音楽演奏家には、呆けてしまった(認知症になった)人が少ないと思う。演劇家、俳優、作
家、画家などでは聞くことがある。台詞が覚えられなくなって自殺した往年の名優もいた。
そう言うと「どこの誰々は、演奏家だったけれど、呆けちゃったじゃないか」と具体的な名前を挙げられることがあるが、元々、演奏家とは言えないような人だった。一流とは言えないまでも、上手な部類の人で、そのような人を聞いた記憶がない。その記憶がないのが認知症の前触れかも?
一般的に、音楽はメロディーを理解するために、右脳を使うと言われているが、一流演奏家は、左脳も相当使うそうだ。リズム、曲構成、テンポなどは左脳が使われるそうだ。左右の指を使う事によって、さらに右脳・左脳を活性させるのかも知れない。
即興で演奏する。暗譜して演奏する。それを、ほぼ毎日しているのが、一流演奏家の証だ。
さらに、演奏しながら歌うことで脳をフル活動させる。
一応、音楽演奏家に名を連ねる私はどうだろうか?
忘れっぽいのは自慢じゃないが、相当なものだ。若いときからである。大好きな歴史、古典、宇宙のこと。そして音楽での記憶力は、すぐれている方だと思う。暗譜などは音楽仲間たちと比べても、かなりできる部類に入るが、普通の生活では、「今、私は何をしようとしていたのだ」というのが年中だ。どこに置いたか。隠したか。他人に見つからないように隠したものは、もう、自分でも探せない。
一番多いのが,老眼鏡の所在が分からなくなること。
次に多いのが、車のキーがどこにあるのか、分からなくなることだ。出先で、いざ車に乗ろうとした時に、キーを探し回るのは日常茶飯時。友人間でも有名になっている。家に電話して、スペアキーを持ってこさせたことも一度ならず。
また、よくやるのが、駐車場の券を探し回ることだ。キーが見つかっても、駐車券がなくて、車を出せないことがある。キーを探すのに?分。券を探すのに、さらに?分。30分近くになることもある。
以前、ライブハウスの演奏終了後に大騒ぎを起こしたことがあった。
どこを探しても駐車券が見つからず、聴きに来ていた妻やバンド仲間たちには
「財布の中に入れた。いつも探し回るから、今日は意識して、ここに入れた。キーをかけてから再び確認した」と自信満々、説明した。
財布はもとより、ポケット、バック、手帳の中まで探したが見
つからず、仕方なくライブハウスに
「駐車場の券、落ちていなかった?」と聞きに戻った。店長達が懸命に探してくれたが見つからず、
「駐車場の管理会社に連絡をしましょう。どこの駐車場ですか?」と聞かれたので
「店の真ん前の駐車場だよ」と答えたら
「えっ、店の前?あそこはコインパーキングですから券は出ないですよね。出庫するときに番号を入力して精算する方式ですから」
確かに、その通りの駐車場だった。車の位置番号を入力して精算したが、出庫が30分以上遅れたので、その料金も加算されてしまった。
発券する機械がないのに、券を受け取り?、財布に入れた?、あの明快な記憶は何だったんだろう。
妻には馬鹿にされるし、それを聞いた息子はため息。元々、無かった信用を、取り返し不可能なほど低下させた。
数日前から、妻が
「老眼鏡がない」と騒いでいた。
私の騒ぎはめずらしくないが、妻の「老眼鏡‥‥どこだ?」は、めずらしい。
どこを探してもない。「庭に落ちてないか」とまで探し回った。
そして今日。
冷蔵庫から野菜を取り出そうとして、やっと、老眼鏡が見つかった。
冷蔵庫の野菜ボックスへ、かぼちゃを入れる時に、邪魔な老眼鏡を、ふと置いてしまったと思いだしたそうだ。
冷蔵保管した眼鏡を取り出すと、レンズが霜で真っ白になった。冷え切った眼鏡の曇りが取れるまで、数分かかった。