心の中のBYJと共に!

ようこそ!老年期まっしぐらのハルの韓国旅行時々国内旅行の記録です。最近は旅には出ても、報告アップが滞りがちですが…

2016ハルの韓国生活最終イベントー同級生との旅6(最後は王宮見学)

2016-09-27 | 韓国旅行
長雨が上がって3日目、雨が降らないのは嬉しいですがとても蒸し暑く久々
クーラーのお世話になっています。
さて6月7日から始まった同級生との旅、いよいよ最後の報告となりました。
長々とおつき合いいただき、本当にありがとうございました<(_ _)>


一か所だけでも王宮見学をしようと,12時15分にソウルへ戻るバスに乗った
私たち、バスは渋滞に遭うこともなく3時過ぎには東ソウルバスターミナルに
到着、2号線江辺(カンビョン)から乙支路3街(ウルチロサムガ)で3号線に
乗り換え景福宮に到着したら4時、どうにかまあまあ充分に見られる時間でした。

景福宮の敷地内にある故宮博物館へ行ったり、三清洞通り方面へ行くのに
敷地内を通ったりは度々ありますが、王宮内部の観覧は2011年に仕事仲間の
友人と訪れて以来5年振りです。

景福宮には光化門の内側にもまだ門があって、チケットを購入してから入る
興礼門、その奥景福宮の正殿勤政殿の前に勤政門があります。


   勤政門  


           勤政殿(儀式などが執り行われる景福宮の正殿)

勤政殿、初めて訪問した1999年ごろは、内部まで入ることが出来ました。
2000年代に入ってからの韓流熱風で多くの観光客が押し寄せるように
なったためでしょうか、しばらく行かないでいるうち気が付いたら
2008年には、内部へは立ち入れなくなっていました。それで自然に足も
遠のき、誰かを案内して訪れても、見学はおざなりにしていたのですが、
久々に見る景福宮はとても美しく新鮮です。


         玉座、背後には日月五峰図

勤政殿の中央天井には龍、遠くて爪の本数が数えられないのは残念。龍に
塗られた金色がとても鮮やか!初めて見た時もこんなに綺麗だったかしら?

         康寧殿(王の日常的な居住空間)


この康寧殿は、後ろにある王妃の生活空間である交泰殿と共に屋根の形が
他の建物とは違っています。それは棟を龍(=王)と見立てて、一つの
建物に2匹は必要ないという意味で棟瓦が置かれないのだとか・・・

王妃が日常的に暮らす交泰殿の裏には峨嵋山(アミサン)と呼ばれる築山
があります。一度王宮に入ると外に出ることがほとんどない王妃ため、
住まいの裏庭に美しい庭園を造って、気持ちをなぐさめたのだそうです。

美しい峨嵋山(アミサン)の写真があると良かったのですが、屋根の上の
撮りに気を取られていて、肝心の写真を撮り忘れてしまいました。



↑は峨嵋山(アミサン)の端っこで、たまたま撮ったオンドル用の煙突
ですが、煙突一つにも美しい装飾が施されています。


建物の欄干の装飾

ネットで他サイトよりお借りした峨嵋山


峨嵋山から一旦塀の外に出、さらに奥深く進むと池の向こうに香遠亭



景福宮の見学を終えた後は、故宮博物館にあるカフェで喉を潤し、ミュージ
アムショップや仁寺洞でお土産を選んだ後は、明洞の全州会館で最後の食事を
して私たちの旅は終わりました。

2016ハルの韓国生活最終イベントー同級生との旅5(烏竹軒)

2016-09-21 | 韓国旅行
昨日日本列島はまたもや台風に襲われ、多くの方々が被害を受けられました。
台風の通り道にあり避けられない環境にあることを承知しているものの、地震
・火山噴火・台風・豪雨による水害等々相次ぐ自然災害に見舞われ続けている
我が国…避けられない自然災害にあう可能性が高いならなお一層、避けられる
災害の可能性は限りなく零に近づけたいと思わないではいられないです。
安全性が確保されたと第三者機関にいわせて原発を再開したり、危険物は遮蔽
すれば良し、とするのでなくそもそも危険と分かっている物は、なくす努力を
し安全を確保してくれる国や公共団体であってほしい・・・。



