心の中のBYJと共に!

ようこそ老年期をまっしぐらに進行中、ハルの韓国旅行時々国内旅行の記録です。

石造博物館について

2017-07-24 00:16:58 | 博物館



ソウルの北部、景福宮の後ろに鎮座する、北岳山の山腹と思われる一画に、
石造博物館はある。正式名称は“우리옛돌박물관”(直訳ー我らがいにしえ
の石の博物館ー以下石造博物館とする)という。

先々週高校同期生と城壁散策で城北洞を訪れたついでに見学し、更にヨン様
チングを案内して先週も訪れたばかりである。65歳以上はシニア割引があ
り、会員加入すれば一般成人観覧料の一回半程の金額で、一年間何度も訪問
可能と帰る時に知った。8月末には、別なヨン様チングさんたちとの訪問が
ありそうなので、会員になるというと、今日の入場料との差額を支払えば良い
との事。素敵なカードを手にしてルンルンになった。

さて最初の日にいただいた資料、少し眼を通したのでお知らせしたい。
この石造博物館、初めて見たときから単に昔の石像を集めて展示した以上の
切実な思いのような物があるのではないかと感じた。
展示物に、王陵の周囲に置かれて墓の主を守るという石像が目についたから
だった。



本来置かれるべき場所でなく、どうしてここに集められているのか?そこで
ピンと来たものがあった。もしやこれらは日本統治時代に、日本の地に渡っ
たものでは?

先週訪れた時友人が、どういう人がここを建てたのか質問をしたら、開館
以来の新聞記事のコピーを下さった。
それによるとチョン・シンイルという事業家が、40年ほど前の若き日に仁寺
洞の骨董店に行った時、今まさに日本に買われて行こうとするコンテナ2個
分の石像を見て、血気盛んな若さから「私が買おう」と思ったのが契機とな
って、石像の収集に嵌ったそうである。

2000年京畿道龍仁に世中イエットル博物館をオープンさせ、更に多くの人々
に見てもらいたいと2015年11月11日ソウルに開館したのが、この石造美術館
である。5500坪の敷地に建て坪1000坪の3層の建物に五つの展示室がある。
返還遺物館、童子館、ボクス(牧守?)館、刺繍館、企画展示館、そして山の
斜面を利用した野外展示場ー石の庭園である。そこに石像1242点、刺繍280
点、近現代韓国絵画78点が公開されている。

展示の核心遺物は返還遺物館(ファンスユムルガン)にある朝鮮時代の石像
だそうだ。2001年紆余曲折の交渉のすえ、一部買取も含めてある日本の個人
から返還された70点の内47点が展示されている。

それらの石像は像に刻まれた衣服文化は無論のこと、像自体の大きさによっ
て陵墓の主の品階が推測できるなど大切な文化遺産である。
まだ日本に所蔵されている文化財を、一点でも多く取り戻せるよう、個人個人
の関心と国家の積極的な努力をと訴えている。

大きな恨(ハン)の塊のような石造博物館であるが、石像たちは唯ひたすら
当初に課せられた使命を果たさんかにそこにあるように思う。
負の歴史を清算しきれずいる国同士の関係はさておき、私個人としては、お
隣の国との新しい未来の関係に思いを馳せつつも、石像と石像のある空間を
謙虚に観覧しようと思う。




※いろいろ調べているうちに日本の資料も見つけたのでお知らせします。
ご当人の了解をいただいておりません。不都合があったらお知らせください。
むくげ通信「朝鮮石人像をたずねて」深田晃二様

※2、この博物館の呼び方を、当初石像博物館と表記していましたが、博物館
側で出しているものの漢字表記に「石造博物館」とありました。したがって
当ブログでも石造博物館に統一し、表記しなおしましたのでご了解ください。
コメント (2)

夫と行く晩冬のソウルNO11ー石造博物館を訪ねる城北洞の午後

2017-05-05 21:55:11 | 博物館
3日目昼食を終え、城北洞までの交通手段を考えている途中、成均館大学の
シャトルバスを見かけたばかりに、思わず飛びのってしまいました。
成均館と言えば、朝鮮史や韓国歴史ドラマをお好きな方ならご存知かも~~
の儒学の学問所だった所で、李氏朝鮮建国から数えると600年の歴史を持つ
由緒ある大学で、ぺヨンジュンが一時期通ったのがまさにこの大学です。

如何に楽に行こうかを考えていたというのに、むしろ遠回りでアップダウン
の激しい方へ足を向けてしまいました^^;

