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心の中のBYJと共に!

ようこそ!老年期まっしぐらのハルの韓国旅行時々国内旅行の記録です。最近は旅には出ても、報告アップが滞りがちですが…

5月20日鍾路へ移動

2015-07-25 | 講演会

 

5月13日の訪韓以来泊めていただいていた、料理教室のク先生のお宅は

20日に お別れです。いつもの如く早朝マナカフェに行かれたお二人、私は

荷物をまとめ部屋のお掃除をすませてから、お別れを言うためにお二人の

いらっしゃるカフェに向かいます。

 

お別れといっても滞在自体は、まだ10日以上残っています。その間2度ある

料理教室のうち1度は参加する予定ですし、今週土曜にカフェで開催される

コンサートにも来る予定です。そんな話をしながら、とりあえずはお世話になり

ました。残る日々ももそれなりによろしくお願いしますといったお話をしました。

マルダさん(お弟子さん)からは、コンサートでは食事をだすから、お手伝いを

して欲しいと頼まれてしまったので、嫌でも来なければなりません^^;

 

そうそう慶州のお土産ファンナムパンもカフェに出入りするみなさんへ一つ

ずつお土産です。時々カフェを覗きにいらっしゃるハルモニもいらしたので

早速食べていただきました。 いつもお世話になる先生には時々遠慮されて、

どれほどすすめても、一緒に食べることを頑なに拒絶される時がありますが、

異邦人の私の勧めは気楽に受けてくださるようでした。

私も皆さんと一緒に一つパクッとしてみたのですが、やはり現地でいただいた

焼き立てには敵いません。

 

今度の宿は鍾路ビズという格安ホテルです。

仁寺洞と宗廟の間にあり、地下鉄5号線・1号線が利用可能で、3号線も

充分徒歩圏内と交通機関へのアクセスが便利なことこの上ない立地でした。 

ヨニドンからは、マウルバスで2号線新村まで出て、市庁方向に乗り

忠正路(チュンチョンノ)で5号線に乗り換え鍾路3街(チョンノサムガ)下車。

 

駅を出てすぐの大通りは北側は宝石店がずらり並んでいますが、ホテルへ

向かって一歩路地へ入ると、そこはいわゆる繁華街で、飲食店が所狭しと

ひしめいて猥雑ながらもエネルギッシュな韓国が感じられる街です。

 

 

今日あらためて検索してみたら、この鍾路ビズホテル、残念なことに

本日7月25日で営業中止となっていました。

一泊6千円足らずで簡単な朝食付き、できるだけ長く滞在したい私にはありがたい

宿なのに、廃業とはとても残念です。

 

今思い返しても、ここに泊っている間は、毎日仁寺洞のメインストリートを通り

楽園商店街へ抜けて宿へ帰っていました。宿への帰り道が、即観光であり

ウィンドウショッピングになるという、何とも楽チンで楽しみな日々でした。

同じ街、同じ通りを歩いても、毎日新しい発見があり厭きませんでした。

 

(続く)


4・24 2015『韓日文化比較』第5回公演「韓国のポジャギと結び」

2015-04-26 | 講演会

先週土曜の事だった。4月の韓国文化院の行事に参加して帰宅した夜

来月の行事はどうかと文化院のHPを開いて、4月24日の講師の名前にふと眼が止まった。

2015『韓日文化比較』第5回公演「韓国のポヂャギと結び」講師李効斎

イ・ヒョジェ、イ・ヒョジェといえば

6年前にヨンジュンさんが韓国文化に関する本を出版した時

取材旅行に同行し、日本で開催した記念イベントにも出演した

あのイ・ヒョジェさん!

よく見ると開催が1週間後と迫っているにも関わらず、幸い申し込み締切日の前

大あわてで申し込みしたら当選し、この講演会にも出かけることになった。

ヒョゼさんは韓国のターシャ・チューダといわれ自然主義的ライフスタイルで有名な方だが

韓服デザイナーでありポジャギアーティストでもある。

お母様が韓服店をやっていらして、たくさんの布が遊び道具として身近にあったことで

彼女も韓服・ポジャギにかかわるようになり

大勢の方が彼女の作品を見たいとおっしゃってくださるからポジャギアートを

舞台でお見せするようになったのだそうだ。

 

講演は、司会者に今日の講師として紹介され登場した彼女は登場するなり次々

「お腹がすいてる人はいませんか」「お箸は何で出来ていますか」

と言っては、挙手した人を舞台に呼び

彼女の手で生み出されるポジャギアートのモデルに起用

実際にたくさんのポジャギアートを展開して見せる形で進行された。

当日作られたものは

ポジャギで作るバッグ大小数種類、リュック

急なパーティの予定が入った時のポジャギで作るドレス(スカート)スマートな人用と

お腹を隠したい人用の2種

出先で雨にあった時にハンカチで作る帽子

etc

 

