心の中のBYJと共に!

ようこそ老年期をまっしぐらに進行中、ハルの韓国旅行時々国内旅行の記録です。

2016ハルの韓国生活最終イベントー同級生との旅4(念願の船橋荘に泊まる)

2016-09-07 11:38:41 | 地方旅行
6月9日端午の日のつづきです。
官奴仮面劇を見終えて、今日の宿船橋荘へ向かいます。
既に船橋荘の一般の観覧時間が終了する午後6時も
過ぎているし、市中心部からは近いのでタクシーで
行きました(なんちゃって路線バスは苦手で、過去
3度、いつもタクシーを利用してました^^;)




船橋荘は、世宗大王の兄弟の子孫が18世紀に建てた
両班住宅で、臣下に許された最大規模99間の広さです。
焼失などで創建当時のままでは無いようですが、再建
され往時の規模を保っているようです。その他現代に
なって作られた体験用施設や観光施設が整備され
江陵の一大観光地です。

船橋荘の名前は、近所にある鏡浦湖が現在よりも広かった
時代、出入りするのに船を利用していたためこの地域を
船橋の村(船橋里)と呼んでいたことに由来するそうです。

敷地内に一歩踏み入れるとまず目に飛び込んでくるのが
活来亭(ファルレジョン)




蓮池の中にあって、茶道体験教室などに利用されるようです。
建物の周囲はぐるりと観音開きの障子窓だそうですので、開け
放してゆったりお茶を楽しんだら王朝貴族の気分にひたる事が
できるでしょうか^^
それにつけてもここといい、プヨといい蓮池には都合5回訪問
しましたが、満開の蓮を見るのはまだ一度も経験できない私は
余程蓮の花との相性が悪いようです。


住宅入口の門


悦話堂[ヨルファダンー当主の居住空間であり、客室(舎廊棟ーサランチェ)]

          (今回撮り忘れネットからの借用写真です)

ヨルファダンは、船橋荘がドラマなどに利用される時、何よりここと分かる
特徴ある部分です。韓屋の通常の屋根の軒先に付けたされた緑の庇、19世紀
後半にロシア大使から譲られ移築されたものだとか。たくさんのドラマに登場
したようですが、私は『ファンジニ』で見ました。縁の前に設けられた
ベランダ風の場所が珍しくて、強く印象に残っています。



初訪問の2011年7月にいつか泊ってみたいと思って以来5年振り、ここに宿泊
するために今回の訪韓の当初から、ネット予約(船橋荘HP)をしたり、予約金の
振り込みで慣れない韓国の銀行での手続きしたりに、我ながらちょっとした
緊張を経験したりしました。やっと実現出来て感慨深いです^^

喜び勇んで意気揚々やってきた割に、何だかあっけない!

端午祭会場からこれから向かう旨電話で連絡したおり云われたように、入口の
チケット売り場に居た人に宿泊予約をしている旨告げ、どうぞお通り下さい的な
事を云われた後、誰が現れるでもないんです。じゃあと勝手知ったるでもないん
ですが、予約した西別堂に行き、入口らしき戸を開けて入り荷物を下ろしました。

西別堂(ソビョルダン)



ここに宿泊しました。

ご覧の様に外観は伝統様式を踏襲した韓屋ですが、宿泊者の便宜を図るためか
本来は無い浴室が設置されています。ソビョルダン一棟で左右に一組ずつ二組が
宿泊可能で、片側には二部屋ずつの個室とシャワー室兼洗面・トイレがあります。
そのためどうしても湿気がこもるのでしょう。部屋の間仕切り障子の開閉がきつく
なっていました。

河回村の両班住宅(北村宅)にも宿泊したことがありますが、そこは文化財としての
住宅をそのまま保存するために、手を加えず保持しているのはとても大変な事と
この時改めて思い至りました。
そういえば船橋荘のソビョルダンは、当初の建物が焼失し、1996年に再建された
ものだそうです。他にも何棟かある建物の内シャワー室の無い棟もあると言います
から、ひょっとしたら創建当時からの建物か否かでシャワーのあるなしが決まる
のかもしれません。