大学路1番出口前の停留所を出発したバスは、ロータリーを経て成均館通りで
右折、数百m進むと正門があります。正門を入るとバスは構内をズンズン登っ
ていきます。600年記念館を過ぎて少ししたところが終点で、しばしそこからの
眺望を楽しみました^^


        成均館大からの眺望


バスの終点を少し行くと裏門にでます。そこは城北洞から嘉会洞へ抜ける山
越え道です。近くにソウル城郭も見えるはずと門前を右へ(城北洞方向)行く
と、幾らも歩かないうちにすぐありました(写真があると良かったのですが、
撮り忘れました。)

4年前の秋、高校の同級生とソウル城郭を歩こうと、ソウル科学高側からチャ
レンジしたおり、ずっと続きそうな急な上り坂のきつさに、歩き始めて10分
足らずで早々と諦めたことがありました。
その時反対側からならば、何とか歩けるかもしれないと、いつか機会を見つけ
歩いてみようと思っていました。その反対側になる場所を見つけたわけです^^

そして運よく通りがかる空車を待ち、労せず城北洞入りが出来ました。
カフェ日常(イルサン)で今日のコヒーとお替りの別な産地のコーヒーで午後
のコーヒータイムを楽しみ、自宅用に2種類の豆を購入した後、次の目的地
石造博物館へ向かいます。


石造博物館、実は城北洞通りから吉祥寺へ向かう通りへの曲がり角に、この
博物館への案内が出ています。でもこの標識が曲者で・・・以前長期滞在時に
この近辺を散策した折、この標識を見つけて行こうとした事がありました。

標識には「石造博物館:ここから○○m、吉祥寺:ここから○○○m」とあります。
何分もかからず行きつくと思ったのに、博物館より遠いはずのお寺を通り過ぎ
ても見つからなかったのでした。その時は博物館は散策のついでに見学を思い
立っただけで、熱心に探して迄行きたいとは思わなかったので、次の機会に
行ければ良しとしました。もちろん帰宅後はソウル市の地図をひも解き探して
見ることもしたのですが、築造後の日が浅いのか2010年発行の地図には、掲載
がありませんでした。

今回は要所要所で人に聞きながら・・・、最初に聞いた人には、知らないと
言われ、では明らかにこの地域の住民と判る人に聞こうと、ご町内何でも屋的
お店の人に聞くと、今いる道を真直ぐ行くのだけれど「一しきり歩くからバスで
行きなさい」とアドバイスされました。
と言われても、この近所にあるなら歩けないはずはないだろうから、そのまま
歩いたら・・・吉祥寺を過ぎ、家具博物館の下を通り越し二筋目を曲がって・・
やっとありました(帰りにバスに乗ったら博物館から大通りまで7停留所は数え
ました)。


       우리 옛돌박물관(私たちのいにしえの石の博物館ー入口の装飾の 
       ソッテも通常の木とは違い石造りです)


ここも近所にある家具博物館と同様、多分私設博物館、日本に比べれば低料金で
すが有料でした。65歳以上はシルバー割引ありです。


          化石の陳列棚


          ↑の棚の部分拡大

展示は順路が示して有り、矢印に従って進みます。最初の展示室は2階への階段
室を利用してあり、階段ではなく緩い傾斜が2階まで続きます。そして屋根無し
のそのスペースは、前日までに降った雨だか雪だかでしっとり濡れ、静かで厳か
な雰囲気の中にありました。


          羊の石像(韓国で羊は吉祥)


階段の両側の壁は展示の陳列棚を兼ねています。


          
↓は頬笑みを浮かべた像が集められて~

          





2階展示室ー祈りの空間







気に入った像に手を合わせて祈ったり、部屋の一隅に置かれたカードに願いごとを
記入し、成就を願って壁に挟んで帰っても良いそうです。さっそくリアル家族とヨン
ジュン家族についての願いをお願いしてきました。


祈りの空間を出るとミュージアムショップとカフェスペースがありました。そこに
石とは関係ありませんが・・・祈り繋がりなのか、昔家に縛られた女性が、わずかに
自己表現の手段としたという刺繍やポジャギの作品が展示されていました。日本人とは
大いに違う色彩感覚が魅力あります。













3階にはベランダ庭園がしつらえてあり、韓国は植木に手を入れないお国柄
と思っていた私、剪定された松を見て撮らずにいられませんでした。





山の斜面を利用した敷地内にも植え木と石像がコラボされて






          屋上のプチョニム(仏像)



