン削岩機など、爆発の危険があり使えない。地中でガス漏れの兆候がないか、のチェック用なのだ。
 このような事故を防ぐためにPRして、導入を前提のテストなのだが、偶然、この非常時に当たってしまった。大事故のため、てんやわんやのガス会社の社員。予定を変更するのかと思ったが、機械の性格上、テストを急ぐ必要があったからだろう。あえて強行した。焼津から変更して、藤枝にした。理由は分からない。しかも商店街の中だった。
 機械の運転が始まった瞬間、報道陣が集まってきて我々を撮影した。NHKのテレビカメラもあった。騒ぎに気づいた一般の人たちも集まってきた。そして口々に我々に罵声を浴びせ始めた。
 「事故が起きてからじゃ遅いんだ」
 「お前ら、日頃はなにやってんだ」
 作業をやっているのは4人。うち3人は機械を売り込みに来た会社の関係者、なんてことは、当然知らない。
 我々はどう対応したら良いのか分からず、ただ黙って作業を続ける。黙っていると、それが不遜な態度に見えるのか、しまいには取り囲まれて、つるし上げられそうになってきた。
 
 作業を中断して、昼食を取るために入った食堂のテレビニュースに私の顔が出てきた。
 「慌てて対応するガス会社」のようなコメントが入る。周りの人だけでなく、食堂従業員の視線も冷たい。「飯なんか食っていられるのか」と言われそうだった。

 夕方、ガス会社に帰ると報道陣は、まだたくさん残っていた。そこで目にしたのは、傍若無人とも言える記者の振る舞いだった。
 事務所に勝手に入ってくるのは仕方ないとしても、断りも無しに会社の電話を使って、連絡を始める。しかも机に尻を乗せて長々と話す。ようやく、終わったからと、事務の女性が自分の席に戻ろうとすると、それを押しのけて、別の記者が、また受話器を取った。
 男性社員が「勝手に電話を使わないでください」というと、その記者は
 「お前ら反省してないなー。こんな事故起こしておいて。何様のつもりだ」と怒鳴った。
 私は、それを聞いて、ついに切れた。
 「お前らこそ、何様だっ!外の公衆電話を使え」
 あとは、なにを言ったか覚えていないが、その無礼千万な記者達も、私が部外者で、しかもガス漏れ事故専門の学者だか、技術者と勘違いしていたので、ふてくされて外に出て行った。

 今なら携帯電話が当たり前だから、こんなトラブルもないだろう。
 犯罪者の親が経営する会社(事件以来閉鎖しているのに)の中に無断で入って写真を撮ったり、未成年の兄弟を追いかけ回す記者というのは、ああいう連中なんだろうと、時々思い出していたが、北見の事件で、また思い出した。
 テレビに映った自分の顔も思い出した。全国放送のテレビに大きく映ったなんて経験は、あれが最初で、最後だろうと思う。      


華麗だったカレーの記憶

2007-01-15 14:20:27 | 日記・エッセイ・コラム

カツカレーもカレーなんだろー?

  今年の流行語大賞は「バラバラ」となりそうなくらいバラバラ殺人が続く。
  ニュースを見ていると、どっちの「バラバラ」なんだと判断するまで時間がかかる。夫や妹を刻む異常さにも、そのうち慣れてしまうのだろうか?そのうち、日曜大工センターに「バラバラセット」が並ぶかも知れない。夫用とか妻用などのスペックが出てくるような気もする。ヤクザの抗争でなく、家庭内で行われることが恐ろしい。夫婦、兄弟姉妹などは憎しみが倍増するのだろうか。

  兄弟の恨みはずっと後に出てくる。
  私が子供の頃。食生活は、今と比べればずっと貧しい。2_2 どこの家庭でもそうだったが、おかず一品に、おしんこ、みそ汁が普通だった。おかずが、とんかつだったりカレーだったら、この日、「今日はご馳走だ」とみんなが笑顔になる。寿司やすき焼きは、特別なお祝いがないと食べられない。だから、「とんかつ」と「カレー」は、時々期待できるご馳走なのだ。
  私はカレーが大好きで、鍋に残っている場合が多いので、翌日も食べられるというメリットがある、この上ないご馳走だ。
  とんかつは、同じ平皿にカツとご飯の両方を盛る(ご飯は型を付ける)。ソースをたっぷりかけ、ソースがご飯まで染みてくるくらいが美味しかった。
  どちらか一方だけでもご馳走なのに、両方を手に入れることができる奴が、兄弟(妹弟)の中から出てきた。4つ下の弟だ。
  弟は「ボクはカレーが大嫌いなのに」と言って、すねる。
  要するに「いつもお兄ちゃんを優先している」と不公平さをアピールするのだ。
  小学校時代の弟は虚弱で、体が細かったこともあって、母は「なんとか食べさせたい」と思っているから、そこが勝負の分かれ道。
  ある日から、私や妹のカレーライスと違って、弟にはとんかつが乗るようになったのだ。要するに「カツカレー」になっている。「なんで?」と、あまり深く考えず母に訪ねると、「あの子は、カレーが嫌いで、こうしないとPhoto_30食べないから」と言う。
  それでも大好物のカレーが食べられるから、私や妹は文句も言わず食べていたが、時が経つにつれ、だんだん疑問が生じてきた。
  「カレーが嫌いなのに、カツが乗っていると食えるのは、なぜか?」
  「嫌いというのは、不味いということだろう。カツが付くだけで、なぜ、美味しくなるのだろうか?」
  「ピーマンにカツを付けたって、ピーマンはピーマンで、絶対に不味い。俺は、カレーに目がくらんで、騙されているんじゃないだろうか?」
 しかし、私も妹も、食い意地では勝っているのに、意外にアホで、「ボクもカツが欲しい」と言う知恵が働かない。カレーにカツは邪道だとも思っていたような気がする。