今春ソウルに滞在したお話をアップしてきましたが、やっと終わりが近づいて
きました。同級生との旅の最終日(6月10日)の報告です。

韓国の伝統家屋、韓屋(ハノク)の一夜が明けました。今日はソウルへ帰ります。
明日の帰国を考えると初韓国のチングOに韓国らしい景色を見せて上げるとすると
今日中のうちです。お昼にはここを発って明るい内にソウルへ帰り景福宮だけでも
行こうとチングIと意見が一致しました。

でも折角来たここも、もう一か所見ましょうと、純豆腐定食の朝ご飯の後は
烏竹軒へ行きました。烏竹軒は船橋荘前の停留所からバスで10分足らずです。
朝食を終えてバス停へ向かっていると、丁度バスが来るのが見え、必死で走り
乗せていただきました(ゼエゼエ・・)

烏竹軒は周りに↓こんな黒い竹が生えていることから名づけられたそうです。



韓国の五千ウォン札の肖像画である栗谷李珥(ユルゴッ・イイ)と、その母で
五万ウォン札の肖像に描かれている申師任堂(シンサイムダン)の生家。


      栗谷李珥が生まれた別堂、右端の部屋には申師任堂の肖像画あり


ここでちょっと五万ウォン札について私見を・・・、男子がより珍重される
儒教規範が深く浸透した韓国社会において、もっとも高額な紙幣である五万ウォン
札が登場したのはまだつい最近の事です。何故歴史上の有名人物や現代の政治家
等の男性で無く女性だったのか、長い間疑問に思っていました。

今年知り合ったチングに質問してみたら、チングの回答は、やはり彼女の私見だ
そうですが、どんなに偉い男性もオンマ(お母さん)のアドル(息子)じゃない!
と一言!(どんな男性よりオンマが一番!)

また、どんな人にしようとも世宗大王以上の人物はいなくて男性からは選べない。
ならばと選ばれたのが、良妻賢母の誉れ高い申師任堂だったというのはそんなもん
かもしれないと変に説得力がありました^^;

申師任堂の肖像



烏竹軒見学後はバスターミナルまでタクシーを急がせ12時15分発の東ソウル行に
乗りました。お昼はターミナル構内にあったパン屋さんのサンドイッチを調達。
所でソウル行き高速バスなんですが、帰国してからチケットを良く見たら往きと
帰りで料金が違っていました?何故なのかはわかりません!どうなっているのかと
ネットで調べたら、正規運賃一般バス13,300ウォン、優等バス19,600ウォンの
どれとも往復とも違っていて謎?はより深くなりました。

往き(東ソウル→江陵)15,000ウォン


帰り(江陵→東ソウル)14,600ウォン



※往きと帰りの違いについて、一つ思い当たることがありました。往きはカードで
支払、帰りは現金でした。そういえばプヨへ行った時の南部バスターミナルでは
バスチケットを購入する時カードは使えないと言われて現金で決済したのでした。
もしかしたら使えないのではなく、手数料が掛かるということなのかもしれません。

(10日の報告はソウルへと続きます)

江陵ソジチョガットルに富爺のサインが~

2016-09-16 | こぼれ話
6月9日、3か月のソウル生活の終わりに高校の同級生と江陵端午祭を見に出かけた
旅の初日の夕食の報告です。夕食だけで何をもったいぶって~と云われそう^^;

江陵には、行くたびにお邪魔する食堂(ソジチョガットル)があります。
この日も夕食は絶対ここへ案内しようと決めていました。
とりたてて何料理ということもない、どの家でも作られている素朴な家庭料理ばかり
ですが真心がたっぷりこめられ、テーブル一杯に並べられたお膳はお箸を持つ前から
既に嬉しい気持ちが一杯になります。そこへは、チングIは2013年10月の雪岳山へ
の旅の帰りに、一緒に寄って以来2度目、私は4度目の訪問です。