          博物館から南方向(多分)の眺望




コメント (4)

快晴の5日目(2)-やっと北村博物館観覧

2016-03-20 11:17:27 | 博物館

3号線安国駅2番出口から出そのまままっすぐ、数百メートル程進むと

道路左手に、小さなこんな看板が見えてきます。

       북촌박물관(北村博物館)

北村博物は「歴史の中で知らず知らず、私達の日常生活の中で引き継がれてきた

有形・無形の文化財を展示し、古いものが持つ美的価値を今の私達の生活に連結

させたい」(博物館HPより抜粋、意訳;はる)2013年に開設された施設です。

 

 現在の展示は「朝鮮,女性の香気ー朝鮮時代のアンバン家具と工芸品」

(アンバンとは、両班ー日本の平安時代なら貴族、明治なら華族のような階級

ーの家庭では、家の中で家長の居住空間と、夫人や子供の達の生活空間は

住み分けが為されていました。アンバンは女性たちの居住空間です。)

 

前面右からカケズ(金庫)、ハム(ボックス)、同じくハム? 奥右側衣服を収納するチャン

 

 ↑ピニョ(髪飾り)         ↑ カギョン(鏡) ↑ピッチッ(化粧道具入れ)

 

両班家庭ですから中には当然高価な螺鈿細工物もあります。

 

家事に関連した道具類

手前 チュモニ      箸袋           裁縫道具

奥 アイロン台

 

アンバンは生活空間であると同時に子女への家庭教育の場でもありました。

              ソアン(机)

机の周りにある物として、他にピルトン(筆筒)とか、机の横に置いて

小ものを収納するヨンサン、文を書いた巻物を入れる状差しのような

ものとか、机には経机と言って巻物が落ちないように両端が少し上が

っている物もありました。

 

本棚(格段右側の金具を上にずらすと空洞になり、指を入れて蓋を外して出し入れする)

 

                チャン(衣服入れ)

       パンダジ(出し入れの扉が半分だけ開くようになっている)

                        金具のこの厚み↑

 

屏風(部分)

歴史ドラマで外交使節などが、昆虫が一緒に描かれていない花の絵を贈って

美しい登場人物を皮肉る場面がたまにありますが、ここにある屏風には蜂や

蝶、鳥が必ず一緒に書かれていました。

 

展示の最後の方には撮影スポットもしつらえてありましたよ。

お座布団に座って写していただきました^^v

 

城北洞にある家具博物館の一時間でガイドツアー付きでのみ観覧可という

スタンスに比べ、こちらも入ると同時に職員が付いてくださり、一通り説明は

してくださいますが、終わってからもう一度ゆっくり見たいと言うと、自由に

どうぞでした。写真の許可も得て好きなだけ撮らせていただきました。

 

このスタイルは解説を、辞書を引き引きじっくり見ていくのが好きな私には

とても有難かったです。料金も3,000ウォンと庶民的で、見た早々に年数回

展示内容の変更があるという、次の展示が楽しみです。 

コメント

「屋根のない博物館」のような都市慶州

2015-07-10 21:29:51 | 博物館

5月19日慶州の旅二日目の続きです。

ドソルマウルでの食事を終え市内見学に向かいます。まずは博物館から~

都市全体が「屋根のない博物館」と称される慶州ですが、博物館にも少し寄って

その後、時間が許すだけ市内を歩こうと思います。

タイムイズマネー、博物館まではこの旅行初めてタクシーを利用しましたが、料金は

日本の初乗り料金内程度でした。

 

ドソルマウルを南下し川沿いの道を博物館に向かっている途中、伝統的な様式で

作られた屋根付きの橋が見えて、目を奪われました。(帰国後調べたら、月精橋と

いうようです)

慶州は橋までもあんなに絢爛豪華なんだ!と驚きました。

 

【国立慶州博物館】

              国立慶州博物館 本館(考古館) 

博物館には本館である考古館の他に美術館・雁鴨地館・特別展示館等があるそうですが

私が見たのは考古館と野外展示の一部のみ。本館は、こうして見ると木が邪魔してますが

シンメトリーですね。日本の国立博物館で同じようなことを考えたことを思い出します。  

最初に撮った写真がこれ ↑ 何に興味を惹かれて撮ったのか記憶がすでに曖昧です。

何かを入れておく物のはずのこの土器、上方に小さい穴があります。模様でしょうか、

何でしょうね? 

