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祇園精舎の鐘の声

2006-10-26 11:49:20 | 日記・エッセイ・コラム

平家物語

祇園精舎の鐘の声 諸行無常の響きあり
沙羅双樹の花の色 盛者必衰の理をあらわす
おごPhoto_4れる人も久しからず ただ春の夜の夢のごとし
たけき者もついには滅びぬ
(ひとへ)に風の前の塵に同じ

平社員物語

勤めた商社の退職金(かね)の声 
     昇給無用の響きあり
羅沙30年の花の道 
     勝者失格
(負け組ってこと)のこだわりをあらわす
怒れる妻も声を嗄
(か)らす
   ただあきらめの悪夢のごとし  
強き夫もついには萎
(しお)れぬ
   偏
Photo_2ひとえ)に蛇の前のカエルに同じ 

 これを書いている時点ではまだ勤務中で、定年まで5ヶ月である。今から充分予想出来る内容なので作ってしまった。

 平家物語は琵琶をつま弾く法師が物語ったのだろうが、平社員物語はウクレレで軽やかに物語るのがふさわしい。羅沙は意味不明だが、知る人ぞ知る、私の勤務先の当て字の漢字表記である。

 家庭内での、夫の権威、父の権威の低下が叫ばれている昨今。我が家でも夫の権威は失墜中である。かろうじて、これまで蓄積してきた知識で一目置かれることがある程度で、パソコンでレシピ、案内状、パンフなど、今でも妻のお役に立たせてもらっている一部分がそれを支えている。
 来年からは収入が逆転することもあり、蛇ににらまれたカエルになることが確実だ。

 息子や娘に対する権威は維持できていると思われている。その点だけは妻にも期待されている。子どもたちからすれば「すぐ怒るから怖いだけ」と言うかも知れない。

 息子が未成年の頃、たばこを吸っているのを、息子の塾長でもある、私の友人に見つかってしまい「親父には絶対に言わないで」と何度も懇願したそうだ。久しく見ていない親父の権威を感じたそうだ。
 やはり息子が二十歳前の頃、息子の部屋掃除をしていた妻が「こんなものが部屋に転がっていた」と慌てて飛んできた。手には避妊具、コンドームを持っていた。
「お父さんから、きつく言って」と言うので「こんなの使うな!と言うのか。使わない方が怖い」と応じると、本気で怒り出した。困惑しきっているのを見たら黙っているわけにはいかない。帰宅した息子を呼びつけて注意した。
 「おまえ、お母さんがびっくりして、慌てまくっているぞ。こんなもの部屋にころがしておくな。バカ野郎」
 息子はひっぱたかれると思い、慌てていたが
 「余っているならお父さんに少し寄こせ」の一言で安心したのか、
 「お父さん!その歳じゃ、もう役に立たないだろう。だから必要ないじゃん」
などとぬかす。
「バカ野郎、俺だって、まだまだ立派な現役だ。お母さんは知らないから内緒だけどな」
ゲラゲラ笑いながら話しているのを、台所に居た私のお袋が聞いていて、さっそく妻に言いつけに行った。
  以来、「エロ父子(おやこ)」と一緒くたに呼ばれることになった。
  家庭での権威維持は実に難しい。


