心の中のBYJと共に!

ようこそ!老年期まっしぐらのハルの韓国旅行時々国内旅行の記録です。最近は旅には出ても、報告アップが滞りがちですが…

グッバイ!鎌倉近代美術館

2016-01-27 | 美術館(国内)

昨日、今月いっぱいで幕を下ろすという鎌倉の神奈川県立近代美術館へ行って

きました。

 

 

                  鎌近エントランス

 

ここは・・・・まだ大きな夢を見ていた青春の季節、その頃出会った仲間たちと何回

か訪れたことがある。確かムンクの叫びを見たのも、佐伯祐三のパリの街角の絵

もここで見たような・・・そう思って過去の展覧会記録を検索してみたが、出てきた

開催年は私がまだ田舎にいる頃で・・・

 

残念ながら、はっきりしなかったが、そんなことはどうでもいい。

思い出したら行きたくなって、連れ合いを誘ったら、行っても良いという風情だった

ので、ありがたく同行してもらった。

 

チケットをみると「パート3:1951~1965」とあった。その時期の展覧会など

美術館の活動についてのパネル展示もあったのだが、その部分はほとんど

素通りしてしまった。草創期の美術館は、運営する人たちや芸術家たちなど

関わる人々に活発で精力的な息吹があったことだろう。

 

その一端を美術館から発送する年賀状の原画とその年賀状の展示に見た。

著名な画家に依頼された原画は、どれも素晴らしく、そんな素敵な年賀状

一体どんな人たちに送られたのだろう!

 

私は展示物の解説を逐一見ながら観賞する方だが、今回作品につけられた

解説は、作品そのものより作者についての説明が主だった。

当然ながら知らない画家(彫刻家)が多く、ざっと目を通すのに、時間がかかり

疲れそうだったので、途中でやめてしまった。

しかし、色遣いがちょっと不思議だったり、面白いと思った作品については

しっかり確認した。

 

その中の『門の広告』という絵、懐かしい名前「佐伯祐三」を見つけ嬉しかった。

絵も、風景ではあるらしいのだけれど、門に書かれた模様がグラフィックデザイン

の一部のような・・・それで到底風景画には見えなかったわけだけれど・・・

でも不思議と気に入った。

それから梅原龍三郎の『熱海野島別荘』、好きか嫌いかではなく、熱海を描く

のにこんな色を使うんだと、ふと見たら名前だけ知っている画家だった。こんな

絵を描く人だったんだと新鮮な思いがした。

 

 

                 一階通路にあるオブジェ

 

        中庭にあるオブジェ

 

 

 

 


山一面の梅の花ーチョン梅農園

2016-01-24 | 私のハナヨ旅

今日日本全国は寒波に包まれていますが、暖冬の今年既に梅の花は

あちこちでほころんでいるようです。

日本より北に位置する韓国では、早い地域でも3月に入ってからでしょうか~

今日は山一面に梅の花が覆う全羅南道光陽の全梅農園をご紹介します。

 

 

訪問日 2012年5月21日、2013年3月20日(写真はこの時の物です)

交通   ソウル南部バスターミナル発 河東(ハドン)行き ハドンからはタクシーですぐ

訪問地 全羅南道光陽市チョン梅農園

 

春のチョン梅農園は壮観です!麓からてっぺんまで、開き始めた梅の花で

全山霞がかかったような景色です。 (ブログを始める前の訪問なので

その様子を写した写真が無いのが残念です。)

 

チョン梅農園は、現在の代表ホンサンニさんが嫁ぐまで義父によって栗と梅が

栽培されていました。ホンサンニさんは結婚して初めて味わう、農作業の肉体

労働や義母の叱責のつらさを梅の花や香りに癒された経験から、畑を梅畑に

転換することを提案。

 

当時韓国では、お米より高価に取引され珍重されていた栗と違って、酸っぱく

渋い梅は、食べることも活用することもできない実だと思われていたそうです。

 

反対する周囲を、日本での徴用経験のある義父が梅の薬効をご存知で、転換が

実現。長い努力の末に、住む人以外人が訪ねてくることが無かった山中の畑に

まず花を見に人が訪ねて来るようになり、ついで梅製品を試行錯誤の末開発し

国の食品名人の指定を受けるまでになられたということです。

 

3月には梅花祝祭として光陽市あげての観光資源にもなって、1ヶ月間農園を

訪れる人には梅ビビンパや梅ジョンなどの食事の提供もされ賑わいます。

 

