昨日の閲覧数 2010年10月19日 | 見聞きしたこと 昨日は、たくさん記事をエントリーしました。 結果は次の通り。 閲覧数:384PV 訪問者数:112IP 閲覧数は3割増、訪問者数は2割です。単純に「記事を2本エントリーしたら倍」というわけにはいかないようです。残念。
籠に乗る人、担ぐ人、そのまた草鞋を作る人 2010年10月18日 | 見聞きしたこと 冒頭のことわざを子どものころ聞かされました。上見りゃきりなし、下見りゃきりなし、とも。「現状に満足しなさい」という意味でしょう。 しかし、「身分は封建社会のように固定的でないのだから、籠に乗る人を目指してもいいのだ」とも解釈できます。 半分になったウィスキーのボトルを見て、現状満足派は「もう半分か」と諦め、上昇志向派は「まだ半分ある」と希望を持つ。 籠に乗る人を目指し努力してきた人が籠に乗るのは、プロ野球選手を目指し努力してきたイチローがプロで活躍しているのと同じくらい、当然のことです。 ただし、籠に乗る人は、担ぐ人や草鞋を作る人への思いやりが必要でしょう。にわか成金でも、ノブリスオブリージュ(社会的地位に伴う責任)がある人は立派だと思います。 今日はたくさんエントリー(ネットに記事を書くこと)しました。アクセス数は増えるでしょうか。SEOの実験。明日が楽しみです。
『発達障害に気づかない大人たち』を読んだ 2010年10月18日 | 読書(文芸、フィクションほか) 『発達障害に気づかない大人たち』(星野仁彦著、祥伝社)を読みました。 高機能自閉症、という場合の「高機能」はどういう意味か。ずっと疑問でしたが、同書を読み分かりました。「知能レベルが比較的高い、軽度の」という意味だそうです。分かりにくい用語ですね。 同書の要旨は次の通り。発達障害はあくまで脳の機能障害が原因であり、性格も生育歴も関係ない。軽度の場合は発見されないまま大人になる者も多い。周囲が理解を示し、適切に対応することが大切だ。発達障害者は「磨かれていない原石」で、中には素晴らしい能力を発揮する者もいる。 そうした例として、音楽家のベートーヴェン、モーツァルト、科学者のアインシュタイン、エジソン、レオナルド・ダ・ビンチ、画家のピカソ、ダリ、日本人では織田信長、平賀源内、南方熊楠らの名前が挙げられていました。なんとなく首肯できる名前です。 ところが一つ、「おやっ」と思った名前がありました。坂本龍馬です。 発達障害は、ある事への異常な集中を示す一方、対人への興味の希薄やコミュニケーションの不器用さなどが特色です。良いことも悪いことも極端なのです。だから技術者や芸術家や学者や独裁者には向いていても、民主的な政治家や仲介者や調停者には向いていない。だから、困難を要した薩長の仲介を粘り強く成し遂げた坂本龍馬がなぜ、と思ったのです。本当のところはどうなんでしょうか。
健全なナショナリズム 2010年10月18日 | 考えたこと・調べたこと チリで起きた落盤事故で、地下に閉じ込められた人たちが無事に救助されました。報道では、国歌に触れたものが多かったと感じました。例えば、真っ暗な閉所でも国歌を歌って士気を高めた、一人また一人と救助されるたびに国歌が斉唱された、といった内容です。 すでに鉱山が激減した日本ですが、同じような救出劇があったら、果たして国歌は歌われるでしょうか。私は歌われないんじゃないか、と思います。もちろんメロディの勇ましさも影響しているでしょう。「君が代」は厳かだけれど、元気が出てくるとはいい難いですから。 チリでは多くの人が国歌を歌い、それを多くの人が見守り応援する。健全なナショナリズムを見た思いがしました。
アメリカのスケール 2010年10月18日 | 見聞きしたこと アメリカでいま何が一番問題か。一言で言うと「中間層」と言われる年収5万ドル以上50万ドル未満の人々の暮らしが崩壊し始めていることに尽きます。(中略)彼らは福祉の対象と見られてきた層とは異なり、アメリカでは圧倒的な勝ち組でした。(後略) 以上、「AERA」10月18日付け「ぐっちーさんのここだけの話」より。 この記事を見て、考え込んでしまいました。1ドル100円として50万ドルは5000万円。1ドル80円としても4000万円です。アメリカでは4000万円稼いでも「中間層」なのかぁ。いったい上流層はどんな人たちなんだ、と。 ちなみに記事の趣旨は、アメリカ経済が縮小しており、回復の見込みが薄いということ。全くお金の心配がない大企業までが雇用努力を怠っている、と結ばれていました。 こうした事態は、日本にどう影響するのでしょうか? 心配です。