 

市内至る所にた~くさんある古墳、棺の素材や埋葬の仕方、副葬品の内容など

詳細に見ていくと、お墓一つにも様々な物語が詰っています。物語を描く観点で

見ていくと、従来は素通りしがちだった古代の遺物にも関心が湧いてくるような~

            舎羅里130号墓(棺をじかに土に埋葬)

            九於里(くおり)1号墓

        舎羅里130号墓・九於里1号墓の説明文

 

【発掘された副葬品に多くみられる鳥型土器】洛東江より東の地域に多く鳥は鴨、頭には

大部分とさかがある。酒などを入れて葬儀に使用した後、墓にいれられたようです。

鳥型の土器が好まれたのは、亡くなった人が飛んで天上の世界へ行けるようにという

当時の人々の願いの為だそうです。

                  鳥型土器

              鳥型土器説明文

                   新羅土器

                新羅土器説明文 

 

韓国最古の聖徳大王神鐘(国宝)、良い音を響かせるために一人の幼子が犠牲に

なったという哀しい逸話が語り継がれる別名「エミーレの鐘」↓ も展示されています。

                                  聖徳大王神鐘

                 野外展示の石塔

 

博物館を切り上げて外に出ると、博物館すぐ左隣には半月城(반월성 バンウォルソン)

道路向こう側には雁鴨池(안압지 アナチ)、があります。

 

반월성は新羅の宮廷があった宮殿跡です。小高い丘の上にある반월성に上って

いって振り返ると、登って来た方角が一望のもとに見渡せます。また丘へ登っていく

手前のところには小さな広報館的な施設があり、映像で新羅王朝時代の慶州の姿を

見せていただけます。

 

目の前に雁鴨池、それより少し東の方に今は目で見ることのできない九層木塔。

↓ の写真の川が蛇行して右へ曲がるあたりが半月城のあった所です。

              スポットの当たっているのが九層木塔

 

半月城で、昔の姿をそのままとどめているのは、朝鮮王朝時代にも冬に切り出した氷の

保管庫として利用された石氷庫(석빙고 ソッビンゴ)唯一つ。

半月城も復元されるのか縄張りがされていますが、大変な労力と費用がかかることでしょう。

 

半月城の丘から下りてさらに進むと、広大な空き地が広がっています。

雁鴨池・半月城を含み、鶏林・瞻星台へと広がる月城(ウォルソン)地区というそうです。

四季とりどりに花が咲くように整備されているようです。

5月は水辺に睡蓮が蕾を結んでいました。

 

月城地区の一番はずれに、現存する最も古い天文台である瞻星台(첨성대 チョムソンデ)

があります。

難しい計算を助けてくれる機械や精度の良い観察器具も無い時代に、驚くほど精巧に

天体の動きをとらえ、関連の数字を基にしてつくられています。古代人の天体への関心と

その知識の不思議を聞くと、春・秋分の日にのみ不思議な姿を見せるマヤのククルカン

神殿を思い出します。

 

瞻星台、くっきり写っていると良かったんですが、歩くには十分でも、石積みの段が

何段あるかとか、瞻星台と天文との関係の不思議を検証するには、少し無理な時間

にいつのまにかなっていました。そろそろバスターミナルへ戻った方が良さそうです。

 

 

(続く)

 

コメント

梨大博物館―「朝鮮時代の女性の生涯」展

2014-09-06 21:40:53 | 博物館

私が住んでいた新村(シンチョン)の隣駅は梨大です。2番か3番出口で地上に出、まっすぐ

数分進めばそのまま梨花女子大学(以下梨大と省略)という韓国名門私立女子大の校内に

入ります。韓国の大学には博物館や美術館を併設している所が多く、梨大も規模は大きくは

ありませんが充実した所蔵品があるようです。

 

7月も半ばを過ぎたある休日、カットをしに梨大前の美容院へ行った帰りに寄ってみました。

11年前にも一度訪れたことがありますが、その時の主要な展示は現代アートでした。

現在は「朝鮮時代の女性の生涯」をテーマとした展示です。

   

       博物館全景(内部は撮影不可で展示品の写真はありません)

一番初めの展示は태항아리という蓋つきの陶磁器の壺でした。항아리は甕とか壺を

意味します。태は辞書を引いてみると、「胎」つまり新生児を出産した後、母体に不要

となって出てくる胎盤を収め地中に埋めるための壺でした。出産に絡む事を‘穢れ’と

捉える思想が主流と思っていた古い時代に、生命を生む為の行為に関わるものが、大切に

扱われた事実を知って厳粛な気持ちになりました。

 

