心の中のBYJと共に!

ようこそ!老年期まっしぐらのハルの韓国旅行時々国内旅行の記録です。最近は旅には出ても、報告アップが滞りがちですが…

韓国のカボチャ

2014-09-29 | 韓国の食べ物

7月のソウルでお世話になった料理教室の先生とは、時々カカオトークで近況を

交換しています。昨日も久々のブログ更新を終えホッとしていると、スマホが鳴り

出しました。いつものようにおしゃべりしていますと、盛んにかぼちゃの話題が出て

きます。今はエビの収穫時でセウ(エビ)何とかを作ったから、家の屋上で作っている

かぼちゃと一緒に炒めるとおいしいのよ~、毎日食べてるよ~と盛んに言われて、???

 

セウなんとかの何とかが何なのか、良く聞こえないのですが、どんなものかはわかります。

キムチをつける時にも使われるアミエビの塩辛です。

それと一緒に炒めておいしいとなると日本のカボチャと同じ、あの黄色い甘いもの(こちらは

タンホバッといいます)ではないだろうな、洋もの野菜でズッキーニという、あの細長い

キューリのようなものの方かと聞いてみました。すると、いやズッキーニでは無い

韓国のカボチャとズッキーニは別物だというので、益々???

論より写真、早速スマホで写真を送ってもらいました。

↓ の黄色い花の下のツヤツヤの緑がその韓国のカボチャのようです。花は多分かぼちゃの花

私はこのカボチャをズッキーニと混同していて、ズッキーニを食しては韓国のカボチャを食べた

積りになっていました(アセアセ・・・)^^; やっと納得です。

確かに別物ですし、思い起こせば7月セスクシの庭にできたこのカボチャのでっかいのを、塀の

高いところにできてるのを二人で、ワイワイ言いながら採ろうとしたこともありました。

届かなくて結局セスクシ シンラン(セスクさんのご主人)が採って、翌朝のパンチャンに

干しエビと炒めてだしてくださったのをおいしくいただきました^^淡白ながら素材の甘みが

仄かに感じられました。

おまけのもう一枚

採れたてのお野菜が瑞々しさではちきれそうなのと、葉っぱの多さに癒されます。

下の写真で花と一緒に写っている緑は、カボチャの葉でこれも蒸し物をつつんだりして

料理に使うようです色彩豊かな最近の先生の食卓の賑わいに、早くもソウルへ飛んで

いきたい気持ちが募ります。でも11月までは、我慢我慢です。

 

 

 

 

 

 

 


観覧のお勧めー「バーニー・フュークス THIS IS AMERICA」展

2014-09-29 | 展覧会(国内)

今日は韓国ネタではありません。

昨日TVで偶然見て俄然、これは見に行かなくちゃと思った展覧会があり、お知らせしたくて・・・

 

日曜美術館(NHK)で紹介された「バーニー・フュークス THIS IS AMERICA」」展です。

ケネディ像 

バーニー・フュークスはアメリカの黄金時代50's、60'sを描いた偉大な画家で

ケネディ大統領から、スポーツ、子どもの絵本まで20世紀後半のアメリカを描いた

原画80点を展示され、その作品からは光が歌い、影達が語りかけてくるそうです。

事実番組で紹介された野球場を描いた絵(それは野球場を描きながら野球を描いたものではない

のですが)、その中にグランドにめぐらされた覆いの隙間から中を覗く一人の少年にくぎ付けになり

少年と同じ気持ちで、中を覗いているような気がしました。

またケネディを描いた2枚の絵、一枚は若き頃に描いたケネディがそう描かれたがっているであろう

姿を描いたものと、後年画家がケネディに望む姿のもう一枚。どちらも描かれている本人の思いを

表すかのような意志的な姿や視線に画家の思いが感じられる素晴らしい絵でした。

 

人が描いた絵からこのような感覚を得たのは、かつてゴヤがカルロス4世の家族を描いた絵に

出会って以来の衝撃でした。よい絵を愛でるだけにとどまらない画家が訴えたいものを感じる喜びも

きっと得られる絵に出会えることと思います。よろしかったら秋の一日、お出かけになってみませんか。

期間が短いのでご興味が湧いた方はお急ぎください。

 

   開催日時:  9月23日(火・祝)~10月8日(水)
         11:00~19:00 休館日無し

   会場:     代官山ヒルサイドフォーラム
       (渋谷区猿楽町18-8ヒルサイドテラスF棟)

   料金:     大人500円/学生300円(高校生以下無料)