前回江陵に来た時、船橋荘には裏門があるのを見つけました。いつもは食事を終えて
から船橋荘見学というパターンで、初回は谷戸の道をたどりながら小一時間かけて
辿り着き、2度目3度目は山越えで時間は短縮できましたが、少々きつかったです。
今回は船橋荘から食堂に向かいます。

裏門から出て食堂めざして歩き始めたら、10分程で到着。
初夏の夕暮れの中、松林に抱かれてソジチョガットルがありました。




チルサンを注文し待っていると、初めて来た時おかみさんだと思った人が、2・3度目
の時は見かけなかったのですが、今回はいらして突然こんなものを見せてください
ました。ソジチョガットルに訪れたビップの芳名録のようです。



「和気致祥 村山富市 二千五年二月三日」

意味は漢字ですから何となくわかりますね^^
ネットで調べたら「和やかな気持ちが吉祥を招く」とか「穏やかな雰囲気が幸いを
もたらす」とか云う意味だとでていました。

左上の「구」は読みはクですが・・・何を意味するのかはわかりません。
現地に居る時に疑問を持てば、聞けたのですが・・・、これもいつか、5度目の課題に

村山さんは戦後50周年を迎えた当時の総理大臣、ご近所の好々爺のような方が
自ら望みもしないのに、総理大臣に祭り上げられてしまった初めての人、偽りのない
人柄が、社交辞令を超えて初めて外国の要人にも心からの信頼を得たそうです。

西洋料理を食べ付けない彼が無理をしてお腹をこわし、大事な会議を欠席せざるを
得なかったと聞いた時は、遠足前夜に喜びはしゃぎ過ぎて当日熱を出して休んだ
我が子を見る思いで残念な思いがしたものでした^^;

その富爺のサインが江陵までやってきて見られたとは!本当にびっくりポンでした。

サプライズに喜びつつも、お料理が運ばれるや関心はお膳の上に^^


雨の日曜、最終日のメアリー・カサット展を見る

2016-09-12 | 展覧会(国内)
昨日、メアリー・カサット展を見てきた。
毎日が日曜なのに職に着いていた頃から、日曜と云うとゆっくり起きる習慣が抜けず
遅い朝ご飯をたべながら日曜美術館を見るのが楽しみだ。もう一カ月以上前の事になる
がメアリーカサットが紹介されていた。

母子像を多く描いていると聞いて、どう云うわけか赤ん坊に眼の無い私は、まず
絵に描かれた子どもたちを見たいと思った。ついで画家が女性が職業画家として
生きる道が閉ざされている時代、親に反対されながらも自らの意思を貫いたという
プロフィールに、これは是非見に行こうと思いながら、色々な野暮用に時間を取られ
機会を逸していた。

母子像(とりわけ子供)を見に行くはずが、行った結果一番強く印象づけられた作品は
『桟敷席にて』であった。


着飾った男女の社交の場でもあった夜の観劇とは違い、昼間の劇場は純粋に舞台を
楽しみたい人が通うのだそうだ。それでもやはり女性の品定めを楽しむ殿方は当然
いるのだが、そんなの関心ないとばかり一心に舞台を見つめる女性の強烈な意志力!
画家の画業への欲求が絵の中の女性に現れたとも見られていると言うが、さも
ありなんと思われた。

女性が入学できる画学校が無い仏で、ルーブルに通っての模写が最初の修業時代だ
そうだが、それ以後も一定の画風にとどまらず印象派のドガや日本の浮世絵と出会い
常に新しい絵画表現にチャレンジし続けたそうだ。彼女の絵画への取り組み・生き方は
まさに強い意志力で達成されたものであろう。



画家は↓の如く、強い意志力を秘め聡明な美しさが引き立つ女性です。


2016ハルの韓国生活最終イベントー同級生との旅4(念願の船橋荘に泊まる)