部屋には箪笥の様な物入れがありその上に美しい色の寝具が折り畳んで積まれて
いました。
入室、冷蔵庫のお水、寝具、想像力で適宜利用して一晩の宿となりました。
夕食はまた別に報告します。
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2016ハルの韓国生活最終イベントー同級生との旅3(江陵端午祭)

2016-08-31 15:35:47 | 地方旅行
6月9日待ちに待ったチングとの江陵端午祭への旅です。
朝ご飯に明洞にあるお粥屋さんでアワビ粥をいただいてから、バスセンターへ。
今日は東ソウルバスターミナルからの出発です。

10時丁度発のバスに乗り渋滞にも遭わず、快適に江陵到着。お昼は過ぎて
いましたが気が逸るので、南大川の両岸にあるという祭り会場まで、まずは
タクシーで向かいました。

会場中心地に近い橋のたもとで、これ以上は進めないと下ろされましたが、
降りた丁度向かい側に、祭り本部のテントがあり、スケジュール表や団扇を
いただきました^^

この川の両側で一週間繰り広げられる端午祭、始まりは
麦を刈り取リ田植えを終えた後に、ひとしきり遊びながら休む名節(韓国固有の
祝日)として農耕社会の豊作祈願祭の性質を持つものだそうです。

江陵端午祭は長い歴史過程を経てきた伝統文化の伝承の場として、祭礼、
端午クッ、仮面劇、農楽、農謡など高い芸術性を持つ多様な無形文化遺産と
共に、ブランコ乗り、シルム(韓国相撲)、菖蒲を頭に巻く、ヤマボクチ餅を
食べるなど韓国歴史と独創的な風俗が伝承された韓国の最も代表的な伝統
祝祭である。(韓国文化財庁HPより)


スケジュール表を見ると5時から「官奴仮面劇」と云う伝統芸能が上演される
ので、それまでお昼をとったり露天商のテントを覗いたりして過ごしました。
4時過ぎに、仮面劇会場を確認しておこうと向こう岸へ目をやると、川の中に
張りぼての人形が~


橋を渡り始めると、途中に撮影スポットがあり・・・そこにある看板と川の
中の人形は、良く見ると似た装束を着ています。ひょっとするとこれは、
仮面劇に登場する人物たちかもしれません。
記念に3人で写真を撮ってもらいました。


川の右岸には公演会場となる大きなテントが幾つかしつらえてあり、官奴仮面
劇を上演するテントでは、この日は朝から農楽の競演大会が開催されていました。
市内(?)の農楽グループがKBS社長賞をめぐってしのぎを削ったようです。
到着した時、演技は既に全て終了し授賞式が始まっていました。



優勝チーム



仮面劇開演時間が近づくと演戯者達が会場に姿を見せ始めました。
フレンドリーな様子に、写真をお願いしてみたら、快諾^^

左側は劇の登場人物시시딱딱이(シシタクタギ)  右は장사마리(チャンサマリ)
 (チャンサマリの太鼓腹を作るため、衣装の中に何かで枠の詰め物を入れた様子が
 見ている時は異様で、何なのか分かりませんでした^^;)


官奴仮面劇(スケジュール表にあった粗筋と、ネット検索で調べた粗筋を簡略に
ご紹介、背景とか深い意味は理解できていませんことご了承ください)


始まり(伝統芸能の範疇に入るものは皆そうなのか、最初に登場人物全員で舞台に
登場し一しきりその場を回るようです。この仮面劇では↓写真にあるような幟?或は
お神輿の様なものを掲げて登場、祈りをささげて始まりました。