映画観賞(1)

2014-09-15 | 映画

『弁護人』

韓国へ行くと時間を見つけて映画を見ることにしています。今年は1月に「弁護人-

主演ソン・ガンホ」5月に「逆鱗-主演ヒョンビン」7月に「良い友達-主演チソン、チュ・

ジフン、イ・グァンス」を見ました。韓国語を学んでいるとはいえ、未だにどの程度わかっている

のか、明確に自分でその割合が掴めるまでにも至っていない拙い理解力ですが

映画館へ行き、数ある上映作の中から面白そうなものを選んで、観賞し実際に

面白かった時の楽しみや、自分の選択へのささやかな満足感を感じて楽しんでいます。

 

『弁護人』は一説によると故ノ・ムヒョン元大統領を、モデルにしたものだと云われて

います。いつも早朝割引時間帯は観覧客がパラパラッと数える程度の人数ですが、

この時はいつもと違って結構人が入っていて、観客の年代もいつもはあまり目立た

ない中年層の女性たちの姿も結構目につきました。

 

故ノ・ムヒョン元大統領と云うと、5年前の滞在時に彼の死で悲しみに沈む、たくさんの

人々の姿に遭遇したことが思い出されます。主要な街角には焼香所が設けられ、道行く

人々が故人の冥福を祈る為に立ち寄っていました。丁度今年4月のセウォル号事故の

後、街頭に黄色いリボンが結ばれたのと同じように~。又当時私が良く閲覧していた

俳優の韓国HP掲示板にも、俳優とは全く縁のない彼の死なのに、その死を悼み冥福を

祈る記事がたくさん上がり、HP管理者から削除されることもありませんでした。きっと

それぞれがそれぞれの属するコミュニティで、哀悼の意思表明をしたのだろうと思われ

ます。韓国の人々にこよなく愛されていたらしい彼の最後の姿を見た私としては、彼を

忍んで映画を見に来る人が多いのだと思ったのでした。

 

主人公のモデルや事件の素材は事際にあったことに基づいていますが、映画の内容は

フィクションだそうです。

あらすじは苦労して独学の末、司法試験に合格した主人公が、不動産関係専門の弁護士

として開業し、学閥もなく同業者からは差別と蔑視を受けながら、お金になる仕事を

がむしゃらに引き受け、その道で成功し、建築大手の顧問弁護士としてスカウトを受ける

までになっていきます。その一方苦学中に無銭飲食をしたクッパ店の女主人とは謝罪し

親しく交流するようになります。

そんな中時は丁度80年代、韓国で民主化運動が激しく展開され、軍事政権による弾圧も

激化して、クッパ店の大学生の息子が事件に巻き込まれます。国家保安法違反容疑を

でっちあげての逮捕に、弁護の引き受け手を見つけられないクッパ店の女主人の切実な

頼みで、面会の付き添いをした主人公は、ひどい拷問を受けた息子の信じられない姿に

弁護を引き受けることを決心し、やがて人権派弁護士として目覚めて行きます。しかし

裁判は敗訴、自身もそれに関連し逮捕され、被告人の立場になるなど現実は厳しいですが

最後には彼を応援する弁護士仲間も生まれ、諦めなければ展望は開けると明るい未来を

期待させてくれます。

 

私は暴力団の抗争場面等暴力の応酬場面が多い映画や戦争ものなどは好みません。

この2・3年暴力的場面、それも単純な乱闘でなく、ナイフでえぐり殺したり、想像もできない

凄惨な場面が好んで表現されている感がありました。2013年の春、「新世界」という、

題名から受けたイメージに期待が持てたため、選択を誤って見た映画があります。

5分と置かずナイフで差し合う場面が出て、手で顔を多いながら時々指の隙間から

スクリーンを眺め、切り合いが終わったのを確かめてから画面を注視する、なんて

見方をしたりしました。見たくなければ途中で出ればいいのですが、折角新しい映画を

見られるチャンスを得たので、どの程度理解できるか最後までストーリーを追ってみたくて

途中で出られませんでした^^;

ただあまりに生々しい記憶を早くリセットしたくて、翌日は違う作品を見に出かけなければ

なりませんでした。

 

「弁護人」はそうした暴力的な、リアルで生々しい場面の連続で、展開していく映画作りから

傾向が変わるのかなと思わせてくれたのでした。(年に何十本という映画が封切られているであろう中、

たった数本で傾向を語るのは大胆を通り越してそれこそ乱暴以外の何物でもありません。韓国映画に造詣深い方がいらしたら

噴飯ものの考えだとは思いますが、私の個人的な感想ですからお見逃しください)