2016-09-07 | 地方旅行
6月9日端午の日のつづきです。
官奴仮面劇を見終えて、今日の宿船橋荘へ向かいます。
既に船橋荘の一般の観覧時間が終了する午後6時も
過ぎているし、市中心部からは近いのでタクシーで
行きました(なんちゃって路線バスは苦手で、過去
3度、いつもタクシーを利用してました^^;)




船橋荘は、世宗大王の兄弟の子孫が18世紀に建てた
両班住宅で、臣下に許された最大規模99間の広さです。
焼失などで創建当時のままでは無いようですが、再建
され往時の規模を保っているようです。その他現代に
なって作られた体験用施設や観光施設が整備され
江陵の一大観光地です。

船橋荘の名前は、近所にある鏡浦湖が現在よりも広かった
時代、出入りするのに船を利用していたためこの地域を
船橋の村(船橋里)と呼んでいたことに由来するそうです。

敷地内に一歩踏み入れるとまず目に飛び込んでくるのが
活来亭(ファルレジョン)




蓮池の中にあって、茶道体験教室などに利用されるようです。
建物の周囲はぐるりと観音開きの障子窓だそうですので、開け
放してゆったりお茶を楽しんだら王朝貴族の気分にひたる事が
できるでしょうか^^
それにつけてもここといい、プヨといい蓮池には都合5回訪問
しましたが、満開の蓮を見るのはまだ一度も経験できない私は
余程蓮の花との相性が悪いようです。


住宅入口の門


悦話堂[ヨルファダンー当主の居住空間であり、客室(舎廊棟ーサランチェ)]

          (今回撮り忘れネットからの借用写真です)

ヨルファダンは、船橋荘がドラマなどに利用される時、何よりここと分かる
特徴ある部分です。韓屋の通常の屋根の軒先に付けたされた緑の庇、19世紀
後半にロシア大使から譲られ移築されたものだとか。たくさんのドラマに登場
したようですが、私は『ファンジニ』で見ました。縁の前に設けられた
ベランダ風の場所が珍しくて、強く印象に残っています。



初訪問の2011年7月にいつか泊ってみたいと思って以来5年振り、ここに宿泊
するために今回の訪韓の当初から、ネット予約(船橋荘HP)をしたり、予約金の
振り込みで慣れない韓国の銀行での手続きしたりに、我ながらちょっとした
緊張を経験したりしました。やっと実現出来て感慨深いです^^

喜び勇んで意気揚々やってきた割に、何だかあっけない!

端午祭会場からこれから向かう旨電話で連絡したおり云われたように、入口の
チケット売り場に居た人に宿泊予約をしている旨告げ、どうぞお通り下さい的な
事を云われた後、誰が現れるでもないんです。じゃあと勝手知ったるでもないん
ですが、予約した西別堂に行き、入口らしき戸を開けて入り荷物を下ろしました。

西別堂(ソビョルダン)



ここに宿泊しました。

ご覧の様に外観は伝統様式を踏襲した韓屋ですが、宿泊者の便宜を図るためか
本来は無い浴室が設置されています。ソビョルダン一棟で左右に一組ずつ二組が
宿泊可能で、片側には二部屋ずつの個室とシャワー室兼洗面・トイレがあります。
そのためどうしても湿気がこもるのでしょう。部屋の間仕切り障子の開閉がきつく
なっていました。

河回村の両班住宅(北村宅)にも宿泊したことがありますが、そこは文化財としての
住宅をそのまま保存するために、手を加えず保持しているのはとても大変な事と
この時改めて思い至りました。
そういえば船橋荘のソビョルダンは、当初の建物が焼失し、1996年に再建された
ものだそうです。他にも何棟かある建物の内シャワー室の無い棟もあると言います
から、ひょっとしたら創建当時からの建物か否かでシャワーのあるなしが決まる
のかもしれません。

部屋には箪笥の様な物入れがありその上に美しい色の寝具が折り畳んで積まれて
いました。
入室、冷蔵庫のお水、寝具、想像力で適宜利用して一晩の宿となりました。
夕食はまた別に報告します。