ソウルから戻ってすぐの頃、今年の秋には駅前のアパートに引っ越そう
と決めた。9月に入るとボチボチと最近はめっきり読まなくなった本の
整理を始めた。取っておく物、処分するものを分類するのに、今後また
読む事が有りそうか、そうでないかで分けることにした。
購入したまま読まなかったものもあるらしく、どんな本かすっかり
忘れていた物を少し読んでみたりするうち読みふけったりして、なかなか
片付かないでいた。
いつまで経っても片付かないので一昨日、引っ越し日を10月14日と決めた。
その夜から大車輪で箱詰めを開始したが、今日写真アルバムを詰めていたら
娘の小学1年の時の文集が出てきたので、また読みふけってしまった。
「あきの えんそく」という文集だったが、風邪で参加できなくて家で
寝ていた娘は「つまんなかった日」と題して、その日のちょっとした私との
やり取りを書いている。
私は、えんそくの日、ねつがあって、えんそくにいけなくて、つまん
なかったです。
でもおかあさんに、びでおをかりてきてもらってよかったです。
それからおひるごはんがすんで二じになったら、あやちゃんと、いそもとさんと
なとりさんがれんらくちょうをとどけにきてくれたよとおかあさんが
いってくれて、そのときおきてれば、おれいが三人にいえたのにとおもったけど
「あしたがっこうにいけばおれいを いえるよ。」と、おかあさんがいって
くれたからわたしはほっとしました。
「でも、それまでおぼえているかな。」とわたしはいったけど、おかあさんが、
「だいじょうぶ、かみにかいとけばきっと、わすれることはないよ。」
「だけどそのかみを なくしたら、もういえなくなっちゃうよ。」
「じゃあ。」おかあさんがいいました。「そしたらおでこにまじっくでかく。」
ときかれたので、わたしは「いいよ。」と いったけどおかあさんはまじっくを
もってきておでこにかいたから、そのよるけしたかったけど、かぜをひいているので
おかあさんがかいたまじっくはとれなかったです。でもあした、あさおきたら、
かおをあらって、おとそうとおもったけどつぎのひもかぜでおとせなかったです。
明日しなければならないことを、忘れるかもしれないことが心配な、心配症っぽいところが私に
似ている気がして嫌だが、嫌でも私のDNAを受け継いでいるらしいのはわかった^^;
それにしても忘れないようおでこに書いておくという案は、冗談半分で言いそうな言葉
ではあるが、まさか本当にやったんだろうか!?
都合のいい(悪い?)ことに何も覚えていない^^;(子ども相手に何をやっていたんだか)
今や私の詰らない冗談や、老婆心からの本気の心配にもあまり本気に付き合ってくれる
ことはなくなった娘だが、この頃はまだ親の権力(?)をかなり振るっていたらしい。
娘の「詰らなかった日」が、久々に私が娘と濃密な時間を過ごす楽しい日となリ20数年後
当時を思い起こして追憶に浸る良い時間をくれたのは確かだ。
当時フルタイムで働き、一日休みをとらなければならないことに、権利としての有給休暇は
ありながら、ほとんど有給を消化しない職場の人たちの思惑を気にして少なからず葛藤が
あったと思うが、大変な日々があってこそ乗り越えてきたその日々は、大切な私の思い出に
なっている。
でも、本当におでこにかいたんだろうか?
最後までおつきあい(お読み)いただきありがとうございました<(_ _)>
これからまた箱詰め頑張ります!
と決めた。9月に入るとボチボチと最近はめっきり読まなくなった本の
整理を始めた。取っておく物、処分するものを分類するのに、今後また
読む事が有りそうか、そうでないかで分けることにした。
購入したまま読まなかったものもあるらしく、どんな本かすっかり
忘れていた物を少し読んでみたりするうち読みふけったりして、なかなか
片付かないでいた。
いつまで経っても片付かないので一昨日、引っ越し日を10月14日と決めた。
その夜から大車輪で箱詰めを開始したが、今日写真アルバムを詰めていたら
娘の小学1年の時の文集が出てきたので、また読みふけってしまった。
「あきの えんそく」という文集だったが、風邪で参加できなくて家で
寝ていた娘は「つまんなかった日」と題して、その日のちょっとした私との
やり取りを書いている。
私は、えんそくの日、ねつがあって、えんそくにいけなくて、つまん
なかったです。
でもおかあさんに、びでおをかりてきてもらってよかったです。
それからおひるごはんがすんで二じになったら、あやちゃんと、いそもとさんと
なとりさんがれんらくちょうをとどけにきてくれたよとおかあさんが
いってくれて、そのときおきてれば、おれいが三人にいえたのにとおもったけど
「あしたがっこうにいけばおれいを いえるよ。」と、おかあさんがいって
くれたからわたしはほっとしました。
「でも、それまでおぼえているかな。」とわたしはいったけど、おかあさんが、
「だいじょうぶ、かみにかいとけばきっと、わすれることはないよ。」
「だけどそのかみを なくしたら、もういえなくなっちゃうよ。」
「じゃあ。」おかあさんがいいました。「そしたらおでこにまじっくでかく。」
ときかれたので、わたしは「いいよ。」と いったけどおかあさんはまじっくを
もってきておでこにかいたから、そのよるけしたかったけど、かぜをひいているので
おかあさんがかいたまじっくはとれなかったです。でもあした、あさおきたら、
かおをあらって、おとそうとおもったけどつぎのひもかぜでおとせなかったです。
明日しなければならないことを、忘れるかもしれないことが心配な、心配症っぽいところが私に
似ている気がして嫌だが、嫌でも私のDNAを受け継いでいるらしいのはわかった^^;
それにしても忘れないようおでこに書いておくという案は、冗談半分で言いそうな言葉
ではあるが、まさか本当にやったんだろうか!?
都合のいい(悪い?)ことに何も覚えていない^^;(子ども相手に何をやっていたんだか)
今や私の詰らない冗談や、老婆心からの本気の心配にもあまり本気に付き合ってくれる
ことはなくなった娘だが、この頃はまだ親の権力(?)をかなり振るっていたらしい。
娘の「詰らなかった日」が、久々に私が娘と濃密な時間を過ごす楽しい日となリ20数年後
当時を思い起こして追憶に浸る良い時間をくれたのは確かだ。
当時フルタイムで働き、一日休みをとらなければならないことに、権利としての有給休暇は
ありながら、ほとんど有給を消化しない職場の人たちの思惑を気にして少なからず葛藤が
あったと思うが、大変な日々があってこそ乗り越えてきたその日々は、大切な私の思い出に
なっている。
でも、本当におでこにかいたんだろうか?
最後までおつきあい(お読み)いただきありがとうございました<(_ _)>
これからまた箱詰め頑張ります!