夏の楽しみのひとつ。全国高校野球選手権大会
、いわゆる、「夏の甲子園」が終わった。
決勝戦の神がかり的な試合展開は、野球の醍醐味を充分味合わせてくれた。やっぱり野球は素晴らしい。
西東京の予選では、都立日野高校がベスト4まで進んだ。最終的に準決勝で日大三校に負けたが、これまで相手校を粉砕、コールド勝ちで進んできた同校に、わずか1点の僅差で負けた。しかも、途中まで勝っていた。日大三校は決勝でも大差で勝ったくらいだ。日野高校の強さは本物だ。
夏になると、少年野球のコーチをしていた頃の子供達が、どの高校チームにいるか、地方予選前に確認しているが、今年、確認できたのは日野高校のK君と、日野台高校のO君だけだった。他の強豪校に知っている名前がなかったので、今年も、私が応援で甲子園に行ける可能性は、日野高校以外ないと思っていたから、予選が始まってからの展開には、祈るような気持ちだった。勝ち進むK君の日野高校は、次女の母校でもある。今夏は第3シードだ。
今年は、予選の応援には行けなかった。K君は第二投手だった。新聞で、予選の好投を確認した。準決勝での敗北は、20年近く前の私の母校と同じだ。最終的には優勝した高校に終盤での逆転負けだった。あの年は、春も選抜候補になっていたが選ばれず、その点も、今年の日野高校と全く同じだ。
K君は、体こそ小さかったが根性があった。お兄ちゃんが先に野球を始めたが、気持ちは負けていなかった。私から
「もう練習しなくてみよい。帰れー!」と、叱られて、グランドから出て行った(実は帰っていなかったが)のは、この子だけだった。普通は、そう叱られると
「がんばります」
「ごめんんなさい」
となるのだが、この子は違った。
お父さんもコーチをしていたが、一度すねると、後が大変なのか、慌ててK君を捜しに後を追った。少し、離れたところで泣いていたそうだ。一緒に帰ってきて
「コーチ、ごめんなさい」と謝り、再び、練習に参加した。
このK君は、私の冗談が大好き?で(半ば信用していた)、小学1,2年生に頃は、私が巨人軍の選手だったという話を信じていた。
「コーチが、巨人にいた頃、誰がいたの?長嶋?王?」と聞くから
「えーとねー、コーチがいた頃は、栃錦とか鏡里(かがみさと)が一軍にいたな」と、からかいで言ったが
「えーっ、そんなの、俺、知らねーよー」と、チームのみんな(低学年チーム)に
「ジャイアンツにいた、トチニシキって知ってる?」と聞いていた。
少年野球チーム「日野ロイヤル」で一緒に野球をやっていた子供達。これまで、甲子園へ行ったのは二人。8年前が最後だ。それ以来の、甲子園応援は叶わなかった。
コーチをやめてから、そろそろ6年。知っている子が、後1,2年で高校を卒業してしまう。
今年が、最後のチャンスだったかも知れない。