ホンサンニさんのご飯は、ご当人「美味しくないご飯」と謙遜しておっしゃいます

が、化学調味料を一切使わない自然なすがすがしい味に、ペ・ヨンジュンの手は

話している間もしきりに食べ物に伸びていたそうです。

 

ハナヨ出版後組まれたツアーでは、農園を訪ねホンサンニさんの「美味しく

ない料理」をいただけるコースの設定もありましたが、日韓の関係悪化後は

ツアーも無く、ホンサンニさんのご飯を頂く機会はこの祝祭の時だけです^^

 

      熟成を待つチョン梅農園のチャンアチの甕(梅農園H.Pより)

 

                取材中のホンサンニさん

 

【韓国の梅】 ホンサンニさんの梅製品だけを見て韓国の梅はこうだ、と語って

しまうのは間違いかもしれないが・・・もう少し広げて、インターネットなどの情報

検索を含めて考えても・・・韓国では、日本のような、いわゆる梅干しという調理

法の梅はないようです。ホンサンニさんが作る梅製品にも、熟した梅を塩漬け

して作る物はみられず、青いうちに収穫した梅を塩漬けし、さらに甘い味を加え

たものが多いようです。

 

 

 


松林に抱かれた江陵(カンヌン)のソジチョガットゥル

2016-01-22 | 私のハナヨ旅

訪問日 2011年7月30日、2013年6月9日、10月19日

交通   ソウル 東ソウルバスタミナル発高速バス

訪問地 江原道江陵市 ソジチョガットゥル

 

畑の向こうに松林に抱かれるようにたたずむ草ぶき屋根がソジチョガットゥルです。

田舎のお祖母ちゃんの家に帰るような気分で、お店へと続く道へ足を踏み入れました。

 

ぺ・ヨンジュンがここを訪れたのは、ソジチョガットゥルが伝える農村の伝統的な

食体験の為です。文化は人々が生きていく日常の中にこそあると考える彼は

執筆に当たって、いちばん身近な「家庭料理」から項を起こしていきました。

 

栄えある第一番に取りあげられたテーマが、ここソジチョガットゥルだったのです。

この家は古くからの旧家で、農繁期には多くの働き手が手伝いに入ります。

田植えが終わると、働き手たちにはご馳走でいっぱいのお膳が用意されました。

 

チルサンというそのお膳は、普段の生活をとことん切り詰め、働き手たちが

満足感を味わってしっかり食べてられるよう、準備されたそうです。それだけでは

チルサンが伝統食として伝えられることはなかったでしょう。お話の続きがあります。

 

働き手の中にとても親孝行な息子が居て、チルサンがふるまわれるその嬉しい日に

中風にかかって身動きのできない母の姿が目に浮かび、彼はご飯も食べられずに

いた。

そんな彼の為に、この家の女主人が毎回料理を別に準備して持たせて帰らせた・・・

 

そんな逸話があるチルサンを、必ず伝えていかなければならないと、国がここに仮小屋を

建て、住んでいた家も広げてくれてチルサンが今に続いているのだそうです。

               食堂ソジチョガットゥルの全景

 

お料理の一つ一つは、季節の野菜の天麩羅だったり、ジャガイモの煮付け、山菜や

野菜の醤油漬け、~~素朴な家庭料理ですが、その季節のありとあらゆる食材を総

動員して準備するのだろうと想像できる品数の多さです

調味料までも自家製と思われる自然で素朴な味や、一年を通じて豊富な食材を

きらさない様工夫した食材の多様さに、深い満足感が得られました^^

 

お店に入った時点で午後2時近く、お昼はとっくに過ぎていましたが、田んぼの中の

一軒家的なこの食堂にまだ8割方の座席が埋まっていましたし、私たちの後から

も2組程入って来ました。本当に永く根付いて人々に愛されているお店のようです。

             韓紙にアレンジした押し花が素敵です

 

         田んぼの向こうにソジチョガットゥルの全貌を見る

 

 

               2回目訪問時に食したチルサン

 

夏の一回目には見つけられなかった「先の尖った棘に鬼神も逃げていく針桐」は

多分これ ↓ ではないかと~

 

既に新芽の時期はとうに過ぎた6月の訪問でしたが、わずかに上部の葉だけが

残る姿に、この木がそうなのだろうと~。

 

 