第一幕 太鼓腹の장사마리(チャンサマリ)が騒々しく埃も巻き上げながら踊りまわり
観衆にふざけたりして場を愉快な雰囲気に盛り上げる。



第二幕 尖った頭巾を被り長いひげをなでながら威厳ありげに登場する両班と淑やかな
面を被り黄色いチョゴリに桃色のチマではにかんだ様子で踊るソメカクシが登場する。
両班がソメカクシに求愛し、お互いに気に入り肩を組み場内を回って愛を交わす。




第三幕 恐ろしい形相のシシタクタギが現れ、両班とソメカクシの愛に嫉妬、邪魔をし
二人を引き離す。










第四幕 二人の中を引き裂いたシシタクタギ、一方は両班をからかい、もう一方は
ソメカクシをなだめすかし一緒に踊ろうとするが頑強に拒否される。
それを見た両班、大いに怒り気をもむがどうすることもできない。


やっとシシタクタギを押しのけソメカクシを取り戻したが、ソメカクシの貞操を疑い
叱責する。ソメカクシは身の潔白を証明するために長いひげに首を結び自殺を図る。






第五幕 潔白の訴えにほだされた両班は哀れに思いソメカクシを許し、誤解が解け
陽気な最後へとなって終わる。






韓国恒例、最後は観客も巻き込んでの大盆踊り状態を繰り広げて終了となる。





(江陵旅、まだ続きます。)


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2016ハルの韓国生活最終イベントー同級生との旅2(百済最後の都扶余へ)

2016-08-18 23:43:26 | 地方旅行
韓国チングの来日やお盆ですっかり遅れてしまった2016ハルの韓国生活
最終イベントの旅の続きをやっとお届けします^^;

端午祭り見学のために訪韓のスケジュールを決めながら、肝心要の祭り
イベントをチェックしなかったミスが判明した所まで、前回報告しました。

メイン行事は、当然端午の日に組まれるとハナから信じ込んでいた私、
江陵へは9日の朝出発を予定していました。ショックは禁じ得ませんでしたが、
落ち込むわけにはいきません。端午の日を含む1週間は、多彩な行事で内外から
大勢の観光客が集まり楽しめるはずとチングに説明、旅は予定通りに進行させ
江陵の前に8日は扶余へ行きます。

扶余はマーズの流行さえなければ、昨年の7月に広大な人工池(宮南池)に
咲く蓮の花を見に、チングIと訪れる予定だった所です。6月ではまだ蓮は
咲いていませんが、前々から扶余へ行きたがっていたチングIは、喜んで
くれるのではないかと思ってのチョイスでした。

2年前の晩秋に訪れたときは、東ソウルターミナルから出発する扶余行きに
乗ったら、到着したのは公州だったという、謎の出来事が起きました。多分
公州経由扶余行きだったのかと思いますが、そこで全員降りたので何の疑いも
無く、目的地に着いたものと思ってしまいました。

そんなことの無いよう、今回は南部バスターミナルからのバスにしました。
現地でたっぷり時間がとれるように、早め早め行動で9時半には到着!
今度はちゃんと扶余に着きました!

バスターミナルで市内地図をいただいて、早速扶蘇山城へ向かいます。
一番に出くわしたのは、聖王の銅像(ドラマ「藷童謡(ソドンヨ)」のソドンの
お祖父さんにあたる王)


この銅像を右(東)へしばらく行くと扶蘇山城の入り口があります。



不思議に思ったのはこの山門を表から見た時と、入った後内部から見た時に
別な扁額が掛かっていたことです。


表の額は、この山門内が扶蘇山城だということを示し、内側の額はこの門自体の
名称?を指しているのかと思いましたが、外側と内側に二つの名称を掲げた門は
初めてでした。

2度目の扶蘇山城、紅葉の前回と打って変わって新緑もとても良いです。
今回も私に合わせて傾斜の緩い方の道を行ってもらいました。途中には、再現
された遺跡などがありますが、今日は一日で博物館と宮南池にも行きたいので
絶対外せない箇所だけの見学です。

百花亭(断崖絶壁から身を投げた後宮女性の魂を慰めるために落花岩近くに
建てられた東屋)


落花岩







落花岩の崖下の皐蘭寺






天井一面に提灯が百花繚乱の如く咲いていました。


前回は気がつかなかった薬水は、この寺の裏にありました。

皐蘭薬水ーコランジョン、若返りの薬水だと言います。一口含んできましたが
効果はあったでしょうか?確認して頂けないの残念!?