 弟は兄妹の中では、頭が良かったと思う。知恵もあったのではないか。悪知恵は、断然、私の方が上なのに、ひょとしたら、それも弟の方が上だったかも知れない。
  今では、弟に「してやられた」のではないかと疑いを持っている。

  もっと早い時期、同居していた独身時代に気が付いていたら、バラバラ事件に発展していたかも知れない。
 おーっ、怖い。


杜甫がとほほ「納豆は血を固める」

2007-01-01 00:10:00 | 日記・エッセイ・コラム

Photo_35  2007年。今年の年賀状に使った杜甫の漢詩2題と、その替え詩である。
  今年は人生節目の年となる。サラリーマンには、必ず来る定年退職の時は3月末である。いかにも頑丈そうに見える体と、若く見られる髪の量だが、かなりガタがきている。定年まで持ったという感じだ。
 杜甫が、この「春望」を作ったのは、いくつの時なのだろうか。白頭といっても私の歳より若いはずだ。昔のことだから50歳前ではなかろうか。Photo_36
 
 私は、50歳を迎えた頃、心臓を患う。初めは房室ブロックとの診断で、ペースメーカーの埋め込みまで考えられる症状だった。職種を替えて貰い、長いこと務めた労組の役員も辞退して薬で治療。
 幸いにも、ブロックは消えたが、ついつい、油断した。その二年後に心房細動が起きた。
 心房内に血が滞るために、血栓が出来やすい。その血栓が脳に飛べば脳血栓、すなわち脳梗塞を起こす。
 電気ショックで、心臓の動きが元に戻る確率は20%以下。ショックで血栓が飛び、脳梗塞を起こす可能性が数%ある。
 「どうします。もし動きが回復しても、また起こる確率も高いけど」
 そのように、医師に言われては、電気ショックを断念せざるを得ない。
 以来、心房細動と、一生お付き合いすることになった。また、血栓防止剤を服用することになった。血が固まらないようにする薬のため、怪我が命取りになる。鼻血もなかなか止まらない。ちょっとした打撲でも内出血が大きく広がってしまい、風呂場などで、他人がびっくして振り返るほど。ひどくなってきたので10年続けた少年野球のコーチもやめた。
 血栓防止剤は「血Photo_41をサラサラにする薬」と勘違いしている人が多いが、そうではない。それなら、血がサラサラの人は、怪我をしたら血が止まらないということになってしまう。
 血を固めるのに重要な要素となるのがビタミンKで、血栓防止剤は、そのビタミンKが作られるのを抑止する薬。これも意外な感がするかも知れないが、そのビタミンKが一番多く含まれる食品が納豆なのだ。従って、私のように血栓防止剤を飲んでいるものにとって、納豆は厳禁なのである。納豆の効果として、血の中のどろどろしたものを溶解するのは知られているが、血そのものを固めるビタミンKがべらぼうに多い食品Photo_42であることは、あまり知られていない。
 私の父も血栓防止剤を服用していたのに、テレビで「納豆は血をサラサラにして血栓防止に役立つ」と聞いてから、家族に隠れて食べていた。完全な勘違いだ。結局、血栓が腸に飛び、腸の血管が壊死して腸閉塞を起こした。その治療中に心臓が持たず死去した。
 大好物の納豆が食べられなくなり7年。ご飯のおかずや、酒のつまみに、納豆が欠ける食生活は非常に寂しいものである。
 納豆が食べられなくなった頃から、スタミナ、気力が衰えてきたような気がする。記憶力が衰えたのがいつ頃かは、記憶にない。
 出社に及ばずが、いよいよ三ヶ月後に迫ってきた。