まだあげ初めし前髪の

2006-10-20 23:38:52 | 日記・エッセイ・コラム

初 恋      島崎藤村

まだあげ初めし前髪の 林檎のもとに見えしとき  
前にさしたる花櫛の 花ある君と思ひけり

やさしく白き手をのべて 林檎をわれにあたへしは
薄紅(うすくれない)の秋の実に 人こひ初めしはじめなり

わがこころなきためいきの その髪の毛にかかるとき
たのしき恋の盃を 君が情に酌みしかな

林檎畑の樹(こ)の下に おのづからなる細道は
誰が踏みそめしかたみぞと 問ひたまふこそこひしけれ

髪 濃(はつこい)      暇先父さん

まだ禿げ初めず前髪の 堅固のように見えしとき
以前(まえ)はさしたる気にもせず 髪余り気味と思いけり

やたらと白き髪増えて 不安をわれに与えしは
薄くならない自慢毛に ひと塗り染めしはじめなり

わが力なきためいきの あの下(しも)の毛にかかるとき
悔しきここにも白髪が こりゃ情なきと嘆くかな

「白髪増えた」の子の毒舌(した)に うなづきからかう細君(にょうぼう)よ
誰が他人事言えるぞと 問いたもうこそ虚しけれ

 私は髪が多く、若いときはそれが悩みでもあった。寝癖がつくと、もうまとまらず、山賊だ、野武士だ、と言われるほどで、量が多い上に太い。Photo_24
 しかし、今はそれが歳より若く見られることに寄与しているし、うらやましがられる。久しぶりに友人に会っても「変わらないなあ」と言われる。もっとも、学生時代は、おじさんと見られるぐらい老けていたほうだ。
 50歳になたころから白髪が少し出てきたが、今は60歳直前でも意外と増えていない。下の毛に白髪が出たら「男ご臨終」などと言う人がいるが、これも5,6年前に発見してショックを受けたが今はないような気がする。気がするとしかいえないのは老眼が進んでいて見えないからかも知れない。もっとも「男終わり」は確実に近づいている……と思う。
Photo_25
 「白髪?人のこといえるか」と言ったものの空しかったと「髪濃」の作者が言うとおり、妻には、ほとんど白髪がない。頭髪の濃い薄いは、家系・遺伝がよく言われるが、黒い毛の長持ちには「食事バランスが一番。だから私のおかげよ」と妻は言う。お袋も80歳を超えている割に黒い毛がかなり残っている。
 確かに、栄養バランスは髪には重要な要素で、食事が育毛の基本だと思う。ストレスが大敵だと思うが、うまい食事はストレス解消にも役立っていると思う。
 ところでうちの奥さんは料理教室の先生。肩書きは私よりカッコイイ。私は料理は全く駄目だが、レシピを書かされ、ファイルの保存係をやらされているので料理用語や食材はずいぶん覚えた。髪の長持ち食材の評論を書きたい。いつか?


あまのはら ふりさけ見れば

2006-10-16 14:56:57 | 日記・エッセイ・コラム

Photo_1あまのはら ふりさけ見れば 春日なる
          三笠の山に出でし月かも
              阿倍仲麻呂
 あべのなかまろ

妻の腹 振り向き見れば さすがなる
         
三段山に出でし肉かも
            
出部仲間呂 でぶのなかまろ

 本歌(もとうた)は、「遣唐使の阿倍仲麻呂(あべのなかまろ)が遠い異国から故郷を想い、妻子・父母・友が『同じ月を見ているだろうなあ』と歌った有名な和歌です」と小学校か中学校で習った。替え歌の「妻の腹…」は、遠い時代の若かった妻を思い出せない中年のおっさんが歌ったあまりにも有名な歌だ。妻も、ついに『でぶのなかまろ』になってしまったと嘆く夫の心境が、切ないほど感じられないだろうか。これを1999年の年賀状に使うことを知った妻は反撃してきた。
「人のこと言えるか!!」
 加齢とともに、私は出不精、妻はデブ症になりつつある。
 妻は、たとえ三段腹でも、顔は太っていないので、他人は『でぶのなかまろ』とは私のことと思うかも知れない。

 本日未明、傍らで寝ている妻の悲鳴にびっくりして起きる。
 たちの悪い夢を見たようで、怠け癖が付きサボることを覚えた私の心臓もびっくり。子供達の身勝手さに憤り、悩み、怒りが夢になったようで、朝になったら、妻は脳神経科へ、私は循環器科へ駆け込むこととなった。

 加齢による体力の衰え、気力の萎え、脳の劣化は深刻である。私は心房細動で血栓ができやすく、脳梗塞の予防に血栓防止薬を飲んでいる。血が固まらないようにしているので、けがや潰瘍などによる出血を警戒している。固まる血と固まらない血とのバランスの狭間でおびえ、副作用にも気を遣う。
 妻はすでに固まったなんとかやらが脳にあるそうだ。血栓ではないらしい。