王はこの薬水を、この付近にのみ咲く皐蘭草を浮かべさせて、確かに
コランジョンの薬水だと確認して飲んだという伝説があるそうです。
お寺の外壁にその内容が描かれていました。






見学を終えて船上から落花岩を見学しようと船着き場に向かいかけて、ふと
この付近に咲いているという皐蘭草がどんなものか気になり、お寺の人らしき
人に聞いてみました。「この近くに咲いているという皐蘭草は今も見られ
ますか?」
すると今は無いが、写真があるので見せて上げると、スマホにファイルした
写真の皐蘭草を見せてくださいました。




扶蘇山城見学はこれで終えて、船で白馬江(歴史教科書に出てきた「白村江」)を
下りクドゥレにある鰻屋さんへ行きます。船は乗客が集まり次第出航というので
長く待つことを心配しましたが、程なく団体が何組か現れ出発となりました。



白馬江の穏やかな流れから眺める扶蘇山、何千人もの女たちの悲劇を飲み込んだ
とは到底思えぬ穏かさでした。




白馬江遊覧は皐蘭寺下からクドゥレ間数百mで、出発時も到着前もそれぞれ
上流・下流に大きく回り込んでくれて15分程度の楽しみでした。


下船したら丁度12時少し過ぎ、お昼をとってから博物館へ行こうと思います。
お昼はチングIがガイドブックで見たという、クドゥレ近くにある鰻焼き定食の
お店へ行くことにしました。道なりに通りに向かって歩いて行き適当な所で
人に聞いたら、目の前にそのお店があるというような場所でした。



鰻はそれぞれの手前に鉄板の器に1人前ずつ盛られ、テーブル中央に並んだ
料理は共同で分け合っていただきます。

食後は腹ごなしを兼ねて歩いて博物館へ向かいました。途中に定林寺址があり
ますが、塔があるだけなので通りすがりに塀越しに見て済ませました。


博物館まで歩くと暑さと疲れで少しへばってしまいましたので、博物館前に
ある伝統茶のお店で、マチャをいただこうと寄ってみると・・・、お店は
開け放たれているのですが、何度声を掛けても誰も出て来ないので、諦めて
先に博物館へ。


国立扶余博物館、ここで見逃してならない展示物は百済金銅大香炉です。
ぺ・ヨンジュンも惚れ込んだと著書の中で打ち明けています。当時の百済人の
技術力・美意識などの粋がここに込められていると言って過言ではないものに
思います。



一般の展示品のさらに奥に特別室に収められた国宝287号、発見は1991年と
云うから、私の初韓国の時はまだ土の中にあった!らしい。



お寺の祭壇前に置かれて使われる香炉だそうですが、何と多彩な自然や
生き物たちが表現されていることか!
↓のアップの2枚に彫られた楽士が抱えている楽器は片やコムンゴか伽耶琴
もう一つは琵琶の様な抱える形の弦楽器です。香炉一つに浮き彫りにされた
世界の深さに大感動です^^






博物館見学を終えてまた伝統茶のお店を覗いてみましたが、まだお留守でした。
お隣の工務店の様な事務所の人に聞いてみても行き先も、いつ頃帰るかも知らない
とのこと。でもお店はずっと閉じまりもしないで開けっぱなしです!?
長閑ですね^^

已む無くのどの渇きはコンビニを探して飲み物を調達、疲れはタクシーで
最後の目的地 宮南池に向かう・・・つもりが、タクシーが来なくて
途中で拾えたら乗るつもりで歩いていたら着いてしまいました^^



宮南池はソドン祭りに向けた準備なのか、飾り付け工事中でした。そして蓮の花は
蕾が膨らんでいるものを一生懸命探して~





この蓮が一斉に花開いたら・・・壮観でしょうね!本当にいつか、きっと来なくちゃ!