梨大博物館―「朝鮮時代の女性の生涯」展

2014-09-06 | 博物館

私が住んでいた新村(シンチョン)の隣駅は梨大です。2番か3番出口で地上に出、まっすぐ

数分進めばそのまま梨花女子大学(以下梨大と省略)という韓国名門私立女子大の校内に

入ります。韓国の大学には博物館や美術館を併設している所が多く、梨大も規模は大きくは

ありませんが充実した所蔵品があるようです。

 

7月も半ばを過ぎたある休日、カットをしに梨大前の美容院へ行った帰りに寄ってみました。

11年前にも一度訪れたことがありますが、その時の主要な展示は現代アートでした。

現在は「朝鮮時代の女性の生涯」をテーマとした展示です。

   

       博物館全景(内部は撮影不可で展示品の写真はありません)

一番初めの展示は태항아리という蓋つきの陶磁器の壺でした。항아리は甕とか壺を

意味します。태は辞書を引いてみると、「胎」つまり新生児を出産した後、母体に不要

となって出てくる胎盤を収め地中に埋めるための壺でした。出産に絡む事を‘穢れ’と

捉える思想が主流と思っていた古い時代に、生命を生む為の行為に関わるものが、大切に

扱われた事実を知って厳粛な気持ちになりました。

 

続いて産着に始まる成長過程ごとの衣服・装身具等、主要には両班(ヤンバン)と

云われる貴族階級の女性の身の回りのものが、一生を終えるまでの段階を追って

展示されています。

絹で作られた生まれたばかりの赤ちゃんに着せる産着の何と柔らかく肌触り良さ

そうなこと!冬は日本よりもうんと寒い朝鮮半島、子供用の外套や頭にかぶる頭巾の

ようなものもドラマで見た大人用のものの縮小版といった感じで、面白かったです。

 

会場に掲示されたこの展示に関する説明をご紹介します。

性理学の理念が社会の主軸となっていく過程で、朝鮮時代の女性は時代的に変化した地位

と生活を送ることになる。 朝鮮前期には男性と同等に財産を相続し、先祖を迎える祭事を

主管し、出産後にも子供の養育のために実家に居住できる権利があったが、儒教的規範が

強化される朝鮮末期に達すると、男女の内外法、七去の悪、再婚禁止のような家父長的な

秩序の中で、両親と夫に順応する人生を強要された。 それでも与えられた場所で家の生計を

立てて、子供を正しく善良に養育するとともに、繊細で豊富な芸術的感性を表現することが

できた女性たちは、朝鮮社会を支える内在的な力となった。 本展示の1室では女性の出生に

関連した胎壷をはじめとして、成長期に着用した服飾と装身具、婚礼に使われた遺物、そして

中年期と老年期に着用した服飾、最後に命を終える時用意された副葬品と子孫が着た喪服まで

展示することによって、朝鮮時代の女性の一生を見渡してみようと思う。 また、階層によって

受け持つ役割が違う朝鮮時代の王室の女性たちと両班(ヤンバン)および平民、専門職に

従事した女性たちの、固有な人生があらわれた服飾遺物と生活用品を通じて、朝鮮女性の

多様な活動と人生の姿を注意深くご覧ください。

 

 李氏朝鮮の時代が儒教社会だった事は有名ですから、私もつい最近までは朝鮮も

女性は‘三界に家なし’的に、幼小期は親に、結婚したら夫に、老いては子どもに従って

生きることを余儀なくされる存在だと思っていました。ですから韓国で5万ウォン札が

発行された時、一番金額の高い紙幣が女性の肖像画であることに、本当に吃驚しました。

又その肖像画に描かれている人物は、朝鮮時代の高名な儒者栗谷李珥(ユルゴク 

イ・イ)の母で申師任堂(シン・サイムダン)という女性ですが、彼女とその子李珥は共に

彼女の母の実家である江凌の烏竹軒で生まれたと知って、不思議な思いを抱きました。

韓国に日本女性が出産の時、実家に戻ってするようなそういう習慣が、あるかどうか

実際のところは知りませんが、あると仮定してもソウル在住の申家の嫁である申師任堂の

母は、自分の実家である烏竹軒で出産する可能性はありますが、その子(つまり申師任堂)は

自分の実家であるソウルの申家で出産するのではないかしら?と思いPCで検索して

みたことがあります。

 