 認知症いわゆる呆け状態になるのが怖いから、頭の異常には敏感だ。
 以前、妻がどこかで、しこたま頭をぶつけてきた。夕食が終わった頃「頭が痛い」と言いながら、ぶつけた箇所を触り「あっ、頭蓋骨がへこんでいる。大変だ、たいへんだ」と騒ぎ出した。確かにかなりへこんでいる。陥没した骨が脳を圧迫すると確かに大変なことになる。息子が付き添って直ぐ病院へ向かわせた。私は万一の入院に備え、家で待機。
 息子から連絡が入らずじりじり。あれだけへこんでいればひびは入っているだろうと思えた。
 ついに息子から携帯メールが入る。
 「大きなたんこぶが二つあるんだって。その間はへこんでるように見えるだけ」 
 三段山の腹と、二段山の頭を持つ妻は、疲れて帰ってきた。息子は時間を無駄にしたとばかり、どこかへ行ってしまったそうだ。

  家庭の一切を支える妻の健闘ぶりには頭が下がるのみで、遣唐使「阿倍仲麻呂」の歌を借りて、我が家の健闘師「出部仲間呂」を称える一句を作り、感謝を表明した次第なのである。


つれづれなるままに

2006-10-16 14:28:15 | 日記・エッセイ・コラム

つれづれなるまゝに 日くらし 硯にむかひて 心に移りゆくよしなし事を そこはかとなく書きつくれば あやしうこそものくるほしけれ。
                                  吉田兼好
(よしだけんこう)

つれづれなるままに 日ぐらしパソコンに向かひて心に移り行くたわごとを、そこはかとなく書きつくれば、怪しうこそ頭狂ほしけれ。
                                  余生健康
(よせいをけんこうに)

   定年を間近に控え、有り余る時間をどう使うか。音楽・楽器、歴史、写真、狂歌・替え歌、天文観測等々、忘れかけた趣味も含め好きなことに没頭するのも一つの方法。コンピューターシステムの仕事に関わってからは趣味の世界から逃避を決め込んだパソコンも、定年となれば趣味として復活させられる。好きなことを全部ひっくるめて、世評、エッセイ、独りよがりの悪あが記。すなわち、ブログをはじめることにしました。
 古典和歌、近代和歌、漢詩などを替え歌として、世評、揶揄、風刺などを書くことを20年以上続けています。古くは組合新聞で、会社や経営者に対する批評コラムを書き、また、年賀状では、その年の話題を取り上げ書いています。
Photo_13  友人で日野市議会議員、森田みつおさんの後援会機関紙「もりもり通信」でも、コラム「古典版世評(コテンパンせひょう)」を書いていました。
 替え歌にしやすい歌、漢詩のタイプがあります。現代言葉でも通用するものは何度も取り上げています。替え歌のほうは、その時々で変えています。
 息子が小学校の頃は、学校の授業で取り上げられる「百人一首」で「お父さんの替え歌のほうが出てきて困る」と言ってました。私の作品では有名な「妻の腹 ふり向き見れば」というやつです。
 
 若い頃より他人から言われて続けてきました。私は、趣味の世界には没頭して一流を窺うまでに行くのだが、仕事は多分に他人事(ひとごと)の域を脱しきれないんだそうです。
趣味のパソコンの技能を買われ、会社のシステム室に異動となってからは、他聞に漏れずパソコンも他人事、まねごとだったような気がしています。

 リタイア後は趣味として再びパソコンも極めたいし、そしてデスクトップミュージック、写真編集と進んでいくことを予想しています。その成果の発表の手段がブログです。
 このプログは雑文、狂歌、替え歌を中心として書いていきます。漢詩や古典をもじっていても解釈は独自のもの、押韻のルールも無視することがあります。
 全てのキーワードは「時間つぶし」であることは言うまでもありません。