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英陵3

2016-07-30 13:35:34 | 地方旅行
本格的な夏晴れの昨日、お寺のお施餓鬼会に出かけたウリナムピョン、置いてけ
ぼりの私は、昨日今日鬼の居ぬ間の二日間、ずぼら三昧を楽しんでいます^^;



英陵1・2はいってみれば英陵テーマパークと云った物のご紹介でした。
いよいよ今日は英陵そのもののご紹介です。展示物の奥へさらに進むと
ここからがお墓の領域ですと示すのか、門があります。

訓民門


門の向こうは、陵までず~っと続く一本道、参道の両脇には美しい芝生


芝が美しい状態で保たれているのは、常に管理する人々が居るお陰


参道を真直ぐ進むと、小さな水の流れがあり橋が掛かっていました。


禁川橋


この流れは、陵の前に流れる川を崇めお溝、または禁川といい、ここに
置かれた橋を禁川橋というそうです。
橋の向こう側の赤い鳥居の様なものは、普通廟の前に立てる赤い門(王の
霊魂が宿る神聖な領域であることを表し、風水地理説の背山臨水ー山を
背にし、水を眺める地勢)の意味も持っているとのこと。

神道


丁字閣正面(墓前祭を摂り執り行うための建物、俯瞰すると丁の字の形)


丁字閣横面


丁字閣から見た陵




陵の周囲には低い塀がめぐらされています。


死後王の魂を守る兵や臣下の像







いかがでしたしょうか?広大な英陵、人々は自然に親しみながら遥かな昔
大きな心で民を愛した王様の霊魂と触れあい偉大な王をいただいた喜びを
再確認することでしょう。

権力者でありながらこれほどまでに慕わしい人物を、日本史の中に探すと
誰が居るでしょう?
聖徳太子を思いついたんですが・・・、ちょっと謎が多くて、神話の世界
に近いイメージがありますね。



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英陵2

2016-07-28 23:00:16 | 地方旅行
英陵訪問の続き、写真の登録に手間取り、やっとアップできます^^;
NO1では天体観測に関連した器具類をご紹介しましたが、今日は音楽など
その他の分野です。時間が経って何だったかわからなくなったものもあり
説明不足で申しわけないです・・・。




英陵の門を入ってすぐの野外には、天体観測に関する発明品の展示があり
ましたが、その一角を過ぎると世宗殿という建物があります。
世宗がかかわった発明品の屋内展示場です。

楽器類


一番左の楽器など、学期というより装置という感じです。
小さな銅鐸の様なものがたくさんぶら下がっています。きっと厚みなどで
重さが変えてあって音に違いがあるのだと思います。

台の足の部分の支えが木彫りの動物で出来ていてユーモラスです。















世宗時代にハングルで作られた書籍





           「龍飛御天歌(ヨンビオチョンガ)」


屋内展示を見終えて外に出ると、また発明品の展示がありました。

自撃漏(水時計ー播水台から流れ落ちる水が受水筒に溜まると
時間の目盛りが浮かびてこの原理の自動調節装置を動かし自動的に
鐘と太鼓と鉦を打ち時間を知らせる)




風旗台(風の向きと強さを測定し、気象を予測する)


測雨器(降雨量を測定する世界で初の雨量計)




天体観測や気象観測に関するこれら発明を見ていると、農業を基盤と
していたであろう朝鮮の民の暮らしに直結した必需品を、王たる世宗
自ら率先して作りだそうと奮闘した姿が見えてきます。(続きます)



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