すると申師任堂が江陵の烏竹軒で李珥を生むことになったのは、夫を亡くした後実家である

烏竹軒に住むようになっていた李氏が病気になり、娘である申師任堂が看病の為に滞在

している時に生まれたのだということだそうです。李氏は一人娘だった為に、女性ながら実家の

遺産を相続し、夫の死後は烏竹軒に住むようになっていたようです。子供が女性だけなら

それは当然のことと受け止めていましたが、政治体制の移行期という事で制度的な整備が

行き届かず、緩やかな規範の中にあったという事のようでした。関係ありませんが、私も規則や

制度は緩やかなのが好きです。人間個人個人の自由な発想や行動が尊重され、活かせるので

はないかと思うからです。

 

申師任堂は朝鮮一の女流画家と評される人で、この「朝鮮時代の女性の生涯」展にも

申師任堂作とされる枯梅花帖という絵が出展されています。朝鮮初期の緩やかな規範の

中で、理解心ある婚家の家族にも恵まれ十二分に才能を開花させた女性に思われます。

ミュウジアムショップも小さいながら充実していて、文具等お土産向きの小品の品揃えも良いと

思います。朝鮮時代の女性の生き方に関心のある方、お手頃でちょっと気のきいたお土産を

手に入れたい方、お勧めです。한번 가 보시면 어떨까?(一度いらっしゃってみたらどうでしょう?)


りベンジソウル生活最後の日

2014-09-04 | 韓国生活

7月31日、とうとう最後の日です。フライトは3時半ですから1時半頃迄に

空港へ行けば良いので、午前中は時間があります。映画をもう一度位は

見たいと思っていましたが、最後に何か一つだけするとなると

やはりカピョンでお別れした、料理教室のク先生の事が気になっていました。

昨日ご挨拶に伺いたいとカカオトークでお話しして、いらっしゃいのお返事を

いただいたので、最後の数時間は先生たちと過ごす事にしていました。

 

帰国前の大仕事は荷物のパッキングです。昨夜は7割方終えた段階で眠りました。

来る時は最大級の旅行鞄に、若干の隙間がある状態で来ましたが、帰国時は・・・。

料理教室で習った韓方参鶏湯を作るために、少し韓方薬を買い込んでしまいました。

重さはまだしも嵩が半端じゃありません^^;止むなく軽めのものを袋に入れて機内

持ち込みにし、PCはケースに入れて更に手提げバッグに入れてから旅行鞄へ入れ

空港では鞄から出して機内へ持ち込みにします。これで計2個になるのかしら?

少し心配ですが、まあPCは別扱いかも~と。

 

朝起きてシーツをはがし、収納。お借りしていたベッドパッドと上掛けは、洗濯機を

回して部屋干し、取り込みはセスクがやってくださるでしょう(多分)。

一旦詰めたものを何度も出しては締め、出しては締め・・・やっと鍵を掛けた時は

へとへとになっていました。

 

料理教室へ飛んでいったのは、本当にご挨拶だけでお暇しなければ、今度は

セスクシとのお別れを惜しむ時間が無くなりそうな時間になってしまいました。

加平でずっと一緒に過ごせなかったお詫びと、ご親切のお礼をし、暫く歓談した

後お暇をつげると、空港へは送ってあげるからお昼を一緒に食べましょうと近所の

レストランへ。何が食べたいか聞かれ、この頃歯の具合が悪く両奥歯が痛むのを

騙し騙し過ごしていたので、マンドックッ(餃子スープ)を所望、先生達はというと

久々にカンカン照りの真夏日となった蒸し暑いこの日、さっぱりしたレーメンが

食べたいと、どちらも美味しいと評判のお店へ連れて行って下さいました。

 

お店は料理の先生が通うだけあって、12時前に入った私たちは待たずに席に

着くことができましたが、それで満席となり、その後は外の椅子で待つ人が増えて

いきました。マンドゥクッとムルレーメン・ピピンレーメンを分け合って美味しく頂き

ご一緒できたお礼に支払いをしようと席を立つと、誘ったんだからご馳走させてと

先生もお弟子さんにカードを渡され、どちらが出すかで若干の応戦。でも、お店の

人は私たちの顔色を見た結果、先生のカードをとってレジへ。

料理教室を主宰なさっているとはいえ、つつましやかに暮らしていらっしゃる先生に

負担を掛けさせてしまって申し訳なかったですが、ご厚意を無にするのも大人げなく

従う事にしました。

 