私のハナヨ旅ー始める前に

2016-01-19 | つぶやき

昨日天気関連報道の中で「暖冬の冬は大雪になる確率が高い」

なんて恐ろしいコメントを聞きましたが、今日の全国的なお天気を

見ていると、予想通りになっていきそうで心配です。

どうぞ、これ以上事故が起きたりしませんように・・・・

 

さて暮れの旅行の報告も終わり、私の日常は取り立てて報告する

ようなことも無いのでブログのアップが滞っていますが、こんなときに

前から一度まとめたいと思っていたことを、少しずつ書いてみようと

思います。

 

ぺ・ヨンジュンさんは日本で「冬のソナタ」がブレイクし、たびたび来日

するようになったある時、マスコミの取材で韓国のお勧めの観光地を

問われ、こたえられなかったことを契機に、韓国を紹介する本の執筆を

思い立ちました。

 

当初はガイドブック的なものを想定していたようですが、出来上がって

みると、韓国文化についてご自身が体験しながら紹介していく韓国文化

入門書的なエッセーになっていました。

 

『韓国の美をたどる旅』(韓国名『국의 름다음을 찾아 떠난 행』

赤字の頭文字をとって略称ハナヨと呼びます)というのがその本です。

 

私はヨンジュンさんを知る前から韓国には繰り返し旅行していますが

ハナヨを手にした後は、滞在中のどこかで必ずハナヨの影踏み旅も入れる

ようになりました。訪問先のチョイスはヨンジュンさんに倣って、惹かれる

物語がある場所を中心に、随時適当に出かけています。

報告は出かけた順ではなく、ハナヨに出てくる順にしていこうと思います。

 

又お付き合いいただけたら嬉しいです。


暮れの京都旅⑥街歩きと晴明神社

2016-01-12 | 国内旅行

暮れの京都旅やっと今日で終えられそうです。

12月21日、終い弘法を終えて次の目的地晴明神社へ向かいます。

今日は時間節約のため要所要所でタクシーを利用する予定なので

バス1日券は購入していません。地下鉄で最寄りの今出川まで行き

堀川まで歩きます。大通りを行けば道は分かりやすいですが

面白みが無いので、一本南側の路地に入って歩いてみたら~

 

由緒ありそうなお屋敷と遺跡の標識があったので写真に撮り、帰宅して

検索してみました。

              「千宗守居士遺跡 官休庵」

千宗守は、千利休が秀吉の怒りをかって切腹させられた後、蟄居していた遺族が

家康や前田利家の取りなしによって赦免され、堺の本家堺千家は嫡男道安が、京

の京千家は娘婿少安が継いだが、堺千家が早くに断絶し京千家の系統のみが

現在に伝わり、少安の子の代で次男宗守・三男宗左・四男宗室がそれぞれ独立し

流派が分かれ、武者小路千家官休庵・表千家不審庵・裏千家今日庵となっている

そうです。 

 

雨の中路地の風情を楽しみながら歩くのも又なかなか乙なものでした。さすがに

紅葉はすっかり影をひそめていましたが、時折散りそびれたらしい樹を見つけて・・

 

そうこうするうち堀川通りに差し掛かり神社が見えてきました。

             川通りに面する一の鳥居

神社の額に神社の社紋「晴明桔梗」が掲げられています。

「晴明桔梗」は五芒星とも言われ、晴明が祈祷するときに呪符として使用し

魔よけにもなるものだそうです。

 

陰陽師というとまがまがしいイメージが先立ちますが、羽生君が「SEIMEI」

を演じることになって検索してみたら、晴明は何よりもすぐれた天文学者で

あり、数々の伝説的な逸話の多くは科学的な根拠に裏打ちされて、生まれた

のではないかと思った次第です。

                            

                     二の鳥居

                     晴明井

晴明井は晴明が念力で湧きださせた井戸で、病気平癒のご利益があると

され、水は現在でも飲めるそうです。水の湧き出るところは、その歳の恵方

向くように動かすことが出来ました。恵方は毎年変わるので、立春の日に

向きが変えられます。

生憎の雨でしたが、飲んでいる人がいらっしゃいました^^

 

「魔除け」「厄除け」にご利益があるという晴明神社、魔と厄は誰もが抱え

込みがちな、「なかなか解決できない問題」ですが、「神前で静かに手を

合わせ、その心を正直に晴明公にお伝えすれば、きっと、その絡まった糸

がほぐされる」そうですから、期待して一生懸命手を合わせてきました^^