続いて産着に始まる成長過程ごとの衣服・装身具等、主要には両班(ヤンバン)と

云われる貴族階級の女性の身の回りのものが、一生を終えるまでの段階を追って

展示されています。

絹で作られた生まれたばかりの赤ちゃんに着せる産着の何と柔らかく肌触り良さ

そうなこと!冬は日本よりもうんと寒い朝鮮半島、子供用の外套や頭にかぶる頭巾の

ようなものもドラマで見た大人用のものの縮小版といった感じで、面白かったです。

 

会場に掲示されたこの展示に関する説明をご紹介します。

性理学の理念が社会の主軸となっていく過程で、朝鮮時代の女性は時代的に変化した地位

と生活を送ることになる。 朝鮮前期には男性と同等に財産を相続し、先祖を迎える祭事を

主管し、出産後にも子供の養育のために実家に居住できる権利があったが、儒教的規範が

強化される朝鮮末期に達すると、男女の内外法、七去の悪、再婚禁止のような家父長的な

秩序の中で、両親と夫に順応する人生を強要された。 それでも与えられた場所で家の生計を

立てて、子供を正しく善良に養育するとともに、繊細で豊富な芸術的感性を表現することが

できた女性たちは、朝鮮社会を支える内在的な力となった。 本展示の1室では女性の出生に

関連した胎壷をはじめとして、成長期に着用した服飾と装身具、婚礼に使われた遺物、そして

中年期と老年期に着用した服飾、最後に命を終える時用意された副葬品と子孫が着た喪服まで

展示することによって、朝鮮時代の女性の一生を見渡してみようと思う。 また、階層によって

受け持つ役割が違う朝鮮時代の王室の女性たちと両班(ヤンバン)および平民、専門職に

従事した女性たちの、固有な人生があらわれた服飾遺物と生活用品を通じて、朝鮮女性の

多様な活動と人生の姿を注意深くご覧ください。

 

 李氏朝鮮の時代が儒教社会だった事は有名ですから、私もつい最近までは朝鮮も

女性は‘三界に家なし’的に、幼小期は親に、結婚したら夫に、老いては子どもに従って

生きることを余儀なくされる存在だと思っていました。ですから韓国で5万ウォン札が

発行された時、一番金額の高い紙幣が女性の肖像画であることに、本当に吃驚しました。

又その肖像画に描かれている人物は、朝鮮時代の高名な儒者栗谷李珥(ユルゴク 

イ・イ)の母で申師任堂(シン・サイムダン)という女性ですが、彼女とその子李珥は共に

彼女の母の実家である江凌の烏竹軒で生まれたと知って、不思議な思いを抱きました。

韓国に日本女性が出産の時、実家に戻ってするようなそういう習慣が、あるかどうか

実際のところは知りませんが、あると仮定してもソウル在住の申家の嫁である申師任堂の

母は、自分の実家である烏竹軒で出産する可能性はありますが、その子(つまり申師任堂)は

自分の実家であるソウルの申家で出産するのではないかしら?と思いPCで検索して

みたことがあります。

 

すると申師任堂が江陵の烏竹軒で李珥を生むことになったのは、夫を亡くした後実家である

烏竹軒に住むようになっていた李氏が病気になり、娘である申師任堂が看病の為に滞在

している時に生まれたのだということだそうです。李氏は一人娘だった為に、女性ながら実家の

遺産を相続し、夫の死後は烏竹軒に住むようになっていたようです。子供が女性だけなら

それは当然のことと受け止めていましたが、政治体制の移行期という事で制度的な整備が

行き届かず、緩やかな規範の中にあったという事のようでした。関係ありませんが、私も規則や

制度は緩やかなのが好きです。人間個人個人の自由な発想や行動が尊重され、活かせるので

はないかと思うからです。

 

申師任堂は朝鮮一の女流画家と評される人で、この「朝鮮時代の女性の生涯」展にも

申師任堂作とされる枯梅花帖という絵が出展されています。朝鮮初期の緩やかな規範の

中で、理解心ある婚家の家族にも恵まれ十二分に才能を開花させた女性に思われます。

ミュウジアムショップも小さいながら充実していて、文具等お土産向きの小品の品揃えも良いと

思います。朝鮮時代の女性の生き方に関心のある方、お手頃でちょっと気のきいたお土産を

手に入れたい方、お勧めです。한번 가 보시면 어떨까?(一度いらっしゃってみたらどうでしょう?)

コメント (4)