作品は出来上ると先生の指示で舞台上でウォーキングし、降りて客席を半周

また舞台に戻るというスタイルで

俄かモデルさん達は慣れないモデルにぎこちなく歩く人

気取って少しポーズを取る人

モデルさんも、見ている私たちも作りながらの先生のトークに

大いに楽しみ笑った良い講演会だった。

 

 

 

【会場に飾られていたポジャギアート】

 

       

 

韓国のポジャギは包んでポジャギごと相手に贈るものだそうです。

いただいた人が包みをほどき、中身を見て、さあどんな反応を示すのだろうと

想像して見るのも楽しいでしょうね^^

 

 


「韓国のソンビと日本の侍(サムライ)」

2015-03-21 | 講演会

3月11日、韓国文化院主催講演会に参加してきました。報告が10日も遅れて


しまったのは東京方面へ出かけるついでに、他の用事やお楽しみを入れてしまい


その報告をしていたからといいたいところですが、実を言うと手に余るテーマに


ぐずぐずしていたというのが正直なところです^^;


 


韓国文化院ではさまざまな交流行事が開催されていますが、その中に講演会シリーズ


があります。今年のテーマは「韓日文化比較」その第3回として「韓国のソンビと日本の


侍(サムライ)」が東北大学の片岡龍准教授を講師に開催されました。


 


ソンビと聞くとぺヨンジュンが書いた『韓国の美をたどる旅』が思い出されます。


90ページに、韓国の栗原はるみと云われる韓服デザイナーのイ・ヒョジェさんが


昔のものを現代的に活用しているアイデアとしてソンビチェッケ(ソンビの本箱)


紹介され巻末にソンビの説明として「学識が高く、礼儀正しく、人格の高い人」と


あります。これが事前に私が知っていたソンビの全てです。


 


韓国語を通じて訪れるようになった韓国、ドラマや俳優を通じて更に好きになり


もっともっと知りたいと思うようになりました。ソンビって何だろう?


 准教授は韓国の大学で教えた経験もある方で、韓国を訪れた時看板に書かれた


ハングルの文字と教会の多い事意外には日本とほとんど変わらないと思ったそうです。


 


韓国は近くて近い国だと思ったが、似ているから親しみを感じるのは最初のうちで


付き合って行くうちに違いを感じたり、相いれない面に気付いたりするのは夫婦がそうで


あるように、10年付き合って知れば知るほど違うと思うようにもなった。しかし違うと


いうことがわかっただけでいいのか、平行線でいいのか?


 


異質な他者が出逢って、交わらないまま住み分けるというのでは寂しい。


 違いはあるが、かけがえのない違う人間であることを認識し、かけがえのない


人格として尊重し合いたいと主張される。


 


 


日本に誇り高く生きる理想像として侍があるように、韓国にはソンビがある。


日本の侍を理解する「死・刀・土地」という3つのキーワードに対応してソンビの


キーワードを探してみると、「いのち・ことば・たび」が挙げられる。


 


学識高く人格者ではあるが、ソンビは身分概念ではない。したがってイコール


両班(ヤンバン)でもない。両班が官職に上がった特殊階層で、大衆とは隔離された


存在であったのに対、しソンビは官職を持たずともその地位を維持する。


 


上流層が主に社会を代弁していた時代、これを補完し民衆の意見を上層に伝達して


いたのがソンビだ。つまり全ての人間を尊重するという意味で生命に対する


愛を含んでいる。


 


彼らは社会的閉塞状況を「ことば」で打開する。これを「言路を通じる」という。


言路を通じ社会が円滑に疎通するのに大きな役割を果たし、社会的生命力の源泉に


なっていた。それを朝鮮時代の儒学者李退渓は「士子(ソンビ)は元気の寓」と


規定した。


 


外国人学者としソンビを見る時、彼らは非常にダイナミックな存在であった。


大衆を重要だと考える理念と義理があり、また社会的名分と正義に忠実なために


自身の志を守る抵抗集団でもあった。このような特性により、彼らは日本の侍や


中国の官吏よりも肯定的な役割を多く果たした。


 


日本人でソンビ的な人は誰かと思うと行基・芭蕉・田中正造・高倉健・後藤健二等が


浮かぶ。高倉健はちょっと言葉の面で弱く、芭蕉は世の中との関わりに弱いが・・


田中正造が一番近い。


 


今の時代ソンビがあり得るのか、例えばソンビはお金にこだわらないが、それは今と


なっては過去のものだが、だからこそ見直す意味がある。文化を生み出していく


必要がある。(を教授がどう話されていたかはメモもなく失念していますが


日本の状況を話されていたように思います)


かけがえのない違う人間であることを認識すること、かけがえのない人格として


尊重し合うことで共生(相生)していきましょう。