一人暮らしをしている次女が、元日、帰ってくるなり
「昨日の紅白歌合戦、見た?」と聞く。
「ずっと見てたわけじゃ無いけど、見たよ」と応えると
「森進一は見た?」と言いながら、さらに続けた。
「私は、涙を流しながら見てたよ」
その涙は、「感激した」とか「もらい泣きした」というのではないようだ。
「なんで、あんな歌い方になるのか。もう、笑い放しで、おなかが痛くなって、涙まで出てきた」というのだ。
私も、森進一の出演時間は妻と見ていた。妻もあきれた風情で
「なんで、あんな歌い方になるんだ。見ている、こちらまで苦しくなる」と言っていた。
それは、もう感情移入のし過ぎ、詞を遙かに超越した「おふくろさん」だった。
作詞者から禁止された歌を再び歌えることと、母親への想いもあったのだろうが、オーバージェスチャーも甚だしい。
小林幸子の衣装が、歌の意味からかけ離れているのは致し方ないとしても、拷問にあっている母親の苦痛を、死の床についた歌手が、苦しい息の下で歌っているように感じた。
見ているのが辛いだけでなく、聴くのも息苦しい。
今年の紅白は、涙を誘おうとする演出が目立ち、しらけてしまったが、そこへ森進一の「拷問の母の歌」だ。
娘が最後に
「怖かったー」と締めくくった。