それからお弟子さんが車をとりに行き、下宿へ向かったのは一時少し前、大荷物を

火事場の何とか力で車までは自力で運びましたが、後はお弟子さんが後部座席に

押し込んでくださいました。

セスクシとのお別れは、彼女に用事があり、ギリギリまで待ったけれど出かけるとの

メモが入っていて、出来ないことになってしまいました。お詫びを即カカオで送付・・・。

 

空港まで送ってくださる車を運転するのは、先生の弟子としてソウルに暮らす日本人の

若い女性です。ソウルの交通事情を見ていると、運転免許は持ってはいるものの不便な

地域に職場を持つ関係上、止むなくとっただけの私には、とても運転する勇気が持てない

状況です。

まずスピード、それから車間距離、もたもたしていてブーイングのクラクションを浴びること

必定でしょう。そんなソウルのど真ん中、ましてや交通量のめちゃくちゃ多い空港へ向かう

漢江沿いの道路を運転できるなんて!と感嘆すると、横にナビゲーターの先生が付いてて

くださるからできるだけと、これまた不安なお返事!途中、午前中は照りつける太陽がじりじり

肌に焼けつくように暑かったというのに、にわかに曇り始めザァザァとひとしきり雨が降りました。

ほんのしばらくで上がったので、最近多い局所的降雨だと思っていたら

先生が「この雨は私の涙だ!」とジョークを~。

 

そんな言葉を嬉しく聞きながらも、タクシーでいつも通る道とは少し違う気がして、雨の中の

運転にも不安があり、無事帰れるかしら?と思いつつ・・・無事空港に到着!

到着後は搭乗を見送っていただくと、今度は私が先生たちが無事帰れるか心配しなくては

なりません。荷物を降ろしたら、其の儘行っちゃって下さいとお願いしていました。

車を降りるやカートを探し、車の所に戻って鞄を載せようとすると、何と持ち上がりません。

再びお弟子さんに手伝っていただいて、二人がかりで何とかカートに乗せ、早口でご挨拶。

(先生へ)「秋には又来るからお元気でね!」

(お弟子さんへ)「○○シ、良いご縁があったら早くご結婚をね!結婚しても、先生をよろしく

お世話して下さいね!」

 

お名残惜しむ間もなく空港の片隅でバッグをあけPCを取り出す。空いた所に何か詰めようか

とも思ったが、鞄を広げたまま隙間に合う形に入れ直す気力はなく、そのまま閉めて

利用航空社のカウンターの最後尾につき、チェックインの順番を待つ。鞄は28㌔、4㌔オーバーで

その分を出して手荷物にしなさいと云われましたが、既に荷物は2つありました。料金次第で

超過金を支払ってそのまま預けようと思いました。幸い数千円で済むそうです。別カウンターに

行き料金を支払ったら、計算が違っていて云われた金額より安く済みました。

鞄28㌔+PC+韓方薬Ⅹ㌔、多分30㌔の荷物を抱えていたわけです。持ち上げられなくて

当然です。

荷物のことだけを考えても一人ソウル暮らしをするのはこれが最後、と言い聞かせながら

帰途につきました。

 

 

簡潔に読みやすい記事をうまく書けず、長い文章をお読みいただきました。リベンジ旅の

最初から数えれば2カ月余り、拙い投稿にお付き合いいただき、ありがとうございました。

心からお礼申し上げます。

次回の旅の予定は10月末から11月初旬と考えていましたが、相変わらず、おっちょこちょいの

パボが治らず、10月のTOPIKを受験する積りが、韓国のHPを見ていた為、日本のHPには

本国とは別日程が記されていたことに気づかず、申告することができませんでした。折角やる気に

なったところを、受験を先送りにするとモチベーションが下がり、本格受験の期を逸しそうです。

合否は二の次として、勉強を日々たとえ1時間でも継続するために11月9日のハングル検定を

受験することにしました。

このハングル検定、10年以上前に準2級にまぐれ合格して以来、何度過去問でチェックしても

合格できそうになく、長年蓋をしてきたチャレンジです。

ここに受けてみますと宣言して逃げ道を断っておかなければ・・・・^^;

 

そう言う訳で次回の旅行は、紅葉も終わってしまうかもしれない11月半ば頃になる予定です。

それまでは、書きそびれた事や思い出すことなどを少しずつ書いて行きたいと思います。

頻繁には更新できないかもしれませんが、細々となり引き続きお付き合いいただければ幸いです。

よろしくお願いします。